第一章 入居者あつめ
勢いで管理人を勤めることになってしまったアパートで、西口和実は一人悩んでいた。
四月までに全五室中四室を埋めなくてはいけない。現在、一室は入居者がいるから、最低三人。いや、唯一の入居者である風間君は二人部屋の家賃を一人で払うのはムリだといっていたから、彼のルームメイトも含めて最低四人か。四人くらいならどうにかなるかな、今丁度新生活に向けた引っ越しの季節だし。いや、普通、引っ越しのけっこう前から物件の目星はつけてるだろうからどうだろう。沿線から少しズレてるけどアクセス悪くないし、近場に商店街や少し行けばショッピングモールもあるし、結構便利な所な気がするけど。そもそもどうやって入居者って集めれば良いんだろ。とりあえず入居者募集の張り紙でもしてみる?そんなことを考えて和実は適当に張り紙を作って貼り出し、それを眺めながら松岡に相談してみようと思い立って彼のいる不動産屋へ行くことに決めた。
松岡不動産を訪ね用件を伝えると、何故か松岡に褒められて和実は怪訝な顔をした。
「いや、真面目にやる気があるみたいで良かったと思ってな。」
そう言われて更に訳がわからなくなる。
「そもそも、まず入居者見付ける前に家賃設定しねーとな。ちょっと待ってろ。」
そう言って松岡が棚からファイルを持ち出して、寮だったときの寮賃での収入額やそこから差し引かれるべき、土地家屋の維持費、光熱費などを含む年間の必要経費などを説明し、維持するだけなら家賃据え置きでもいいが、お前の食い扶持稼ぐ事も考えると家賃あげないとキツいぞ等と言いながら頭を悩ます姿を見て、和実はやっぱこの人はいい人だなと思った。
「うーん。やっぱ据え置きじゃ維持するだけも厳しいか。この家賃でどうにかなってたのは寮だったからだな。朝食、夕食、入浴時間から消灯時間まできっちり管理されてたから、無駄な光熱費がかからなかったが、シェアハウスとなるとそうはいかないだろう。いくらこの辺は湧き水引いてるおかげで水道代はいくら使っても一律とはいえ、他は使えば使った分金かかるしな。風間は今の家賃でもともと契約してるから契約期限内は据え置きにするにしても、新しく入居する奴はそれなりに上乗せしないと。朝夕の食費込みだったの食費は別払いにするとかにしてもな。後はどっか削れるとこがあれば削って・・・。」
そんなことをぶつぶつ言って、松岡は何かを思い出したように和実を見た。
「そういやお前、年いくつだ?学校や仕事があるんじゃないか?あそこの管理人なんてやってるヒマあるのか?」
そう言われて和実は目を逸らしながら、二十三ですと答えた。
「大学卒業してから就職せずにフリーターしてた身なので。バイトも登録制で、空いてる日を入れなきゃ仕事が入らないので大丈夫です。」
そう言うと、何だ親のすねかじりかと言われて苦い思いがする。まぁ、間違ってはいない。実際バイト代も自分に必要な物を購入するためにだけ使って食費さえ実家に入れた事はないし。親に養ってもらって生活が成り立っていたのは確かだが、でも、ニートじゃないだけましでしょなんて心の中で言い訳をして、それが言い訳だと自分でも解っているから余計苦しくなった。
「なら丁度良い。やる気になったなら、そのまま管理人を本職にして自立しちまえ。解んねーことは教えてやるし手助けもしてやるから、やれるだけやってみろ。」
真顔で松岡にそう言われて和実はなんとも言えない気分になった。
「縁ってのは何処に転がってるのか解らないしな。チャンスは掴まないと損するぞ。」
そう言って松岡が分厚いファイルを渡してきて、和実はそれを受け取りよろめいた。修理が必要なときはここに連絡しろだとか、家賃設定はとりあえずこんくらいにしとくかとか色々言われ頭が追いついていかなかったが、言われるがままに相槌だけ打ってどうにかやり過ごした。
「不動産情報はうちのHPや店頭にも出しとくから、入居希望者が来たら連絡入れる。後は自力で頑張れよ。」
そう言って追い出されて、和実は空を仰いだ。頑張れって言われても何を頑張れば良いんだろ。そう思う。やれるだけやってみろって言われても、そうも思う。
アパートに戻ると張り出したチラシの前に人が立っていて、和実は思わず入居希望ですかと声を掛けていた。驚いた様子で振り向いた青年にここの管理人であることを伝えると、青年がホッとしたように微笑んで、和実は人がよさそうな人だなと思った。
「いや、引っ越し先探してるっちゃ探してるんすけど、ここにするかどうかは。ちょっとチラシの一日二食つきって文字が目に入ってつい見ちゃったんですけど、家賃とか書いてないし、それで釣って話し聞きに行ったら高い家賃で契約させられるとかだったら怖いなとか考えちゃって、連絡しようかどうか迷ってたとこっす。」
そう言われ和実はハッとして、あ、そうか、家賃入れないとダメだよねと声に出し、笑われて恥ずかしくなった。
「このイラストあなたが描いたんですか?」
張り紙の端に描かれたイラストを指しながらそう訊かれて、更に恥ずかしくなって和実はそうだけどと小さく呟いた。あまりにもスペースが空いてたから穴埋めにちょろっと何かと思って描いたが、自分が描いたものだと人に知られるとなんか恥ずかしい。でも、だからってこんなことで嘘つくのもおかしいし。
「なんか人柄が出てるって言うか。和む絵っすね。あなたみたいな人が管理人ならそんな怖いこと起きなそうだし、詳しい話し聞かせてもらっても良いっすか?」
柔和な笑みと優しい声でそう言われて、和実は顔を上げてもちろんと言って笑った。敷地内に案内して、玄関の立て札を見て青年がここ学生寮なんすねと呟くのを聞いて、和実は苦笑しながら事情を話した。
「なるほど、それで二食付き。張り紙にはアパートって書いてあったっすけど、アパートって言うより学生寮感覚のシュアハウスなんすね。」
「そう。一階に食堂兼談話室とお風呂、洗濯室、管理人室があって、二階に入居者の部屋と倉庫があるんだけど・・・。」
そんな話をしながら中を案内して、結構綺麗っすねとか、広いっすねなんて感心したように呟きながらきょろきょろしている青年の様子が面白くて、和実は心が和んだ。なんか人が良さそうだし、こういう人が入居してくれるといいんだけどな。そんなことを考えていると、青年に家賃のことを聞かれて、和実はそうだったと思った。
「えっと、一応こんな感じで考えてるんだけど・・・。」
そう言いながら松岡の所で決めた事柄を説明して、考えてるってなんすかと突っ込まれて、和実は笑ってごまかした。
「いや、実は、シェアハウスにするって決まったの昨日の話で。色々、細かいことはこれからな部分が多くて。家賃の件もさっき不動産屋さんと話ししてきたばかりなの。」
「じゃあ、まだ入居者誰もいないんすか?」
「いや、ここが学生寮だった時からいる風間祐二君って子が一号室に入ってるけど。」
さすがに四月までに四部屋入居者で埋めないと追い出されるとは言えない。そんなことを考えながら、和実は良かったらここの入居者第二号になってくれないかなと青年に訊いてみた。
「うーん。でも、一人の場合一部屋分丸々家賃かかるんですよね。家賃に食費は含まれないって話しだし。水道光熱費込みでこの値段ならかなり安いけど。でも、こんな広くなくても良いし、雨風さえしのげればどんなとこでも良いからできるだけ家賃抑えたいしな・・・。」
「なら、今いる子と同室でどうかな?シェアハウスに変わるに当たって家賃が変わったんだけど、その子一人で一部屋分の家賃払うのキツいって言って、ルームメイト探してて。もしお互いが大丈夫なら、その子と一緒の部屋使えば家賃も半額だし。」
和実のその提案に青年が目を輝かした。
「マジっすか。それなら超助かるっす。こんな好条件の物件なんて絶対ないっすから。」
「じゃあ、風間君が帰ってきたら話してみよう。そういえば、あなた時間大丈夫?」
「あ、大丈夫っす。俺、晴洋大学の一年生なんすけど、大学はもう春休みっすから。」
そう言って、青年はハッとして、自己紹介がまだでしたねと言って恥ずかしそうに笑った。
「俺、片岡湊人っていいます。よろしくお願いしますね。管理人さん。」
そう言って片岡は、さっそく相談なんすけどと真剣な目を和実に向けた。
「食費もう少し抑えられないっすか。一日二食ちゃんとした飯が食えるって言うのはありがたいんすけど、一食五百円はちょっと。せめて四百円。できれば三百円くらいに・・・。」
「そうは言われても。これでもかなりぎりぎり・・・。」
「じゃあ、人が少ない内はそれで、人が増えたら減らしていく方向で。まとめ買いで安くできるし。俺、実家で節約生活散々してきたっすから安く食材色々仕入れる術もできるだけ光熱費かけないで調理する術も知ってるんでそういうの教えるし。安売りセールの乗り込みとか、できること何でも手伝うっすから。できるだけ抑えられる所の出費は抑えていく方向でお願いします。」
そう懇願されて、和実は言葉を詰まらせた。更に頭を下げる片岡と無言の鬩ぎ合いになって、そして。折れた。
「解った。実際やってみて、それで賄えそうなら安くするでどうかな?」
「ありがとうございます。節約した分だけ食費が減るなら、俺がんばるっすよ。任せて下さい。」
そう言って片岡に満面の笑顔を向けられて和実はうっ眩しいと思った。この笑顔ずるい。そう思ってモヤモヤする。
「ただいま戻りました。」
そう声がして風間が食堂に現れた。そして片岡の姿を見て大きく目を見開く。
「もしかして新しい入居者の方ですか?」
「一応、その予定。風間君と同室で大丈夫ならだけど。」
「大丈夫。もちろん大丈夫ですよ。うわー。さっそく来てくれたんだ。嬉しいです。俺、風間祐二です。よろしくお願いします。」
全身で喜びを表現しながら、風間がそう片岡に詰め寄って、片岡は自己紹介を返し笑顔でよろしくと応えた。
「この調子ならあと三室もあっという間に埋まるかもしれませんね。三室埋まれば、ここも取り上げられないで俺も卒業までここにいられるし。早く、新しい人来てくれないかな。」
風間のその言葉に、片岡が怪訝そうな顔をして、和実はあちゃーと思った。四月までに人が集まらなかったら、不動産屋さんにこの土地建物返さなきゃいけないなんて言ったら入居してくれないかもしれないから言わなかったのに。
「えっと、どういうことっすか?」
胡乱げな顔で片岡にそう尋ねられ、和実は苦い顔で素直に全部事情を話した。
「マジっすか。じゃあ、ここ四月にはなくなるかもしれないんすか?」
「そうなの。そうなんだけど。四部屋埋まれば大丈夫だから。お願い。やっぱやめたって言わないでここに入居して下さい。お願いします。」
「片岡さんが入居してくれないと俺困るんです。死活問題なんです。俺の卒業がかかってるんですよ。お願いだから入居して下さい。」
「風間君。気持ちは解るけど、そこまで全開で自分の都合押しつけるのはどうかと。」
「えっと。じゃあ。片岡さん、助けて下さい。俺の将来がかかってるんです。」
「卒業がかかってたのが将来がかかってるに変わってるし、さっきより重いじゃん。ここにいられないと風間君どうなっちゃうのよ。」
そんなやりとりをしていると片岡がぷっと吹き出して、大笑いをし始めて、二人は彼を見た。
「俺は別にいいっすよ。入居します。」
そう言われてホッとする。
「俺もできることがあれば全力で協力するっす。四月までに部屋埋まるように頑張りましょう。」
そう言って笑う姿が頼もしく見える。
「まずは、とりあえず立て札変えません?学生寮じゃなくなったのに、下村学園高等学校第二学生寮の札がかかってるのもおかしいっしょ。せっかくだからなんか新しい名前考えて、新しい立て札作っちゃいましょ。」
「いいですねそれ。」
「えっと、確か倉庫に板とかペンキとかあったかも。」
「じゃあ、それ持ってきてさっそく作りましょう。」
そんな話をして、倉庫から道具を出してきて、庭にブルーシートを広げて材料を並べ三人で囲む。
「どんな名前がいいでしょうか?」
「管理人さんは何が良いと思うっすか?」
そう訊かれて和実は考えた。ふと桜の木が視界に入って、さくらと呟く。
「サクラ寮とかどうかな?」
「寮じゃないのに?」
「なんとなくここは寮って言うのが似合うかなと思って。でも、そうだね。寮だと卒業したらお別れの一時的な共同体だもんね。そうじゃなくて、せっかくならもっと長く続くようなのがいいかな。」
「じゃあ、家とかですか?」
「さくらの家?それだとなんか施設臭がするっすね。」
「じゃあ、サクラハイムとかどうかな。桜の木が目印の、皆が帰ってくる家ってことで。」
和実がそう言って、二人がそれいいですねと言って同意する。
「じゃあ今日からここはサクラハイムで。」
そう言って笑い合い、皆でワイワイと話しながら立て札を作った。
『サクラハイムね。いいんじゃね。じゃあ、建物の名称それに変更しとくわ。あと、ちゃんとした契約交わさないとだから、明日にでも片岡って奴連れてこい。』
松岡に電話で報告するとそう言われ、和実は解りましたと答えた。
『新しい入居者が入った以上、やっぱできませんとか言って途中で逃げ出すなんて許さねーぞ。親の拗ね囓って過ごしてた穀潰しに自分のしたことに責任持つって事ができるのか甚だ疑問だが、ちゃんと見張っててやる。自分が言い出してやり出したことの責任ちゃんととってみせろよ。』
そう釘を刺されて和実は言葉を詰まらせた。
『ったく。そこで気張って返事できるくらいになれよ。成人しててもガキだな。自分がやらなくても誰かがやってくれるなんて甘っちょろいこと考えてんじゃねーぞ。お前の代わりはいない。お前がやらなきゃ誰もやらない。人に助けて護ってもらうことばっか当たり前だと思ってねーで、自分が誰かを助け護ることも覚えろよ。それが大人だ。それができない内はお前はガキだ。ガキのままでいるなら、ガキらしく大人の言うこと聞いておとなしくしてろ。大人の事情に口出して、自分で責任とれないことに手出すんじゃねー。責任とれないなら、今すぐ風間や片岡に土下座でもなんでもして、そこをとっとと手放せよ。』
そう追い打ちを掛けられて更に言葉を詰まらせる。
『ったく。言ったことに責任とろうって気はあるみたいでちゃんと人に聞きに来るし自分でも考えて動くくせに、よっしゃやってやるって言う気概もなけりゃ、どっか退け腰だし。ガキ扱いされて怒るわけでもない。発破かけてもろくな反応がなくて肩すかしだ。お前はいったい何したいんだよ。腹決めるならちゃんと腹決めてそれなりの態度見せてみろ。』
そう言って松岡は溜め息を吐いた。
『とりあえず、最初の内は右も左もよく解らないだろ。しばらくは一日一回状況と様子を報告しに来い。ついでに時間あるときはうちの仕事手伝ってけ。勉強になるぞ。働いた分はちゃんとバイト代出してやる。』
そう言われて、ありがとうございますと答えて、和実は電話を切った。
何がしたいんだよ、か。自分はいったい何がしたいんだろう。管理人を引き受けたのは勢いだったと思う。風間君と松岡さんの話が耳に入ってきて、風間君が可哀相に思えて。つまり同情なのかな。同じ同情でも、叔母さんは自分の身銭切って自分の得にまったくならなくても、風間君の卒業を見送ろうとしてたんだよね。それで終わりにしようと思ってたから、それから先に広げるようなことはしなかった。なのに、わたしがその先も続くように広げて・・・。そんなことを考えて、和実は叔母さんの所へ行こうと思った。
翌日、叔母の病室を訪ねると、前回お見舞いに来たときにはなかった管が叔母につながれていて、和実は息を呑んだ。
「あら、和実ちゃんいらっしゃい。寮の方はどうだった?」
そう柔和な笑顔を向けられて苦しくなる。ここ数日であったことを話すと、叔母がそんなことがあったのねと呟いて、困ったように笑った。
「ごめんなさいね。わたしがこんな状態になってしまったから。家賃の振り込みが滞ったから引き上げるなんて、雄三君の嘘よ。」
「それってどういう?」
「祐二君は自分で何でもできるから、寮母がいなくても一年くらいの一人暮らしくらい平気よ。確かに急な入院で今月分の振り込みが期日までにできなかったけど、お見舞いに来てくれたときにちゃんと支払ってるわ。」
「じゃあなんで松岡さんはそんな嘘を吐いて風間君を追い出そうとしてたの?」
和実の問いに叔母は困ったような顔をした。
「雄三君はわたしに手術を受けさせたいのよ。」
「それってどういう意味?」
「私のこの病気ね、治療にはちょっと大きな手術が必要で。それなりにお金もかかるの。そんな余裕はわたしにはないから、受けないでこのままホスピスに移行する予定なんだけど。あそこの契約解除すれば手術受けるくらいの余裕できるだろって言って聞かなくてね。」
穏やかな顔でそういう叔母を見て、和実は胸が詰まった。
「亡くなった夫とわたしの間には子供ができなくて、わたしにとって寮の子達が自分の子供みたいなものだったわ。長い間、寮母として働いて楽しかった。学校が廃校になることが決まって、寮も閉鎖される事になって寂しかったの。そんな時に祐二君が来て、行く場所がないって、どうしても寮に入りたいって言うあの子を見て、ほっとけなくて受け入れたわ。宗太さん。あ、雄三君のお父さんね。彼にも呆れられて色々言われたけど、それでも受け入れた。祐二君との二人暮らしは楽しかったわ。こんなこと言ったら怒られそうだけど、本当に息子ができたみたいで・・・。」
そう言って叔母は本当に愛おしそうに目を細めた。
「手術を受けて成功したとしても元通りには動けないの。最悪寝たきりになってしまう可能性もあるし、それはそれで大変でしょ。このままわたしも夫の所へ行って、お金は先がある若い子のために使った方がいいと思って。」
「そのこと風間君は?」
「お見舞いに来てくれた時に戻れないことは伝えているけれど、手術のことは言ってないわ。寮の件は心配いらないって言っておいたのにそんな事があったんじゃ、わたしの手違いで滞ってしまって余計な心配を掛けたって伝えておいた方がいいのかしら?でも、和実ちゃんが管理してくれるのならもうその必要も無いのかしら。」
そう言う叔母に見つめられて和実は言葉に詰まり、昨晩の松岡の言葉が頭をよぎって、叔母に笑いかけた。
「大丈夫。ちゃんとシェアハウスとして再建できるように頑張るから。だからさ、叔母さん手術受けなよ。で、元通り動けなくても退院したら遊びに来て。きっと風間君も喜ぶから。」
「いいの?和実ちゃん、何かやりたいことがあって頑張ってたんじゃなかった?」
そう言われて胸が苦しくなる。
「大丈夫。管理人やりながらだって夢は追いかけられる。」
そう。本当は解ってた。ただ逃げていただけだって。自分の部屋に引き籠ってただひたすら何かを描いていれば、頑張っているってアピールできたから。他のもは全部投げ出して、それだけに心血注いでるんだって、これだけやってるのに世間が認めてくれないから悪いんだって、言い訳ができたから。頑張ってるアピールしていただけで、本当は親に甘えて養ってもらって、いいかげんにちゃんとしないかという親の言葉や視線から逃げるためにたまにバイトして、また引き籠って。どんどん自分の世界を小さくして。本当はどこでだって夢は追いかけられたのに、本当に必死になってるなら何処へでも飛び出して、世界を広げて、もっと貪欲にもっと色々、夢を叶えるためにできることはあったはずなのに・・・。
「そう。それなら良かった。」
そう言って叔母は本当に安心したように笑った。
「じゃあ和実ちゃん。お言葉に甘えて、寮のことはあなたに任せるわ。よろしくお願いしますね。」
そう言って叔母が深々と頭を下げてきて、和実はその背中をじっと見つめた。このお辞儀にはいったいどれだけの想いが込められているんだろう。わたしはこの重さに応えられるんだろうか。いや、応えなくてはいけない。わたしが自分で決めて、自分で手を出したことなんだから。ちゃんと責任を持たないと。そう思う。
病院を後にして、ふと空を見上げる。何処までも広がる青い空を眺めて、和実はこみあげてきそうな何かを堪えた。
ずっと夢を追いかけてきた。それは追いかけるフリをし続けていただけなのかもしれない。ただ親に甘えて見たくないものから目を逸らして文句だけ言ってるだけの子供だったのかもしれない。わたしは人に見られたら笑われて、バカにされるようなろくでもない奴だったかもしれない。でも、それでもわたしは本当に、夢を持っていたんだ。諦めたくない夢があったんだ。それだけは確かなんだ。諦め切れないけど自分じゃどうせ叶えられないなんていじけて、ろくでもない人間になってただけで、夢を持っているのは事実なんだ。必死になりきれなくても、どっか逃げ道つくってたとしても、それでも、わたしは諦め切れなかったから描き続けてたんだ。ずっと。未来のわたしは新しい何かに目を向けて、違う何かに興味を持って、叶わなかった夢を諦めて、理想とは全然違う自分になるのかもしれない。ずっとそこに向かう一歩を踏み出すのが怖かった。一歩踏み出せば、もう夢と決別しなくてはいけない気がして。でも、自分で言った通り、管理人をしながらだって夢は追いかけられる。何処でだって夢は見れる。だから今は・・・。
そう思って、和実は視線を前に向けて歩き出した。
○ ○
「西口。サクラハイムへの入居希望者が二組現れたぞ。内装を見学したいそうだから、案内してなんとか引き込め。」
松岡にそう言われて、和実はなんとか引き込めって何ですかと呟いた。
「二組とも入居が決まれば、あと一部屋でノルマ達成だ。舞い込んだチャンスをちゃんとものにしないで後があると思ってんのか?」
そう言われると反論する言葉がなくて和実は言葉を詰まらせた。片岡の入居が決まってさい先が良いと思っていたが、その先はそう上手くはいかず、今のところ新しい入居者は0。やはりそうは上手くいかない。見学者はちらほらいるが冷やかしばかりで入居希望者は今のところ0だった。入居希望で来てくれた人を確実に物にできなければ、四月までに部屋は絶対に埋まらない。
「頑張ります。」
「うちの仕事で物件案内のノウハウは身に付いたろ。最初はぐだぐだだったが、最初に比べりゃまともに営業できるようになったから自信持て。」
そう励まされて和実は緊張した。最初よりはまともになったって、一回も契約にこぎつけれたことないけど、大丈夫なのかな。そう思うが、そんなことを言ったら怒られそうで、和実はただ頑張りますと言って、心の中で溜め息を吐いた。
案内をする日取りと希望者の詳細を聞いて資料を受け取り、サクラハイムに戻る。
二組の希望者か。その二組が入居してくれるって言っても、あと一部屋。どうやって見付けたらいいんだろ?やっぱ、なんかアピールしなきゃかな。松岡不動産のHPや店頭貼り出しだけじゃ、その他の中に埋もれちゃうし。その中でも人の目に止まるような何か工夫が必要?でも、うちの物件だけ目立つようになんて許してくれなそうだし。いや、頼むだけ頼んでみようかな・・・。そんなことを考えながら歩いているとサクラハイムが見えてきて、門の前に見知らぬ男性が立っているのが見えて、和実はもしかして入居希望者かなと胸を期待で膨らませた。入居希望者を確実に獲得して且つあの人が入ってくれればこれでノルマ達成。とりあえず一年は首が繋がる。そんなことを考えながら声を掛けようと近づいていって、そこに立っていた男性が思ったよりずっと背が高くて大きくて息を呑んだ。遠目で見ても大きい人だなって思ったけど、近くで見ると凄い迫力。片岡君も背高いけど、この人更に大きいし何か体格も良いし、ちょっと怖いかも。声かけるの止めようかな。そんなことを考えていると、そこに立っていた男性が振り向いて、和実はハッとして入居希望の方ですかと声を掛けていた。
「あ、あぁ。ここアパートなんですね。すみません、門の前なんて邪魔なとこに突っ立てて。」
門の横に張ってある張り紙を見て男性が申し訳なさそうに笑いながらそう言ってきて、和実は、怖そうな人じゃない良かったと思って心の中で胸をなで下ろした。
「あ、俺、こういうものなんですけど。素敵な建物だと思ってつい見入ってしまって・・・。」
恥ずかしそうに笑いながら男性が名刺を差し出してきて、和実はそれを受け取って驚いた。晴洋大学写真部、真田一臣。大学生?わたしより年上だと思ったらまさかの年下。いや、大学って社会人になってから行く人もいるし・・・。
「どうかしました?」
名刺を見ながら固まっていると不思議そうに真田がそう声を掛けてきて、和実は笑ってごまかした。
「いや、ここの入居者に同じ晴洋大学の人がいるから、奇遇だなと思いまして。」
苦しい言い訳だと思うが、それを聞いてなるほどと笑う真田を見てホッとする。後ろ姿を見た時は大きいし威圧感あって怖そうな人かと思ったけど、優しそうな人だな、そう思う。
「えっと、入居希望者じゃないんですよね?」
「すみません。絵になる建物だったので写真撮りたいなって眺めていただけで・・・。」
本当に申し訳なさそうにそう言って、真田が撮影の許可を求めてきて、和実は快く了承した。
「せっかくだから良かったら中も見てって下さい。庭には大きな桜の木があって、階段の作りも凝ってるし、外観だけじゃなくて内装も本当素敵な建物なんですよ。」
そう言うと、真田が本当ですか?ありがとうございますと丁寧にお礼を言いながら柔和に微笑んできて、和実は少しどぎまぎした。なんだろうこの落ち着いた雰囲気。絶対わたしよりしっかりしてそう。いったいこの人いくつなんだろ?これでわたしより年下だったら何か恥ずかしい。そんなことを考えながら敷地内を案内していると、真田が自分を不思議そうに眺めているのに気が付いて、和実は疑問符を浮かべた。
「ちょっと気になったんですけど、だんだん説明が入居案内に移っているんですが、俺、もしかして入居勧められてるんでしょうか?」
そう訊かれてハッとする。
「ごめんなさい。つい癖で。」
焦ってそう言うと真田がおかしそうに笑って、癖なんですねと言ってきて、和実は恥ずかしくなった。
「いや、入居者募集してるのは確かなので、もし興味があるなら改めて入居の案内させてもらっても・・・。」
恥ずかしいついでにこうなったらと営業してみる。
「いや、冗談です。すみません。勧誘とか。そんなつもりで中に入ったわけじゃないのに迷惑ですよね。」
自分の言葉にポカンとした真田を見て、やっぱ勢いで営業とかムリだと必死に弁解していると、優しい笑顔で大丈夫ですよと言われて、和実は恥ずかしくて消えたくなった。
「撮った写真見ます?」
そう言われて、和実は顔を上げて真田を見上げた。真田が横に並んでカメラの画面を見せてきて、そこに映るサクラハイムの風景に息を呑む。
「素敵。真田さんは写真撮るの上手ですね。なんか、人が映ってないのにそこで生活してる人が見えるみたい。凄い。」
そう呟くと、頭上であなたのおかげですよと声がして、和実はえ?と顔を上げ、すぐ近くに微笑む真田の顔があって、うわっと声を上げた。それに真田も驚いてぱっと離れる。
「すみません。カメラ渡せば良かったですね。」
そう困ったように笑いながら肩紐を外してカメラを渡されて、和実はどぎまぎしながらそれを受け取った。高鳴る心臓の音をおさめようと意識をカメラに集中して画面を見る。それにしても、本当に良く撮れてる。見てるだけでなんとなく心か暖かくなってくる気がする。
「あなたの話聞いてたら、なんかここでの生活が目に浮かんでくるようで。それでここの生活を思い浮かべながらシャッター押していたらそんな風に写真が撮れたんです。だから、それが撮れたのはあなたのおかげです。ありがとうございます。」
照れたように笑ってそう言う真田の顔が幼く見えて、和実は、あ、思ったよりやっぱ若いのかもなんて思って笑った。写真にも人柄が出るのかな、きっと真田さんが優しい人だからこんな暖かな写真が撮れるんだろうな。そんなことを考えて、なんとなく写真は長いんですかと訊いてみた。
「いや、写真を始めたのは大学入ってからで、撮り始めてようやく一年近く経つかなってところです。このカメラも先輩に初心者でも使いやすいって教えてもらって購入した感じで全然詳しくないし。構図とか色々教えてもらいなら勉強中です。」
そう言う真田の顔が少し曇ったように見えて、和実はあまりカメラのこと訊かない方がいいのかなと思った。でも、大学入って入部した写真部で始めて一年足らずでこれだけ撮れるようになったなら、余程本人も写真撮るのが好きなんだと思うんだけど。そう思って、一年と言うところに引っかかる。一年足らずって事は、今一回生って事だよね。ってことはこの見た目と落ち着きかたしてて実はまだ未成年って可能性も・・・。
「あの、もしかして、真田さんって未成年だったり・・・。」
どうしても気になって、恐る恐るそう声に出して苦笑される。
「十九歳です。今年二十歳になりますが。」
「あ、ですよね。すいません。真田さん落ち着いてるし、てっきりわたしより年上かと。いや、学生って知って自分より年下だろうなとは思いましたけど。まさか、未成年とは・・・・。」
そう口に出して、しまったと思って和実はひたすらに謝った。
「大丈夫ですよ。昔から老け顔で、年上に見られるのは慣れっこですから。」
笑ってそう言いつつ、目を伏せて溜め息を吐く真田を見て、あ、気にしてるんだと思って更に罪悪感が湧いてくる。
「あ、そうだ。真田さん。真田さんの撮った写真のデータもらって良いですか?張り紙やHPに載せたら、ここの雰囲気が伝わって良い宣伝になるんじゃないかと思って。」
ふと思いついてそう言うと、照れくさそうに俺の撮った写真なんかで良ければと真田が笑って和実はホッとした。こういう顔は幼く見えるな、なんて思ってちょっと親近感が湧いてくる。
玄関のドアが開く音がして、入って来た片岡が、あっと声を上げた。
「真田じゃないっすか。もしかして、真田もここに入居するんすか?」
「いや、ちょっと写真を撮らしてもらってただけで、そういうわけじゃ。ここに入居してる晴大生って片岡だったのか。」
そんな二人のやりとりを見て、和実は友達?と訊いた。
「いや、それほど親しい訳じゃないっすけど。同じ学部の同期っすから。うちの大学学生数少ないから、同じ学部の人ならだいたい知り合いになっちゃうんすよね。下手すると同じキャンパスにある学部の人なら他学部の人や先輩ともだいたい知り合いになれちゃう感じなんす。な?」
そう同意を求められて、真田はそうだなと言って笑った。
「えっと、じゃあ、写真のデータは片岡に送っとけばいいのかな?」
そう言われて片岡が疑問符を浮かべる。
「真田さんが撮った写真を宣伝用に使わせてもらおうかと思って。データもらえないか話して、今OKもらったとこだったの。」
そう補足すると、片岡が納得した様子でなるほどと呟いて、それでいいっすよと言って笑った。
「じゃあ、家に帰ったら片岡のパソコンにメールしとくよ。じゃあ俺はこれで。今日は写真撮らせてもらってありがとうございました。」
そう言って頭を下げて真田が去って行くのを見送って、和実は片岡を見上げた。
「真田さんって真面目そうだし感じのいい人だね。ああいう人が入居してくれるといいんだけどな。片岡君、それとなく勧誘してみない?」
半分冗談のつもりでそう言うと、片岡が難しい顔をして、和実は疑問符を浮かべた。
「どうかしたの?」
「いや。多分、ただの噂だとは思うんで大丈夫だと思うんすけど・・・。」
そう言って言葉を濁す片岡に更に突っ込んで訊いてみると、言い辛そうに、あいつ悪い噂があるんすよねと苦笑するのを見て和実は驚いた。
「いや、悪い噂って言っても、高校時代荒れてたらしいとか、ちょっとヤバい連中と繋がりがあるらしいとかそんな曖昧な話しっすよ。ただ、なんか柄の悪い奴と言い争いしてたって目撃情報もあるし。部活の歓迎会で酔った先輩に絡まれてムリヤリ酒呑まされて、その先輩相手にキレて凄かったらしくて。あまりの柄の悪さと怖さに泣き出しちゃった子もいるって話しもあったり。それが本当だったらちょっと怖いなとか。男ばっかならまだあれっすけど、管理人さんもいるのにそういう噂のある奴を入れるのってどうなんだろうってちょっと思ったんすよ。」
そう言う片岡に心配そうに見つめられて、和実は心配してくれたんだと思って胸が暖かくなった。
「でも、ただの噂なんでしょ?ならそんなに気にすることないんじゃないかな。それに真田さんから入居したいって希望があるわけじゃないから、気になるなら誘わなければ良いだけだし。」
「そうっすね。俺、バイト三昧であんま人付き合いしてないっすから、大学で見かける以外の真田の様子とか良く知らないし。噂も噂でどれが信用できる情報なのかもよく解らないっすから。歓迎会の話しも尾ひれついてそうなっただけで、実際はしつこく絡んできた先輩にちょっとカッとなって怒っちゃったってだけの話しかもしれないし、柄の悪い奴と言い争いしてたってのもただ絡まれてただけかもしれないっすよね。俺の知る限りだと穏やかでけっこう親切だし、悪い奴じゃないんで。もし本人が入居したいって言ってきたらそれはそれで良いっすよ。」
そう言って笑う片岡を見て和実はふと疑問に思った。
「大学に親しい友達はいないの?片岡君、人当たりもいいし友達多そうなのに。」
「課題を助け合ったり、空き時間にちょっと遊んだりする友達はいても、プライベートで遊ぶ様な友達はいないっす。そもそも友達と遊び回るような金も時間もないっすからね、俺。」
全然気にした風でもなくさらっと明るい口調で片岡にそう言われ、和実は何と返せば良いのか解らなかった。
「そういえば片岡君かなりバイト掛け持ちしてるみたいだけど、その稼いだお金は何に使ってるの?」
「自分の生活費の他は全部実家に仕送りっすよ。うちビンボーっすから。まだ俺の下に高校生の弟と今年受験生の妹がいるんすけど。兄貴は社会人で、結構良い会社入って稼いでるくせに一円も家に入れないし、母さんは働けないし。運が悪いことに、去年父さんが働いてた会社が倒産して、どうにか再就職はできたんですけど給料前より良くなくて。前からビンボーっちゃビンボーだったけど、まだ切り詰めればなんとかなる感じだったんすけど、ちょっと妹を高校に行かせるのも厳しいかなって状況になって。でも、俺と兄貴は大学までいかせてもらって、すぐ上の兄ちゃんも高校行ってて、妹に我慢しろとか言えないじゃないっすか。正直、俺より妹の方が頭良いのに、俺が大学行けてあいつが中卒とかありえないし。で、俺がマイナス分補うのにバイト数増やしたら、そういうのが妹にとって負担だったらしくてキレられて。色々考えて家出ることにしたっす。バイト減らす気もないし、なら、まだ視界に入らなきゃ負担にならないかなって。妹の受験が終わって入学金の支払いまで終えたら、後は妹自身もバイトできるようになるし、俺がそこまで頑張る必要も無くなるんすけどね。」
そう言って朗らかに笑う片岡を見て、和実は良いお兄ちゃんなんだねと言って笑った。
「それであんなに値切り交渉必死だったんだ。」
「食事当番すればその回の食事代タダって条件付けてもらったおかげで、朝夕ほぼタダ飯にありつけてますしね。マジ助かってます。ありがとうございます。」
そう言って笑う片岡を見て、和実は凄いなと思った。片岡君のためにもなんとか四月までに四部屋埋めないと。ここにいられなくなったら片岡君困るだろうし。そう思って、和実は自分に気合いを入れた。
「なんか、片岡君見てると自分も頑張らなきゃなって思えてくるよ。よし、入居者確保頑張るぞ。とりあえずは、入居希望の見学者二組を確実にゲットしないと。」
「え?二組入居希望があったんすか?すごいじゃないっすか。その人達が入ってくれればあと一部屋で目標達成っすね。なんかゴールが見えてきましたね。」
そうテンションをあげて片岡が両手を出してきて、和実はそれにタッチした。
「だから真田さんとかどうかなって思ったんだ。この勢いで入居者ゲットできればラッキーみたいな。」
「管理人さんも図太くなってきたっすね。でも、その勢いは大事かもしれないっす。なんか自分にできることがあったら言って下さいね。」
そう言って笑う片岡に和実も笑ってありがとうと言った。
○ ○
「へー。バカみたいに家賃安いし、もっとぼろい建物なのかと思ってたけど、結構綺麗じゃん。」
「何かドラマとかに出てきそうな建物だな。ちょっと堅っ苦しそうで俺、苦手かも。」
サクラハイムを見学しながらそんなことを話す中学三年生二人組に、和実は心の中で苦笑しつつ笑顔で接客していた。入居希望の一組目。四月から高校に入学するに当たって実家を出ることにしたという、柏木遙と楠城浩太の幼馴染み二人組。親御さんも一緒に来る予定になっていたのに何故か子供だけできて好き放題言う彼らを見て、和実は正直どう接客すれば良いのか解らず困っていた。我慢しろ、わたし。契約は親御さんでも、実際に住むのはこの子達なんだから。この子達に入りたいって思ってもらえないと、ここでこの話はなしってこともあり得るわけで・・・。そんなことを考えながら敷地内を案内していく。
「うわっ。すげー。風呂、ちょーでけー。」
「うるさい。風呂が広いからって何はしゃいでんの。バカじゃない。」
「いや、こんだけでかいとテンション上がらない?ここ、泳げそう。泳いでみても良いかな?」
「やめろ。風呂は泳ぐとこじゃないから。実際入居したら他の住人もいるわけだし、迷惑だから。ってか、広いから泳ぐとか小学生かお前は。いや、頭の中が小学生で止まってるから、バカ高にしか受かんなかったんだよね。お前でも入れる高校があって良かったね。」
「うわっ、遙ちゃんひどい。」
「事実でしょ。バカすぎて、バカ高ですら卒業できませんでしたとかなったら本当笑えないから。遊んでばっかいないで少しは勉強しなよ。で、大学はもう少しマシなとこいけ。じゃないとこの先就職すら危ういぞ。」
「え?高校入学する前からそんな先の話するの?」
「今からでも遅いぐらい。」
「マジで?冗談じゃなくて?」
「冗談じゃない。それだけお前の脳味噌は壊滅的だって自覚しろ。そして焦れ。」
「そんな・・・。」
そう言って本気で衝撃を受けたように落ち込む浩太と、それを小馬鹿にした様に見下ろす遙のやりとりを見ていて、和実は思わず笑ってしまった。そして遙に何笑ってるの?と冷たいし線を向けられて固まる。
「いや、二人が楽しそうだなって思って。二人は本当に仲が良いんだね。」
そう言うと、遙がふーんと興味なさそうに言いつつ少し嬉しそうに笑うのを見て、和実は、あ、ちょっとかわいいかもと思った。そしてしみじみと遙の顔を見て、遙君って顔立ち整ってるよな、男の子なのに肌綺麗だし羨ましいなんて思って、なに人の顔じろじろ見てんの?と睨まれて、和実はハッとして謝った。
「いや、遙君、男の子なのに肌綺麗だし羨ましいなって思って。何か対策してるの?」
そう訊くと遙が嫌そうな顔をして、もしかして訊いちゃまずいこと訊いたかなと思って和実は冷や汗をかいた。
「だから実家出たいんだよ。」
そんな遙の呟きに和実は疑問符を浮かべた。
「小さい頃から姉さん達におもちゃにされて女の子の服着せさせられたりして、小さい頃は完全に家の中でも外でも女の格好させられてたし。今でも、色々スキンケアとか試させられたり、こんだけ背でかくなって声変わりもしたのに休日に捕まると女装させられて連れ回されるとか信じられる?」
「いいじゃん。遙ちゃん美人だし、似合ってるし。」
「はぁ?浩太。お前、本気で言ってんの?じゃあ、お前やってみろよ。女と間違われてナンパされるのもキツいのに、男だってバレたら変態扱いされて罵倒されたりすることもあるんだぞ。姉さん達、トイレ行ってくるから待っててとか言って俺に荷物番させてわざと一人にして、俺が男に声かけられるの見て楽しんでるし。本当、最悪。」
本当に嫌そうにそう吐き捨てる遙を見て、ちょっと女装姿見てみたいとか思ったけど黙ってようなんて考えながら和実は二人の口喧嘩を笑って眺めていた。
「でも、遙ちゃんそういうの嫌いじゃないよね?女性向けのファッション誌とか楽しそうに見てるじゃん。」
「まぁ、コーディネートとか考えるのは嫌いじゃないし、服飾デザイナー志望だし。そういうの見るのは勉強にもなるから結構好きだけど。それと女装して外歩き回るのとは別だから。」
そう言って遙が和実を見て、あんたはファッションとかあんま気にしなさそうだねと呟いた。
「スキンケアとか気になるなら今度教えてあげてもいいけど。姉さん達のせいで色々詳しいし。」
「ありがとう。」
「ついでに彼氏とのデートに着てく服とか選んであげようか?綺麗系でもかわいい系でも、ちゃんとあんたが見栄えするようにできる自信あるよ。」
そう言って遙がからかうように笑ってきて、和実は顔が熱くなった。
「結構です。彼氏とかいないし、デートする予定もないから。」
「じゃあ、よけい女磨きした方がいいんじゃない?」
「余計なお世話です。」
そう返すと笑われて和実はムッとなった。なんだろう。わたし中学生相手に完全に遊ばれてる気がする。
「大丈夫。管理人さん普通にかわいいよ。彼氏なんてすぐできるって。遙ちゃんの言うことは気にしなくていいからね。」
そう顔を覗き込んで声を掛けてくる浩太がフェローをしてくれてるんだと感じるが、中学生にこんなこと言われる自分ってどうなんだろうと思って和実はモヤモヤした。そしてふと浩太の顔を見て疑問符を浮かべる。
「よく見ると浩太君の目って薄茶に光彩かかってて綺麗だね。あと、その金髪って染めてるのかと思ったけど、もしかして地毛?」
そうやって、綺麗だねとしみじみと見ていると、浩太が顔を赤くして後ろに飛び退って、和実は疑問符を浮かべた。
「浩太、これでもハーフだから。完全東洋系の顔なのに色素だけ母親似で、見た目が完全にただのヤンキーっていう残念ハーフだけど。弟と妹は普通にハーフだなって顔してるのに、なんで浩太だけこうなったんだろうね。」
どうでもよさそうに遙がそう言って和実を見る。
「さっき食事当番がどうとか言ってたけど、食事当番しなきゃダメなの?」
「食事当番すればその回の食費がタダになるってだけで、別にしなくても大丈夫だよ。」
「だって。良かったね、料理できなくても大丈夫そうで。」
「本当、良かった。料理しろなんて言われたら俺どうしようかと思った。」
「なら問題解決だし、ここでいい?」
「俺は別に良いよ。最初見たときはちょっと威圧感ある建物でうげって思ったけど、この管理人さんが住み込みなら、そんな堅っ苦しそうでもないし。」
「じゃあ、決まりね。ってことだから、よろしく。」
そう遙に話しをふられて和実は、はぁと間抜けな返事をして、えー?と声を上げた。
「何?何か問題でもあるの。」
「いや。親御さんに確認とらなくてもいいの?」
「ここ見付けたの親だし平気じゃない?実家出たいって言ったら、一人暮らしはダメって言われたから浩太誘ってルームシェアすることにしたんだけど。どこにしようかって話ししてたら、親がここなら元々学生寮で食事も付いてるし住み込みの管理人さんもいるし安心だろうって勧めてきた感じだから。」
「うちは放任主義だから大丈夫。遙ちゃんが一緒なら安心だけどあまり遙ちゃんに迷惑かけるなって言われてるくらいで、あとは好きにしろって感じだから。」
そう言う二人を眺めて、和実はそういうものなんだと不思議な気持ちがした。まぁ、二人とも悪い子じゃなさそうだし、入居してくれたらありがたいよね。そう思って、じゃあ親御さんと連絡とって契約進めるからと、連絡先を訊いてその場で電話し、状況を説明して確認をとる。正式な契約の日取りなどを決めて電話を切り、和実はほっと一息吐いた。
「ね、大丈夫だったでしょ?春休み入ったら引っ越してくるからよろしく。」
「よろしくお願いします。」
そう言われて、こちらこそよろしくねと返す。まだ正式な契約前だからこれから反故にされる可能性もあるけど、これで二部屋埋まったと思うと和実はちょっと気分が高揚した。
二人を見送って、おっしと気合いを入れる。この調子でもう一組もゲットするぞ。そう意気込んで、和実はもう一組を案内する時の事を考えた。今回は子供だけでなんかかなり砕けた感じになっちゃったけど、次は確か大学生二人組だったし、もう少しちゃんとしたほうがいいよね。あまり緩くなりすぎないように気をつけよう。松岡不動産で物件案内をした最初の頃、普通にお客さんの会話に呑まれて世間話に花が咲いて全く営業も接客もできなくて時間だけとられて怒られた事を思い出して、和実は気持ちを引き締めた。
そして迎えたもう一組の見学の日。あまりにもあっさり契約が決まって和実は拍子抜けした。
屋内を案内しながらサラッと契約の案内をし食堂で改めて深く話しをと思っていたら、中を案内しているときにいくつか質問をされて、ここに入居したいので契約したいと言われてちゃんちゃん。こんなにあっさり決まっていいのかな?いや、あっさり決まってくれてありがたいんだけど。契約書を見つめながらそんなことを考えていると、何か不備がありました?と不安そうな声が聞こえて、和実は慌てて顔を上げて大丈夫ですと応えた。
「これで手続きは完了になります。これからよろしくお願いしますね。」
そう言うと二人もこちらこそと返してきて、そのまま彼らと談笑になった。
談笑しながら、この二人も幼馴染みなんだと思って和実はこの前にきた中学生コンビを思い出した。香坂光と三島健人の大学生コンビは中学生コンビと違ってやっぱり落ち着いてるななんて思って、中学生と比べるのも失礼かと心の中で笑う。幼馴染みで同じ大学に通い同じ演劇部だと言うからよほど仲良くてルームシェアすることになったんだろうなと思ったら、たまたま不動産屋の前で会ってお互い部屋を探してたから、二人で部屋借りれば家賃安く済むし一緒に住むかみたいな話しになってこうなったとのことで和実は驚いた。
「先月うちの地元で凄い雹が降って、実家の屋根に穴が空いちゃったらしいんですけど。母から、屋根直すついでに改装しようかと思って、そっちにお金使うから仕送りの額減らすねって、突然電話がきていきなり仕送り減らされたんですよ。今まで仕送りで家賃払って、他はバイト代で賄ってたのでかなりキツくて。僕はそれで引っ越しをしようかと。」
香坂はそう言うと、健人は前のアパート追い出されたんだよねとからかうように笑って、三島が渋い顔をする。
「台本頭に入れるのに声に出しながら読んでると気付くと声がでかくなってるんだよ。公演近くなると、動作の確認とか、色々・・・。」
気まずそうにそう言って三島が困ったような顔で和実を見た。
「前のアパートでも気をつけていたつもりではいたんですが、集中するとついダメで。迷惑かけるかもしれませんが・・・。」
申し訳なさそうにそう言う三島を見て和実はできるだけ気をつけてもらえればと笑ってはぐらかした。集中するとの度合いがどうだかわからないが、アパート追い出されるくらいだし結構凄いのかも。でもそこを除けば真面目そうだし、悪い人ではなさそうだし、ここで断ったら四月までに部屋埋まるかも解らないし。もしトラブルになったらなったでその時だ、そう思う。
「そういう事情で、すぐ越してきたいんですが大丈夫ですか?」
そう問われそく了承する。
そして二人を見送って、和実は一息吐いた。
「あと一部屋。がんばるぞ!」
そう声に出して気合いを入れてみる。あと一部屋。それでとりあえず首の皮が一枚繋がる。そう考えて、和実はそうだったと思った。四月までに四部屋を埋めてもちゃんと黒字を出さないと一年でここはなくなる。一時しのぎじゃなくて、ちゃんとここに入居してくれた人が長く暮らしてくれるように努力しないと。一時しのぎの借宿ではなくてここがここに住む皆の家になるように、そう考えてここはサクラハイムという名前になったはずなのに。そう思って、騒音で前のアパートを追い出されたという三島の問題に目を瞑って、部屋を埋めるためだけにちゃんと話し合いもせず入れてしまって大丈夫だったのだろうかと不安になった。トラブルになったらその時考えれば良いなんて、それで誰かが出て行ってしまうかもしれないのに。自分はそういうことちゃんと考えてなかったな。そう思って和実は気が重くなった。
「ただいま。今日の人達どうでした?って、管理人さん?どうかしたんすか?もしかして今日の人達ダメだったとか?」
そんな片岡の声が聞こえて顔を上げる。
「いや、今日の人達も契約してくれて、これで三部屋埋まったんだけど・・・。」
「良かったっすね。これであと一部屋。あとちょっとっす。あと一踏ん張り、頑張りましょう。」
そう明るい笑顔を向けられて少し元気が出てくる。
「じゃあ、管理人さんが暗い顔してるのは何か他に悩み事っすか?俺で良かったら話聞くっすよ。」
優しい声でそう言われて和実は胸が苦しくなった。食堂で出してもらったお茶を飲みながら、片岡に今日どうだったかを話し始め、目先のことに囚われてちゃんと先のことを考えてなかったことや管理人として自分はダメだと思って落ち込んでいたことを話した。
「大丈夫っすよ。物事なるようになるもんっすから。」
話しを聞き終えた片岡が笑顔でそう言ってきて、和実はでも、と言いかけて止められた。
「共同生活なんて何が起こるか解らないじゃないっすか。家族同士だって喧嘩したりなんだりでトラブルあるのが当たり前なのに、他人同士が同じ場所で生活してぶつからない訳がないでしょ。トラブルが起きたらその時考えるでいいんすよ。そんでもって、管理人だからって管理人さんが一人で抱える問題でもないっす。一緒に生活してる皆で話し合って協力して解決してくもんでしょ。」
そう言って温かい眼差しで見つめられて、和実は胸が熱くなった。
「ほら、管理人さん。ここを卒業したら終わりの一時の共同体じゃなくて皆が帰ってくる家にしたいって言ってたじゃないっすか。なら、トラブルを怖がってちゃダメっすよ。これから一つずつ、ここで暮らす皆でここを皆の家に造り上げていきましょう。色々あるかもしれないけど、それを乗り越えたらきっと楽しくなるっすよ。」
そう笑いかけられて和実は気持ちがぱっと明るくなった気がした。
「そうだね。ありがとう。」
心から感謝の気持ちを込めて笑顔を向ける。そうすると片岡が目を細めて頭を撫でてきて和実は顔が熱くなった。ハッとした片岡が焦った様子で謝ってくる。
「すみません。よく妹にこうしてたからつい癖で。うちの妹、意地っ張りで。結構一人で抱え込んで何も言わないでふさぎ込んでることがちょこちょこあって。本当、頑固で本音吐き出させるの苦労するんすけど、悩んでることちゃんと言えたら、頑張ったなって、兄ちゃんが付いてるから大丈夫だぞって気持ちでよく頭撫でてて。今の管理人さんが妹と重なっちゃって、つい。妹より管理人さんの方が素直でかわいいっすけどね。」
恥ずかしそうに笑いながら片岡がそう言ってきて、和実は固まった。
「あ、すみません。管理人さんの方が年上なのに妹扱いするとか失礼っすよね。」
またハッとした顔をして片岡が必死に謝ってきて、和実はそれがおかしくて声を立てて笑った。それを見た片岡も声を立てて笑い出し、二人で笑い合う。本当、片岡君の笑顔にはいつも励まされるな。片岡君の笑顔を見ると大丈夫だって思えるし、頑張ろうって気になれる。凄く安心する。
「なんか、わたしより片岡君の方がしっかりしてるし、頼りになるし。わたしの方が年上なのに情けないな。」
そうぼやくと、片岡にもっと頼っていいっすよと微笑まれて、和実は複雑な思いがした。
「今でも充分に頼りきりだからこれ以上はちょっと。あんまり甘えすぎると自分がダメになりそうだし。それに、わたしも頼ってばっかじゃなくて、片岡君に頼ってもらえるような管理人になりたいから。だから片岡君も我慢しないで何かったら遠慮なくわたしのこと頼ってね。」
そう言うと片岡が一瞬驚いたような顔をしてから、そうっすねと嬉しそうに笑って、和実はなんだか嬉しくなった。
「じゃあ、さっそく。今日の夕食の食事当番代わってもらっていいっすか?今日、シフトの変更があって六時からバイトになっちゃったんすよ。だから簡単に、カレーとスープ作ってご飯はタイマー予約して出ようと思ってたんすけど。ちょっと時間が厳しくなってきたんで。」
そう言われて、和実は六時からバイトなのに夕食作ろうとしてたの?と驚いた。
「ミキサー使って簡単にカレー作る方法があって、それだとかなり短時間でしかもおいしくできるんすよ。スープは切って冷凍しといたストック野菜突っ込んでコンソメと塩こしょうで味付けすればいいだけっすから。後は温めて食べてくれって言うかなり手抜き料理っす。」
そう言って笑う片岡を見て、何も言わなかったらもしかして普通に作って行ったのかなと思って和実はなんとも言えない気持ちになった。
「片岡君。そういうときはちゃんと言ってよ。解った時点でメールでもしてくれればいいのに。」
「いや、管理人さんも見学者案内とかで疲れてるだろうし、祐二も学校帰ってきてから夕飯作るの大変だろうなって思って。これなら買い物しなくてもある材料ですぐできるしいっかって思ったんすよ。」
「まったく。そう思っても今度からはちゃんと言ってね。ムリはしないこと。皆で協力してって片岡君が言ったんでしょ。」
そうなじると、笑いながら謝られて和実はムッとした。
「今度から気をつけるんで。本当、勘弁っす。」
そう言って、じゃあ後は頼みましたと食堂を出て行く片岡が何故か機嫌良さそうに見えて、和実は小さく笑って溜め息を一つ吐いた。
○ ○
「へー。香坂さん達、市ヶ谷学園大学の学生さんっすか。頭いいんすね。」
そんな片岡の発言に、香坂が学部によってだいぶ偏差値変わるし自分の行ってる所はそうでもないよと謙遜し、片岡がいやいや何学部でもあそこに入れるだけでそうとうっす等と会話をしている様子を見て、風間が市ヶ谷学園大学って偏差値高いんですかと不思議そうに訊た。
「Aラン上位とかに行ってる人からするとアレかもしれないけど、世間一般的に見てかなり頭いい方じゃないっすか?俺の頭じゃ絶対に入れないレベルっす。ちなみにうちの大学は中の中か下くらいかな。祐二は今年受験生なのに大学のランクとか知らないっすか?」
そんな片岡の問いに風間は少し表情を曇らせた。
「俺、就職希望なんで。大学のことはあまり。」
そう応える風間に片岡が更に疑問を口にする。
「いくら廃校が決まってるっていっても、下村学園高校って確か語学系に強くて結構偏差値高い高校だった気がするんすけど。そんなとこに通ってるのに進学しないんすか。」
「うち、昔からある私立なので案外就職にも強いんです。でも、それが原因で廃校が決まっちゃったみたいなんで、なんとも言えないですが。」
そんな風間の発言にそこにいた面々が疑問符を浮かべた。
「完全な進学校にしたい校長と今まで通りの方針でいきたい理事長がぶつかって、校長派の人がごそっと抜けて新しい学校法人立ち上げることになって。その影響で運営が厳しくなって廃校が決まったらしいです。今は、理事長が最後の学生が卒業するまでの条件で頼み込んで来てくれてる臨時教員で回してる状況で、正直、進学も就職もどうなんですかね。その状況を知ったのは入学手続きが終わった後で、入寮希望にしててそのつもりでいたのに急に今年から寮には入れなくなったって連絡は来るし、あの時はかなり驚いたし焦りました。」
そんな話を普通に笑いながら話す風間を見て、和実は風間君ってある意味凄いなと思った。よくそんな重い話しをこんなに明るく話せるなと思う。そして、松岡さんの話しを聞いた感じだと結構前から廃校が決まってたような感じだったのにそうじゃなかったのかな、なんて思って、風間君がちゃんと説明聞いてなかっただけかもしれないし、そうじゃなくても色々掘り下げちゃいけない大人の事情がありそうだから黙ってようと和実は思った。
「そういえば、市ヶ谷学園大学って文化系の部活動が盛んで有名だったよね。演劇部もかなり本格的で、演劇がしたくて市ヶ谷学園にいくって人もいるって話しを聞いたことがある。しかもそこを経て役者の道に進む人もけっこういるって話しだし。実際、市ヶ谷学園大学演劇部出身の俳優さんとかいるよね。もしかして二人とも将来は俳優業なんか目指してたりするの?」
そんな話をふって話を逸らしてみる。
「健人はともかく僕は。見た目も演技もそこまでぱっとしないですから。」
そう自信なさげに応える香坂を三島が睨み付けた。
「また、お前はそういうことを言う。その自己評価の低さどうにかしろっていつも言ってるだろ。その自信のなさが演技に出るからお前の演技はいつも中途半端になるんだ。技術も表現力もかなり高いくせに。もっと自信持てよ。」
「健人は僕を過大評価しすぎだよ。僕なんてそんな評価に値するような役者じゃない。」
気弱げにそう言う香坂を何か言いたげに三島がじっと見つめて、なにかを諦めたように小さく溜め息を吐いて不機嫌そうに視線を逸らし、本当いいかげんにしろと呟いて、そこに重い空気が流れた。
どうしよう。重そうな話しから話逸らそうと思ったのに、逆に余計重い雰囲気に・・・。そんなことを考えているとチャイムの音がして、和実は渡りに船とばかりに玄関に向かった。
扉を開けると、そこにぱんぱんに中身がつまった大きなバッグを持った人相の悪いあからさまに不良ですといった風貌の傷だらけの少年を連れた真田が立っていて、和実は驚いた。
「突然すみません。まだチラシが貼ってあるの見て。まだ部屋に空きがあるなら借りたいと思って立ち寄ったんですけど。まだ空きありますか?」
困ったような顔の真田にそう言われ、でもその隣に立つ少年が気になって、和実は空きはあるけど不動産屋さんがもうしまってて書類も何もないから明日改めてもらってもいいかなと、曖昧な返事をした。
「っ。見てみろ、この女俺見てビビってんのに、明日改めたって入居なんかできるわけないだろ。」
和実の態度を見て舌打ちをしてそう言って背中を向ける少年が辛そうに見えて、和実は思わず何か事情があるのと訊いていた。
「契約はムリだけど、話しくらいなら。とりあえず上がってかない?丁度、今入居してる皆揃ってるし。」
自分で言って自分で何を言っているんだろうと思う。でも、それを聞いた少年が驚いたように振り向いて、真田がありがとうございますと頭を下げてきて、和実はお礼をされるようなことは何もと苦笑した。こんなこと言っちゃったけど、あげて大丈夫かな?そう思いつつ二人を中に案内する。
食堂に着くと、案の定その場にいた面々が少年を見て固まって、和実はやっぱりなと思った。どうしようこの空気。
「えっと、祝福すべき四部屋目の入居希望者の人達です。」
曖昧に笑ってそう紹介してみる。
「えー?四部屋目の人達ですか。凄い、これで目標達成ですね。」
脳天気な明るい大きな声でそう言って笑う風間を見て、こういう時風間君の脳天気さっていいなと和実は思った。
「来てくれて嬉しいです。ありがとうございます。」
満面の笑みでそう言って駆け寄ってくる風間の勢いに飲まれて少年がたじろいでいる様子がおかしくて、和実は思わず笑ってしまった。
「これで俺、卒業までここに居られます。本当にありがとうございます。」
しかし真田と少年の手を取ってぶんぶん振りながら続けられた風間のその言葉を耳にして、和実は固まった。案の定その言葉に香坂と三島が反応して意味を追求してくる。お願いだからこれ以上変なこと言わないで。そう願った矢先、
「ここ、四月までに四部屋埋めないと不動産屋さんにとりあげられることになってまして。この人達が入居してくれれば四部屋埋まるので、俺、嬉しくって・・・。」
心底嬉しそうな風間の声が聞こえて、和実は頭を抑えた。
「おい、どういうことだ?そんな話は聞いてないぞ。」
怒った口調でそう言う三島の迫力がすさまじく、和実は恐怖で思わずぎゅっと目を閉じた。
「まぁまぁ、落ち着きなよ。そんな怖い顔して問い詰めたらできる話もできなくなるでしょ。気を落ち着けてさ。ちゃんと話ししようよ。」
穏やかな香坂の声がして、三島が引き下がる。
「すみません。四月までにはなんとかするつもりだったので話していなくて。なくなる可能性があるなんていう話をしたら誰も入居してくれないんじゃないかと。実は・・・・。」
和実がぺこぺこ頭を下げながら言い訳をして事情を説明していると、三島が溜め息を吐いて別に良いと呟いた。
「こっちもすぐに部屋を見付けなきゃいけない状況だったし。でも、入居したあとでも構わないから、そういう事情はちゃんと話して欲しかった。もしダメになったら次探さなきゃいけないのに、入居しました、はいノルマ達成できなかったので出って下さいって、一ヶ月足らずで追い出されても困るからな。」
諭すようにそう言われて、和実はすみませんと小さくなった。
「でも、これで四部屋埋まりますし問題解決です。」
そう言う風間に、香坂がそれはどうかなと渋い顔をした。
「ここはシェアハウスだし、入居してもらう人はよく選ばないと出て行く人も出るんじゃないかな。四月までに四部屋埋めたら一年保留って話しも口約束なんでしょ?四月までに四部屋埋めても、その先がガラガラになったらいつ取り上げられるか解らない。彼、あからさまに殴り合いしてきましたって感じだよね。それで大荷物抱えて転がり込んでくるなんて、僕にはトラブルの種にしか見えないんだけど。それでも一時しのぎのために入居してもらうんですか?」
香坂が穏やかな口調で風間に説明するようにそう言いながら、あからさまに険のある事を言って和実を見上げた。視線が決めるのはあなただと結論を促している様に見えて、和実は言葉を詰まらせた。
「ここの家賃、一人部屋でも前住んでたアパートよりだいぶ安いですし。最悪、健人と僕が一人づつ部屋を借りるってことでも大丈夫ですよ。」
穏やかな笑顔でそう続けられ、和実はその方が安心かもなんて思って、でも真田さん達も事情があるみたいだしと考えて心が揺らいだ。この子も多分見た目ほど悪い子じゃない。話しぐらい聞いてから決めるでも良いんじゃないかな、なんて考えていると、少年が顔を顰めて舌打ちし、やっぱダメなもんはダメだろと言って出て行こうとして、真田がそれを止めた。振り向いた少年が険しい顔をして真田に何か言おうとした瞬間、真田が土下座をしてお願いしますと叫んで一同はどよめいた。
「こいつ口も悪いし態度も良くないですけど、バカなだけで根は真面目な奴なので、悪いことは何もしませんから。何かあったら責任は全部俺がとります。俺がちゃんと面倒見ますから。だからお願いします。入居させて下さい。」
土下座したまま真田がそう言い切って沈黙が流れた時、お茶が入ったっすよと片岡の呑気な声が聞こえて、一同がそちらを振り向いた。
「え?なんすか、この状況。って、土下座してんの真田?え?俺がお茶買いに行って戻ってくる迄の間に何が起きたっすか?」
異常なその場の光景に片岡が半分引きつつ戸惑った様子でそう言って、テーブルにカップを乗せたお盆を置いて、とりあえずお茶にしません?と笑った。
「片岡君いないなと思ったらお茶買いに行ってたの?」
「いや、ほらあんな感じだったんで。管理人さん逃げちゃうし。ちょっと気分転換にでもなればと思ってお茶淹れに行ったんですけど、棚覗いたらコーヒーも紅茶もみんなきれてたから勝手口から出て買いに行ってたんすよ。元々大した量おいてなかったし、ここんとこ来客多かったっすからね。住人も増えたことだし、今度から買い置き増やしときますね。」
そう優しい笑顔を向けられて、和実はありがとうと呟いた。
「ほら、真田もそんなことしてないで立つっすよ。どんなことすれば土下座しなきゃいけない状況になるんすか。」
そう言って片岡が真田に手を差し伸べ、それをとって立ち上がりながら真田が苦笑した。
「いや、家賃とか含めて色々考えるとここを逃したらムリだなと思ってな。どうにかしなきゃと思って。」
「それで土下座とか、案外アホっすね。土下座は止めろよ、吃驚するし。まず引かれるっすから。」
そんなことを笑いながら言って、片岡が少年に目を向ける。
「えっと、誰っすか?」
そう訊かれて、少年が戸惑ったように藤堂耀介と答えた。
「俺は片岡湊人っす。よろしくな、耀介。」
そう片岡に笑顔を向けられて、たじろいでいる藤堂の様子がおかしくて和実は小さく笑った。
「耀介もこっちでお茶にしよう。って、酷い顔だな。それ殴られたのか?ちゃんと冷やしとかないと明日もっと酷いことになるぞ。」
そんなことを言いながら片岡が二人を皆と同じ席に誘導し、てきぱきと藤堂の傷の手当てしているのを見て、和実は感心した。
「片岡君、手慣れてるね。」
「まぁ。うちの弟もやんちゃっすから。うち色々あるんで、アホなこと言って絡んでくるのがいるんすよね。俺なんかは笑って流して聞こえないふりっすけど、弟はいちいち反応してしょっちゅう喧嘩ばっかしてたっすから。そんでもってしょっちゅう怪我して帰ってきて、俺がこうやって手当てしてたっす。反応するから余計絡まれるんだって言って叱るんすけど、大抵うだうだ言い訳してきて人の言うこときかないんすよね。まぁ、言い訳したら頭ぐらい叩いて更に説教になるんすけど。で、お前は何でこんな怪我したんすか?喧嘩?」
「親父に殴られた。」
「なんで?」
「喧嘩やめないから。」
「どうしてやめないんすか?」
「別に、したくてしてるわけじゃない。あっちがふっかけてくるから、俺はただ追い返してるだけで。昔からビビられることは多かったけど、喧嘩売られることなんかなかったのに。中学の時に何か柄の悪い奴に喝上げされそうになって、胸ぐら掴まれたからぼこぼこにして追い返したら、それからなんか喧嘩売られるようになった。追い返してたらどんどん増えてって、それで・・・。」
そうぶつぶつ言う藤堂の頭を片岡が叩いてパシンといい音を立てる。
「売られた喧嘩を毎回買ってたら増えてくのは当たり前っしょ。それで親父に殴られることになるくらい喧嘩三昧とか、まったく、どこのヤンキーっすかお前は。」
「ヤンキーじゃない。俺は普通に・・・。」
「普通の奴はいちいち殴り合いしないっす。胸ぐら掴まれたからって、相手ボコボコにしてる時点でお前はヤンキーっすよ。絡まれたからってすぐ手が出る時点でダメっすから。喧嘩したくないなら、喧嘩売られても無視っす、無視。売られる前に逃げる。絡まれても相手にしない。殴られたら警察に通報っすよ。はい、復唱。」
そう言われて言葉を詰まらす藤堂に、片岡がお前はそんな生活続けたいんすかと訊いた。
「続けたくない、っす。」
「じゃあ、続けないために変わろうな。ほら、ちゃんと復唱して頭に叩き込むっすよ。喧嘩を売ってきそうな奴に遭遇したら、売られる前に逃げる。絡まれても相手にしない。殴られたら警察に通報。」
「・・・。売られる前に逃げる。絡まれても相手にしない。殴られたら警察に通報。」
「声が小さい。ほらもっと大きな声で。」
「売られる前に逃げる。絡まれても相手にしない。殴られたら警察に通報。」
「よくできました。これでもう大丈夫っすね。喧嘩して帰ってきたら飯抜きっすからね。」
そう言って片岡が藤堂に笑いかけ、三島にお前は母親かと突っ込まれて苦笑した。
「いや、何かうちの弟と被ってつい。いくら食事当番ほぼ引き受けてるとは言え、食事抜きは俺が決めれる事じゃなかったっすね。」
そう言って朗らかに笑う片岡を見て、藤堂が顔を伏せて、入居できるか解らないしと呟いた。
「え?入居しないんすか?真田、土下座までしたのに入居しないとか、土下座し損じゃん。」
「あ、いや。こちらとしては入居したいんだが・・・。」
困ったように笑いながら真田が香坂を見て、片岡が疑問符を浮かべた。
「なんか問題でもあるんすか?」
そう言う片岡に真田が土下座までの経緯を説明し、それ聞いた片岡が大丈夫っすよと香坂に笑いかけた。
「俺も案外修羅場くぐって来てるんで本当にヤバい奴は見れば一発で解るっすから。耀介はそういうんじゃないんで大丈夫っす。それに真田が面倒見るって言ってるし、チャンスくらい与えてやってもいいんじゃないっすか?」
そう言われて香坂がそうだねと言って微笑んだ。
「皆が良いなら僕は別に構わないよ。」
「俺も別に構わない。片岡とのやりとり見てる限り問題起こしそうでもないしな。」
「じゃあ、これで決まりですね。これで四部屋無事に埋まりました。」
テンション高く嬉しそうにそう言う風間を見て、和実は小さく苦笑した。お祝いしましょう、お祝い、なんて言いながらはしゃぐ風間を見ていると本当にこれで四部屋埋まったんだと思って、でも実感が湧いてこなくてなんだか変な感じがした。
「本当に、これで四部屋埋まったんだ。」
口に出してみる。
「そうっすよ。でもゴールじゃないっす。」
そう片岡の声が聞こえて和実は彼を見上げた。
「サクラハイムの生活はこれからが本番っすよ。よろしくお願いしますね、管理人さん。」
そう笑いかけられて、こちらこそよろしくと笑い返す。
「ほら、管理人さんも席について。」
そう促されて席に着く。ちょっと前までぎくしゃくしていた雰囲気が和らいで談笑する皆を見て、和実は胸がいっぱいになった。これはきっと片岡君のおかげ。本当に片岡君は凄いな。そう思うと自分も頑張らないとと思う。ここの管理人はわたしなんだから。そう考えて気合いを入れる。さい先の良いスタートなのかは解らないけど、このメンバーに遙君と浩太君が加わって、わたし達の新生活がスタートする。一年後も続けるためには最後の一部屋も埋めないとだけど、まずはこのメンバーでの共同生活をちゃんとしたものにしないと。そう考えつつ和実も談笑の輪に加わり、きっと大丈夫、そう思った。
○ ○
「住人全員の引っ越し作業も終わって、これで四部屋入居が完了したか。よくやったな。」
松岡にそう褒められて和実は変な気分になった。
「なんだよその顔。」
「いや、松岡さんに褒められるとなんか変な気がして。いつも怒られてばっかですし。」
「ったく。人をがみがみ親父みたいな扱いしやがって。」
そう呆れたように言われて、和実は苦笑した。
「じゃあ、約束通り一年な。」
そう言って書類を渡されて和実は疑問符を浮かべた。
「お前の管理人契約だ。」
「え?貸家としての契約じゃ・・・。」
「バカじゃねーの。そんな又貸しみたいなことできるか、面倒臭い。そもそもそんな面倒な管理お前できないだろ。国に出す書類とか、税金関係とか、他にも色々あるが、お前一人で全部処理できるのか?」
「すみません。できません。」
「だろ?だから、原さんとの賃貸契約は解除して、あそこはうちが管理するシェアハウスだ。で、お前はうちの契約社員としてあそこの管理人を勤めるってことで。何か文句あるか?」
そう言われて、和実は顔をぶんぶん横に振って、文句なんてなにもありませんと言った。
「いくら面倒なことはこっちで処理してやるとはいえ、サクラハイムの収支報告や管理はお前がするんだからな。給料払ってやるんだから、その分ちゃんと仕事しろよ。」
そう言われて、はいと答える。
「色々ありがとうございます。」
そう頭を下げると、松岡が笑う気配がして和実は顔を上げて疑問符を浮かべた。
「最初見たときは頼りない小娘だったけど、ちょっとはましな顔つきになったな。頑張れよ、管理人さん。」
そう言われて和実は胸がいっぱいになった。
松岡不動産を後にして、和実はサクラハイムへ向かった。なんか、たった一ヶ月で色々なことがあった気がする。これから先はもっと色んな事があるんだろうな。そう思うと、少し怖いような、楽しみなような、そんな気分がして変な感じがした。とりあえず一年。できればその先も管理人を続けていけたら良いと思う。でも、それで本当に良いのかな。わたしはただ状況に流されて、状況に甘えているだけな気がする。暖かな春の日差しに照らされて和実は、自分の中に今までの自分から変わろうという想いが芽生えているのを感じた。
サクラハイムに戻り、庭の桜の木の下に男性が立っているのを見つけて、和実は三島さん?と声を掛けた。振り向いた男性を見て、間違いに気付いて笑ってごまかす。
「すみません。ここの住人の方と間違えてしまいました。」
「いえ、こちらこそ勝手に敷地に入ってしまってすみません。」
そう言う男性を見て、近付くと背は三島さんの方が少し大きいって解るけど、顔立ちも似てるなと思って和実は不思議な感じがした。親戚の人?でも、そうならそうだって言うだろうし。
「立派な山桜ですね。ソメイヨシノは珍しくないですけど、山桜って街中じゃ見かけないので、つい懐かしくなってしまって。」
桜を見上げながら本当に懐かしそうに目を細める男性を見て、和実はよほど大切な思い出があるんだろうなと思った。視線に気付いた男性が、ハッとして苦笑するのを見て、和実は笑った。
「子供の頃、妹と祖母の家で暮らしていた時期があったんですが、そこに山桜があって。ど田舎で本当に何もないところだったので、春になるとお花見をしながら妹の誕生日をお祝いするのが一大イベントみたいな感じで・・・。」
そう言う男性の目が少し陰ったように見えて、和実は疑問符を浮かべた。
「妹さんと喧嘩でもしたんですか?」
「いえ、この年になると喧嘩も何も。というか、お互い家も出てますし、たまに顔を見る程度で今ではすっかり疎遠なので。異性の兄弟なんてそんなものですよ。」
そう言う男性が酷く寂しそうに見えて、気付くと和実は良かったら一つ部屋が空いているので入居しませんかと声を掛けていた。それを聞いた男性が驚いたような顔をして、和実はすみませんと謝った。
「いえ、まさかそんなお誘いがあるとは思わなかったので。ここは雰囲気が良くて良いですね。職場が遠くなかったら是非と言うところですが、実は仕事でしばらくこの街に滞在予定なだけなので。すみません。」
やんわりそう断られて和実は、そうですかと相槌を打った。
「でも、良かったらたまに桜を見に来て下さいね。」
そう言うと、男性が機会があればと笑って、失礼しますと去って行った。去って行く男性の後ろ姿を見送りながら、和実は本当後ろ姿なんか三島さんそっくりだなと思ってまた不思議な気分になった。三島さんは確か兄弟はいない言ってたし、あんなに似てるのに他人なんだよなきっと。世の中自分に似てる人が三人いるって言うし、そういう偶然もあるのかも。そんなことを考えていると、どこからかハッピーバースデイを歌う声が聞こえてきて、和実は声の行方を追って、目を疑った。誰かが屋根の上に腰掛けて歌ってる?着物姿の女の子が屋根の縁に腰掛けて足を揺らしながら歌っているように見える。いや、まさか、まさかね。
「桜が咲いたから。これでわたしは二十歳。」
そう明るく元気な女の子の声が聞こえて、屋根の上の人物がひょいっと飛んで姿を消すのを見て、和実は今のは何?と思った。今見た光景のあまりの現実感のなさに、和実はきっと今のは白昼夢に違いないと思い込むことにした。ほら、春だから。今日はとても暖かいし。よく解らない言い訳をして自分を納得させてみる。
「何してるんですかそんなところで。」
風間の声が聞こえる。
「今から、花見でもするの?」
「いいね、それ。じゃあ、俺お菓子買ってくる。」
そんな遙と浩太の声がして、飛び出してきた浩太とぶつかりそうになって和実は驚いた。
「ごめんなさい。」
焦った様子で謝ってくる浩太に、笑って大丈夫だよと答える。
「お花見か。皆の引っ越しも終わったことだし、親睦会も兼ねてお花見しようか。」
それを聞いて喜ぶ浩太に、お菓子買いに行く前に会場準備ねと言って、他の二人に視線を向ける。
「もしかして俺たちだけで準備するの?」
「何をすればいいですか?」
「俺も。なにすればいいの?」
「なんでお前等そんなノリノリなの。準備とか面倒くさいし、自分達だけやるとか割に合わない。」
「そんなこと言わないでさ。遙ちゃんも一緒に準備しようよ。準備も楽しいよ。」
浩太にそう誘われて、遙が渋々と言った様子でわかったよと呟いた。
「で?何すればいいの?」
「じゃあ、とりあえず。倉庫からブルーシート持ってきて・・・。」
「片岡は今日もバイトみたいですから、俺がお花見用の料理作りましょうか?」
そう真田の声が割って入ってきて、和実は驚いた。
「あ、真田君おかえり。」
「丁度、片岡に頼まれてた食材買ってきたところなんで。これとストックであるもので、適当に何か作りますよ。」
そう言って笑う真田を見て、真田君も料理できる人なんだと和実は思った。
「一人で作るの大変じゃない?わたしも手伝うよ。」
「そうですね。そうしたら。今からお米炊いておくので、こっちの準備が終わったらおにぎりお願いしてもいいですか?お前等もな。」
そう皆に声を掛けて室内に入っていく真田を見送って、和実は、じゃあ準備はじめるよと声を上げた。
皆でワイワイ準備をしていると、一人、また一人と住人達が帰ってきて、準備に参加して。テーブルも出す?いらないだろ。椅子は?だからいらないってなんて言いながらドタバタ賑やかに会場作りがすすんでいき、準備がすっかり整う頃には片岡以外の全員が集まっていた。
「片岡さん、帰ってきたら驚くんじゃない?」
「食事当番とられて嘆くかもな。」
「片岡さんにとって食費の四百円が浮くか浮かないかはけっこう死活問題ですからね。」
「ってか、一臣の料理おしゃれだよね。試食したけど美味しかったし。同じ材料でこのクオリティーの違い。今度から一臣が料理すれば?」
「いやいや、普段の食事当番まで奪ったらそれこそ片岡が嘆くだろ。」
「俺、片岡さんの料理好きですよ。」
「僕も。片岡君の料理はおいしいし、なんかホッとするしね。」
「食えればなんでもいい。」
「俺も別に湊人の料理が嫌いなわけじゃないけどさ。湊人の料理は家庭的だから普段の食事は湊人のでいいかも。で、こういうイベントの時は一臣が作ると。ちなみに、今まで料理当番したことがある中で一番クオリティー低いの管理人さんだからね。」
片岡の話をしていたのに、急に遙にそう話しを振られて、和実は戸惑った。
「男二人に負けてるって女としてどうなの?二人から教わって腕あげた方がいいんじゃない?」
からかうように続けてそう言われて和実は言葉を詰まらせた。返す言葉がない。確かに片岡君や真田君の方が料理上手だけど、それは二人が飛び抜けてるだけで、別にわたしが下手な訳じゃ・・・。
「大丈夫。管理人さんのご飯も普通に美味しいよ。」
「食べられないようなもの出してくる訳じゃないから別に構わないだろ。」
「食えれば何でもいい。」
うん。片岡君や真田君程じゃなくても、皆から美味しいって言ってもらえるようなもの作れるように頑張ろうかな。まずは盛り付けるときの彩りとかもう少し何とかしよう。お母さんからあんたの料理は色気がないって言われた時は、食べられればいいでしょとか言ってたけど、人に出すときはやっぱ盛り付け方って大事だよね。そんなことを考えて、和実はそう言えば片岡君はいつも食べる人のこと考えて料理してるよなと思った。ちょっとこういう色味がはいった方が美味そうに見えるっすからとか言って盛り付けるときに何かを足したり、やっぱり見た目が美味しそうな方が食べる方も嬉しいでしょと言って笑う片岡を思い出して、だから片岡君の料理は美味しいんだろうなと思って、和実はわたしももう少し食べる人のこと考えて料理するようにしようと思った。
「うわっ。なんすか、このご馳走?」
驚いた片岡の声が聞こえて、皆がそれぞれにおかえりと声を掛ける。
「全員揃ったし、今日は親睦会兼ねたお花見会にしようと思って。」
「なるほど、それで。でもこんなの用意して食費大丈夫っすか?」
「これほとんど全部、真田君作だから。」
「マジで?こんなの作れるとか凄いな、真田。」
「母親がこういうのが得意で子供の頃はよく一緒に作ってたから、それの影響でちょっとな。まぁ、特技みたいなものだ。」
「酒はどうせ俺たちしか呑まないから自腹で買ってきた。」
「俺も。自分の小遣いでお菓子とか飲み物買ってきた。でも、皆も飲み食いしていいよ。」
「ほら、帰ってきたならさっさと荷物おいてこっちに来なよ。湊人が来ないと始めらんないでしょ。」
そんな言葉に促されて片岡も荷物を置いて合流する。そして皆に視線を向けられて、和実は戸惑った。
「ほら、乾杯の挨拶。」
遙にそう冷たい視線を向けられて、和実はわたしがするの?と驚いた。
「あんたがしなくて誰がするの。あんたがここの管理人でしょ。」
そう言われて、そうかと思う。
「じゃあ。わたし達の共同生活の始まりを祝って、乾杯。」
「「「「「「「「乾杯。」」」」」」」」
そう言って、飲み物を飲んで笑い合う。
「何、その挨拶。」
「だって何も思いつかなかったんだもん。」
「はい。遠くにあるの取ってきたんで、どうぞ。」
遙と話していると片岡に料理の入ったお皿を渡され和実はありがとうとお礼を言った。
「こら。未成年は酒に手出すな。」
「う、バレた。だって、どんなのかちょっと気になるじゃん。少しだけ。」
「あと五年我慢しろ。」
「どうせいつかは呑めるようになるんだから、今呑まなくてもいいんじゃない。」
三島と香坂が呑んでいた酒に浩太が手を出そうとして怒られて、真田が浩太はこっちなと未成年組の方へ引っ張って自分が間に入る。
「ほら、浩太はジュースな。」
そう言って片岡がジュースの入ったコップを渡し、浩太はそれをふて腐れたようにチビチビ飲んだ。
「耀介は本当によく食べるっすね。遠くの皿で欲しいのあったらとってくるけど、何かあるっすか?」
「別に。食べたきゃ自分でとりに行く。」
「祐二は逆にもっと食うっすよ。さっきから全部、耀介に食べられてるっしょ。」
「あ、ありがとうございます。」
一人黙々と食べていた藤堂に声をかけながら、彼の前の中身がほとんどなくなった大皿を中身が減っていない大皿と交換して、風間に食事を取り分けた小皿を渡している片岡を見て、和実は片岡君さっきから人の面倒ばっか見て自分は全然食べてないと思った。
「片岡君。ここ。」
そう自分の横をぽんぽん叩きながら声を掛けて片岡を座らせる。
「はい。片岡君の食事。飲み物は何がいい?」
そう言うと片岡が戸惑った様子で、じゃあお茶でと言ってくる。
「今日はもう働くの禁止ね。」
お茶を差し出してそう言うと片岡が驚いたような顔をして、和実は笑った。
「いつも頑張ってくれてるから、今日ぐらい働かずゆっくり皆と楽しんで。普段楽させてもらってるぶん今日はわたしが頑張るよ。それに、片岡君がそんなに世話焼かなくてもみんな自分のことは自分でできるからさ。」
そう言うと、片岡は少し考えるように間を開けてから、そうっすねと呟いた。
「じゃあ、お言葉に甘えて。今日は何もしないで楽しませてもらうっす。」
そう言って笑う片岡を見て和実はホッとした。
「そうだよ。こういうときは皆で楽しまないと。片岡君もサクラハイムの仲間なんだから皆と同じ所にいないとダメだから。働いてばかりいてちゃんと皆と楽しまない悪い人は、ご飯抜きにしちゃうからね。」
「なんすかそれ?」
「片岡君の真似?」
「俺ってそんなんなんすか?」
「こんな感じじゃない?」
「いや、絶対、そんなんじゃないと思うっす。」
そう言って声を立てて笑う片岡を見て、和実は嬉しくなった。
「いつもありがとう。いつも助かってるし、頼りにもしてるけど。でもわたしは、サクラハイムが片岡君がホッと息を抜いて、肩の力も抜いて、安心してだらだらできちゃうようなそんな場所になれば良いと思う。皆にとっても。ほら、ここは皆の家だから。家って一番気を抜いて落ち着ける場所でしょ?」
そう言うと片岡が、そうっすねと呟いて小さく笑った。
「管理人さん。これからもよろしくお願いしますね。」
朗らかに笑いながら片岡がそう言ってコップを差し出してきて、和実もこちらこそと言って二人で乾杯した。
「なに二人でいちゃついてるの?」
急に遙が割って入ってきて、和実は顔が熱くなった。
「別にいちゃついてなんか・・・。」
「はい、俺もこれからよろしくね。」
そう言って乾杯される。
「俺も、俺も。」
遙に引き続き、浩太まで乾杯を迫ってきて、それに便乗してじゃあ俺もと真田まで言ってきて、風間や風間に促されて藤堂までコップを差し出してきて、
「未成年組は呑んでないのに酔っ払いみたいだな。」
「僕達も行っとく?」
成人組までそんなことを言い出して。
「じゃあ、もう。まとめて皆で乾杯で。」
和実がそう言って立ち上がる。
「サクラハイムが皆が安心してくつろげる暖かな家になるように。これからも皆さんよろしくお願いします。」
そうここが、ちゃんと皆の家になりますように。そう願って、和実は乾杯と叫んだ。