蒐集国家コラジス11
コラジスにおける、政治形態の話をしておこう。
蒐集国家コラジスはかつて、賢者政治という特殊な政治形態を持っていた。コラジス大図書館の設立者、コラジス・ラッスフェルーー通称、『初代賢者』。彼が指名した二代目賢者、リート・ラッスフェル。ラッスフェルはコラジスの首都の名前でもあり、そこを治める賢者の一族の名前でもあった。
コラジスを治める“賢者”は、民から選ばれることもあれば、ラッスフェル家の弟子や子供から選ばれることもあった。そうして知識の収集を長く続け、他国の変化を見守るうちに、十七代目の賢者が賢者政治の放棄を宣言。
以降、“賢者”は名前を受け継ぎ、よほどのことがない限り国家運営に口を出さない存在となった。
だが、コラジスの民たちは知っている。ラッスフェルの名は連綿と受け継がれ、自分たちは“賢者”の国に住むのだと。
賢き者が護る国。叡智を守護し、賢者が護る世界知識の集積所。
たとえ戦火に巻き込まれようと、蒐集した叡智が国を守る。国は蒐集した叡智を守る。だからこその、蒐集国家。
「だから、お前さんを呼び戻したってわけじゃのう。“怪童”イルディアスくん?」
「ハァ……」
拳がコンコンと机を叩く。先代の賢者であり、第二十九代賢者でもある初老の男性は、渋みを感じさせる低音でそう告げた。対峙する白髪の青年は、口から気の抜けた声を返す。
机に座る初老の男性は、人を食った笑みを浮かべた。多くの人が萎縮するか恐れるであろう迫力でも、イルディアスは動じない。雰囲気どころか空気すら読めないからだ。
「次世代の賢者はまだ若い。これから起こるであろう荒波、新旧の賢者の力が必要じゃろうと思うてのぅ」
ちらりと初老の賢者が目を向ける先には、爛々と藍色の目を輝かせる少女が座っていた。短く切り揃えられたおかっぱ頭には、焦げ茶色の髪が踊っている。
先代賢者と今代賢者。
シージャー・ラッスフェルと、フェルルアラ・ラッスフェル。
蒐集国家コラジスが誇る、賢者たちだ。
「荒波……?」
首を傾げるイルディアスに向けて、フェルルアラが1枚の紙を突きつける。その紙には無数の数字とグラフが踊っていたが、イルディアスはそこに書かれている名前に目を向けた。
「ラッスフェル、ルーワン、アリーズ……これ、コラジスの街の名前ですね。どういう情報ですか?」
イルディアスの疑問に、フェルルアラは顔を綻ばせた。それはイルディアスが一目見て、この紙が何らかの情報を示していることを察したからだ。自分が作り上げたデータを見抜けるほどの思考、観察眼を持っていることに気付いた。
「……わかるの?」
「え? うん。だって、本じゃん」
……本か?
という顔をしたフェルルアラとシージャーだったが、話が進まないので1枚の紙を元に話を続けた。
「【魔玉針】。7年前から各町に設置してある魔力の数値を記録してる。ここ数年は変化がなかった」
横ばいの線を示して叩くフェルルアラ。机に置かれたその紙を覗き込み、イルディアスは頷く。
「ああ……【魔骸】対策の……」
イルディアスの脳裏にかつての光景がよみがえる。ラッスフェルというコラジスの中枢に迫る脅威の存在。魔玉と魔力をため込んだ遺骸から生まれる世界の災害。十数年に一度しか起きないその災害に対し、予測をするために生まれた【魔玉針】。シージャー前賢者が開発し、今代の賢者フェルルアラが研究を引き継いだもの。
「この反応は【魔骸】ではない……と思うけど……」
ルーワンと書かれた軸を見れば、横ばいの線が波打っている。意味を理解しているイルディアスすら、微かに眉をしかめる程度の線の揺れ。
「……微妙だな。ああ、確かに【魔骸】の揺れには見えねぇ」
「だけど、なにかある。ルーワンの町の周辺に、【魔玉針】が反応するような何かが」
シージャーとフェルルアラの二人の言葉に、イルディアスは『わかってる』と言わんばかりに重々しく頷いた。
「……つまり、ルーワンごと攻撃しろ、と」
「「違う」」
二代の賢者は綺麗に音と動きを合わせて首を横に振った。慣れているシージャーはちょっと驚いただけだったが、フェルルアラは背筋に冷や汗が伝うのを止められなかった。「そうだ」と言えばこの“怪童”は本当にやりかねない。そうなれば、名誉職かつ国中の尊敬を集める権力なき研究者である賢者といえど、責任問題は免れないだろう。
(ていうかどこの国に、怪しい奴あぶり出すためだけに自国の町を攻撃する奴が――そういえば、帝国はやったことあるけど……いや、そうじゃなくて!)
「自然災害にしては弱い。かといって無視できるほど些細な変化でもない。もしも人の企みならよぅ」
初老の賢者は、つま先で床を叩く。室内にうずたかく積まれた紙の山が、起きた風によって僅かに崩れた。
「狙いはここだ。コラジスの心臓、叡智の集積所」
「……なんで断言できるんですか?」
イルディアスの問いかけに、シージャーはきょとんとした顔を返した。
「そらおめぇ、この国、ここ以外になんかある場所ある?」
イルディアスはシージャーの問い返しに数秒悩み、真顔で言い返す。
「ないですね」
叡智の集積所、蒐集国家コラジス。ため込んだ叡智のコラジス大図書館という観光資源以外は、特に狙われるようなものは置いてない国だった。
「てぇわけで、お前さんはラッスフェルに待機だ。いざというときはこの首都だけ守る。とはいえ、手は打つ」
「はい。すでに数名に探知用の【魔玉針】を持たせて、ルーワン周辺に向かわせています。何かあれば即座に動けるだけの人員は揃えました」
ぞわり、とイルディアスの背中が粟立つ。暗闇に光る、少女の藍色の瞳。そして笑みの形に歪められる、初老の賢者の鳶色の瞳。その瞳に光る色は、自分よりもなお深い、エゴ。
「研究の邪魔は許しません」
「叡智の簒奪は認めねぇよ」
蒐集国家コラジスが誇るのは、何も叡智ばかりではない。
叡智に引き寄せられた、偏屈にして変人の一族。名を継ぎ続け、叡智を守り続けたラッスフェル達は、すでに動き始めていた。
「はーい……」
そしてコラジスが誇る“怪童”は、静かに書庫堂へと戻った。内心で、『まあ戻って半年、ラッスフェルから出たのこの前が初めてだけど……』と思いながら。
その日、森は静かだった。
鳥の鳴き交わす声さえ鳴りを潜め、虫が動く音すら聞こえてこない。聞こえるのは、風が葉を揺らす葉擦れの音だけ。ルーワンの西に存在する森は、数日前から狩人や冒険者が入らなくなっていた。数人の行方不明者を出してから出入りが禁じられていた。
「……反応はないな」
だが、今その森に3つの人影があった。不法侵入――ではなく、正式な許可を得ている。今代賢者であるフェルルアラ・ラッスフェルの同輩にして研究仲間、トーノス。誰よりも森を知り尽くしたルーワン出身の冒険者が2人。
「……やっぱり不気味だな」
「トーノスさん。無理だと思ったら即帰るぜ」
ローブを纏った男は、両手に円盤状の物体を持っていた。円盤の上には紫色に輝く円錐系の石が浮かんでいた。周囲に威圧感を放つその物体は、『魔玉』と呼ばれている。
いつ、どこで、どうやって――発生源も、発生理由も、発生場所も予測できていない。ただいつの間にかソレはそこにあって、ありとあらゆる物に、生き物に、力を与える。
「……状況証拠的に言えば、この森以外にはあり得ない」
トーノスの囁きは、誰にも返されずに地面に落ちた。誰よりも信を置くフェルルアラの観測結果に間違いがあるはずがない。彼女がルーワン周辺に異常があるといえば異常がある。
そしてルーワンに来れば、異常が起きているのはこの森だと誰もが言う。この森が誘導だとしても、【魔玉針】に多少の揺れすら起きないのはおかしい。【魔玉針】は近くに来れば探知精度があがるというほど単純な仕組みではないが、それでも何かしらの異常は掴めるはずだと思っていた。
「くそ……」
額に垂れる汗を拭う。おかしい。
「なんかやべぇぜ……」
「……嫌な感じだな」
剣の柄に手をかける冒険者の二人。森の中という環境の素人であるトーノスにすらわかる。自分を付け狙う何者かの気配を感じる。静かすぎるこの森において、誰かがこちらを見ているという感覚。
「なんで、動かない……!」
異常を示す自分の体と感覚、それでもピクリとも動かない【魔玉針】。
「おい、わかってんだろトーノスさん! なんかおかしい!」
「確かに、おかしい……だけど!」
周囲を警戒する二人の冒険者に見向きもせず、一心不乱に【魔玉針】を見つめるトーノス。
(研究者が、自分たちの研究成果を信じないで何を信じるんだよ!)
結果としてその行動が、3人の命を救った。トーノスが見つめる【魔玉針】が、急に勢いよく動いた。
「森の奥だ!」
トーノスが少しでも【魔玉針】の探知性能を疑い、目を離していたら。冒険者二人が、森に慣れておらず、『森の奥』という方向がどっちなのかを迷っていたら。
その一瞬で、牙が3人を貫いていた。
結果として、冒険者二人がトーノスを引きずり倒し、牙は彼らの頭上を越えた。ギチギチと音を鳴らすその牙は、先ほどまで無音だった森によく響く。獲物を逃した悔しさからか、はたまた音で威嚇をしているのか。無数にある脚を素早く動かして、勢い任せの突進から姿勢を変える。
「逃げるぞ!」
「言われなくても!」
トーノスと二人の冒険者は弾けるように走り出した。同じようにチームを組んで森の中を探索している仲間が心配になるが、気にしている余裕はなかった。木を登ったソイツは、遙か頭上から牙を下にして落ちてくる。
「うおおおお!」
だが、必死に逃げながらも、トーノスは両手に握った【魔玉針】から、決して目を逸らさなかった。
「来る!」
「ッ!」
横っ飛びに躱した冒険者の革鎧を、牙が抉っていく。チラチラと視界に映り込むソイツは、背筋を凍らせるほどの不気味さと、圧倒的強者としての余裕に満ちあふれていた。
「こいつ――【魔骸】じゃない!」
魔玉は世界のどこにでもある。それが生物の遺骸に適合し、怨念、情念、はたまた未練。そういったものを吸着して生まれるのが【魔骸】。生前の本能や想いに従って、暴れ回る自然災害。【魔骸】は生前よりも数段強く、しぶとく、そして見境がない。
魔玉を飲み込み、適応し、進化した生物が【魔獣】。特殊な能力や、生命力の強化、爪や牙の延長、獰猛性の上昇――猛獣を超える危険生物、それが【魔獣】だ。広義に分類するのであれば、生きた生物であるこいつは魔獣なのだろう。
「だがこいつぁ、ただの【魔獣】じゃねぇぞ!」
ざざ、と地面を擦る音が周囲に響く。下草を蹴散らし、落ち葉を巻き上げ、無数の脚を動かして森を駆ける。普通に走っている分には【魔玉針】は何の反応も示さない。その光景を見たトーノスは、引き攣った笑みを浮かべる。
「は……はは! なるほど! フェルルアラ! こいつ、攻撃の瞬間だけ――」
トーノスの気づきと叫びの直後、【魔玉針】が動いた。ずぶり、と肉を貫く湿った音が聞こえた直後、トーノスの体は崩れ落ちる。助けに動こうとした冒険者二人に、トーノスは片手をあげて制した。
「俺の言葉を伝えろ! こいつ魔玉を飼い慣らしてッ――!」
迷いは一瞬。雇い主の命令か、命か。それを迷った瞬間、ソイツはトーノスの体を加えたまま凄まじい勢いで後退する。正確に言えば、トーノスが抱えていた【魔玉針】を抱えて。
「……クソがぁ!」
冒険者二人は背を向け、勢いよく走り出す。ギチギチと牙を鳴らす音と、地面を脚が駆ける音が、いつまでも二人の冒険者の耳にこびりついていた。




