171:夜道
帰り道。
闇がとっぷりと体を包み込むような感覚と誰もいない自分だけの静謐な世界だと勘違いするような帰り道。
行燈に自らの指から発生させた火をつけて下駄の音を鳴らしながら歩いていく。
どこかで獣が鳴いた。
それに付随して眠っていた鳥が慌てて飛び立った。
羽ばたきで発生させた風で木が少し揺れる。
風がなく、雲が頭上にある月を覆い、穏やかではない雰囲気であった。
それでも帰る為にカランコロンと鳴らして、少しだけ整備された砂利道を真っ直ぐ進んでいく。
ふと、思い立ったように後ろを振り向く。
背後には誰もおらず、自分が通ってきた道が行燈の光を三歩先には受け付けずに、暗闇に溶け込んでいるだけだった。
振り向いた理由は何となくである。
なんとなくだ。そこに恐怖心があったわけではない。
誰だって視界の端に動くものがあれば視線を移動させるし、背後に気配のような物を感じれば振り向くであろう。
だから、今までの経験の上でなんとなく後ろを振り向いたけなのだ。
行燈に照らされた彼女の影が伸びている。
揺れる自分の影を見つめてから、何事もなかったように視線を前へと戻して、帰り道を歩き始める。
「うち、男の人にこんなべったりとされたん初めてやさかい、勝手を知らへんのやけど。どうしたらよろしおす?」
歩きながら、視線を前に向けながら、独り言のように何かに語りかける。
誰も答えない。
そこには何もいないからか。
彼女、キヤナ•アウトバーンが思うように背後にずっと隠れているからか。
恐怖心は一切ない。
キヤナ•アウトバーンは恐怖を感じる器官がほとんど機能していないからである。
ただの背後にいるはずであろう存在に問いかけをしているのだ。
「恋焦がれてはるんかなぁ?やとしたら、うちとしてはまずはお見合いせえへんと恋愛には持っていかれへんわぁ」
それでも語りかけ、歩みを止めない。
この人の気配が一切しない帰り道を突き進んでいく。
「もしもせやなかったら、他に予想できるんわ、天畔教の人らやろか。
せやったら会話せえへんとな。対話ののちに妥協点があらはるかもしれへんしなぁ」
くすくすと笑いながら、楽しそうに、日常会話をする。
「……あぁそうや。師範殺しの片棒担ぎさんもおらはったなぁ。
その場合は、そやなぁ、ハクザはんからの頼み事なんて数少ない事やし、私情挟むんはご法度やろうねぇ。
せやから、もしも、うちを付け回してはる人が師範殺しの片棒担ぎさんやなければ、早う会話した方がよろしおす」
誰もいないのに会話続けた。
キヤナ•アウトバーンは魔術の素養があるならば会話をして魔術教会に引き込もうとする。
それが敵であろうともだ。
「……そう。会話できはらへんの。
だからマスクしてはったん?それとも恥ずかしがりやさんなんやろか?
……何にしても、警告はしたんよ?恨らみっこなしよ」
右手が業火に包まれて、ノーモーションで歩いてきた道を焼き尽くす。
一瞬にして夜道は火渡りを数倍にした炎の道と化した。
木はパチパチと音を発して燃え、草は折れ曲がって炭化していく。
肉の焦げるような臭いは小動物や鳥が燃える臭い。
「うまいこと逃げはるわぁ」
背後から、側面へと移動したのをキヤナは感じて目線だけでそちらを追う。
木々の中では炎の明かりと暗闇が混じり合っているだけで人影は見えない。
だけれどもキヤナはそこへ炎をぶつける。
「言うとくけど、うち以外の物全て燃やすつもりやさかい。
逃げ回りたかったら小動物のように逃げはったらよろしおす」
キヤナが感じているところへ炎を飛ばして、飛ばして、飛ばす。
自分の周りが炎に包まれようともお構いなしにキヤナはあたり一体を燃やし尽くす。
何もかもを燃やし、炎のイルミネーションに変えてしまった。
「お前、頭逝ってんのか」
そこでようやく前方の炎の中から身を少しだけ焦がした黒マスクをした男が右手でペンを回しながら現れた。
「あらぁ随分と強気な物言いやねぇ、何かいい事でもあらはったん?」
「良いこと。あぁこれからあるよ。お前を殺せるんだからな!」
男の名はワクゥ。暗殺ギルド員であり、基本的にサポート役に徹している。
「感知スキル」
「何だって?」
「耳遠いんは辛いやろね。
あんさんのスキルのことやで?
感知スキルを持ってはるんやろ?
王国でもいち早くハクザさんとうちのこと気づいて、あの巨大な人と髪の毛が綺麗な人よりも早く臨戦態勢取ってはったさかいにね」
リェンゲルスの攻撃をハクザが止めた際に、キヤナは自分が対処する人物達を観察していた。
「実はね、うちのこれ、これも感知スキルと同じ仕組みなんよ。
近くに人がいはったら、この火が揺れはるんよ」
左手に持っている行燈を指差してキヤナは自分のスキルのネタばらしをする。
「だから?それが何だ?」
「種は割れてる言うてのがわかりまへんの?」
「種が割れたところでお前は炎の海の中だ。ここからは逃げられないぞ」
「心配せんでもええんよ。あんさんは自分の身が焼かれることを心配した方がよろしいおす」
キヤナが髪をかきあげると同時に、ワクゥがペンを握りしめてキヤナの喉目掛けて突っ込んでくる。
既に一触即発の距離だった。互いにそれを理解していた。
そして互いに得意とする戦闘距離だった。
ワクゥは感知スキルである魔力感知から熱感知に心音感知に、幾つもの感知スキルを網羅している。
その為に基本的には後方にいることが多いが、もしも戦闘になった場合の為に一つ近接戦闘スキルを所持していた。
進根自在。
手に持っている物体の長さを変えることができる。
最大距離は六メートル程で、最低距離は元の半分の距離。
この攻撃は初撃が大事であり、初撃を対処されれば、次の攻撃が対処されやすい。
普通はそうではないが、ことキヤナ•アウトバーンには対処されるのである。
事前情報でそれを知っているワクゥはこの不可避の一撃の状況を作った。
周りは炎、初めての対応スキル。
ネタが割れていようと、この攻撃は避けられない。
ペンがキヤナの喉の肉に突き刺さった瞬間に、キヤナの上半身が後ろへとしなって伸びたペンの攻撃を避けた。
「なっ――ごっ!」
キヤナの屹立した胸部から視界が雲にかかる月へと移動する。
後に顎に鋭い痛み。顎を蹴り上げられたのだと理解する。
視界の端にキャナの下駄が映っている。
その下駄が今度はワクゥの額に直撃して、視界が目まぐるしく変わり、地面を見た後に、真っ黒になった。
ワクゥの弱点、それは耐久力であった。
キヤナは攻撃の直前にスイッチを押して瞬発力を極限に高めた。
だからペンが刺さったと知覚した瞬間に行動を起こして、驚異的な身体能力と身体の柔らかさで避け、周りの炎の力を吸収し、肉体的な力に変化させ人間の頭蓋骨を一撃で砕ける威力の踵落としをくらわせたのだ。
髪をかき上げてからスイッチを切る。
キヤナはハクザとの修行の果てに自身で肉体の強化のオンオフを会得していた。
これはハクザ•ウォーカーでさえも会得しておらずに、現代においては偉業と呼べた。
「さてはて、煮るなり焼くなりしましょか。アカシアはんも襲われとるんやろか?」




