第四章 片岡湊人の苦悩
「今日は天気も良いし、日差しが気持ちいいっすよ。」
病室のベットに横たわる母にそう声を掛けて、片岡湊人は窓を開けた。
「ほら、だいぶ風が暖かくなったっしょ。また春が来ちゃったっすよ。今まで頑張ってきたぶんゆっくり休めば良いって言ってきたけど、そろそろ起きてもいいんじゃないっすか。」
優しい声でそう話しかけながら、片岡はベットの背中部分を上げて横に座った。
「あの小さかった結奈が中学三年生になったっす。女の子は難しいっすね。暖人とは相変わらずだし。兄貴も相変わらず何考えてんだかよく解らないけど、まぁ言い合いとかするわけじゃないし関係は別に変わらないっす。でも、結奈のことは本当わかんないっすよ。俺、なんかあいつのこと苛々させて怒らせてばっかで・・・。」
そう言って片岡は溜め息を吐いた。
「何か間違えてたのかな。俺、今家出てサクラハイムってシェアハウスで暮らしてるんすけど。そこで暮らし始めて色々感じるものがあって。ちょっと思ったっす。俺が今までしてきた事って独り善がりだったんじゃないかなって。ずっと皆のためって、それが当たり前だと思ってきたけど、本当はやんなくても良いお節介ばっか焼いてて迷惑だったのかなって。俺は兄貴や結奈みたいに頭良くないし、誰にでもできるようなことしかできないから、自分にできる事はなんでも頑張ろうって。それで暖人や結奈が家のこと気にせず自分のことに精出せればいいなって。あと、少しでも父さんの負担を減らせれば良いなって。そう思ってただけなんすけどね。母さんが動けなくなって、最初は大変だったけど、こんなギスギスすることなかったのにな。途中は上手くいってる気がしてたのに。俺、どこで間違っちゃったんすかね。やっぱ、母さんがいてくれないとダメっすよ。昔みたいにバリバリ働かなくてもいいから、家のことだって別にしなくてもいいから、そろそろ起きて家に帰ってきてくれないっすか?」
何も反応せず目を瞑ったまま横たわる母親にそう愚痴を漏らして、片岡は困ったように笑った。
「俺、バイトがあるからそろそろ行くっすね。あんま来れないのに今日は愚痴ばっかでごめん。また来るっす。」
そう声を掛けて、ベットを元通りにし、窓を閉め、もう一度母に声を掛けて、片岡は病室を後にした。
○ ○
チャイムの音が鳴って玄関に出ると、そこに気の強そうな中学生くらいの女の子が立っていて、西口和実は驚いた。誰だろう?浩太君や遙君の友達かな?そんなことを考えていると女の子が口を開いた。
「始めまして。わたし、こちらでお世話になっている片岡湊人の妹で片岡結奈といいます。兄に用事があって来たんですが、今いますか?」
そのしっかりした物言いを聞いて、あぁこの子が片岡君の妹なのかと思う。自分はここの管理人であることを伝えながら、全然似てないななんて思って眺めていると、何か?と睨まれて、和実はとっさにすみませんと口走っていた。
「ごめんね。せっかく来てくれたのに悪いんだけど、片岡君今いないんだ。というか昼間はだいたいいなくて。」
「バイト、ですか。」
「そうだね。土日は派遣でかなり割の良いバイトがあるから固定のバイト入れてないって言ってたし、帰ってくる時間いつもバラバラだから。何も言ってなかったから遅くても十七時には戻ってると思うんだけど。何時ならいるってはっきり言えなくてごめんね。」
「いえ。家にいたときもそうだったのでいないだろうなとは思っていたんですけど、突然来てしまったので。こちらこそすみませんでした。」
そう言いながら表情を曇らす結奈を見て、和実はせっかくだから上がってく?と声を掛けた。そして遠慮する結奈を半分無理矢理食堂に案内する。
「あ、みな兄。」
結奈がそう呟いて壁に飾られた写真の前で止まって小さく笑う。そして和実の視線に気が付いてハッとした顔をして恥ずかしそうに顔を伏せ、今のは見なかったことにして下さいとお願いしてくる姿を見て、ずいぶんしっかりしてるしキツそうな印象だったけど、かわいいななんて思って、和実は笑った。
「笑わないで下さい。どうせこの年でブラコンとか恥ずかしい奴だって思ったんでしょ。違いますから。今のはちょっと、ここでも兄は家にいるときと変わらないんだなって思って、それで・・・。」
赤くなった顔が見られないように深く俯いてそうぶつぶつ言う結奈を見て、あぁそういうのが恥ずかしい年頃なのかと思う。学校でからかわれたりしたのかな。そんなことを考えて和実は、色々難しい年頃だもんねと思った。
「片岡君、頼りになるし優しいし。世の中のお兄ちゃんがみんな片岡君みたいだったら、お兄ちゃんのこと嫌いになる妹なんていないんじゃないかな。わたしも片岡君がお兄ちゃんだったらお兄ちゃんのことが大好きになってたと思うな。」
そう言うと、少し顔を上げて本当ですか?と聞いてきて、本当かわいいなと思う。
「本当、本当。あんなお兄ちゃんいたら自慢のお兄ちゃんだよ。優しいし。料理上手だし。背も高くて、あの笑顔の安心感は半端ないよね。うん。自慢のお兄ちゃんではあるけど、妹だったら女子力で完全に負けててちょっと複雑かも。」
片岡の良いところを挙げようと思って話していたら、だんだん自分が女として情けなくなってきて和実は気落ちした。
「あ、解ります。みな兄、家事完璧だから。」
そう言って表情を和らげる結奈を見てホッとする。
「本当、片岡君、気配りの仕方とか女子力高くてさ。あ、でも片岡君が高いの女子力って言うよりおかん力かも。他の住人にお前は母親かとか突っ込まれてたり、湊人はサクラハイムのおかんだからねなんて言われてるよ。ちょっとわたしの立場って何だろうって思うときがあるくらい、片岡君の方がここの母親的存在かも。」
そんな話しを続けると結奈がみな兄らしいと言って笑い始め、それを見て嬉しくなって、和実は写真を指さしながらコレはいつの写真で、この時はどんなだったとか、サクラハイムに来てからの片岡の様子を色々と彼女に話した。自分の話に耳を傾ける結奈の様子を見て和実は、そういえば片岡君ここに来てから家にたまには帰ってるのかな、家族と話ししてるのかななんていう疑問が浮かんできた。確か妹とぎくしゃくして家を出たって言ってたけど、この子が訪ねて来たのはそれと関係あるんじゃないかな、なんて思う。
「片岡君に用事だったんだよね。待ってると遅くなっちゃうだろうし、電話してみたら?」
それとなく水を向けると少し結奈の顔が陰る。
「わたし、携帯電話持ってないので。それに、講義やバイト中は電話出れないだろうし、それ以外だって色々やることあるだろうし。何もしてない時間は休んで欲しいし。電話なんかしたら、みな兄、絶対時間がなくてもムリに時間作って話しするから。電話じゃムリしてるかどうか解らないから。直接会って話がしたいなって思って。」
そう言う結奈を見て和実は、優しい子だなと思った。見た目は似てないけど、やっぱ兄妹なんだなと思ってなんとなく暖かい気持ちになる。
「じゃあ、帰りは送っていくから今日はここでご飯食べてく?夕食の時間なら片岡君いるから話しできるよ。」
そう言うと結奈が考えるように黙り込んで、和実は、人がいる所じゃやっぱ話し辛いことかなと思った。
「もし夕飯食べてくなら、お家に連絡しておくから。今日じゃなくてもいい用事ならまた今度あらためて来てもいいし。片岡君に電話し辛かったら、わたしの番号教えるから、かけてきたときに片岡君の手が空いてたら代わってあげてもいいし。結奈ちゃんがやりやすいようにすればいいよ。」
そう言うと結奈がありがとうございますと呟いて、和実は微笑んで、時間はあるからゆっくり考えて決めればいいからと声を掛けた。二人で食堂で向き合ってお茶を飲む沈黙が重くて、和実はどうしようと思った。写真見て話してた時はけっこう砕けていい感じに話しできてたと思うんだけど。何か話題、話題。さっきは片岡君の話しで盛り上がれたけど、今は避けた方がいいよね。片岡君はけっこうさらって話してるけどかなり家庭事情も大変そうだし、今日会ったばっかであんまり突っ込んで話し聞くのもアレだろうし・・・。
「あ、そうだ。ちょっと買い出し手伝ってもらえないかな?色々買わなきゃいけないものがあるの忘れてた。」
外に行けば少しはこの空気変えられるかなと思ってぱっと思いつきでそんなことを言って、わざとらしくなってないかななんて思いつつ、和実は結奈の顔を覗いた。ちょっと驚いたような顔をして、大丈夫ですという結奈の答えを聞いて、和実は彼女を促して外に出た。
今日もいい天気だねとか、あそこのお店がどうだとか適当な話しをしながら商店街を回って、これかわいいねとか、これって何に使うんだろうとか、関係ない小物を見たりしつつ適当に備品を買い集めていると、まただんだん結奈の表情が和らいで笑顔が見えるようになってきて、和実はホッとした。
「ちょっとお茶して帰らない?買い出し手伝ってくれたお礼に奢るよ。」
「いえ、そんな。わたし何もしてないし。お手伝いしたうちに入らないです。」
「実はそこのカフェ前から気になっててさ。せっかくだから一緒に行こうよ。ね。」
そんなことを言いながら遠慮する結奈を連れてカフェに向かって、そこに女性と一緒にいる片岡を見付けて、和実は立ち止まった。え?あれ、片岡君だよね。今日バイトじゃなかったっけ。バイト中?って感じじゃないよな。そういえば勝手にバイトだと思ってただけで、土日は固定のバイト入れてないんだからバイトじゃない可能性もあったのかも。デート?前、友達と遊ぶ時間もお金もないって言ってたけど。あ、時間があるときは彼女さんと過ごすから友達と遊ぶ時間がないってことだったのかな。彼女さん、大人っぽい綺麗な人だし社会人だよね。デート代は彼女さんに出してもらってるのかも。そんなことを考えて、結奈ちゃんと一緒だけどどうしよう、引き返す?わたしが連れてきたのに不自然かな?え?どうしよう、と思って、和実は頭の中でパニックを起こしていた。
「どうかしたんですか?」
「えっと。今日いい天気だし、やっぱ自販機で何か買って公園でお茶にしない?」
自分の身体で片岡の姿が見えないように回り込みつつ、苦し紛れにそう提案してみる。
「いや、こんな高価な物は受け取れないっすよ。」
そんな片岡の声が後ろから聞こえて、
「みな兄?」
結奈が和実の身体を避けてその先を覗き込んで。和実は冷や汗をかきながら後ろを振り返った。そこに女性から何かを渡されそうになってそれを必死に断っている片岡の姿があって、視線を戻すとそこに怒り心頭の様子でそれを睨んでいる結奈がいて。
「結奈ちゃん。ちょっと、待って。」
二人に向かってつかつか歩いて行く結奈を止めようとして和実も一緒に片岡のいる席に向かってしまって。こちらに気が付いた片岡と目が合って和実は苦笑した。
「管理人さん。と、結奈?なんで二人が一緒にいるんすか?」
「みな兄。これってどういうこと?変なバイトは止めるって約束したよね。まだこういうこと続けてたの?」
「いや、この人はそういうのじゃないから。」
「じゃあ、なんでプレゼント渡されそうになってるの?お付き合いしてるの?彼女なの?」
「いや、そうじゃなくて。」
「なら、何?みな兄、家出てっちゃって、全然帰ってこないし。一人暮らしじゃ家にいるときよりお金かかるはずだし。なのに家に入れるお金全然変わってないし。前よりもっとムリしてるんじゃないかなって。それで、わたし・・・。」
そう言って結奈は俯いて、みな兄のバカと呟いた。
「みな兄なんてもう帰ってこなくていいよ。みな兄がお金入れてくれなくたって大丈夫だし。家事だってわたしもできるし。わたし、みな兄が変なことして稼いだお金でなんか養われたくない。もう一人で好きに勝手にすれば良いじゃん。みな兄なんて大っ嫌い。」
そう言って、結奈が踵を返して駆けだして、
「いや、だから違うって。ちょっと、結奈。人の話はちゃんと聞くっすよ。」
片岡が慌てた様子でそう結奈に声を掛けつつ、女性と和実に謝って結奈を追いかけて走り去っていった。
「何か勘違いさせてしまったみたいですね。」
状況に頭が追いつかなくて呆然と二人の去っていた方を見ていると、女性が困ったようにそんなことを呟くのが聞こえて、和実は女性の方を見て目が合った女性と苦笑し合った。
「あなたは片岡さんの・・・。」
「あ、わたし、彼の住んでいるシェアハウスの管理人をしています、西口和実と言います。」
「ご丁寧にどうも。私、藤崎ジュエリーの広報を担当しております、斉藤明美と申します。」
そう言って女性が名刺を差し出してきて、和実はそれを受け取った。宝石店の広報の人?なんでそんな人と片岡君が一緒にいるの?名刺をしみじみと眺めながらそんなことを考えていると、斉藤が彼には時々我が社のモデルをしてもらっていましてと言ってきて、和実は思わずモデル?と口に出していた。
「片岡君、モデルしてるんですか?」
「ええ。今日は我が社の新作腕時計のカタログを撮影するのに協力して頂きまして。この時計を使った撮影は本日で最後ですし、撮影に使用した時計は販売できないので、そのまま使用して頂いてこの商品を宣伝して頂ければとこれをお渡ししていたのですが、何か誤解を生んでしまったようですね。」
そう言って困ったように笑って、斉藤がもしよろしければあなたから片岡さんに渡して頂いてもいいでしょうかと腕時計を渡してきて、和実は反射的に受け取っていた。
「では、よろしくお願いします。」
そう言って頭を下げて去って行く斉藤を見送って、和実はハッとした。思わず受け取っちゃったけどどうしよう。というか片岡君と結奈ちゃん大丈夫かな。二人何処行ったんだろ。結奈ちゃんあの調子じゃ絶対片岡君とちゃんと話しできないだろうし。間に入って今聞いたこと説明しないとだよね。そう思って自分も店を後にする。
なんかこっちの方に走って行った気がするけど、二人何処行ったんだろ。片岡君に電話かけてみようかな。いや、二人が話し合い中だったら邪魔になっちゃうかもしれないし。片岡君それどころじゃないかもしれないし。そんなことを考えながら歩いていると、縁石に座り込んでうなだれている片岡を見付けて、和実は声を掛けた。
「あ、管理人さん。なんか、お騒がせして申し訳ないっす。」
「いや、わたしは別にいいんだけど。大丈夫?」
そう訊くと、片岡があーとかうーとかなんとも言えない声を出して、大丈夫じゃないっすと力なく呟いて、和実はこんなとこ座り込んでてもアレだし公園でも行こうかと促した。
自販機で飲み物を買って、二人で公園のベンチに並んで座る。
「片岡君ってモデルのバイトしてたんだね。」
何を話せばいいのか解らなくて、とりあえずそんな話題を振ってみる。
「モデルって言っても手だけっすけどね。」
「あ、手だけなんだ。」
「全身はムリっすよ。俺そんなかっこよくないし。手のモデルだって、ひょんな事で昔代役頼まれてやって以来ちょこちょこ仕事もらうようになっただけで、誰でもいいからモデル料安く済むし俺に頼んでるだけだと思うっす。」
「いや、よく見たことなかったけど、こうやってしみじみ見てみると格好いい手してると思うよ。指長いし、形綺麗だし。腕のラインとかもけっこう逞しくて男らしくていいんじゃないかな。」
「管理人さん、適当言ってるでしょ。」
「いやいやそんなことはないって。片岡君の手なら宣伝になると思うからカタログにされるんでしょ。そして撮影で使ったのは売れないから、普段使いして宣伝してもらいたいんだって。と言うわけで、大いに宣伝して下さい。」
そう言って斉藤から渡された時計を渡すと、片岡が少し笑って和実はちょっとだけ安心した。
「今日はもうバイトないの?」
「とりあえずはいつもの夜の時間まではないっす。このバイトけっこう割がいいんですよ。時給じゃないから予定より早く撮影終わっても給料丸々もらえるし、昼にかかるとお弁当出してもらえるし。今日も予定より早く終わって、それで送ってもらって。奢ってくれるって言うからあそこでお茶してたっす。」
そう言う片岡の言葉を聞いて、和実はそういう所は結奈ちゃんと違うなと思った。
「結奈ちゃんは奢ってもらうのに凄く抵抗があるみたいだったけど、片岡君はそうじゃないんだね。」
「俺はビンボー症っすから。奢ってもらえるならラッキーっすよ。浮かせられるところはできるだけ浮かせたいし、人の好意はありがたく受け取っておくっす。俺のこういう所もダメなんすかね。結奈にとったら乞食みたいでみっともないって思うのかな。女の子は潔癖って言うか、よくわかんないっす。俺の話なんて全く耳かしてくんないし。俺、完全に嫌われちゃったんすね。さすがにもう帰ってこなくていいはキツかったっす。」
そう言ってうなだれて、暫くそのまま固まって、片岡は重い口を開いた。
「うち、元々はビンボーじゃなかったんすよ。うちは両親が共働きで、どちらかっていうと母親の方がバリバリ働いてて稼ぎが良くて。でも、母さんが倒れて、収入がいっきに激減してビンボーになったっす。母さんが倒れて一、二年はそうでもなかったっすけどね。うちの父親呑気っすから、収入減ったのにちゃんと家計のやりくりしないでいつも通りしちゃってて。母さんの入院費とかも、最初は保険とか出てたけど入院が長引いて保険の枠内越えちゃったりとか。そんなんが重なってあるとき一気にビンボーになったっす。最初は母さんが倒れたショックで皆も色々あって大変で、次は金がなくなったどうしようで大変で。そう、大変だったっすよ。俺は父さんに似てどちらかって言うと呑気な質だし、頭もそんな良くないから目の前のことしか考えらんなくて。最初は暖人や結奈を落ち着かせるので手一杯で、自分にできること頑張ろうって、家事炊事何でもやって。金がないって気付いたときには、じゃあ俺も働けばいいじゃんってバイト始めて。足りないならもっと働けばいいってどんどんバイト増やして。本当は高卒で働こうと思ってたっすけど、大学ぐらい行っとかないと俺なんかろくな就職先ないって言われてそれで大学行くことにしたっす。でもなんかな、言われたことそのまま鵜呑みにして大学進学しちゃったけど、結局入った大学も大したとこじゃないし、このまま卒業したって大したとこに勤められるわけでもないだろうし。奨学金もらって行ってるのにちゃんと卒業しなきゃそれこそもったいないっすから、このままちゃんと卒業しようとは思うっすけど、こんなことに無駄な金使わないで就職しとけば良かったかなとか。本当、どうすれば良かったんすかね。俺はただ、本当にただ、皆のためにって。あいつらが家のこと気にして自分のこと我慢しないですめばいいなって、父さんの負担を少しでも減らせればいいなって、それだけだったのに。俺がしてきた事って何だったっすか。楽にするどころか本当は負担ばっか掛けてたんすか。帰ってこなくていいって言われるほど、結奈の負担になってたっすか、俺は・・・。」
本当に苦しそうにそう吐き出す片岡を見て、和実は彼の背中をそっと撫でた。
「よく頑張ったね。本当に、今までよく頑張った。片岡君のやって来たことは間違ってないよ。ただちょっと一人で頑張り過ぎちゃっただけ。それだけだよ。」
どう言えば伝わるだろう。どうすればいいんだろう。どうしたら・・・。小さく震える片岡の背中を擦りながら、和実は考えた。
「片岡君、言ってたじゃん。結奈ちゃんは素直じゃなくて本音を引き出すのが大変だって。結奈ちゃんの表面の言葉をそのまま受け取っちゃダメだよ。大丈夫。嫌われてない。嫌われてなんかないよ。片岡君は優しいから。当たり前に人に優しくできる人だから。頑張ってる自覚なく頑張り過ぎちゃったんだよ。それで今は疲れちゃってるだけ。疲れちゃってるから、本当のことが見えなくなっちゃってるだけ。大丈夫。片岡君の気持ち、結奈ちゃんもちゃんと解ってる。」
本当、こういうときはどうすればいいんだろう。解らない。なんて言葉を掛ければいいのか、どうすればいいのか。そんなことを考えながら、和実はなんとなく色々言葉を重ねても届かない気がして、ただそっと片岡の背中を擦り続けていた。暫くそんなことを続けていると、片岡が力なくありがとうございますと言って顔を上げた。
「管理人さんのおかげでちょっと落ち着きました。」
そう言って笑う片岡を見て、和実は微笑んだ。
「あんまり一人で頑張っちゃダメだよ。片岡君が大切に想うように、相手も片岡君の事大切に想ってるって自覚しなきゃ。片岡君は皆のためって簡単に自己犠牲しちゃうけど、その皆の中にちゃんと自分も入れてあげないと。人にしてあげたいと思うことを、ちゃんと自分にもしてあげないと。そうじゃないとさ、片岡君を大切に想ってる人は辛いんじゃないかな。大切だから、大切な人とは良いことも悪いこともちゃんと分かち合わないと、ちゃんと分け合わないと、悲しいし寂しいと思うよ。だから結奈ちゃんは怒るんだと思う。片岡君の事が嫌いだからじゃなくて大好きだから、だから結奈ちゃんは怒るんだよ。」
「なんか俺、管理人さんにはいつもそんなことばっか言われてるっすね。」
「そう?」
「そうっすよ。」
そう言って片岡は遠くを見た。
「この間、俺、遙と喧嘩したじゃないっすか。」
「そんなこともあったね。」
「俺、あんな風に人と言い合うの初めてで。あの時は俺、祐二に対する遙の態度に腹が立ったと思ってたんすけど。本当は、自分のことにあれこれ言われるのが腹立ってたんだって気付いたんすよね。あの時は遙が俺のしようとしてること邪魔しようとしてるように感じて、俺のこと否定してるように感じて、それでカッとなったっす。でも。遙の言ってた事って今管理人さんが言ってくれたことと同じようなことなんすよね。いつも管理人さんが言ってくれてたことと同じような意味だったっす。そんでもって、それってずっと結奈に言われてたこととも一緒だった。遙とは喧嘩したけど、結奈とは喧嘩すらしなかった。ただ聞き流して、そんなこと言ったって仕方ないじゃんって、こうするしかないじゃんって、そうじゃないとお前に我慢させなきゃいけないしって。結奈の言葉をずっと聞き流して、聞かないようにして、離れて。離れてれば苛つかせないですむかななんて本当は嘘っすよ。俺は、結奈に色々いわれるのが嫌で逃げただけっす。それで、逃げた先で遙に同じようなこと言われたから、痛いとこ突かれたから、カッとなったっす。俺は自分勝手でダメな兄貴っすね。本当、ダメな兄貴っすよ。」
そうぼやいて力なく笑う片岡を見て、和実はなら謝りに行けば?と言った。
「自分が悪かったって思ったならちゃんと謝れば良いよ。謝って、また一から良いお兄ちゃんやり直せば良いじゃん。」
「やり直したからって、俺、良い兄貴になれるっすかね。」
「なれるよ。だって片岡君は良いお兄ちゃんだもん。ただ少し鈍感で自分勝手で、あとちょっとお人好し過ぎるのが欠点なだけで、今のままでも充分良いお兄ちゃんだよ。」
「なんすかそれ。」
「そう思ったからさ。ポイントはお人好し過ぎるところね。そこがなければ良いお兄ちゃんにはなれなかっただろうし、でもそこがあるから人に心配掛けて気を揉ませて辛い思いさせることになってるんだから。片岡君のわがままは自分のためじゃなくて人のために使うから質が悪いんだよ。もう少し自分のためにわがまましたら周りも安心するんだけどな。」
そう言うと片岡が意味が解らないっすよと言って声を立てて笑って、和実も一緒に笑った。笑い合って、いつもの片岡君に戻ったなと思って和実は安心した。
「管理人さんと話してると気が抜けるというか、肩の力が抜けるというか、いつもホッとするっす。元々逃げてきただけだけど、俺、家を出てきて良かったなって思うっす。管理人さんが声かけてくれて良かったなって。サクラハイムに来て良かったなって。本当、ありがとうございます。」
そう言う片岡を見て和実は彼の頭を撫でた。驚いたような顔をする彼に、片岡君のマネと言って笑う。
「よく言えました。そして、わたしがついてるよって気持ち。片岡君には頼りっぱなしだからね。役に立てるところは立ってみせるよ。片岡君がいきなり話ししたいって言っても今の結奈ちゃんじゃ素直に話聞けないだろうから、二人がちゃんと話ができるように取り持ってみる。コレでもわたし年長者だよ?任せなさい。」
そう言うと片岡が一瞬ポカンとした顔をして、嬉しそうな可笑しそうな顔をして笑いながらお任せするっすと言ってきて、和実は彼の頭をぐしゃぐしゃ撫でた。
「ちょっ、管理人さん何するっすか?」
「思いっきり子供扱いしてやろうかと。片岡君いつも人のこと年下扱いしてくるし、お返し。」
「俺、そこまで年下扱いしてないっすよ。」
「中学生の妹と同列扱いしたくせに何を言う。」
「あ、いや、あれはつい癖で。別に管理人さんを結奈と同一視したわけじゃ。」
「問答無用。人を子供扱いした片岡君なんて更に子供扱いしてやる。わたしが中学生なら片岡君なんて小学生で充分だ。」
そう言いながら更に頭をぐしゃぐしゃにすると、なんすかそれ、本当、意味分からないっす、と言いながら片岡が抵抗してきて、和実は声を立てて笑った。
「あのさ、結奈ちゃんが言ってた変なバイトって何?何かそこがネックな気がするから聞きたいんだけど。」
そう言うと片岡が顔を押さえて、俺の黒歴史っすとぼやいた。
「あんま人に言いたくないというかなんというか。」
「言いたくなければ言わなくてもいいけど。」
そう言うと、あーとかうーとかうなり声を上げて片岡が一つ溜め息を吐いた。
「どうせ俺が言わなくても結奈が言いそうだし、自分で言うっす。下手にあいつから聞いたら管理人さんに誤解されそうでちょっと怖いし。」
片岡が難しい顔をしてそう言って頭を抑えて俯いてまたあーとかうーとか言っているのを見て、和実は彼の言葉の続きを待った。
「本当、俺、バカだったっすよ。高校生の頃は今よりずっと世間知らずでバカだったから、良いバイトがあるって声かけられて、実際時給が良かったし、内容も簡単で、なんも考えずにちょっと、その。女の人とデートするバイトしてたっす。」
そう言って片岡は両手で顔を押さえて蹲った。
「本当、やましい気持ちはなかったっすよ。変なことしてる意識とか全然。女性だけじゃ行きづらいようなお店とかあるから、そういうとこに付き合う仕事だって言われて。タダで遊べて飯も食えるし、更に給料もらえるなんて良い仕事だなって最初は思ってたっす。でも、バイト中の俺を同級生が目撃してて、お前見かけによらずやるなとか言われて、最初はよくわかってなかったんすけど、だんだんコレってなんか変な目で見られてるなって解ってきて。バイト中もトラブルがあったりして、自分の性には合わないし割も合わないなって辞めたっす。でも、俺が彼女とっかえひっかえしてるとか何股もかけてるとか、彼女たちに貢がせまくってるとか、そういう噂が結奈の耳にまで入っちゃって。それで、めちゃくちゃ罵倒されたっすよ。誤解だって説明したら、それってつまりみな兄は援交してたって事でしょって言われて。暫く口もきいてもらえなかったし、顔合わせると汚物を見るような目で睨まれて・・・。そんな自覚なかったけど俺のしてたことってそういうことだったのかなって。どうにか俺が自覚してなかったって理解してくれてそういうバイトはもう絶対しないって約束して、それでなんとか許してもらったっすけど。」
「あー。それで・・・。」
「そんなことしてたとか、やっぱ、軽蔑するっすよね。」
「軽蔑するというか、何というか。まぁ、ドンマイ。」
そう言うと片岡が俯いたまま何も言わなくなって和実はどうしようと思った。
「ドンマイって。管理人さんは軽蔑しないっすか?こんなこと言って本当はやましいことしてたんじゃないかとか思わないっすか?」
恐る恐ると言った様子で少し顔を上げて胡乱げな視線を向けてそういう片岡を見て、和実は軽蔑するも何もわたし今の片岡君しか知らないしと呟いた。
「複数の女の子手玉にとって貢がせてる片岡君とか全く想像できないし。言ってる通りなんだろうなとしか。まぁ、でも、片岡君にカモられないようには注意しとく。」
そう言って笑うと、片岡が眉根を寄せてなんとも言えない顔をして、和実は声を立てて笑った。
「なんだかんだ言ってもまだ二ヶ月程度の付き合いだもん、解らないよ。わたしだってさ、本当は片岡君が思ってるような人じゃないかもよ?ものすごい悪い奴かもしれないよ?でも今は、今この時互いが思ってる互いのことしか知らないから。だからさ。勝手に相手のことあれこれ考えて、今知らない相手のことを知ったときそれを否定するのは違うと思うんだ。どんな過去があったって、どんな秘密があたって、今目の前にいるその人はその人で、自分とその人が過ごしてきた時間が変わるわけじゃないし。わたしが片岡君に感謝してることも、いつも助けてもらってるぶんお返ししたいなとか、少しは頼りにして欲しいなって思ってることも変わらないからさ。だから昔どうだったとかそれはどうでもいいよ。わたしだって何も恥ずかしい過去や間違えちゃったなって選択がなかったわけじゃないし。今が猫被ってるだけなら、本性はそのうちでてくるでしょ。片岡君の事軽蔑したりするのは、実際に片岡君が軽蔑するような相手だったって知ってからで良いと思うよ。だから今は、今目の前にいるわたしの知ってる片岡君を信じるよ。」
そう言うと片岡がハッとした顔をしてこちらを見て、目が合って、和実は彼に微笑みかけた。片岡の目がすっと細くなって彼の顔にも笑みが広がる。
「俺、管理人さんの信用を裏切らないように頑張るっす。これからもよろしくお願いします。」
「こちらこそよろしくね。」
そう言い合って、そのまま暫く公園のベンチで過ごして、二人はサクラハイムへの帰路についた。
○ ○
「兄貴、帰ってたっすか?」
久しぶりに実家に帰って、リビングに兄の姿を見て、片岡は不思議な気分になった。独り立ちをしてから全然帰ってきたことがない兄が家にいる。そんなことは本当に久しぶりなのに、そこに兄がいることがあまりにも自然で全然浮いていなくて、兄が家にいることが当たり前に感じる自分がいて、その感覚に片岡は戸惑った。
「母さんの転院手続きの件で父さんに書いてもらう書類があってな。」
兄のその言葉を聞いて疑問符を浮かべる。
「聞いてなかったか?母さんの病気を研究しているところがあって、何年か前に治療法が治験段階に入ってな。治験に応募してたんだ。第一段階の時はあぶれたが、今回受けられることになって、それでその研究所と共同研究している大学病院に転院することになった。」
「治験って、ようは実験台じゃないっすか。母さんを実験台に差し出すっすか?このままでも命に別状はないのに、ムリに治療しなくたって。」
「それを母さんが良しとすると思うか?このまま寝たきりで、家族に負担掛けたままで。」
そう言われると返す言葉がなくて片岡は黙り込んだ。
「治験を受ければ入院費や回復の見込みがない治療法への医療費負担もなくなる。今は母さんや父さんの実家からも援助もらってるけど、いつまでもじーちゃん達からの収入は見込めないぞ。それを当てにしないで母さんの治療を続けるのはムリだ。俺たちにも未来がある。母さん一人に金は注ぎ込めない。」
「そんな言い方しなくても・・・。」
「現実を見ろ。お前一人が頑張ってこれからもどうにかし続ける事ができると思うのか?それともお前は、自分が当たり前に自己犠牲で家族を支えるから、他の家族も当たり前に自己犠牲で家族を支えろって言うのか?母さんのために自分の人生を棒に振れと暖人や結奈に言えるのか?」
別に兄は声を荒立てた分けでもないのに、その言葉が重くて片岡は歯を食いしばった。
「どこかで現実を認識して根を上げるかと思っていたが、お前は本当に頑固だな。そんなに頑張りすぎてお前まで母さんみたいに倒れるようなことがあったら、母さんみたいに起きてこなくなったらどうしようって、結奈がいつも心配して不安がってたぞ。」
存外に優しい声音でそう言われて、片岡は胸が苦しくなった。
「兄貴はずっと結奈と連絡とってたっすか?」
「何かあればな。最近だと、お前が家出て帰ってこないどうしようって電話があった。結奈には心配しなくても良いとは言っておいたんだが、何も聞いてないのか?」
「何って、何っすか?」
「母さんの転院の件もだが、結奈の進学資金の件とか。」
「どういう意味っすか?」
「母さんがああなった時点で、もしもに備えてできる事は色々準備してたってことだ。正直、父さんはああいう人だから当てにはならないしな。父さんは一回痛い目見ないと自分ができないって認識できないし、痛い目見ないと家出てる俺や幼い結奈に家計握らせないだろうなと思って放置したんだが。案の定家計を破綻させただろ?お前は自分のことは自分でなんとかするし別に俺が何かしなくても大丈夫だと思っていたが、暖人と結奈には援助が必要だと思ってな。社会人になってからずっとそれようで貯蓄してた。流石に父さんの失業からの収入減は予想外だったが、お前達が切り詰めてくれてるおかげで生活には支障ないしな。つまり、お前は自分のことだけちゃんとしてれば、他は気にしなくてもいいんだよ、別に。暖人も結奈も自分のことは自分でできる。どうしても自分だけじゃどうにもできないとこだけ助けてやればいい。実際、お前が家出てったって家の中は回ってるだろ?」
そう言われて、少しムッとしたものの不思議と怒りは湧いてこなかった。これも遙と喧嘩して、管理人さんと話ししたおかげっすかね。そんなことを考えて片岡は不思議な気分になった。兄の話しを聞いて、俺が今までしてきた事ってほんと無駄でただの独り相撲だったのかと気落ちしそうになるのに、不思議とそこまでショックでもない自分がいて、片岡はとりあえず笑った。
「兄貴はいつも言葉が足りないっす。俺はバカだから、そんなの言ってくれなきゃわかんないっすよ。正直、兄貴はいつも何考えてんだかわかんないし。社会人でけっこう良い稼ぎしてるくせに全然家のこと助けてくんねーって、何も知らずに一人で怒ってて、俺、バカみたいじゃないっすか。」
「あぁ、悪い。でも、お前もそう思ってるならそう言えよ。何も言わないから問題ないと思ってた。何一人で意地張って無茶してんだかとは思っていたが、でもまぁ、そのうち一人じゃムリだって気付いてやめるかと考えてな。がむしゃらになってるとこに水を差すようなこと言ってもどうせ耳貸さないだろうし、何か言ってきたらその時言えばいいかと思ってた。」
そう言って兄が少し困ったような顔をして、人とコミュニケーションをとるのが苦手なんだと付け加えて、片岡は意外な気がした。
「兄貴にも苦手な事ってあったっすか。」
「あるに決まってるだろ。」
当たり前のようにそう言う兄を見て、片岡は、そうっすね、そうっすよねと呟いた。
「俺、本当、目の前の自分が考えられるだけのことだけ見てて、全然周り見てなかったんすね。兄貴のことも結奈のことも全然解ってなかったっす。ごめん。」
そう俺は全然周りを見てこなかった、人の話を聞いてこなかった、人に怒っといて、本当は一番相手を蔑ろにしてきたのは自分だったかもしれない。そんなことを考えて片岡は苦しくなった。
「家を出てお前は変わったな。」
そう言う兄の声が聞こえて顔を上げる。
「お前はおっとりしてそうに見えて、兄弟の中じゃ一番頑固で意地っ張りできかん坊だからな。でも今は少し丸くなった気がする。外に出ていい刺激があったんだろ。良かったな。」
そう言って兄が優しく微笑んできて、片岡はなんとも言えない気持ちになった。そういえば兄貴はいつもそうだったな。普段あんましゃべらないし、何考えてるかよくわからないけど、いざという時にはいつだって必要なところにいる。ほらなんとかなっただろって、いつもと変わらない様子で笑いかけてくる。そっか、昔から俺、兄貴に助けてもらってたんすね。まるで自分で何でもしてきたように思ってたけど、本当は兄貴が裏で色々してくれてたから、支えてくれてたから・・・。
「兄貴。いつも色々ありがとう。やっぱ兄貴は凄いっす。俺は兄貴みたいにはできないっすよ。結局いつも最後は全部兄貴がなんとかしてくれてて。俺は本当ダメっすね。」
「別に同じ事ができなくても良いだろ。俺にはお前と同じ事はできないしな。俺はいつも湊人は凄いなと思ってたぞ。お前がいてくれれば安心だって思って、俺は自分にできる事だけやっていれば良かったしな。」
そう言われて驚きで目を見開く。
「つまり俺もお前も家族のために自分のできる事をしてただけだ。どっちが良いとか悪いとかないだろ。全くお前は極端だな。ちょっと妹と喧嘩したくらいで自分を全否定するな。暖人も結奈も何かがあれば俺を頼ってくるが、結局俺とお前なら二人ともお前に懐いてるだろ。お前と違ってあいつらはそこんとこ要領がいいからな、結局俺は都合よく使われてるだけだ。お前もたまには弟らしく頼ってこい。」
そう言って頭をぐしゃっと撫でられて片岡は笑った。
それからまた少し、兄と今まで話してこなかったような話しをして、リビングを離れ、片岡は結奈の部屋の前で立ち止まった。ノックしようとして、何をどう話せば良いのか解らなくて、少し躊躇って。意を決してノックする。
「結奈、いるっすか?」
そう声を掛け、返事を待つ。暫く待っても返事は返ってこなくて、でも部屋の中に確かに人がいる気配を感じて、片岡はドアに額を付けた。
「結奈。色々悪かったっす。さっき兄貴とも話したんすけど、俺、本当何も解ってなくて。ずっと、お前の話しちゃんと聞いてやらなくて、お前の気持ちちゃんと受け止めてやらなくて。本当ごめん。」
その先何と言えば良いのか解らなくて片岡は目を閉じた。言いたい事は沢山ある。伝えなきゃいけないことも。でも、それを相手に届くように伝えるための言葉が思いつかない。
「みな兄が人の話し聞かないのも分からず屋なのも今始まったことじゃないし。」
ドア越しにそんな結奈の声が聞こえて、片岡は胸が痛くなって、本当ごめんと呟いた。
「それでもみな兄がわたし達のために頑張ってくれてるんだって解ってたから。ただ、いつまでも子供扱いされて過保護にされるのが嫌だったの。できる事もやらせてくれなくて、みな兄が一人で頑張って、そういうのが嫌だった。はる兄はさ、あれはみな兄の趣味みたいなもんなんだし好きにさせとけばとか言うし、ゆう兄はどうせあいつは言っても聞かないから自分で気付くまで好きにさせとけとか言うし。みな兄は本当頑固で話し聞いてくれないし。みな兄に余計な負担掛けたくなくて、自分のことは自分でしようって思っても、何かあるとみな兄すぐ気付いて、それで、結局わたしがちゃんと話すまで離してくれないし。いつもヘラヘラしててさ。いつも自分のことは二の次で。勝手に頑張って、勝手にどんどん自分の負担増やして。それでも変わらずいつもヘラヘラしてて。全然弱み見せてくれなくて。頼ってくれなくて。本当、みな兄なんて大っ嫌い。」
「ごめん。」
「甘えたくないのに甘やかしてきてさ。本当、嫌だ。」
「ごめん。」
「わたしはただ、みな兄に一人で頑張って欲しくなかっただけなの。なのにさ、みな兄出てっちゃうし、帰ってこないし。ゆう兄に相談したら、お金の心配しなくても大丈夫だって。みな兄が頑張らなくても大丈夫だって言ってたから、それが解ればみな兄、帰ってきてくれるかなって。それが解れば、みな兄も少しは自分のためにお金や時間使えるようになるかなって。でもみな兄のことだから余裕ができたぶんまた違うことに使いそうだなとか、そういうの嫌だなって。でも、とりあえず増やしたバイトは減らして少しは休めるかなって。それで、その話ししに会いに行って・・・。」
「本当、悪かったっす。本当、ごめん。」
「みな兄なんて嫌い。みな兄、家出てってたんだから、もうそのまま帰ってこなければいいんだ。自分のことだけして、家のことなんか忘れちゃえばいいんだ。そうすれば、わたしもみな兄のこと考えなくても良いし、みな兄だってわたし達のこと気にしなくてもすむし。頑張らなくても良いし。みな兄なんて大っ嫌い。本当、大っ嫌い。」
そう言う結奈の声が震えて泣いているようで、片岡は胸が苦しくなった。
「本当、ごめん。今まで本当にごめんな。でも、帰ってこなくていいなんて、忘れちゃえばいいなんて、そんなこと言うのはやめて欲しいっす。さすがにそれはきついって。嫌われるのはしょうがないなって思うけど。でも。俺は家族でいたいっすよ。これからも家族でいたいっす。俺が悪かったから、本当、ずっと俺が悪かったから、これからも家族でいさせて。これからはちゃんとするから。ちゃんと話しも聞くし、逃げたりしないから。だからお願いっす。俺にもう一回チャンスくれないっすか?」
そう言う自分の声も震えていて、片岡は苦笑した。あぁ、俺は本当に情けなくてどうしようもないと思う。
ガツンと額に衝撃が走って、片岡は痛てっと声を上げた。
「みな兄じゃま。」
少し空いたドアの隙間から結奈が睨んできて片岡はごめんと呟いた。
「しかたがないからチャンスあげる。でも、家には戻ってこなくていいから。」
そう言われて、言われている意味が解らなくて片岡は疑問符を浮かべた。
「戻ってこなくても良いけど、たまには帰ってきて。」
そう言われて、サクラハイムにそのままいろって事かと納得する。
「わたしもついカッとなってみな兄の話し聞かないで酷いこと言っちゃたし。チャンスあげるからそれで相殺ね。和実さんにも迷惑掛けちゃったし、半分は和実さんの顔立ててだから。本当なら許してあげないけど、和実さんが許してあげてって言うから。だから特別にチャンスあげるんだからね。和実さんに感謝しなよ。」
「本当、管理人さんには頭上がらないっす。」
「和実さんに見張っててもらうから、みな兄がちゃんとしてなかったらすぐ解るんだからね。」
「俺の知らない間にすっかり管理人さんと仲良しになったっすね。」
そう言うと結奈にじっと見られて片岡は疑問符を浮かべた。
「どうかしたっすか?」
「何でもない。ちょっと今、みな兄が見たことない顔してたから。」
そう言われてますます訳がわからなくなる。でも、そう言う結奈がどこか嬉しそうな顔をしていて片岡もなんとなく嬉しくなった。これから、ここからまたやり直すっす。チャンスをもらったんすから、今度こそ間違えないように。もし間違えてもそのまま突っ走ってかないように。ちゃんと周りを見て、人を頼って、自分のことも大切にして。俺は一人じゃないっすから。そう思って片岡は小さく笑った。