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11 死ねない少女

 腹に熱い鉄を流し込まれた、と錯覚する。

 深く潜り込んだ刃先を摘まみ外へと抜き出す。小刀は全体としてひんやりと冷たく、熱いのは自分の傷口なのだと知る。喉からつっかえるような咳が漏れ、ねとりとした粘膜と共に少量吐血する。膝を着き、はらわたを集めて傷の奥へと押し込む。そうして少女は虚ろに白痴の少年を見上げる。


 彼は依然として何が起こったのか理解していないようで、血に染まった己の掌を不思議そうに眺めていた。ケムリは痙攣した口元を吊って笑みを形作る。呼応するように少年もへけへけと笑い出した。


「う、あぁ。あー……あいぃ、がむ」


 ケムリは小さく頷き、寝転ぶように後ろへと倒れ込む。呼吸をするたびに喉の奥で異物感がして煩わしい。視界が明滅し、星空の画板が黒か白かも截然としない。天より降りた『天使』の姿態をありありと視認し、実際に眼前で浮遊しているようにさえ感じる。これが死際の光景かと悟るも、ケムリ本人に焦りはなかった。また、このまま死を受け入れようという覚悟さえも。自分に限ってはその必要がないことを彼女は知っている。

 今はただ痛みに身を任せようと、少女は静かに目を瞑った。




 意識が一瞬切れると次には、仰臥した視界に塔の主の顔があった。主は相変わらず、万民を平伏させる鋭い視線を少女に落としていた。

 後頭部の感触が柔らかい。見れば頭の下に折り畳まれた白い敷布が挟まれていた。


「あの子は……」


「行ってしまったよ。自分が手を貸した事実を知ってか知らずか……。奴はまた、この霧の国を好き放題に彷徨うろつくのか、はたまた気移りでもして国の外へと旅立つか。何れにせよ私に童を制御する術はない。奴の中で何かが変わったかと言えば、これも疑事の残る所だが……」


「でもあの子は、ありがとう、って言ってました」ケムリは弱弱しく呟めく。「わたしはただ、あの子の手に纏う業を払いたかっただけなのです」


「それはそうと、ケムリ」

 主は胡坐を組み直し、今一度厳格に声音を作る。

「お前は一体何なのだ」


 ケムリは上半身を起こし、手の甲で口元の血を拭う。破れた服に手を差し入れ腹を摩ると、傷は大方癒えているようだった。痛みの残滓は跡形もなく、僅かな痒みを腹部に帯びるのみである。主が猜疑心を向けるのも無理はなく、しかしどこから話したものかと少女は倦む。


「この世で最も価値がないのは、わたしの命なのかもしれません」


 天はたおやかな御腕をもって地を包む。霧が国を加護するように、あるいは母が子を抱くように。蒸発した水は雲となり、雨となって大地に降り注ぐ。山が蓄えた水は川を下り、源たる海へと行き着く。同様に生き物の生と死は地続きで、切っても離せぬものである。死ねば魂が抜け、魂は輪廻し、また新たな肉体へと宿る。それらがさも自然の摂理とでも言うように世界は絶えず循環する。そんなことわりの只中、少女は一人、摂理にたがう。


「わたしは、死ねない身体なのです」


 破れた服の裾を捲り、じわじわと消滅していく傷跡を晒す。指先で血痕を擦ると、まさに最後の傷の線が消えようとしている所だった。

 主は呆れる。


「命に価値のない時代に、死ねない身体か」


「はい。これ以上の皮肉はありません」


 また一つ理解出来ないものが増えてしまったと主は嘆く。少女は再び敷布に頭をつける。死ねない身体とはいえ、瀕死体験の疲労感は拭えなかった。微睡む意識の中でケムリは思う。この国での目的はもう果たしてしまった、と。

 胸元に手を置きながら、塔の主がこの首飾りに適合しないことを少女は心中に悟った。

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