一話
*
────今でも、瞼を閉じると鮮明に思い出せる。
その日は、雲一つない晴天だった。
ガヤガヤとうるさい民衆の声。
同級生だけではなく上級生や職員、そして国王陛下に宰相などの国のトップも集まっている。
叶うなら、今すぐここで踵を返したいが第二王子という自分の身分がそれを許さない。
「今ここで、断罪を行う!」
会場に響く第一王子の声。
常日頃、冷たい瞳が今日はさらに磨きかかっていて人を容易く射殺せそうなほどに鋭い。
いつの間にやら宰相の息子や未来の騎士団長と魔導士団長に公爵令息といった、いつものメンツも集まっている。
断罪を終えた第一王子が彼女を睨む。
「すまないが、そなたのような者は王妃どころか聖女にすら相応しくない。」
ピシャリと、雷に打たれたような衝撃が体に走った。
自分のことではないのに、さも自分のように感じられたのは惚れた弱みというやつか。
「結婚してくれ、──。」
第一王子に恋い焦がれていた令嬢が嬉しそうに涙を流す。
彼女はそれを涙を流すこともなく焦点の合わない虚ろな目で見ていた。────
朝を告げる甲高い鶏の声が耳に入る。
うるさい、五月蝿い、煩い。
「うるっさい!!黙れ!食べちゃうよ!!」
外に向かって荒々しく叫ぶと先程までのアラームがピタリと止んだ。
フンッと鼻を鳴らしてベッドから出る。
黙ったところで食べるときは食べるけどね。
そう悪態をつけながら、パジャマを脱いでお気に入りの服に着替える。白とピンクのストライプが可愛いワンピースにいつものフリル付きエプロン。
胸に小さめの赤いネクタイをつけるのを忘れない。
髪を整えるために鏡の前に座る。
1年前と比べるとかなり短くなってしまった自慢の髪の毛が朝日に当たってキラキラと輝く。
この世界で唯一の、主人公である私だけのストロベリーブロンドの髪。
最近は高い位置でのポニーテールしかしていないせいで、同世代の女友達には勿体無いと言われつつある。
とはいえ不器用な私は今日も同じくポニーテールに結んだ。
結び終えると毛先が緩くウェーブかかっているのに気づく。伸びれば伸びるほど毛先が大きくウェーブする天然パーマ。
昔はこの天パも自慢だったけど、今となっては絡まりやすくて邪魔でしかない。
昔はもっと長かったからお手入れとか大変だったんだろうな。全部メイド任せだったけど。
たしか…腰ぐらいあったのを……肩上だから、結構バッサリ切ってるわ。
私が貴族だったのはもう1年も前の話になる。
私は、とある乙女ゲームの主人公キャシアン・トターヌに転生した。
キャシィという愛称で親しまれる、男爵家の(中身の私とは大違いな)常に笑顔で優しい女の子。
キャッチコピーは、聖女の卵として生まれたキャシィが様々な困難を乗り越えることで聖女としても恋する乙女としても成長していくラブストーリー、だった筈。
私としては、聖女になれればそれで良かった。
この国で聖女は国王並の権力を持つらしいし!……ほらやっぱり欲しいじゃん権力。
それに聖女は存在するだけで、はびこる魔物の数を抑えられるし、魔法で結界を張れば魔物による被害も危険も無くなるって聞いたしから、人助けがしたくて。
というかそっちが本命。赤の他人でも人が死ぬのは嫌だもの。
どうせ生きるなら平和な世界が良いし?
ゲームでは最終イベントの学園表彰式で攻略対象が悪役令嬢を断罪して婚約破棄を突きつけるの。
そして攻略対象、私の場合は第一王子のことね。その攻略対象と結婚することで私は晴れて聖女になれるっていうシナリオ。
のだけど、何故かおかしなことが起こった。
シナリオに反して主人公の私が断罪された。
これに関しては、タイミングとシナリオ強制力を過信しすぎた自分が悪かった。配分は二:八……たぶん。
そもそも勝負は私が前世の記憶を取り戻した入学式から決まっていたようで。
その時にはもう既に、第一王子がサラにゾッコンだったとのこと。そりゃ無理だわ。
理由は単純明快、サラの方が5年も早く記憶を取り戻したから。
そう、私だけでなくアイツも転生者だった、たったそれだけの事。
たったそれだけのせいで、数あるイベントがシナリオ通りに進まなかったんだけどねっ!
何故か聖女の力も使えなくて偽聖女扱いされるし!!
だから焦って外堀を埋めようと、誘惑したりアイツが悪役になるように仕向けたけど、第一王子は最初っから気づいた上で誘惑されてる振りをしていたの!!
なんなら私を踏み台にして愛を育んでいましたよ!!こんのやろおおお!!
そう!!!つまり、ざまぁされたの!!私が!!
私だってねぇ、なんっとなぁぁぁく、うっっっすら気づいていたわよ!!
だって最近お流行りですものね、転生悪役令嬢が溺愛されるお話、ハッ!!
八つ当たりにバンッと机を思い切り叩く。
「ッ〜〜!!」
手が痛くなった。
とまぁそんなこんながありまして、断罪された私はすぐさま田舎に逃亡した。
今は、奪い取れるだけ奪った男爵家のお金を使ってお店を経営してるところ。まさしくスローライフってやつね。
もちろん学園を中退するのは気が引けたけど、卒業するまでの残り二年間をアイツらと同じ学園で過ごすことなんて出来る訳無いでしょ。
どうせ、貴族社会にいても後ろ指さされるだろうしね。逃げるが勝ちってやつよ。
はぁ、お父様、お母様、元気かしら?私は元気にやっています。どうか心配なさらないでくださいな。(裏声)
………おえぇ。
ま、元貴族とはいえ前世は普通の女子高生。
平民に成り下がってもなんとかやってけてる、どころか平民にしては少し裕福な生活をしているくらい。
気がついたらバイトちゃんが住み着いていて、最近は負担も軽くなりつつある。
記憶にはないけど、私がまだ学校に通っていた時期にエルフである彼女を助けたらしい。
エルフを助けるイベントなんてあったけ?と思いながら精霊の加護を使ったけど、確かにステータス画面にはエルフってあった。
というか私、この世界で主人公特権じゃなくて精霊の加護しか使ってないじゃん…。
うわ、聖女の卵として生まれたのになんか虚しい。
とまぁ、こんな成り行きがありまして……。
思い出してしまった黒歴史を盛大なため息に込めて吐き捨てたら、頬を叩いて気合を入れる。
自室である案外と住み心地の良い屋根裏部屋から出た。
私の頭に居座る眠気を消し去るように欠伸をしながら階段を降りるとバタバタと忙しない音が聞こえてくる。
1階のホールに着くと、バイトちゃんは既に起きていたようで、先に掃除をしていた。
「ちょっと!掃除する時は窓を開けるって何度言ったらわかんのよ、バイト。」
そう怒ると大袈裟にビクゥッッとした少女が涙目でこちらを見る。
おかしいな、物理法則を無視して緑色のツインテールもビクッとしていたような気が…。
「ごめんなさい、キャシィ姉様〜〜!!それと、私の名前は◎▲※◉ですぅ〜!!!」
泣きそうになったり、拗ねたり、表情筋が忙しい奴だ。
今日も名前は何を言っているかわからない。言語が違うから文字化け現象が起こるっぽい。
「名前、どうでもいいから。あと、私を先に起こしてから掃除をしてよね。店長より先に仕事するバイトとかブラックじゃない!」
「うぅ〜〜良くないです〜!!キャシィ姉様のばかっ!」
「はぁ!?なによっ、馬鹿って言ったほうが馬鹿なのよ、この阿呆娘!」
元貴族令嬢と三百歳のエルフとは思えぬ幼稚な言い合いを繰り広げる。
あまりにも下らなさすぎるケンカに、先に折れた私が終止符打つようにして窓を開けた。
今日は洗濯干し日和の雲一つない晴天。お客さんも程よく来そうな良い天気である。
こんな日は、ひどく気分が落ちる。
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私達のお店は十時開店である。
おじいさん、ではなく、優しいおばあちゃんから譲ってもらった古い振り子時計が午前十時を告げた。
「うっっそでしょ!?もうそんな時間なの!?バイト、看板オープンして来て!私は残りの下処理をするから!!」
「了解です、お姉様っ!」
ドアに取り付けた小さな鐘がカランと鳴る。
closeと書かれた看板をひっくり返してopenにする。
〈|薬屋喫茶《ポーション&カフェ》シュガーソルト〉開店である!
薬屋喫茶の朝は忙しい。
近所にはポーションを売るお店は無く、唯一ここだけがポーションを販売しているからだ。
それはもう、ただの薬屋になるほどには忙しい。
「バイトちゃん!ポーション3本!」
「俺は2本くれ!」
「はぁーい!3本で銀貨3枚ですよ。2本は銀貨2枚、はい、ありがとうございますっ!」
魔物退治を行う冒険者や街を守る騎士の長蛇の列ができる。あとは家族が病気にかかったり大怪我した人とか。
この世界では大抵の人が魔法を使えるが、ポーション作成や治癒魔法などの聖魔法を扱える人は限りなく少ない。
だから、ポーションは結構高値がついても売れる売れる。
ま、がっぽり儲けたいよりは皆が安全に暮らせるようになって欲しいから安く売ってるけどね。
当然、聖女の卵として生まれた私は聖魔法が使える。
イベントクリアができなかった分、魔力量も聖魔法の強さも弱いままだけどね。
治癒魔法も取得しそこねたし。
「半分の量で売ってくれるかしら?子供が熱を出しちゃって。」
「う〜ん。封を開けるとすぐにダメになるので半分は無理ですねぇ。あ、子供用の解熱剤として使うなら初級ポーションがオススメですよ価格は銅貨1枚です!」
「それでいいわ、お願い。」
「はい!ねぇさまぁ〜!」
「初級ポーションでしょ!わかった!」
薬草を火に焼べる、沸騰した水を瓶に注ぐ、焼べた薬草を投入、封をする。
魔力よ入れぇぇぇ。
魔力を込めながらシャカシャカ振ったら、初級ポーションの完成!!
「ここ置いとくよ〜!」
追加で薬草を焼べて、沸騰した水を瓶に注ぐ、冷蔵庫から必要分の薬草を取り出し、摘んだばかりの木の実と一緒に投入!
封をきつく締めたら、片手で2本ずつ持ってシェイク!!
「うぉぉおお、中級ポーション4本完成!」
中級、初級、中級、中級、失敗、初級、大失敗、上級!
「じょ…上級ポーション完成しまひた…!!」
「お疲れ様です、お姉様ぁ!休んでいてくださいっ!」
ポーション作りが終わる頃には、私はヘロヘロになる。頑張っているうちに薬目当てのお客の波が引いていた。
腱鞘炎になりそうな腕をさすって、机の上にがっくりと項垂れる。
バイトちゃんはまだまだ元気が有り余っているようで羨ましい。
最近は魔力量が向上していて、以前に比べて沢山もの量を作れるようになったかわりに合成の際の振る動作で腕が筋肉痛になることが増えた。
令嬢として生きてきたせいで腕力が弱すぎるのだろう。それこそ「箸より重たい物は持ったことありませんの。」と言えてしまうほどには。
もっと魔力が増えればそんなに振らなくても良いって本に書いてあったが、それは一体どれほどの量なのか…。
というか最初からもっと楽に作れるようにして欲しい。
聖女のくせに魔力量が人並なのもイベントをこなせなかった弊害なのかもしれない。
そう思うとやるせない気持ちになってしまう。
ブルーになっているとバイトちゃんが、
「姉様!これ飲んで元気出してください!」と、水を渡してくれた。
ありがとう、と感謝を述べて一口飲むと口の中に酸味がじわぁと広がる。粒ラムネにも似た酸味。
「…レモン?」
そう聞くと嬉しそうに力強くうなづいた。どうやら正解のようだ。
疲れた身体にビタミンCがよく染みる。
私の身体を労ってくれるバイトちゃんには頭が上がらない。
今度お菓子でも買ってこようかな。久し振りに街とか行って服とかも買いたいな。
微かなレモンの匂いと程よい酸味が一口、もう一口と次を誘うので、あっという間に飲み干してしまった。