『三つの部族について思いつく限りを記す』 ~~ン族もしくはムゥ族と呼ばれる民について小項~~
浮かれ男とかひどい時には娼婦や男娼のように他部族から思われるン族はある種の宗教結社ではないかとパプァはいう。つまり彼女の『ではないか』は真実のところ『ではないか』ではない。この場合確実に彼らを探る真似をしでかした可能性が高く今回の訪問にて彼らの長老に露見していた数々の事実を彼女に代わり謝罪する羽目になった。納得はいかないが何故その娘がしでかしたことをお前が謝るのか聞かれたので『子供のすることである以上大人が謝っておかしくはない』と伝えると気に入られた。パプァが不満顔だったのでまず感謝の念を伝えて彼女の表情が明るくなるのを確認してから『気を利かしてくれたのだろうけど危ない真似や人様を探る真似は避けてほしい』と伝えることにした。その様子を見る古老はニコニコ謎めいた笑みを浮かべていたがその瞳はまるで笑っていなかったと残しておく。
パプァの憶測にとどまらない調査は彼女申すところの精霊のお告げにとどまらず確実にその証拠を掴む優れた能力にある。彼女は子供ながら早駆け、潜水、遠泳、船の操作まで自在に行い、この時点では私に知る由などないが実年齢より幼く見える容姿は大人たちの警戒をほぐして必要な情報を得るのに有利に働く。またガ族さながらの化粧技術やン族はだしの踊りや歌の技能、私の通訳を買って出るほどの語学力と理解力、ニユウトンの古典力学を彼女は知らないはずだが私を舌を巻く科学および心理学的な知識と見解をもっている。私は大学の単位を彼女に手伝ってもらえないかと夢想し一人恥じ入ったものだ。
そのパプァですら知らない話をいくつも聞くことが出来た私だが彼女にこの話をするのはこの時点では諦めた。もちろんしつこく何度も聞かれたのだが『不幸な事故はいつでも起こりうる』という古老の言葉が気になったのだ。もしこの覚書がまかり間違って書店の棚を飾ることになれば私は不幸な事故とやらに遭うかもしれぬと妄想してしまう程度にはだ。しかし古老は文字を知らぬはずなのに私がこまめに取るノオトを見て『汝の故郷にその語る板を持ち帰ることは許す』という。『語る板を増やすことも許す』と告げたのち彼は言う。『虚言や憶測をそこに残すのは許さぬ』と釘は打たれたが。
「語る板、物言う石と我々が関係を絶って五千年になる」
星の海を旅して物言う石を友とした。
古老の興味深い話が始まった。私は一言一句書き違わないよう集中しパプァは居眠りを始める。もっともタヌキ寝入りであるがこの地にはタヌキはいないので古老に説明するのに難儀した。
ン族とは存在しないという意味である。
存在しない民、あってはおかしい存在。それは『ガ』ではないのかと聞くと古老は苦笑いした。
「あれは『口にするだにおぞましきもの』だ。貴様が守護者になればいずれ出会う。その時までに恐怖と戦う術を得るのだ若き『ガ』よ。さそればいずれ貴君も『パ』となり『ン』に還り輪に戻る。それが『ン』、輪のあるべき姿なのだ」
「我ら三つの民は元は同じ。争いを娯楽とするガ族と融和を是とするパ族。二つが滅びても我らがいる。二つのどちらかが失伝する知識があっても我らが教え直すそれはまたンに還るともいう」
「存在しない民とあなたは仰るが、あなたたちは確かに存在し、私と言葉を交わしている」
「認知とは人の心の中で行われる。感じるのは心。触れるのは魂。知るのは身体。眼があり耳があり鼻があり肌がこすれ匂いを感じてもそれが魂に触れるとは限らない。また認知できるに至るとも限らない。そして心が感じるならば大いなる夢の中の出来事も事実であり、あるいは現世で起きた事象も夢に過ぎないかもしれぬ」
謎かけはあまり得意ではないと正直に告げると古老は楽しそうに何かの茶をくれた。
茶などこの列島で口にしたことなどないがあまくて風味がよく、如何なる紅茶の類より旨い。
古老曰く、これを飲めば『ン』族に認められた男となるそうだ。それを聞いてパプァは何故か異様に不機嫌になっていたが。
「浮かれ女が好きなの?! 信じられない! 私みたいなかわいい子が隣にいるのに!」
「たしかにかわいいな。おまえは」
そういうと真っ赤になって照れるパプァ嬢だが、私の口にした『可愛い』とは子供とか子犬とか子ネズミとかを指してのそれであり、彼女に女性的魅力があるという意味ではない。多分。
閑話休題。
ン族は皆優れた歌い手であり踊り手であり、定住の習慣がなく、生涯を船の上もしくは他島でのお祭りで過ごす。そのため漁を行う芸人集団にして宗教結社のようなものだが後者として布教活動を他の島に行ったりはしないので詳細はわかっていなかったらしい。そもそも他の島の人間にとって彼らの来訪は祭りの時期にほかならず、たいして皆気にしていないというのが真実であろう。そうして芸人として歌を教え伝承を伝え、学問の歌を絶やさず、更に商人としてあらゆる島を渡り歩くという。各島でもらった酒を飲み比べもするし貨幣のないこの群島で貨幣経済に似た経済を維持できたのも彼らの存在が大きい。
もっとも最近は定住するン族も増えてきた。これは我が帝国とのかかわりが深まったことも影響している。『守護者』も最近は何人も輩出し、その優れた外交能力で列強に一歩も引かない能力を見せている。
今後彼らの存在感がますます高まることは間違いない。しかし彼らは芸人種族であると同時に泥棒のような眼で見られることもあるという。その辺は他の国と大差ないようだ。
後日。
彼らのお茶を呑んだとパプァの父に教えると彼は大笑いした。
「あれがどうやってできるか知っているか」
曰く、ある種の葉を蛾の仲間の幼虫に喰わせてその糞を発酵させてあのあまく薫り高い茶ができるらしい。
私は大変不快な思いをしたが後の祭りである。この地にも虫糞茶=chóngshǐchá があるとは初めて知った。
パプァの父曰く、『ン族の女の胸はやや平ためだが良い尻をしている。一人くらい相手してもらったのか』というが、パプァの目の前でそのようなことは不可能であると告げておく。
後日、尻にタパァを何枚も巻き、胸にココナツを割った詰め物をしてひたすら私を見上げて周囲を歩くパプァをみて何とも微妙な気持ちになったものだ。