1-4:そしてバスはダンジョン行
六時間目の授業の時間になると、担任教師が教卓の前に立った。
いつも通りの連絡事項を伝える。そして最後にこう言った。
「じゃあ、今日もダンジョン攻略頑張って。気を抜いて怪我しないように、注意を怠るんじゃないぞ」
本当にそんなこと思っているのだろうか。
少なくとも、態度だけは真剣そうだった。
帰りの挨拶を済ませ、そのまま教室を出ていくかと思いきや、先生は教壇を降りて教室の後ろの方に歩き出した。
そして、一番後ろの席に座る少女の前で止まる。
黒いセミロングの髪。耳のあたりで小さなバレッタを止めている。
長いまつげの伸びるまぶたを伏せ、先生が来たのにも構わず机の上をじっと見つめている。
その姿は、なんだか雰囲気があった。
写真にでも撮ったら、どこかで賞がもらえるんじゃないだろうかというくらい。
「猫石、お前まだパーティ組んでないのか?」
「はい」
「大丈夫なのか? 週間目標を達成しなくても問題ないが、年度ごとの目標に達していないと留年になるのは知っているんだよな」
「はい」
猫石は鈴のなるような軽やかな声で、平然と答える。
先生の圧力ともとれる言葉にまったく怯えないのは大したものだと、フカは感心し、羨ましく思った。
「なんでパーティを組まないか、聞いてもいいか?」
「つまらないから」
猫石はそこでやっと顔をあげた。
「私、面白いことしかするつもりありません。入って面白そうだと思えるパーティが見つかるまで、どこにも入りません」
そういうと、猫石は鞄を持って立ち上がり、教室を後にした。
颯爽と教室を去る後ろ姿を、教室にいる人のほとんどが茫然と見つめていた。
あそこまで自分をしっかり持てたら、人生は楽しくなるのだろうなと思いながら、フカは黙々と帰り支度を始めた。
***
現在、たいていの学校はどこかにロッカールームが設置されている。
日中はダンジョンに行くとき必要な道具を入れ、ダンジョン攻略授業の時間になると教科書を詰めた学生鞄を入れるために使う。
この学校では利便性のため、一階の昇降口に隣接する場所に設置されていて、男女で部屋が分けられている。服を着替える人もいるため、更衣室も兼ねている。
部屋のサイズ的にはそこそこ広いが、全男子生徒と同じ数のロッカーが押し込められているので狭っ苦しい印象を与える。
何より、攻略授業の時間は学年ごとに違うのに、ロッカーが学年順に並べられているのでその部分だけものすごく込み合う。特に授業が始まった直後は。
学年まぜこぜで並べてくれればもうすこし混雑も緩和されるのにと毎回思うが、おそらく場所の管理や指定が面倒くさいだろうから実現はされないだろう。
本当は人が引けるまで待ちたいが、二人がせっかちで早く行きたがるのでそうモタモタしていられない。
がやがやしている人々の中を抜け、フカは自分のロッカーのところまで行く。並びはクラスごと、出席番号順。
タイミングよく、両隣のロッカーは利用者がいなかった。
ロッカーのカギを開け、すばやくダンジョンに持っていく用の鞄を取り出す。外見は普通のエコバックで、中には絆創膏や軽食など、ダンジョンに必要なものが入っている。
代わりに学生鞄を押しこみ、急いでロッカールームから出て、昇降口へ向かう。
すると、下駄箱のところでエンに出会った。彼はいつものように多くの友人に囲まれていた。
その輪の中から抜け出てきて、フカに駆け寄ってくる。
「深辺! 有園は?」
「見てないよ」
「そっか。バスのとこで待ってりゃいいか」
エンもフカと同様に制服のままで、エコバックと黒い円柱形のバットケースを持っていた。
下駄箱を通りがかる人の中には、派手なヒーロースーツを着ている人やジャージを着ている人、ごてごてとした機械を持っている人、あるいは山登りのような大きなリュックを背負っている人もいる。
能力や課題、挑戦するダンジョンの種類によって各々必要とするものは違う。
この仮装大会舞台裏みたいな光景は、ちょっとおもしろいなといつも思う。
多種多様な格好をした人々に紛れながら、二人は校庭に出る。
校庭には、すでに何台もの大型観光バスが並んでいた。
「おいっすー」
そこで、背中をぽんと叩かれた。
フカが振り返ると、後ろにソノが立っていた。 彼女も制服のまま、薄っぺらなベージュの斜め掛け鞄だけ身に着けている。
「有園さん。よかった、すぐ会えて」
「ね。さ、バス乗ろっか。今日も混んでるよね」
「お前、俺らがちょっとでも遅くなったらめちゃくちゃ怒るくせに、自分のときは謝りもしないのかよ」
「時差出勤みたいにしたらいいのにね。そう思わない? フカ」
「あぁ、それはいいね。なんでそうしないんだろう」
「人の話聞いてる!?」
無視を続けるソノに、エンが少しキレる。
「さー、今日もはりきってダンジョン攻略しましょーか」
「人の話聞けや!」
エンがソノの肩をつかんで前後ろに揺さぶる。それをソノが振り払って逃げ出す。そのあとをエンが追いかけていく。
ダンジョンに行く前で緊張しているか、振り切れて妙にハイテンションな人が多い中で、いつも通りにじゃれあう二人は確かに浮いていた。
二人が飽きるのを待ってから、三人でバスに乗るための列に並ぶ。
学校はダンジョン領域から少し離れた場所にある。そこで、バスを使って一番近くの境界まで連れて行ってくれるのだ。
しばらく待って、バスに乗り込む。
フカが窓際の席に着くと、隣にエンが座った。
「あ。ちょっとエン、そこどいてよ」
「座席は早いもん勝ちー」
わざとふんぞり返って座るエン。その背もたれをソノが叩く。
「えー。一人で座んのやだ。代わってってば」
「俺だってヤダ。ていうかいつも俺一人なのひどくない? 偶にはいいだろ」
大体フカとソノが隣に座って、エンが前後か通路を挟んだ反対側に座っている。
ダンジョン領域行とはいえ普通の観光バスなので、座席は二人掛け。
三人グループの宿命と言ってもいい。
「じゃあ僕が一人で」
「「そうじゃねーんだよ」」
フカの提案は、見事なハモリで却下された。
わざわざソノが口調をそろえているあたり、狙っていたのかもしれない。
結局、エンがソノに席を譲り、もう他の席が埋まっていたのでエンが補助席を使うことで解決した。
最初から補助席を使えばいいのにと思わないこともなかった。
満席となったため、バスは発車した。
バスは三十分程度走った後、公園に停車する。
ただし遊具は撤去されてただの空き地同然となっているため、以前公園だった場所と言った方がいいかもしれない。
外に出ると、目の前に鈍い赤色の半透明な壁が見えた。その壁は、荒れ果てた四車線道路の中央分離帯に沿う形で、見渡す限りどこまでも続いていた。
それは幅だけでなく高さにも言え、見上げても端が見えることはない。
向こう側はぼんやりとしか見えないが、経験から草原だと知っている。
この壁が、ダンジョンと普通の領域との境界。
こうして近くに立つと赤っぽく見えるが、遠くからだと透明に見えるから不思議だといつも思う。
一緒にバスに乗っていた人たちが、次々境界の向こうへ吸い込まれていく。
「フカ、何してんだよ。さっさといくぞ」
ぼんやり突っ立っていたフカはエンに促され、二人の後を追う形で境界をくぐる。
壁をすり抜ける際、ちょっとした抵抗感がある。まるで、ものすごくゆるい寒天を通り抜けるようなやわらかな感覚。
それが終わると、足元は草原に変わっていた。
草原の中に、廃墟となったビルや住宅が立ち並んでいる。
よく漫画やイラストで見る、人類が滅亡した後の世界のようだ。
「よっしゃ、ポータル行こうぜ」
エンの背中からバットケースが消え、代わりに腰に剣が吊り下げられていた。
フカが持っていた鞄もなくなり、腰に工事現場の人が使うような小さな鞄が引っかかっている。
これが、ダンジョン領域内で起こる不思議な現象の一つ。
外から持ち込んだ多くのものが、ダンジョン攻略に必要なものへ勝手に置き換えられる。
絆創膏は回復用ポーション、バットは剣。今着ている制服も、デザインはそのままだが耐久性が格段にアップしていて、小口径の銃なら弾が通らないほど。
ちなみに外に出ると元に戻る。同様に、ダンジョン領域内で獲得した不思議なアイテムも、外へ持ち出すと普通の製品に変換される。
エンを先頭としていつもの方角に歩くと、大きな青色に淡く光る水晶がそびえたっている。これがポータルだ。
水晶の表面に、片手を触れさせる。ひやりとした冷たさが心地よい。
エンは、フカとソノが水晶に触れたのを確認してから、行先を口に出した。
「『新宿都庁』」
その瞬間、ふわっとした浮遊感が全身を襲う。
次に地に足がついた感覚がしたときには、地面はコンクリになっていた。
そして、目の前にはそびえたつ巨大なビル。
ただし廃墟同然で、上層部からは巨大な樹が生えてきていた。全体的に蔦でおおわれていて、ところどころ崩れている。
ポータルは、訪れたことのあるダンジョンへ転送してくれる装置だ。これがなければ、移動だけで授業時間が終わってしまうだろう。
エンはダンジョンを目の前にして、大きく伸びをした。
「っしゃあ! 今日もやるぞ!」
そして入口に向かってずんずん進んでいく。
「テンション高っけー」
その後を、呆れたような感心したような表情のソノが追う。
フカはダンジョンを見上げ、そして二人の背中に視線を向ける。
「……行くか」
ぽつりとつぶやいてから、歩き出した。
ダンジョン攻略授業、まだしばらく続きます。
長いのでいくつかに分割してます