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「しゅきい」
「開口一発目がそれかよ」
今日も今日とて辛辣な逢ちゃんの右ストレートが決まったところで、私如月詠はへらへらと自分の席についた。もちろん、右ストレートは比喩である。
少し前に席替えがあったのだが、偶然にも前後の席を勝ち得た私は、推しが後ろの席という、悲しい現実との戦いを余儀なくされている。担任に、異議申し立てを試みたが、課題提出が遅れていることを指摘するという話題置き換え作戦によって一蹴されてしまった。ちくせう。
ホールケーキ生徒指導事件は、もう気づけば一か月ほど前の話になっており、気づけば中間テストも終わってしまっている。つかの間の、緩んだ空気が教室に漂っていることに最近気づいたくらいには、私は逢ちゃん以外のことに興味がないのだなと自分でも笑えてしまう。
「詠、今日こそ予習してきた?」
「逢ちゃん講座ならそろそろ開けるくらいの資料が完成しそう」
「英語の課題やれよ」
「それは詰んでる」
先日、おぼろげな記憶が正しいのであれば高野さんというクラスメイトから指摘を受けて初めて気づいたのだが、逢ちゃんの口調が少しきつめの荒いものになるのはどうやら私の前くらいのようで、それがさらに仲良し認定される一つの要因になっているらしい。あくまで、しっかりと理解してもらいたく、逢ちゃんは天女なので、私が生身で触ったら浄化されて塵になると高野さん(仮名)に説明したところ、身体検査を勧められた。誠に遺憾と言わざるを得ない。
「逢ちゃん、逢ちゃん」
「なに?」
「英語って、見てると勝手に独り歩きして、教科書からいなくなると思うんだ」
「詠の物の見方大好きだし、聞いてて楽しいけど、予習復習はしないと痛い目見るんだよって、何回もゆってるんだから言うこと理解しようね」
「教科書見てるだけでエキサイトしそう」
「横文字ばっか覚えるな」
「やーん」
誰が書いたのかもわからない、想像することも出来ない無機質な言葉の羅列よりもずっと、私の書いた逢ちゃんレポートリターンズは熱烈な愛がこもりすぎていた結果、職員会議案件になったことは最近の学校生活における一つの事件であるらしい。当事者である私は、気にもとめていないのだが、それよりも遥かに大人たちの過剰反応を気にしていない逢ちゃんは、今日も今日とて私に餌をまき散らしに来てくれる。
「逢ちゃんの存在って萌えの具現化だよね」
「私で萌えてるのたぶん、おそらくこの世界で詠だけだね」
「それは、世界が逢ちゃんを尊すぎて認識できてないだけだから大丈夫」
「何も大丈夫じゃないから、学生をちゃんとやってくれるかな」
「やってるはずう」
少し前、と言ってもここまで顕著に私の愛が行動に現れていなかった頃、私と逢ちゃんの関係性について良からぬ噂が流れてしまった。思い返せば、私たちの通っている高校は私立の女子校である。つまり、女性しかいないわけなのだが、その中でいつも同じ二人が不必要なほどくっついていると、だんだんとそれが日常風景になってくる。要は常識の範疇における同性との距離感がおかしくなっていたようなのだ。私は周囲に指摘されて気づいたのだが、どうも逢ちゃんに対する対応が一般常識を超えていたそうなのだ。そうして気づけば恋愛関係を疑われた。それは、非常に、嬉しい事態なのかもしれないのだが、その前に、忘れないでほしいことが私にはある。私は、逢ちゃんという存在に付随する、一ファンでしかないのだ。推しとオタクなのである。そこには周囲の想像を絶する巨大な見えない壁があってこそ、ある種成立している関係なのだ。そこに恋愛関係が成立するなら、多夫多妻制を実施しろ。同性婚も全部認めろ。人類、みんな家族になってろ。それはもはや、全く別の関係が成立し始めているわけだ。私は唯一、ギリギリ許容されているような、本当にギリギリのラインで、友達という関係にこぎつけた一般市民にすぎないのだ。推しの人生に奇跡的に映ることのできた、ラッキーガールなのだ。
「逢ちゃん、逢ちゃん」
「なに?」
「逢ちゃんへの溢れる愛で歌ができそう」
「生産的で最高だね。ライブやってよ」
「歌うのは逢ちゃんで」
「それは新手な拷問か?」
「私が声にした瞬間、私、浄化されて昇天しちゃう」
「死ぬな、頼むから死ぬな」
あくまで、理解されないことだからこそ、言葉にするのだが、私は逢ちゃんに物理的に命を救われたわけでも、何か特別扱いを受けたわけでもない。ただ、側にいて、成り行きで友達になり、話すようになっただけのごく一般的な出会いなのである。ただ、少し周りと違ったのは、私がかなり危ないレベルでこじらせたオタクだったことと、極めるととことんのめりこむタイプの性格をしていただけなのだ。単純に、私にとって、逢ちゃんというコンテンツがツボだった結果、沼にはまっただけなのである。
「尊いーー」
「うん。英語やれ?」
「あい」
こうして今日の突発的に行われた英語の小テストは普段よりもまともな点数だったせいで、教科担任にカンニングを疑われることとなったのだが、逢ちゃんがフォローしてくれる間、私は逢ちゃんに萌え続けているのであった。