1-3:表彰状はごみ箱行
二日後、朝のホームルーム。
教卓の前に立つ担任教師が話しているのを、フカはぼんやりと眺めていた。
「先日のダンジョン攻略授業中、うちのクラスの深辺がレベル45のモンスターを倒し、同時にレベル45に昇格した。これは高校生としては異例の成績で――表彰状が届いている。深辺、前へ」
突然名前を呼ばれ、勝手に肩が動いた。
フカは表情を変えずに立ち上がり、教卓付近へ行く。
なぜか誇らしそうにうなずいた先生に表彰状を手渡され、適当にお辞儀をする。
「これからも頑張って」
「ありがとうございます」
心のこもっていないことに自覚のある謝辞。
別にレベルが上がろうと何もうれしくない。
自分の席に戻る途中、すれ違いざまに誰かがつぶやく。
「お前の実力じゃないだろ」
まったくもってその通りだ、と心の中で答える。
十年前、国土の大部分がダンジョン化した。
それと同時に、当時12歳以下だった子供に超能力としか言いようがない力が芽生えた。
ダンジョン内でしか使用できないその力は、対モンスター戦で圧倒的な効果を示した。
以来、ダンジョン攻略が授業に組み込まれている。
中学生から能力訓練をはじめ、高校生からダンジョンでの資源採取やモンスター討伐が義務となる。
基本的に三人以上でパーティを組み、互いに助け合いながら課題に取り組む。
メイン戦力は大学生で、ダンジョンの完全攻略を目指したり、ダンジョン領域の浸食に対処したりする。
ダンジョン領域は、定期的にその境界線を市街地側に進めてくる。それを押し戻すためには、新たにダンジョン領域となった部分に発生するモンスターを倒さなければならない。四十八時間以内に討伐できなければ、その部分は完全にダンジョン領域となってしまう。
個々の能力や本人の意思に沿って課題を選ぶことができるが、その成果は成績に影響する。そのため、ぴりぴりしている人も多い。
その中で、フカは成績のためでも楽しむためでもなくダンジョン攻略に励んでいた。
昼休み。
隣のクラスのエンがやってきた。
「フカー。昼、食堂だろ? 一緒に食べない?」
「うん。いいけど、あだ名はダンジョン内だけじゃなかった?」
「あ、そうだった忘れてた。深辺深辺」
「自分で言っといて忘れないでね、焔崎くん」
エンは、悪い悪いとけらけら笑った。
ダンジョン内だけで使うあだ名。それはエンが言い出したことだった。
最初はもっとコードネームっぽいのにしようと言っていたが、ソノが「恥ずかしいから嫌」と猛烈に抗議したため、苗字から二文字抜き出しただけのオーソドックスなものになった。
二人は食堂へ向かう。
そこそこ広めのきれいな食堂は、今日もにぎわっていた。
人込みは苦手だったが、おいしくて安いので背に腹は代えられない。
食券販売機の前にできた列に並ぼうとしたところで、前方から来た男四人くらいの集団がエンに声をかけた。
「お、焔崎ー。お前も一緒に食べない?」
「わりー、今日深辺と食べるから。また明日な!」
エンは快活な笑顔で誘いを断った。
誘った本人は「また今度なー」と明るい笑顔を浮かべているが、周りにいた他三人はフカに苛立ちを込めた視線を送ってくる。
フカはなるべく肩をすぼめて、申し訳なさそうなポーズを作りその横を横切った。
「なんであんな奴と」
その声は、すれ違ってしばらくした後、後ろから聞こえてきた。
エンは担々麺、フカは日替わり定食を頼んで、三人掛けの席に着く。
「有園さんは?」
「え? 誘ってないけど」
エンが箸を持ったまま手を合わせていただきますをする。
フカは自分の眉間にしわが寄るのを感じた。
「……それ、まずいよ。有園さんそういうの気にするじゃん」
「お前は気にしすぎなんだよ。そんなにあいつに気を使う必要ある? 友達じゃん」
「そういうんじゃなくって」
「大体、誘っても半分くらいしか来ないじゃん。ほかのお友達と食べてんだろ」
特に気にしない様子で麺を口に運ぶエン。
今度はフカが苛立ってきた。
「だから、来なくっても誘わないと……怒るじゃん」
「別に怒られてもいいわ。めんどいから」
「雑。性格が雑……」
さっぱり割り切っていると言ってもいい。
彼のこういうところは嫌いではないが、とにかく彼女と相性が悪いときがあるので困る。
その時、テーブルの上にパスタの乗ったお盆が置かれた。
勢いよく、しかしこぼさない程度に理性を保った衝撃。お盆の近くには女子生徒が立っているのが見え、恐る恐る顔を上げるとやはりソノだった。
少し茶色く染めたロングヘア―、清楚系ギャルっぽいメイクと着崩し感。
整った顔立ちだが、今は口を少し突き出して不機嫌そうに二人を見下ろしている。
「へー、二人で仲良いじゃん。もしかしてうち、邪魔者だった?」
やっぱり、とため息をつきそうになったのをこらえた。
「いやいや、そんなことないよ」
と否定しながら席を勧める。
ソノは椅子に座りながら言う。
「そんなことないことないでしょー。うちだけ誘ってくんないし?」
フカがなんと言おうかを考えているうちに、エンはうんざりと言った表情を隠さずに答えてしまった。
「だってお前、誘っても来ないとき多いから。その点フカ――ベは、九十九パーセントくらい来てくれるし?」
怒りの矛先がこちらに向きそうな危うい発言をしてくれるな、と心の中で文句を言う。
「それはさ、友達とも食べたいからしょうがなくない?」
「だからそこは責めてないって。友達と食べたくないときにこっちに来ればいいだけの話だろ。断られるのわかってて誘いに行くの面倒くさい。俺は早く担々麺を食べたい」
マイペースに麺を口に運ぶエン。早く食べたいと言っているが、ずっと食べ続けている。
暖簾を押しているかのような手ごたえのなさを感じたのか、ソノはフカに向き直った。
「ね、フカもそう思うよね? これなくっても誘ってほしいと思わない? 自分がいないところでこそこそ二人で仲良くしてるのって嫌だと思わない?」
フカは持ち上げたハンバーグのかけらをなごりおしそうに皿に戻して、曖昧に同調する。
「あー……うん。そうだね、ちょっと嫌かな」
「でしょ? エンひどいって思わない?」
「うーん、そうだなぁ。まぁ、エンは雑な性格だからしょうがないよ」
「お前さっきから雑雑ってひどくないか? 俺はかなり繊細な性格なんだけど? 少なくともこの中で一番」
いつの間にか二人の矛先がフカに向いていた。
しかし、この面子で話していると大体いつもこうなるので、あまり気にしない。
「えーと、じゃあ二人でご飯食べるときは有園さんにも連絡するよ。僕が。それでどう?」
「……別にフカに迷惑かけたいわけじゃないんだけどなぁ」
じゃあどうすればいいんですか、神よ。天に自分の不幸を訴えてみる。
最終的には、フカの提案でソノは渋々ながら納得したようだった。
二人はよくケンカする。
と言っても、どちらかというとソノが不満をぶちまけて、それをエンが受け流すという形が多い。
仲裁が苦手なので、結構困る。
ただ、唯一助かるのが
「え、ヤバ。新作のきのこクリームパスタめっちゃおいしい」
「ほんとに? 一口ちょーだい」
「ほいほい」
「さんきゅー。……え、マジでうまいじゃん」
「でしょ?」
「今度食べる。絶対食べる」
ソノは滅茶苦茶切り替えが早く、あまり引きずらない。
エンもソノが文句言っても、そのあとも機嫌が悪くなったりしない。
普段は仲が良いし、案外相性がいいのかもしれない。喧嘩するほど仲が良いというか。
ほっとした気持ちで二人のやりとりを傍観者の気分で見ていると、ソノが振り返ってきた。
「フカはきのこ好き? 食べてみてよ」
「あぁうん。ありがとう」
ハンバーグの大皿の脇に、ソノがパスタを一口分乗せる。
にこにこ上機嫌のソノから受け取ったパスタは、確かにうまかった。
「おいしいね」
「でしょでしょー」
なぜだか誇らしげなソノ。
ちなみにソノは『あだ名はダンジョン内だけ』というルールを「使い分けんの無理」と言って破りまくっている。
「そういえば、今日の朝なんか表彰されたー。二人もされたでしょ?」
「レベル上がったやつな。表彰状なんてもらっても困るんだよなー。捨てて帰っていいかな?」
「見つかったら怒られるからやめときなよ」
言ってから、自分は怒られることばかり気にしているな、と気づく。
小心者な自分を変えたいけど、そうするとストレスで死ぬんじゃないかと思う。
今朝、悪口を言われた記憶がよみがえる。『お前の実力じゃないだろ』と。
残念ながら、それは事実だ。
エンもソノも、派手で優秀な能力を持っている。自分にはそれがない。どころか――――
「今日、授業だよな。今週計画出した分のノルマ終わってるけど、どうする?」
「こないだよりもっと上の層に行ってみようよ。『新宿都庁』の三十五層以上って行ったことないよねー」
「……それ、未踏領域だった気がするけど」
ダンジョンは、既存の建造物をモチーフとして生成されているので、建造物の名称をそのままダンジョン名として利用するケースが多い。
様々なタイプのダンジョンが存在するが、大体は階層が分かれていて、入口から遠い階層になるほど強いモンスターが出現する。
誰かが一度足を踏み入れた場所は自動的にマップが更新される。未踏領域はマップがないため、上級者以外は敬遠することが多い。
「いいなそれ。俺もっと強い敵と戦いたいわ。こないだのドラゴン、見た目の割りに防御力重視って感じでやっててつまんなかった」
「わかる。ちまちまHP削ってくの性に合わない」
正反対のようでいて、こういうところが二人は本当に似ている。
ソノはいつも戦うのは面倒くさいとか戦いたくないとかいうが、意外と好戦的というか、戦っていて面白い敵を望んでいる。
エンは言わずもがな。
「フカはどう?」
「僕は……」
なんと答えようかしばし考えこむ。
「僕は、二人がやりたいようにやってほしい」
ソノはいつもより少し優しく笑う。
「いっつもそれだね、フカは」
「たまにはわがまま言えよな。有園は言い過ぎだけど」
「うっさい」
ソノが身を乗り出してエンを小突く。
「二人が楽しそうにしているところ見るのが好きなんだよ……多分」
深辺は自信なさそうに言いながら、首を斜め下にかしげた。
これまでの人生で、自分でも信じられないくらい何にも興味が持てなかった。
ダンジョンでいい成績をとるだとか、強い敵と戦いたいだとか、未知の領域へ踏み込みたいだとか。
好きなことも、あるにはある。
ただ、それが明日世界中から無くなったとしてもまったく困らない。また別の、「好きなこと」を見つけられると思う。
そういう意味で、ダンジョンに行くのはまあまあ好きなことだった。
二人が楽しそうにしているのを見るのも、おそらく。
でも、自分から、「こうしたい」と思うことはない。
「こうしたくない」という気持ちはあるけど。
エンは明るく笑い飛ばした。
「まー、やりたいことできたらいつでも言えよ。いくらでも付き合うから」
「そうそう、フカがやりたいこと応援するよ?」
いつもこんなことばかり言って、でも二人はイライラすることもなく優しい言葉をかけてくれる。
本当にありがたい。なんでそんなに人にやさしくできるのか、不思議でしょうがない。
たとえ表面上だけだったとしても、その気遣いがうれしかった。
それから、残りの昼食を食べながら、三人で今日の授業について相談した。