第十三章 香坂光の秘密
寝ている三島健人の背中を眺め、香坂光は溜め息を吐いた。
「やる気のない奴と引退公演で一緒に俺は芝居したくない。やる気がないなら演劇部なんて今すぐ辞めちまえ。」
文化祭最終日、文化祭公演を終えた部室で三島に言われたその言葉が頭から離れなかった。やる気がないわけじゃない。やる気がないわけじゃないんだ。でも、その一歩を踏み出すのが怖い。文化祭は本当に勢いで突っ走ることができた。どうにもならない状況にぱっと言葉が出ていた。皆が造り上げてきた舞台を台無しにしたくなかった。ただどうにかしたかった。そして何かに迷う時間も暇もなくそのままの勢いでその一歩をあの時は簡単に越えてしまっていた。そして、やりきってカーテンコールに並び、そこから見る景色に感動した。あぁこれが子供の頃僕達が夢見た景色なんだって思って、君とそこに立っていることに胸がいっぱいになった。そして横に立つ君を見て、僕は鮮明に昔を思い出したんだ。君と並んで一緒に同じ夢を追い続けていた頃の自分を。そして、その先で見付けてしまった自分の想いを。だから以前よりずっと怖くなった。またその一歩を踏み出すことが。
「香坂君?こんな所で会うなんて奇遇だね。香坂君も劇好きなの?」
観劇に行って劇場を出た時にそう声を掛けられて、香坂は驚いた。振り向いた先にいたのは高校の同級生の須藤茜だった。
「わたし劇好きでさ。特にこの劇団の公演が好きで良く見に来てるの。観るのも好きだけど、演じるのも好きで、中学の頃はわたし演劇部だったんだよ。本当は高校も演劇に強いとこ行きたかったんだけど、第一志望落ちちゃって。うちも演劇部あるしいいかって思ってたんだけど、うちの演劇部弱小な挙げ句全然みんなやる気ないんだもん。あいつらなんで演劇部なんて居るのってくらい劇のこと知らないし、ノリも合わなくて辞めちゃったんだ。香坂君はここに居たって事はけっこう劇とか好きな人?けっこう話しできる方?高校入ってから身近に話しできる人居なくて寂しかったんだよね。もしよかったらどっか寄って今観た公演の話しとかしない?」
同胞を見付けたと思ったのか目をキラキラさせながら話し続ける茜の勢いに、香坂はうんとかまぁとか曖昧な返事をしながら、僕も中学生の時は演劇部だったんだと答えるのが精一杯だった。そしてその言葉を聞いて勢いを増した茜に半ば強制的にファミレスに連れて行かれ、今日の劇のことや今まで自分が演じた舞台の話しなど色々話し、香坂はこうやって誰かと劇について語り合うなんて久しぶりだなと思って、やっぱりこうして人と好きな物について語り合うのは楽しいなと思った。
香坂が茜と仲良くなるのにさほどの時間はかからなかった。気が付けば学校でよく話しをするようになり、観劇に誘われ一緒に観に行くようになって。劇を観た後は時間の許す限り二人で語りあって、足りないと家に帰った後に電話で続きを話し続けたり。気が付けば、そんな風に普段から気軽に電話やメールをするくらい仲良くなっていた。
キラキラした目で夢を語る彼女が眩しかった。学校で望むような芝居ができないならと、色んな劇団のオーディションを受けに行き、落ちてへこんでも立ち上がってまた挑戦しに向かって行く姿が眩しかった。そんな彼女を見ているのが好きだった。そんな彼女に惹かれ彼女の事を応援していた。そんな彼女と演技について語り合い、ここはもっとこうした方がいいんじゃないとか、こういう表現の仕方はどうかななんて話をしながら、自分も彼女と一緒に動いてみて、ここはこうの方がいいよとか、声の出し方をもっとこうしたらとか言われて自分の演技も磨かれていって、そんなやりとりをするのもとても楽しかった。彼女といる時間が楽しくて、彼女と居られることが嬉しくて。だから、彼女から告白をされたとき、香坂はそれに喜んで応じ付き合いだした。
「これだけオーディション落ちてればさ、自分に才能ないって嫌でも解る。わたしには好きなことを仕事にする才能はないなってさ。でも、やっぱりわたしは演劇が好きだし、演技がしたい。端役でも良い。舞台に立って演技がしたい。一生の仕事にはできなくてもまた。だから、わたし、大学はちゃんとした演劇部があるところに行こうと思うんだ。高校入試の時みたいに第一志望しか見てなくて、滑り止めにろくな演劇部がなかったなんてごめんだから、受けるとこは全部ちゃんとした演劇部があるとこ調べて受けようと思う。」
そう言う茜に真っ直ぐ見つめられ香坂は息をのんだ。
「光。光は演じるより観る方が好きだから演劇を辞めたんだって言ってたけど、本当は演じるが好きだしまた演じたいって思ってるでしょ?光が演劇を辞めた本当の理由が、才能がないと思ったのかもっと別に理由があるのか解らないけど。わたし、光と演劇してみたい。だから、一緒の大学に行って、一緒に演劇部に入らない?プロにはなれなくても、一緒に学生演劇楽しもうよ。今みたいに沢山話をして、沢山練習して、一緒に舞台に立てたらきっと今よりずっと楽しいと思うよ。」
そう言って笑う彼女の姿が離れた幼馴染みと重なった気がした。そして、その提案を香坂は快く受け入れていた。中学生の頃、もっと幼い頃に一緒に役者になろうと約束した幼馴染みに一緒に演劇に強い高校に行こうと言われたときは断ったくせに、彼女からの提案を香坂はすんなりと受け入れていた。
そう、初めから隣にいるのが彼女だったら。一緒に役者になろうと約束したのが。ずっと一緒に夢を追ってきたのが。色んな舞台を観に行って、沢山話をして、自分達も劇をして、時にはぶつかり合い、お互いを高め合いずっと傍にいたのが、最初から彼女だったら。きっと自分は演劇を辞めていなかった。関係が変わったとしても、きっと、今でもずっと変わらず傍にいられた。そう思うと少しだけ胸が苦しくなったが、香坂はそれはしかたがないことだと自分の中の痛みを見ないことにした。今はもう完全に距離ができてしまい話すこともなくなった幼馴染みを思って、香坂はこれでいいんだと自分に言い聞かせた。自分のことを解ってくれなんて言わない。解らないままで良い。どうかこのまま、彼には僕に裏切られたと思って僕に腹を立てたまま、僕との約束は忘れて自分の夢を追って行って欲しい。香坂は心からそう願っていた。
結局、第一志望にしていた大学に香坂だけが受かり、茜は違う大学に進学を決め、二人が同じ大学に通うことはなくなった。ランクを落としてそちらの大学に行こうかと言う香坂に、彼女はせっかく受かったのにもったいないでしょと怒り、わたしも市ヶ谷学園行きたかったと嘆いて、わたしの分まで満喫してきてよとふて腐れたような顔で言って、そんな彼女の願いを香坂は受け入れた。彼女と過ごす高校生活はとても楽しかった。彼女と過ごす大学生活を想像し、彼女と演劇をする自分を夢見て楽しみにしていた。だから彼女と離れるのが寂しいと感じ、一緒の大学に行けない事が残念だと思った。
「だから最初から安全圏でいこうって言ったのに、君が妥協しないから。一緒の所行けるようにあんなに着きっきりで勉強教えたのに。」
「それを言われると・・・。光ほどわたし頭良くないんだからしょうがないじゃん。わたしだって頑張ったんだから。一緒の所行けるように、本当に、本当に頑張ったんだからね。」
そう言って泣きそうな顔をする茜に、香坂はごめんごめんと謝って彼女をそっと抱きしめた。
「茜が凄い頑張ったって知ってるよ。いつだって凄く頑張ってるの知ってる。でも、僕は君と同じ大学に行って一緒に演劇ができるのを楽しみにしてたから、市ヶ谷学園蹴って君と同じとこ行こうかなって言ったの断られたのがショックだったんだ。だから、ちょっと意地悪言いたくなっただけだから。ごめんね。」
そう伝えると、茜はわたしだって楽しみにしてたとふて腐れたように呟いた。
「市ヶ谷学園に入るにはわたしの学力じゃかなり厳しいって解ってたけどさ、だからってわたしに合わせてランクを落として欲しくなかったの。学力だけじゃなくて、なんだかんだ言っても光の方が演技うまいし、光の実力に合わせたら絶対市ヶ谷学園だって思ったの。光ならもっとランク上の大学も狙えただろうけど、一緒に演劇するならあそこだって。あそこならわたしでも頑張ればぎりぎり入れる可能性あるしって。学力的にも演劇のレベル的ににもわたしには高かったけど、でも、それでもわたしは、わたしに合わせて光が落とすんじゃなくて、光と同じ高さに自分が追いつきたいって思った。だから、わたし必死に頑張ったのに・・・。」
そう言って自分にしがみついて泣く茜の背中を香坂はそっと撫でた。いつでも真っ直ぐで、いつでも全力で物事に取り組む彼女が愛おしかった。本当に愛おしかった。こんな彼女の事が本当に好きだった。そして彼女と居ればこうして自分は普通でいられるから、だからホッとした。こうやって自分が恋愛感情を抱ける女性とずっと離れたくなかった。大学進学を機に離ればなれになって別れてしまうカップルが多いことも知っていたから、物理的に距離ができて彼女の気持ちが自分から離れていってしまうのではないかと怖かった。だから離れたくなかった。本当は彼女と演劇がしたいという気持ちより、彼女と別れたくないという気持ちの方が強かった。別れて、また別の誰かに恋することが怖かった。
「大学進学したらお互い地元も離れるし、こうやってしょっちゅうは会えなくなる。大学に入ったら、茜は僕の知らないところで、僕の知らない人達と、僕としてたように沢山演劇の話をして、演劇を観に行って、そして僕とはできなかった劇をする。そうしたら、茜はそっちの方が楽しくなって、僕から離れていくんじゃないかなって怖いんだ。だから僕はランクを落としても茜と同じ大学に行きたいって思ってたんだ。」
そう伝えると、茜は本当に驚いたような顔をして、そんなこと考えてたのと言った。
「離れたからって、それくらいでわたしが光と別れるわけないでしょ。そんなにわたしのこと信用してなかったの?」
そう言って茜がムッとした顔をする。
「わたしが光に告白したの、身近に演劇の話ができるの光くらいしかいなかったからじゃないからね。それだけなら友達止まりだから。付き合ってなんて絶対に言わないから。光と離れて他に楽しく演劇の話しで盛り上がれる人ができたからって、ほいほい乗り換えるような浮気者じゃありません。そんなこと言って、光の方こそ気変わりしたら許さないからね。」
そう言って怒る茜に、香坂はまたごめんごめんと謝った。
こうやって彼女と他愛もないことで喧嘩するのも楽しかった。この時間が香坂にとって本当にかけがえのない時間だった。
「僕は君が好きだよ。本当に、君のことが大好きなんだ。だから不安になる僕の気持ちも解ってよ。」
「わたしも光が好き。だから、不安になられると信用されてないみたいで凄く嫌だ。今まで通り電話もするしメールもする。離れてたって沢山話はできる。一緒にいられる時間が減って、ちょっと会える日が少なくなるくらい我慢しなさいよ。そしてわたしを信じて。信じてくれないで今から浮気の心配するなら今すぐ別れる。そんなんじゃどうせもたなくなるし。」
「え?ちょっと待って。解ったから。信じるから。もうそういうこと言わないから。」
焦ってそう言う香坂を見て、茜は笑って、そしてそっと彼にキスをした。それに驚いて香坂は彼女を見て、微笑む彼女と目があって、その瞳に勇気づけられ微笑みを返した。
「茜、大好きだよ。」
「わたしも。」
お互いに見つめ合いそう言い合って、そして二人はキスをした。
大学に進学してもきっと大丈夫。そう思っていた。何も変わらず、このままずっと普通に過ごせると、香坂はそう思っていた。
でも、そうはいかなかった。
演劇部が新入生勧誘の出し物としてやっていた大道演劇に捕まったとき、香坂は自然と身体が動きその場で即興劇に混じっていた。高校時代に茜といつもやっていたそれを他の誰かとやるのは本当に久しぶりで、そして楽しかった。即興劇をしながら彼女に言われた言葉を思い出し、そして香坂はここで改めて演劇を始めるのもいいかもしれないと思った。やっぱり自分は演劇が好きだ。観るのも、演じるのも。だからここでまた始めて、そしてその話しを彼女と沢山できたなら、きっと離れていても楽しいに違いない。お互いが違う場所で同じ事に夢中になっているのを、お互いに報告し合って励まし合っていけたなら、きっとそれはそれでとても楽しい事だと思った。そして、即興劇が終わって、三島に声を掛けられて、香坂は固まった。こんな所で没交渉となった幼馴染みと再会するなんて思っていなかった。
「光。お前、演劇辞めてなかったんだな。」
そう言う幼馴染みの顔がどこか嬉しそうで、香坂は胸がつまった。
「高校時代は演劇はしてなかったよ。」
「中学の時より表現力も演技力も格段に良くなってる。団体には所属してなかったとしても、個人でずっと練習してたんだろ。そうじゃなきゃそんなに上達するはずがない。一回離れてみて、それで、結局お前は演劇を捨てられなかったんじゃないのか?やっぱもう一度演技したいって思ったんじゃないのか?だからさっきあんな生き生きと演技してたんじゃないのか?」
そう問いかけられて、香坂は目を逸らした。
「光。演劇部に入部しろよ。ここでもう一度、俺と演技しよう。」
強い意志を持ってそう誘われて、香坂は苦しくなった。健人ともう一度劇をする。同じ舞台を観て、大きくなったら今度は自分達があっち側に立って会場中の拍手喝采を浴びるんだと、夢を語り合った幼い頃の自分達を思い出して、そして一緒にその夢に向かって走っていた時間を思い出して、香坂はムリだよと呟いた。
「僕は君との約束を破って逃げたんだ。一人で、君を置いて演劇から離れた。今更、君とまた演劇なんてできない。」
「そんなこと別に良い。今お前がまた演劇がしたいっていうなら、過去の事なんてどうでも良いんだよ。お前はどうしたいんだ。演技がしたいのか、したくないのか。したいんだろ?違うのか?」
そう言われて香坂は顔を伏せて黙り込んだ。演技がしたいかしたくないか、そう言われればしたい。やっぱり自分は演劇が好きだ。自分なりの表現で、自分らしい演技をして、そして物語の一部になって物語を紡ぎたい。また思いっきり演技がしたい。でも。君とじゃダメなんだ。君とだけはダメなんだ。君と演劇をしたら、また昔みたいに夢中になってそれにのめり込んで、あんな時間をまた君と過ごしたら、そしたら・・・。そう考えて、香坂の脳裏に茜の姿が蘇った。そうだ、今の僕には茜が居る。あの時とは違う。あの時とは違うんだ。今の僕ならもう一度、彼と本気で舞台ができるだろうか。また彼と舞台がしたい。そして今度こそ二人で交わした約束を・・・。そんな思いが湧き出てきて、香坂は顔を上げた。
「光。戻ってこい。また一緒に劇をしよう。」
そう言われて、香坂はそれに否とは答えられなかった。本当はずっと自分は彼と劇がしていたかった。ずっと二人で夢を追っていたかった。自分が演劇から離れたのは、全く演劇とは関係ない本当に自分個人の問題だったのだから。そして多少の不安を抱えたまま、香坂は三島の誘いに乗って演劇部に入部した。
そうして始まった大学生活は、初めの頃は問題なく過ぎていった。距離は離れても茜との関係は良好で、学生生活も順調だった。部活では皆で劇を作りあげていく久しぶりの感覚に胸が躍り楽しかった。
市ヶ谷学園大学演劇部の稽古はハードだった。香坂にとってはそれは楽しい物だったが、その過酷な練習や容赦ない先輩達の叱責についていけなかったのか一人一人と同期の女性部員が辞めていき、今年の女子は根性ない奴ばっかだななんて憤りつつ、自分達の接し方が悪いんだろうかと悩む先輩達が、唯一残った女性部員を絶賛しお前は辞めるなよと激励する姿を見て、香坂はなんとも言えない違和感を覚えた。なんとなく香坂は唯一残った女性部員に好感が持てなかった。美人で実力もあって人当たりのいい彼女の何が引っかかるんだろう、そう思いつつ、彼女の事が香坂は好きにはなれなかった。
『光、その人に嫉妬してるんじゃない?』
自分の中に芽生えた違和感の正体が解らずモヤモヤして茜に相談するとそう言われて、香坂はまさかと言って笑った。
『だってその人。健人君だっけ?光の幼馴染みと仲が良いんでしょ?中学で喧嘩して没交渉になってた幼馴染みと大学で再会してせっかく仲直りできたのに、その人に間に入ってこられて嫉妬してるんじゃないの?僕の健人がとられる、なんてね。』
茜に冗談っぽい口調でからかうようにそう言われ、香坂は心臓が止まるかと思った。
「そっか。それなら、茜も健人に嫉妬されちゃうかもね。俺の光をとったなって。」
そう冗談で返して笑い合う。この会話が電話で良かったと思う。そうじゃなかったら、今の自分の表情を彼女に見られてた。今自分がどんな顔をしているのか解らなかったが、絶対に彼女には見せられない顔をしていた事だけは確かだった。そんなことを思って、香坂は苦しくなった。嫉妬か、本当に嫉妬なら、僕は・・・。そんなことを考えて、香坂は女性部員に対する違和感について考えないようにすることにした。
新入部員達が次々に辞めていき無事に公演できるのか心配されていた新入生お披露目公演を残ったメンバーで無事にやりきり、ホッと一息吐いた頃、三島が唯一残った同期の女性部員と付き合い始め、香坂はモヤモヤした思いを抱きながらもそれを隠して二人を祝福した。実力から考えても間違いなく自分達の代を背負っていくことになるであろう二人。実力だけでなく並んでお互いが見劣りしない美男美女のカップル。誰が見てもお似合いだった。香坂自身お似合いだと思った。なのに心から祝福できない自分がいて、それが自分の立ち位置を他の誰かにとられるという嫉妬心からなのか、それとももっと別の何かなのか解らなくて。本当のことを解りたくなくて。香坂はそれとなく二人と距離をとった。今まで通り、普通に部活の仲間という距離感を保ったまま、ただ三島と幼馴染みとしての距離で接することをやめた。そう、元々健人と一緒に舞台に立つ夢を捨てたのは僕の方なんだ。大学で再会して、健人の言葉を受けて、茜に支えられて、もう一度なんて夢見たけど、でも、何も告げず一方的に約束を反故にした自分にまた一緒に夢を追う資格なんて本当はなかった。チャンスをもらったけど、でも、彼と一緒に夢を追いかけるのは、彼女の方がふさわしい。そう思った。
『光、最近元気ないね。どうかした?』
茜にそう訊かれ、香坂は別になにもないよと答えた。
『嘘。前は、毎日楽しそうに部活の話ししてたのに最近定期報告みたいで全然楽しそうじゃないもん。何かあったんでしょ。』
「いや。実は健人が例の子と付き合いだして。ほら、高校時代に僕達がやってたみたいにずっと健人とプライベートでも白熱して語り合ってたりしたから。やっぱ彼女ができたならそっちを優先させるべきだろうしって思って、健人のこと捕まえないようにしてるんだけど、やっぱさ。」
『なんだ、光、寂しいんだ。それとも自分が彼女にあまり会えないのに友達が目の前でいちゃついてるから嫉妬してるとか?』
からかうようにそう言ってくる茜の声を聞いて、香坂はそんなんじゃないよと言って笑った。
「でも、あまり会えないのはやっぱ寂しいかな。」
『わたしも。毎日のように電話してるけど、光に会いたいな。早く次のデートの日にならないかな。』
「僕も、早く茜に会いたい。」
『そうだ。今度デートするとき久しぶりに二人で稽古しようか。高校生の時みたいにさ。部活に縛られないで二人でエチュードして、お互いの演技評価し合って言い合って。沢山話ししようよ。』
「そうだね。楽しみにしてる。」
そうして他愛のない話をして、電話越しに二人で笑い合った。彼女の声を聞いていると胸が暖かくなって、安心できて、香坂はとても心が軽くなった。
「茜。大好き。」
『うん。わたしも光が大好きだよ。』
少し照れたようにそう返してくる彼女の声を聞いて、香坂は小さく笑った。本当に彼女が好きだった。本当に彼女が居てくれて良かったと、そう思った。
「ねぇ、あんた部活辞めてくれない?目障りなんだけど。」
普段の人当たりのいい様子と打って変わって不遜な態度で見下すように同期の女性部員にそう言われ、香坂は一瞬何が起きたのか理解できなかった。
「あんたの演技、地味だし全く華がないし、あんた自身ぱっとしないし。大した実力もないくせにここにいて恥ずかしくないの?もしかして皆が褒めてくれてるの本気にしてるの?バカじゃない。多少は褒めておかないと叱ってばかりじゃ潰れてしまうでしょ。だからあんたが潰れてしまわないように、皆が気を遣って言ってくれてるだけ。繊細な動きによる表現力?笑っちゃう。表現力くらいしかあんたに褒められるようなところが無いから、そこを誇張して言ってるだけじゃない。あんたなんてこんな大きなとこ不釣り合いよ。もっと弱小の、どうでも良いような誰にも注目されないようなそんな所でこじんまりとやってるくらいがお似合い。実力がない人はさっさと消えて。」
自分を追い詰めるようにそう言ってくる彼女の姿を見て、香坂は自分の中で何かがすとんと腑に落ちた気がして妙に清々しい気分になった。なんだ怖がる必要なんて無かった。僕のこの人に対する嫌悪感は、別に嫉妬心でも何でもなかったんだ。ただ第六感でこの人の本性を感じ取り、本当に人としてこの人が好きになれなかった、それだけのことだった。そう思って安心した。
「おい。今、お前、光になんて言った?撤回しろ。」
後ろから三島の怒声が聞こえ、香坂はハッとした。
「大丈夫?さっき彼女があなたを追って行くのが見えたから心配で・・・。」
そう先輩に顔を覗き込まれて、香坂は大丈夫ですと答えた。
「あなた、今まで辞めた子達にもこういう事してたでしょ。男共はすっかり騙されて女のひがみだとか何とか言ってくれたけど、やっと尻尾捕まえたわよ。」
そう別の先輩が彼女を睨み付けて、そして、集まってきた部員達に囲まれて、彼女は両手で顔を押さえ蹲り泣き出した。
「ごめんなさい。わたし、別にそんなんじゃ。今までこんなことなんて一度もしてないです。本当です。信じて下さい。」
そう言って嗚咽を漏らして訴えて、彼女は泣きながらだって健人が・・・と言い訳を始めた。涙ながらに、付き合ってるのに三島がプライベートでも芝居のことばかりで全然自分といる時間を大切にしてくれなかっただとか、三島が香坂の事ばかり評価して全然自分の芝居を評価してくれないから焼きもちを焼いてしまったのだとか、だから香坂に八つ当たりをしてしまったのだとかと言って、ごめんなさいを繰り返す彼女を見下ろして、三島がふざけるなと怒鳴った。
「そんな理由であんな暴言人に向けることが許されると思ってるのか。俺に不満があるなら直接俺に言え。」
泣いている彼女に容赦なく怒声を浴びせる三島に部員達の避難の目が向いた。それを三島は一蹴し、彼女に俺はお前ともう付き合えないと別れを告げた。
「そんなにちやほやして構って欲しけりゃ、俺じゃなくてそうしてくれる相手捕まえろ。」
そんな冷たく響く三島の声に、彼女は黙り込み身を震わせて、悲痛な表情を浮かべ顔を上げた。
「バカ。わたしは。わたしは・・・。」
そう言って彼女は目から大粒の涙をポロポロと流した。
「口を開けば光、光って。幼馴染みかなんか知らないけど、いつも二人で一緒にいて。本当は二人付き合ってるんじゃないの?それで、わたしのこと目眩ましに利用してたんじゃないの?わたしの好きって気持ち利用して、だから・・・。」
そう言って顔を歪ませて、彼女はまた両手で顔を押さえて大声で泣いた。それを何言ってんだと呆れたような顔で見下ろす三島と違い、香坂はそれを聞いてさっと血の気が引いた。どうせ演技だから気にしちゃダメよと言う先輩の言葉が、香坂の耳を通り抜けた。
そうして彼女は退部し、その騒動をきっかけに彼女を擁護する派と避難する派で対立が起き部内がギスギスした。部に残り非難の対象となった三島は、別に態度を変えることもなく相変わらず愚直なまで真っ直ぐに芝居に取り組み、そのことを芝居にまで影響させてくる部員に苛つきぶつかって、そしてまた同期の何人かが部を去って行った。
「お前もいつまでもあのこと引きずってないで、いいかげんまた芝居に集中しろよ。」
三島にそう言われ、香坂は曖昧に笑った。あれ以来、彼とどう接すれば良いのかわからなくなっていた。解っていた。彼女が言った言葉が非難の目を自分から逸らして三島に向けさせるためだけに放たれた物だと。そして彼を貶めるために最後に言葉を付け加えたことを。でも、その言葉が香坂には深く突き刺さった。彼女の言葉を受けて自分がそう言う類いの人間なのだと誰かに思われているのではないかと不安になって、そう思われないためにはどんな距離でどんな風に接することが正しいんだろう、そんなことを考えて。そして疲弊した。自分がそう言う類いの人間でないと否定できないから。だからいくら周り励まされ、三島にいいかげんにしろと怒られても、元の通りにできなかった。元の通りに接することが怖くなっていた。だから、演技もどこか引き気味になって、思い切りできなくなって。苦しかった。乗り越えようともがいて、演技に打ち込もうともがいて、そしてその先に三島を見付けていつも気が引けた。
そんな香坂を心配する茜に、彼は何も言えなかった。言えるわけがなかった。自分がバイセクシャルであるなんて。そして、健人がただの幼馴染みではなく自分の初恋の相手だなんて。だから苦しんでるなんて、そんなこと言えるはずがなかった。今は彼に恋愛感情は無い。でも、かつて彼に恋愛感情を抱いていたと言う記憶が香坂を縛った。それに縛られ、劇の中とはいえ彼に触れることが怖くなった。今は違う。今、僕が好きなのは茜だ。僕には茜がついてる。だから大丈夫。何度もそう自分に言い聞かせ、何度も一歩を踏み出そうとした、でも、できなかった。怖かった。色んなことが。何かの拍子におかしいと思われるんじゃないかとか。自分のことを彼に知られることも、彼女に知られることも。そして知られた時拒絶されることが怖かった。彼女に知られて、本当に彼女のことが好きなのに、自分がホモセクシャルだということを隠すためのカモフラージュに彼女と付き合っていると思われるんじゃないか、そんなことを考えて怖かった。
「光。光は今でもわたしが好き?」
茜にどこか悲しそうな瞳で見つめられそう問われて、香坂はもちろんと答えていた。
「僕は茜が好きだよ。大好きだ。君じゃなきゃダメなんだ。」
そう言って茜を抱きしめる香坂の背中を彼女は優しく撫でた。
「じゃあさ、光が何に悩んで何でそんなに苦しんでるのか教えてよ。」
そう言われて香坂は胸が締め付けられた。
「高校生の時さ、わたし全然オーディションに受からなくて、へこんでてさ。光がいつも話し聞いてくれて、励ましてくれて、一緒に練習してくれて。わたし、いつも光に助けてもらってた。光に支えられてた。光がいてくれたから、わたし、ずっと頑張れた。わたしもね、光の支えになりたいよ。光が苦しいとき、辛いとき、それを分かち合って一緒に乗り越えたいって思うよ。だから、光。あなたが何に苦しんでるのかわたしに話して。」
優しい声音でそう語りかけてくる茜の言葉を聞いて、香坂は涙が溢れた。彼女を抱きしめる腕に力を入れて、彼女の首筋に顔を埋めて、そして、香坂はごめんと呟いた。それを聞いた茜が、泣きそうな声でそっかと呟いた。
「やっぱり話してもらえないんだね。こんなにずっと一緒にいたのに、まだ、光にとってわたしはそこまで安心できる存在じゃないんだね。ねぇ、光。わたし光が好きだよ。大好き。だから、こんな風になってるあなたを見るのが辛い。ずっと辛かった。もうさ、こうなってどれくらい経つ? わたし光のことが解らないよ。どうすれば光が楽になれるのか、自分がどうすれば良いのか解らない。ごめん、光。わたしもうムリ。もう、耐えられない。」
そう言って茜が涙を溢れさせた。
「ごめん、光。光。わたし、光が好き。本当に好き。でも、だからもうムリ。もうムリなの。傍にいられない。もう、耐えられない。ごめんね。こんなあなたを一人にするなんてって思う。でも、わたし・・・。」
そう言葉を溢れさせて、茜は香坂にしがみついて泣いた。
「光。わたし。何に悩んでるのか教えてももらえないまま、ただ何もできないで苦しんでるあなたを傍で見続けるなんて、もう耐えられない。もう耐えられないよ。だから、お願い。光、わたしと別れて。」
そう別れを告げられて、香坂は大切な人を失った。引き留めることはできなかった。引き留めることなんてできるわけがなかった。自分は結局、彼女になにも本当のことを話すことができないのだから。そうして一人になった香坂は、自分の中の後ろめたい感情ともう一度本気で芝居がしたいという思いに挟まれ、葛藤し、戦いながら、結局、諦める勇気も、踏み出す勇気も持てないまま、中途半端な気持ちで、中途半端な立ち位置で、ずっと変わらない時を過ごしてきた。変わろうと、一歩踏み出すきっかけを作ろうと、たまたま引っ越し先を探すために訪れた不動産屋でばったりあった三島にルームシェアを提案された時それにのって、彼とこうして一緒に暮らすようになった現在もずっと、結局香坂は変われずにいたままだった。彼女を失った現在、彼女がいたときよりずっと三島に触れるのが怖かった。また昔のように近くにいて、昔と同じように彼と過ごしていたら、また自分はあの頃と同じように彼に想いを寄せてしまうのではないか。幸い自分はバイセクシャルだから、恋する相手が女性ならば問題ない。男性に恋をしたらそれは諦めれば良い。でも諦めるにしても三島の存在はあまりにも自分に近すぎて、彼とは友達としても離れたくなくて、彼だけにはもう恋はしたくなかった。そんな感情に縛られて香坂は今も動けないままだった。茜と別れた時と同じように、自分が何も打ち明けられないから彼を余計苦しめているのだと解っていたが、でもその時と同じように結局恐怖の方があまりにも大きくて、怖くて、苦しくて、香坂はどうすることもできなかった。
「わたしにとって敵なのは、あなたの名前だけ。たとえモンタギュー家の人でなくてもあなたはあなたのまま。モンタギュー。それがどうしたというの?手でもなければ足でもない、腕でもなければ顔でもない、他のどんな部分でもない。その名前を捨てて何か違う名前を付けて。名前にどんな意味があるというの?バラという花に他のどんな名前をつけようと、その香りに変わりはないはず。それは、ロミオ、あなただって同じ。ロミオという名前でなくなっても、その神のごとき姿はそのままに決まっている。あぁ、ロミオ。どうかその名前を捨てて。そしてあなたの血肉でもなんでもないその名前の代わりに、このわたしの全てを受け取って欲しい。」
サクラハイムの庭で、一人ロミオとジュリエットのワンシーンを演じて、香坂は一息ついた。そして拍手が聞こえ、凄いと目を輝かす西口和実と目があって、香坂は苦笑した。
「ありがとうございます。でも、そんなに褒めて頂く程じゃ。これじゃ全然ダメです。男が女性を演じるにあたってより自然に見せるにはどうしたら良いかなと思って、やっぱり可憐でかわいらしい感じや、淑やかでおとなしい感じの女性は難しいので、勝ち気で勇ましい女性のイメージにしてみたんですけど。でもそうするとやっぱり男がでてしまって、そうならないように女性らしさを出すためにはどうしたらって、その辺意識してやってみたんですが。実は母がクラシックバレーの教室を開いていて自分も幼い頃させられていたので、その動きをとりいれてみたら少しは女性らしいしなやかさが出るんじゃないかと思ってやってみたんですが、やっぱり何か違うんですよね。」
「いやいや、香坂君、本当凄かったよ。香坂君の演技にわたし思わずみとれちゃったもん。」
「ねぇ、光。光はジュリエットを本気でやるつもりなの?」
興奮気味で話す和実の横で、花月が神妙な面持ちで高坂を見てそう訊いた。真っ直ぐ自分を見つめる花月の視線を受けて、香坂はそれに耐えられず視線を逸らした。
「光。目を逸らさないで。ちゃんとわたしを見て。」
強い口調でそう言われ、香坂はハッとして視線を戻した。
「光が真剣に全力でやらないって言うなら、やらなくて良いって言うなら、光達の引退公演、わたしがジュリエットやる。皆が納得できるような演技ができるように、今から頑張って、必死に頑張って、それでわたしが舞台に立つ。光はそれでいいの?」
そう問われて香坂は言葉をつまらせた。
「わたしは良くない。そんなの良くないって思う。やっぱり、そこに立つのは光であるべきでわたしじゃないって、わたしはそう思う。でも、光が頑張らないなら、ちゃんとやらないなら、絶対に劇は良いモノにならないから、絶対に皆後悔するから。だから。光が本気出せないならわたしやる。文化祭の時みたいに、皆がキラキラした顔できるように、わたしが光の代わりに頑張るって、頑張ろうって、そう思うんだ。」
そう言って花月は、光頑張ってよと叫んだ。
「今、ジュリエットの練習してたのだって、本当はやりたいからでしょ?わたし、光が演劇が大好きだって知ってる。本当は健人と演技がしたいんだって知ってる。健人だって本当は光と舞台に立ちたいんだって、わたし知ってる。光から沢山話しを聞いて、色々教えてもらって。健人とランニング行って、一緒に稽古して。そうやってわたし二人と過ごしてきたから、だから、二人が本当は同じ気持ちでいるって、わたし知ってる。でも、光が勇気を出せないから二人はすれ違ってるんでしょ。ずっとすれ違ったままなんでしょ。」
そう言って、花月は香坂の胸を拳で押した。
「光、言ってたよね。勇気の花を自分も頑張れば咲かせられるのかなって。咲かせたいなら、咲かせるのは今だよ。頑張るのは今だよ。今、咲かせないと絶対、絶対に後悔するよ。光が今頑張らないと、光も健人も二人とも絶対に後悔する。わたし二人に後悔して欲しくない。だから頑張って。」
そう懇願されて、花月に押された胸が熱くなったように香坂は感じた。
「そっか、勇気の花は一人で咲かせるものじゃなかったんだね。」
そう呟いて、顔を上げた花月と目が合って、香坂はなにかが吹っ切れた気がした。
「チイちゃんも一人じゃなかった。一歩を踏み出す勇気が足りなくて、勇気の花を探しに出掛けて色んな人に会って、そして最後にフクロウのお爺さんに教えられて自分の中の勇気の花を見付けた。頑張ろうと動き出す気持ちと、それでも頑張れなくて悩む時間、そして背中を押してくれる誰か。僕にとってのフクロウは花月ちゃんなんだね。僕はここで頑張らなきゃいけないんだ。チイちゃんみたいに。」
そう言って笑って、香坂はありがとうと言った。
「結果がどうなるかは解らない。僕が勇気を出した結果、それが悪い方向に転ぶかもしれない。でも、頑張るよ。今のままでいて、僕の臆病に付き合わせて、これ以上大切な誰かを苦しめ続ける訳にはいかないから。だから、一つだけお願いしても良いかな?花月ちゃん。もし僕が勇気を出して、それで悪い方向に転がって、僕がジュリエットをできなくなったら。そうしたら、その時は、君が代わりにやってくれる?他の誰かじゃなくて、僕は君にやって欲しいんだ。君ならきっと皆の想いを受け取って全力でやってくれるって信じられるから。」
香坂のその願いを聞いて、花月は真剣な顔で解ったと答えた。そんな花月の様子に背中を押され、香坂は三島に会いに行った。今まで話せなかった自分の秘密を打ち明けに、大切な幼馴染みの元に向かった。
「健人。話しがあるんだ。聞いてくれるかな?」
そう声を掛けると、三島が不機嫌そうに何だ?と訊いてきて、香坂は心の中で深呼吸をした。
「今までごめん。ずっと、君とちゃんと向き合えなくて。君がきっかけを作ろうとしてくれてたこと、僕がまた本気で芝居をすることを望んでくれてたこと、解ってたのに、ずっと逃げてて本当にごめん。きっと君には解らなかっただろうけど、僕も本当はずっと元通りになりたかった。それでどうにかしようとこれでも努力してた。でも、ずっと勇気が持てなかったんだ。一歩踏み出す勇気が。怖くて怖くてしかたがなくて、君に本当のことを何も打ち明けられなかった。それで中途半端なところでフラフラして、君を怒らせてばかりいて。本当にごめん。でも、僕は本気でまた君と芝居がしたい。本当はずっと芝居がしたかったんだ。引退公演、僕も一緒にやらせて欲しい。もう一度、君の隣に立たせて欲しい。」
そう頭を下げる香坂を三島は複雑そうな顔で見ていた。
「そんなこと言って、どうせまた臆病風に吹かれて逃げるんじゃないのか?」
「今のままじゃそうかもしれない。だから健人。そうならないように、僕がどうして今芝居に打ち込めないのか聞いて欲しい。ずっと、何に悩んでいたのか。君に聞いて欲しいんだ。」
そう言って真っ直ぐ自分を見つめる香坂の視線を受けて、三島は考えるように眉間にしわを寄せ、そして、話せよと呟いた。
「とりあえず、今までうだうだしてた言い訳ぐらい聞いてやる。」
そう言って三島が香坂の方に向き直って、香坂はありがとうと言って笑った。
「実は僕、バイセクシャルなんだ。」
「はぁ?」
「僕は、女性だけじゃなくて、男性にも恋愛感情を抱ける。僕達が一回生だったとき、健人の彼女にさ、本当は僕達が付き合っててそれを隠すために健人があの人と付き合ってるんじゃないかって言われたの覚えてる?それが言いがかりなのは解ってるんだけど、僕はこういう性質を持ってるから、だから、アレをきっかけに誰かにそう言う目で見られてたらって、そういう風に見られて、何かをきっかけに本当に僕がこういう性質を持ってるって誰かに知られたらって思って怖かった。それで、人との距離の取り方が解らなくなった。人に触れるのが怖くなって、それが芝居にも影響して、芝居に集中できなくなった。」
そこまで話して、香坂は一つ息を吐いた。
「中学生の時、演劇から離れたあの時、君に何も言えなかったのは、あの時は自分がホモセクシャルなんじゃないかって悩んでたからなんだ。実はあの頃初めての恋をして、それで、その相手が男だった。最初は否定しようとして、でもどんどん彼に惹かれてく自分がいて、男相手に触れたいだとかキスしたいとかそういう思いが膨らんでって、どうしようもなくなって。苦しくて。でも、そんなこと誰にも言えるわけないじゃん。誰にも相談できるわけないじゃん。気持ち悪いって思われるだろうし、そんなこと知られたら自分の全てが崩れる気がした。だから離れたんだ。何も言えなかった。あの頃は何もかもが怖くて、人と関わりたくなかった。人を避けて、一人になって、ずっと一人でいたかった。でも、高校生になって、親しい女の子ができて、彼女に恋をして、ホッとした。自分はホモセクシャルじゃなかったんだなって、ちゃんと女の子に恋ができるんだって、凄くホッとした。なら別に大丈夫だって。これを誰かに打ち明ける必要も無いし、僕は普通に生きられるって、そう思った。それでまた、普通に人と関われるようになった。それで大学生になって、君と再会して、中学生の時は何も言わずに逃げちゃったけど、でも今ならまた向き合えるかなって。また君と本気で芝居ができるんじゃないかって、それで演劇部に入った。でも、一回生の時のあの件で、僕はまた自分の性質に悩まされることになった。あの頃は彼女もいたし、気にする必要は無いって、意識するからダメなんだって解ってた。でも、自分にそう言い聞かせればそう言い聞かせるほど、逆に自分がそういう性質であるってことを意思していって、意識がそれに縛られて、思うように芝居ができなくて、苦しくてしかたがなかった。そんなことに縛られて思い切り芝居ができないことが悔しくて、弱い自分が情けなくて、でも乗り越えることができなくて。僕のこと心配して傍にいてくれた彼女に、あの人に言われたみたいに僕がカモフラージュで彼女と付き合ってるって思われるんじゃないかって怖くて、自分が悩んでいることを何も打ち明けられなくて。それで、それが彼女を苦しめて、彼女と別れることになった。僕にとって彼女は支えだったんだ。絶対に必要な存在だった。でも、自分のせいで彼女を失って、僕は何かをする気力がなくなった。でも、結局芝居をしたいって気持ちを諦めることも、開き直って芝居に打ち込むこともできなくて、漠然とこのままじゃダメだって、変わらなきゃって思いながらも、中途半端に君が与えてくれるきっかけを掴んでは離して、自分が踏み出さなきゃいけない最後の一歩を踏み出す勇気が持てなくて、君を怒らせて傷つけて。そんなことばかりしてて、それでその上、君が本気で向けてくれた誘いを拒絶したんだ。だから、愛想尽かされれるのは当然で。というか、よく今まで付き合ってくれてたなって思うくらいで。本気でぶつかってきてくれる君の手を取れない自分が情けなかった。君に僕にはもう期待しないって、やる気がないなら今すぐ辞めちまえって、そう言われて、そう突き放されてようやく、僕は、心から本気で辞めたくないって思った。本気で引退公演を君と演じたいって、そのために自分の弱さに勝たなきゃダメだってそう思った。そのためには君に全部打ち明けるべきだと思ったんだ。僕が人に隠しておきたかった僕の秘密を。知られるのが怖いから踏み出せないなら、自分から打ち明けるべきだと思った。」
そう語って、香坂は困ったような顔をして笑った。
「同居、解消しようか。」
「なんでそうなる?」
「いや、だって。僕は・・・。」
「どうでもいいだろそんなこと。いくら男も恋愛対象になるからって、誰彼構わず好きになるわけでもなけりゃ、同意もないのになんかするような奴じゃないだろお前は。なんだ?俺と同室だとなんか不都合があるのか?まさか、今まで俺に変な気起こして辛かったとか言わないよな。それならルームシェア提案した時点で断れって話しだし。」
「それはそうだけど。いやでもさ・・・。」
「お前が出て行きたいなら出てけよ。俺は出てかないから。好きにしろ。」
そう言って大きな溜め息を吐いて、三島はありがとなと呟いた。
「そりゃ、そんな話し打ち明けられるわけないよな。俺だって自分がそうなら、きっとお前に言えなかった。でも、お前がちゃんと話してくれてスッキリした。俺は、ずっとお前が子供の頃の約束に縛られて苦しんでるんじゃないのかって思ってたんだ。役者になる気がなくなったのに言い出せなくて、それで中学の時は離れて、でもそれが気になってて芝居を続けてて、それでどっちつかずになってたんじゃないかって思ってた。あとは、一回生の時のあれで才能がないだのなんだのと暴言吐かれたから芝居するのが怖くなったんじゃないかって思ってた。でも、俺との約束があるから辞めたいのに辞められないでいるんじゃないかって、俺がお前と芝居したいって気持ちを押しつけるのはお前にとって負担でしかなかったんじゃないかって思ってた。でも、そうじゃなくて本当良かったよ。これで気兼ねなくお前も一緒に全力で突っ走れる。」
そう言って三島は嬉しそうに笑った。
「今お前と本気で芝居ができるなら別に一緒に役者になれなくても良いんだ。きっかけはあの舞台で、そしてあの時交わした約束だったけど。俺は実際に演劇に関わって芝居の奥深さに惹かれて、それで本当にこれを自分の仕事にしたいと思った。でも、狭き門だしな。俺だって実際に役者として成功できるかどうかも解らない。あんな大きな舞台で拍手喝采浴びるなんて夢のまた夢だって今なら解る。だから、お前が他の職業に就きたいって言うならそれでいいんだ。俺は文化祭公演でお前と並んで拍手喝采を浴びて解ったんだ。俺はただ、お前と今本気で舞台がしたかっただけだったんだなって。それで、もう一度、俺たちの学生最後の舞台をお前と全力でやりたいって思ったんだ。もう一度お前とあの景色を見たいって思ったんだ。だから光、今度こそ本当に本気で一緒に芝居してくれるよな?」
そう言われて、真剣な目を向けられて、香坂は胸の奥からこみ上げてくる何かを堪えながら、もちろんと三島に笑顔を向けた。
「ありがとう、健人。僕、頑張るよ。今度こそ、全力で。皆で一緒に僕達の代の最高の舞台を作りあげよう。」
そうして二人は、じゃあ早速それを前提で引退公演の打ち合わせ始めてかないと、自分達の代はただでさえ準備が必要なことが多いなんて話をしながら、楽しそうに芝居の話しを広げていった。




