85:リヴェン包囲網Ⅵ
ヘヅィ・ラジャスターは恐怖していた。
眼前から迫りくる冷たい瞳をした変な仮面の女は一体何者なのか。
狙撃銃型魔遺物を得意とするので、屋外に出て銃を構えると、望遠レンズ越しにその目が必ず凍て射すのだ。
しかし距離は詰めてこずに、挑発するかのようにある一定の距離で止まる。
狙撃手である私は虚仮にされてたまるかと挑発に乗って一発撃ってやったが避けられた。
ある程度あたりを付けているからと言って、目で追えない速さの弾丸を遮蔽物もなく、足場も悪い屋根の上で踊る様に避けるのは人間業じゃない。
慌てて場所を変えて違う屋上に行くと、既にそいつはそこに立っていた。
撃てる距離ではなかったので咄嗟に狙撃銃の柄を使って顎先を狙うも払いのけられてしまい、やむなく柔術を使って組み伏せようとするも、掴むことが出来ずに片腕だけで押し込まれて壁へ押さえつけられた。
両腕で抵抗しようにも空いている片腕で両手首を締め上げられる。
膝で腹を何度も蹴ってもまるで大木を蹴っているかのようにびくりともしない。
爪先を両脚で踏まれてとうとう身動きが取れなくなってしまう。
なんだこの馬鹿力ゴリラか?
場違いな香水のいい匂いがした。
押さえつけていた胸から腕を離して、太腿についているホルスターから拳銃型の魔遺物を抜き取る。
「貴女は覚悟をされている方ですよね?」
「なっ・・・な・・・に?」
仮面のせいでくぐもっていたが、女の声だった。
圧迫されていた胸が解放されて、息を目一杯吸いながら精一杯の言葉を洩らす。
「人を殺す覚悟をしている人だと言っているんですよ」
女は私の口に銃口を当ててる。
イカれてる。それを口に突っ込むなんてイカれている。
抵抗して口を強く閉じるも、薬指と小指と親指で顎を持たれて無理矢理こじ開けられる。
「おごっ、ごっがっ!」
大きく息をしていたのに口の中に遺物が入って来てえずきながら罵倒を浴びせる。
「何を言っているか分かりませんよ?それともそれが貴女の言葉なのですか?
だとしたら、そうですね。とても汚い発音ですね」
何が目的なのか分からなかった。
大抵の人間は目を見ればわかる。
私はそう目聡い人間なのだ――なのにこの女の目からは一切の感情を感じない。
怖い。
まるで興味もないような目。
会話をしようと、拷問をしようと、何かをしようと行動しているのに、そこには何の感情もない。
「狙撃手と言うのは人の痛みに鈍感な人間に適正があると訊きますが、貴女もそうなのでしょうか?」
私は人の痛みに鈍感だっただろうか?
私は人の痛みに理解があり、痛みから逃げる為に人の痛みを理解している。
だからこの仕事に就かされた時も痛みから極力逃げられる狙撃手を選んだ。
まぁ痛みは無いが、不快感は沢山ある。
答えを言わない――言える訳がない。
「貴女の銃で私の頭を撃ちぬいたらどうなるか分かりますか?」
狙撃銃でしかも魔術を込めた弾丸を使う私の武器。
弾丸が貫けば大人の指二つ分の大きさの穴が開いて絶命する。
私の表情を見て女は言葉を続ける。
「どうやら理解はしているみたいですね。
では、今ここで私が引き金を引けばどうなるかも予想はできますよね?」
絶対に死ぬ。
逃れられない死を前にして涙が溢れてくる。
口が震えてくる。連動しているのか身体が震えてくる。口内で歯と銃が当たりガチガチとうるさい位金属との接触音が鳴る。
魔物や敵対する国の連中と殺し合いをして、そうやって不幸に死ぬのは分かっていた。
だけど、こんなことってありだろうか?理解し難い存在に覚悟を問われて殺される。
ベッドでは死ねないのは分かっていたけど理不尽すぎる。
「はふへへ」
助けて。
「何か仰いましたか?」
「はふへへ、ほへはひひはふ」
助けて、お願いします。
死にたくない。
「私の頭を撃ちぬこうとしておいて、自分は助かろうとするのですか?
それは少々都合が良すぎませんか?私は死ぬところでしたよ?
なのに貴女は死にたくないと仰るのですか?」
「ほへんあはひ。ほへんあはひ」
謝るから。助けてほしかった。
自分がここまで生に執着しているとは思いもしなかった。
「駄目です」
「ひっ」
カチリと撃鉄が女の親指で引かれる。
過呼吸になるほどに呼吸がし辛い、息の吸い方も吐き方も、整え方も分からなくなる。
酸素が身体に行きわたらず、そして頭にも行きわたらずにぐるぐると視界が回って私の意識は真っ黒に染まる。
意識が暗くなる瞬間に女が透き通るような声で言った。
「リヴェン・ゾディアックに手を出さないことですね」
もしも意識が戻ることがあれば、生きている喜びを毎日感じながら慎ましい生活を送ろうと思う。
酸欠で堕ちたヘヅィを優しく寝かせてからバンキッシュはヘヅィに過去の自分を照らし合わせる。
存在しない兄妹達の為に仕事をし、嫌煙されていた家族には呆れをつかし、仕える国には愛国心は無く、自分の生なのに自分の楽しみを一切見いだせない。
ただただ、これ以上自分が不幸にならない様に行動を起こすだけだった。
ヘヅィの第一印象は寂しそうで可哀そうな生き物であった。
哀れられる立場から、まさか自分が哀れむ立場になるとはつい一週間ほど前までは考えもしなかっただろう――考えられる頭でもなかったが。
人を哀れんだ結果。
不器用な性格のせいで脅しという形でヘヅィの心に恐怖を与えて、こんな命と命をやり取りする場所から離れさせたかった。
追手を防ぐのはリヴェンの為であった。
追手を改心させるのは少々利己的だったのかと、唾液がついた拳銃をハンカチで拭きながら思う。
ヘヅィ・ラジャスターのような、自分のような人間を極力少なくする為にも、リヴェンの思想は現実にしなければいけない。
魔族へと転化してしまった身だからこそ、そんな危機感を感じ始めていた。
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