空を飛ぶ船『バッカ』について
愚昧なる小生は幼き頃空を飛ぶことを夢見た。
今自分は空を飛ぶ恐ろしさを知り、今後はそのような愚かな夢をみまいと心した。
本稿で述べる『空飛ぶ船』(バッカ)はこの島近辺でみられる特殊な舟である。
彼らのバッカは5人から11人乗りであり高度な操船技術を必要とする。
構造及び思想的にはヨツト舟に近い。
風に逆らって移動できるのもよい。
この時点で他の島々の舟とは抜本的に異なるのだが驚くべきはこれからである。
バッカを双胴船と言えばそうなのかもだが絶対的な違いがある。たしかにオウルもアウトリガアカヌウのように使うときもある。
しかしこれは文明国を含めた世界のどこを見ても存在しない特徴である。
このバッカは水中翼船である。
原動機の助けなく風力のみでこれを達成する。
これに載せて(※乗せてではない)もらった。
風を帆が受けて進む過程で水中翼が機能し船体が海面から浮上していく。
その最高時速実に80キロメートルにも到達する。
ただしその操船の困難さは殺人的であり電子演算装置も航行器もなくこれを扱う彼らの技術は脅威といって過言ではない。
これほどの侵略兵器を持っている彼らが何故パ・ガ諸島に留まったのかは極めて謎だ。
勿論その特性上あまり重い荷物を積めないのだがその欠点は船足をもって考えれば些細なものだ。
彼らは鉄も使わず計測器も持たず石器のみで削り上げ、何故か砕けない船体を作るのである。
私はこれこそ彼らの恐れる『ガ』のもたらすものとしか思えない。
愚昧なる小生は文化人類学などをほとんど知らぬが、これを見せたら知人は卒倒するであろう。
先にも述べたが彼らは子供でも高度なレベルで天文学の知識を有している。
パプァに『地球が丸いのに落ちない理由を知っているか』とを私が戯れに聞いたところ『全てのものは等しく落ち合いひかれあう。女と男が愛し合い求め合うより強くだ。世界は万物に向けて落ちる。それを我々は浮いていると見てしまう。丸い石の上を這うアリは傾斜をほとんどないものと思うてか登り進む。これはアリが石に落ち石がアリに落ちているからであり、石を大地に落とせば大地に石が触れるようにしか人には見えぬ。かのように人とアリは大して違いはない。己の観測だけで物事を考える。貴君が先程通られた道をまっすぐと言うた。しかし傾斜あり曲がり道あり凸凹もある。これは山の頂と指を線で結べば容易に解り得ることである』と『踊りにて』解説され舌を巻く羽目になった。彼女はあくまで一般的な若い娘と変わらず(※多少、いやかなり変なところも認めるが)ファラの舞い手ではない。専門教育を受けた神官や踊り手でもない幼さ残る彼女が高等教育に匹敵する知識を持っているのだ。
彼らは子供でも星を見て位置を知り距離をみて高さを図り(※三平方の定理を彼らは知っていた)風を見て天候を予測できる。彼らをみていると所謂土人と呼ばれる存在を下に見る文明国家の非文明さ、己の文化こそ至高とする傲慢さを痛感するのだ。
本文は短いが最後に追記を行う。
私がやかんで湯を沸かした次の日、やかんが子供に盗まれかのやかんは動く蒸気船になり果てた。
さらに恐ろしい事に彼らは私が戯れに作り出した凧や風船、竹とんぼの内容と原理を即座に理解した。
次の日、動物の臓物を用いた風船が空を飛び、『空に灯すによいものを教えてくれてありがとう』と礼を言われた。
彼らに不用意に技術を見せないこと、教えないことを強くお勧めする。
彼らが子供ならまだしもかたくなに鉄器や車輪、内燃機関を用いたがらないのは彼らの宗教的文化的理由でしかない。
余談だが『守護者』になって幾度かこれに乗って空を飛ぶ夢を見た。およそ考える中で最悪の夢たちであったがその時パプァが手を握っていてくれたこと、その夢の内容を古老たちがなぜか把握しており英雄として扱われる不可解な事態が幾度か起きたこと、その悪夢の中で戦死した友人が昨日まで元気だったのにもかかわらず流行病と思しき原因で死んでいたことを追記しておきたい。あれは今でもよくわかっていない。