第九章 夏休み
部屋で机に突っ伏している楠城浩太を見て、柏木遙が今日は花月の勉強見に行かなくていいの?と声を掛けた。
「いいの。ってか、俺もう教えられないし。」
突っ伏したままふて腐れるようにそう言う浩太を見て、遙はあぁもう追い越されたんだと呆れたように呟いた。
「じゃあ、自分のテスト勉強したら?期末テストもうすぐでしょ。」
「やる気起きない。」
「ったく。浩太が勉強やる気起きた事ってないでしょ。」
「それもそうだけど。なんていうかさ、ついこないだまで全然勉強できなかった花月ちゃんが、もう俺より勉強できるようになってんだよ?もうやってられないよ。最近まで何きかれても教えてあげられて、教えてあげるとそうかそうすれば良いんだって目キラキラさせて、浩太ありがとうって笑顔向けてくれてたのに。それがさ、きかれてもわかんないし、ごめんって言うとじゃあ他の人にきくって、残念がられるわけでもなくさらっとながされて。俺なんかどうせさ・・・。」
「じゃあ、お前も勉強してまた教えられるようになれば良いじゃん。」
「花月ちゃんのペースに俺がついてけると思う?頑張ったところでこのまま突き放されて終わりだよ。そんなの格好悪いじゃん。」
「あっそ。じゃあ、花月のこと諦めたら?今の浩太に振り向いてもらえる要素なんて皆無だし、花月ちゃん花月ちゃんっていちいち言われるのもうるさいし。きっぱり諦めてくれればこっちも清々する。」
そう遙に突き放されて、浩太はそんなこと言われてもさと毒づいた。解ってるよ、俺に振り向いてもらえる要素が皆無なことぐらい。頭悪いし、背も低いし、運動神経には自信あるけど別に部活やってるわけでもなくて何かの選手してるわけでもないし。何か自慢できる事があるかっていわれたら特に何にもなくて、特技といえばスケボーとジャグリングぐらい?小さい頃テレビで見て格好いいって思って嵌まって、これだけは人よりできる自信はあるけど、それが何の役に立つのって感じだし。初めて会ったときは花月ちゃんも俺がスケボーで大技決めるの見てかっこいいって目キラキラさせてくれたけど、でもだからってそれで好きになってくれる訳じゃないし。きっと花月ちゃんにとって俺はその他大勢と同じ扱いで、別に特別でもなんでもない。でも、でもさ。だからって、そう簡単に諦められたら苦労しないよ。そう思って浩太はぐったりした。
「結局さ、浩太って花月の見た目が好きなだけなんでしょ?」
遙に冷めた声でそう言われて、浩太は即座に違うよと叫んで起き上がった。そして、胡乱げな視線を向けられて、見た目が好きってことは違わないけど、と口籠もる。
「でも、別に見た目だけが好きなわけじゃ・・・。」
「じゃあ、どんなとこが好きなの?」
そう言って遙が溜め息を吐く。
「結局さ、浩太は何も知らない花月に優越感覚えていい気になってたんでしょ。それが花月の方ができるようになったから面白くなくなって、ふて腐れて。それってどうなの?あれだけ頑張ってるあいつ見ても自分も頑張ろうとか、負けないようにしようとか思わないんだ?あいつがどれだけ努力してそこまで辿り着いたのかあんな間近で見てたくせに、そうやってふて腐れて、どうせ俺はって自分がなにもしてこなかったの棚に上げて、あいつの努力を認めてやらないんだ? このまま花月が努力し続けてどんどん先に行って、成長してって、本当に浩太が追いつけないとこまで行っちゃったらどうするの?お前はどう思うの?結局、あいつのことちゃんと見てやらないまま、あいつの頑張りを認めてやらないまま、お前は勝手にふて腐れて離れてくんでしょ。浩太にとって花月はその程度の存在なんでしょ。ならもう諦めなよ。お前の自分勝手な片思いなんて、見てる俺が腹が立つ。」
突き刺すように冷たい視線を向けられて酷く苛立った声音でそう言われて、浩太は違うと言いたいのに何も反論できなかった。花月ちゃんが凄く頑張ってるのは知ってる。努力してる花月ちゃんを見て、凄いなっていつも思ってる。新しいことを一つ覚える度、できなかったことが一つできるようになる度、心底嬉しそうに笑う花月ちゃんを見て、良かったねって思って俺もいつも嬉しくなる。だけど・・・。結局、俺は遙ちゃんの言う通り何も知らない花月ちゃんに優越感覚えていい気になってただけなのかな?そんなことを考えて浩太は酷く気が塞いだ。花月ちゃんの笑った顔が好き。何でも一生懸命な所とか。なにするのも楽しそうで、色んな物に興味を持って目をキラキラさせてる花月ちゃんを見てるのが好き。でも結局それって、花月ちゃんの見た目が好きだから花月ちゃん見てるのが好きって事なのかな。考えれば考えるほどモヤモヤしてきて、浩太は何か飲み物でも飲んでこようと立ち上がり部屋を後にした。
食堂に行くと花月が一人で勉強をしていて浩太は苦しくなった。俺がいてもいなくても花月ちゃんは何も変わらない。俺はただ花月ちゃんと一緒にいたくて、花月ちゃんからありがとうって言ってもらえるのが嬉しくて、もっと自分に笑顔を向けてもらいたくて、そういう下心で勉強に付き添ってただけで。だからもうそれはできないって思ったら、今度は全然ダメな自分を知られるのが恥ずかしくて・・・。
「浩太?」
視線に気が付いた花月に声を掛けられて、浩太は適当に笑ってごまかした。
「ココアでも飲もうと思って降りてきたんだけど、花月ちゃんも飲む?ついでに入れるよ。」
そう訊くと花月が元気にうんと言って笑顔でありがとうと伝えてきて、浩太はやっぱかわいいなと思って胸が高鳴った。キッチンに行き、ココアをいれて花月の元に戻る。そしてカップを差し出しながら、彼女のやっていたドリルに視線を落として心の中で溜め息を吐く。本当、数ヶ月前は文字の読み書きもできなかったのに、ついこないだ掛け算割り算おぼえたばっかな気がするのに、なんて考えてモヤモヤする。
「浩太はもう一緒に勉強しないの?」
花月のその言葉で浩太はハッとした。
「前は毎日一緒に勉強してたのに、最近、浩太来ないからどうしたのかなって。もうすぐテストが近いからってみんな部屋に引き籠ってるから、浩太も学校の勉強が忙しくなっちゃって今は一緒に勉強できないの?テスト終わったらまた一緒に勉強できる?」
そう訊かれて、浩太はそれはと言葉をつまらせた。そして部屋で遙に言われた言葉が頭をよぎって苦しくなる。
「花月ちゃんは凄いよね。花月ちゃん本当に凄く頑張ってて、俺もう抜かされちゃって。俺じゃあもう花月ちゃんに勉強教えてあげられないから。だから・・・。」
「じゃあ、今度はわたしが教えてあげられるね。」
そう言う花月の明るい声に浩太が驚いて顔を上げると、そこに彼女の笑顔があって浩太はそれに見惚れてしまった。
「浩太よりわたしの方ができるようになったなら、今度はわたしが浩太に教えてあげられるよね。」
そう言われて、思わずうんと頷いてしまう。じゃあ一緒にやろうよと言われて、うながされるままに以前と同じように同じテキストを二人で覗き込む。
「浩太がいない間にわたしここまでできるようになったんだ。この間、これ教えてって言ったら浩太ごめんって言ってたけど、これね、浩太に教えてもらったとこと同じだったんだよ。ここをこうやって分けると、ほら。それで・・・。」
そんなことを言いながら楽しそうに花月が問題の解き方を教えてきて、それを聞いているうちに何か自分でもできる気がしてきて・・・。
「ごめん、花月ちゃん。ちょっと俺、自分のノートとペン持ってくるから。ちょっと待ってて。」
そう言って浩太は急いで部屋からノートとペンを持って戻ってきた。解らなくなる前に言われた通りにやってみる。あ、解ける。ぱっと見で無理解んないって思ったてけど、これ俺でも解ける。
「解けた。花月ちゃん、俺、これ・・・。」
感動で上手く言葉が出てこない。ノートを覗き込んだ花月が、パーッと顔をほころばせて、やったね浩太と、まるで自分のことのように嬉しそうに言ってくる。今まで解らないと思い込んでいた問題が、解る。どんどん解けていく。順調に解いていたと思ったら途中で躓いて、これはこうだよなんて教えられながら、時には二人で頭を悩ませて、ここはこうじゃないとか、いやそうじゃなくてこうだよなんて言い合いながら・・・。
「浩太、凄い。今日のわたしの目標まで終わっちゃったよ。浩太といるとあっという間だったね。」
テキストの回答で埋まった自分のノートを眺めながら呆然としていると、嬉しそうにそう言う花月の声が聞こえてきて、浩太は彼女の顔を見た。
「花月ちゃん、俺。こんなに勉強できたの初めてかも。何か解るかもって、そう思えたらすーって。何これ、すげー。これ、全部自力で解いたの?今まで人に言われても全然頭に入ってこなかったのに。こんな問題、今まで解けたことないのに。俺・・・。」
「浩太、おめでとう。」
目を細め嬉しそうにそう言う花月を見て、涙が出てきそうになる。
「ありがとう、花月ちゃん。全部花月ちゃんのおかげだよ。解けるかもって思って、一問解けたら次も次もって。解けると楽しくて、躓いても花月ちゃんがいてくれたから、一緒に考えてくれたから、俺、なんか夢中になっちゃって。勉強が楽しいとか思うの初めてかも。本当、すげー楽しかった。」
「わたしも。今まで教えてもらってばっかだったけど、わたしの方が教えたり、こうやって一緒に考えたりできて凄く楽しかった。ねぇ浩太。この調子で他のもやろうよ。次、何やる?」
そんなことを話しながら、二人でまた別のテキストを始める。楽しそうに勉強する花月を見て、ここはこうなんだってと楽しそうに教えてくる彼女を見て、一緒に悩んだり、問題が解ければ二人お互いのことのように喜び合って、浩太は別に勉強を教えられなくてもいいやと思った。頑張ってる花月ちゃんを見てるのが好きだった。真剣な顔でテキストと向き合って、解ると心底嬉しそうに笑う花月ちゃんを見てるのが好きだった。躓いて悩んで、教えてもらって解るとパーッと笑顔が広がって、知らない物に目をキラキラさせて、これってどうなってるの?どうやるの?っていつも楽しそうで、そんな花月ちゃんを見てるのが好きだった。でも、何がそんなに楽しいんだろうって、どうしてそんなに嬉しそうなんだろうって解らなかった。解らなくて、花月ちゃんは自分とは違うからってどっかで距離をとって。きっと遙ちゃんに言われた通りだったんだと思う。でも・・・。
「あ、光。おかえりなさい。浩太と勉強してたら今日こんなにすすんだよ。でね、これがどうしても解らなくて・・・。」
帰ってきた香坂光を見付けて花月が嬉しそうに駆け寄る。楽しそうに今日の勉強の進捗具合を報告する花月と香坂が話しているのを眺めながら、浩太はやっぱ自分には先生は無理だななんて思って諦めに似た気持ちが溢れてくる。
「香坂さん。」
そう声を掛け、心を決める。
「俺にも勉強教えて下さい。」
そう言って頭を下げる。できないって知られるのが格好悪いとかそんなことはどうでもいい。このままできないまま、花月ちゃんは凄いなって眺めてるだけは嫌だ。解らないことが解るようになるのが楽しいって、できなかったことができるようになるのが嬉しいって、それを俺も知ったから。解ったから。だから、俺ももっとできるようになりたい。今日みたいに一緒に頑張っていきたい。
「浩太君、顔あげてよ。そんな畏まられるとちょっと。別に勉強教えるのは大丈夫だから。」
少し戸惑ったような香坂の声が聞こえて、浩太は顔を上げてありがとうございますと言って笑った。
「ただ、大会に出場する関係でこれから暫くちょっと忙しくて。帰りが遅くなったり帰ってこられないことも多くなるし、あと、夏休み入ったら合宿で暫くサクラハイムに戻ってこないから、夏休み明けからでも良いかな?」
申し訳なさそうにそう言われて、浩太は大丈夫と答え、演劇部も大会ってあるんだ、と呟いた。
「大学は高校みたいに全国区の学生演劇大会があるわけじゃないけど、一般の演劇大会が色々開催されてて、僕達の大学は毎年八月に行われる大会に参加してるんだ。僕なんかは端役だし大した役割があるわけじゃないから今はまだ手が空いてるけど、健人は次期部長で今回は主演だから、もう色々大変そうだよ。」
「だから健人最近帰ってこないこと多いんだ。早朝ランニングもしばらくいけないからすまないって言ってたし。健人、殺陣の練習するから付き合ってくれって、見栄え的にはこう動いた方がいいなとか、ちょっとこういう風にやってみてもらってもいいかとか、その動きはどうやったらできるんだとか、色々言いながらよく一緒に遊んでくれるから、ずっといないとちょっと寂しい。」
「それは多分、健人的には遊んでないと思うけど。まぁでも、なんだかんだ言って健人は花月ちゃんのことよく構ってるよね。」
半分苦笑気味に笑いながら香坂がそう言って、花月に冊子を渡す。
「そういうわけで、しばらく勉強見てあげられなくなるから。ちょっと早いけど夏休みの宿題。」
「夏休みの宿題?」
「学校には夏休みって長いお休みがあって、その間は学校に行って勉強しないからその代わり家で勉強するように宿題が渡されるんだ。今まで勉強したことの総復習みたいなものだよ。花月ちゃんは小学生の勉強が終わってもう中学生の勉強してるけど、これで小学生の復習をして、できないところが見つかったら夏休み明けはまたそこから始めようか。花月ちゃんならさくさく終わらせちゃいそうだし、ちょっと調子のって絵日記とか読書感想文のページも用意したから、楽しかったことを絵日記に書いたり、本読んで感想を書いたり、ちょっと普段とは違ったこともしてみて。」
そんな香坂の話を聞きながら渡された冊子をキラキラした目で眺め、花月は夏休みの宿題と呟いた。
「ありがとう、光。わたし、光がいない間これ頑張って、帰ってきたら沢山話しができるように楽しかったこと毎日絵日記にするね。」
そう満面の笑顔で言われて、香坂は困ったように笑った。
「毎日書くほどは絵日記のページはないかな。でも、毎日書きたかったら違う紙に書いても良いし。花月ちゃんから話しを聞けるの楽しみにしておくね。」
そう言うと花月が嬉しそうにうんと言って、香坂はそれを見て笑った。
そんな二人のやりとりを見ていて、浩太は夏休みの宿題か、と気が重くなった。花月ちゃんはもらえて凄く嬉しそうだけど、それ普通は嬉しくない物だから。せっかくの長い休みなのに勉強しなきゃいけないとかさなんて考えて、でも花月ちゃんと一緒なら、なんて考えて・・・。
「花月ちゃん、夏休み入ったら遊びに行こうよ。夏休みは遊ぶのも大事だよ。絵日記はだいたい遊びに行ったこと書くものだし。宿題終わらせて、それで思いっきり遊ぼう。」
「へー、浩太。夏休みの宿題先に終わらせる予定なんだ。最終日に焦って結局終わらなくて怒られて補習パターンかと思った。期末テストで赤点連発で夏休みは補講で過ごすとかね。テスト勉強する気ないみたいだし。」
そんな冷ややかな遙の声が割って入ってきて、浩太は背筋が寒くなった。
「そもそもお前、夏休みは毎年イタリアのばーちゃん家でしょ。帰ってから遊ぶにしてもそれまでに宿題終わるの?どうせあっち行ったら従兄弟達と遊び回って終わるんだろうし。帰ってきたら宿題に追われて遊んでるヒマないんじゃない?ちゃんと終わらせるつもりならだけど。」
そう追撃されて言葉につまる。
「部屋に戻ってきたとき慌ててノートとペン持ってってたけど何してたの?」
「それは・・・。」
「浩太、わたしと勉強してたんだよ。今度から浩太も光に勉強教えてもらって一緒に勉強するんだよね。」
嬉しそうにそう言う花月の顔とへーと冷ややかな視線を向けてくる遙の顔が一緒に見えて、浩太は恥ずかしいやらなんやら色々な感情がぐるぐる回って、両手で顔を押さえた。
「遙ちゃん。俺。今度からちゃんと勉強します。ごめんなさい。」
「はいはい。じゃあ、夕食までまだ時間あるし部屋に戻ってテスト勉強するよ、見てあげるから。夏休みちゃんと来ないと困るでしょ。あと、今年の夏休みは俺もお前んとこついてこうかな。あまり実家いたくないし、お前も監視役がいた方がいいでしょ?宿題終わらなくて花月と遊べなくなったら大変だもんね。」
遙がそう言って小馬鹿にするように笑って、浩太が遙ちゃんと情けない声を出す。そして、ほら行くよと遙に半分強制的に連れて行かれる浩太を眺め、花月は行っちゃったと呟いた。
「まぁ、浩太君の言う通り夏休みは遊ぶのも醍醐味だから。花月ちゃんも勉強ばかりじゃなくて遊びに出掛けるのもいいかもしれないよ。ここら辺もお祭りや花火があるみたいだし、管理人さんに連れて行ってもらってもいいんじゃないかな。」
香坂にそう言われ、花月は夏休みと呟いて期待に胸を膨らませた。
○ ○
どの学校も夏休みに入り暫くしたある日。入居者の半数以上が帰省したり合宿でいなくなったサクラハイムで、管理人の西口和実はしみじみと皆がいないと静かだなと思った。静かなのは主に浩太君と遙君の二人がいないせいな気もしないでもないけど。でも、それ以外にもやっぱり、香坂君が皆の勉強見てたり、真田君がちょっと休憩しないかとか言って手作りのお菓子出してきて皆でお茶したり、三島君が庭で台本とにらめっこしながら稽古してたりとか、当たり前になっていた日常風景が見られないというのが不思議な感じがする。
食堂で一人香坂から渡された夏休みの宿題をしている花月を見て、普段一緒にいる面々がいないから寂しいだろうなと和実は思った。旅行につれて行ってあげられるほどの余裕はないけど、遙君のお姉さん達が遙君をお迎え来たついでに花月ちゃんに夏服や水着とか浴衣置いていってたから、どっかお祭りとかプールぐらいならつれてってあげられるかな。あーでも、お祭りは良いけどプールはちょっとな。わたしも水着にならなきゃいけないし。あー、でも花月ちゃん運動神経良いいし身体動かすの好きだから、プール連れてってあげたら喜ぶかも。でも、水着か。水着なんて最後に着たの高校の時の授業でな気がする。そもそも水着なんてあんな体型がもろにでるもの人前で着る物じゃないって。元々そんなスタイル良いわけでもないのに、片岡君や真田君が美味しい物つくるからついつい食べちゃって、最近ちょっと太った気もするし。これを人前に晒すとか耐えられない。無理。でも、わたしが水着になるのが嫌だからって男の子に連れてってあげてとは言えないし。あーどうしよう。
「管理人さん。そんなところに突っ立ってどうしたんすか?」
そんな片岡湊人の声が聞こえて、和実は彼を見上げた。
「いやー。夏休みで皆出掛けてるし、花月ちゃんもどっか連れて行ってあげたいなって思ったんだけど、旅行に連れて行ってあげられるような金銭的余裕はないし、何かいいところないかなって考えてて。」
「なら、海の家のバイトに居残り組みんなで行かないっすか?」
「海の家?」
「高校生の時からお世話になってるバイト先の社長がこの時期になると趣味で海の家やってるんすよ。普段は社長一人で切り盛りしてるんすけど、海水浴場のイベント期間だけ一人じゃ手に追えないって毎年駆り出されてるっす。なんなら友達も誘って来いっていつも言われてるんで、行くとこないなら遊びがてらどうかなって思ったんすけど。」
その提案を聞いて和実は、海の家か・・・と唸った。海って事はやっぱ水着必要だよね。いや、Tシャツ短パンでやり過ごせるかな。でも、短パンって、この太い足を露出するの?水着よりかはマシ、マシだけど・・・。
「海の家って何?」
そんな花月の声が近くで聞こえてハッとしてその方を見ると、さっきまでテーブルで勉強していたと思っていた彼女ががいつの間にかすぐ側に来て自分を見上げていて、和実は驚いた。
「海水浴場にあるお店のことっすよ。海に遊びに来た人が一息ついて飲食する所っす。」
「バイトって何するの?」
「簡単な調理したり、注文聞いて運んだり。あとレジ打ちとかっすかね。花月でも充分できる仕事っすよ。それに花月は元気と愛嬌があるから接客には向いてると思うっす。最近はちゃんと敬語も覚えたし、働くって体験してみてもいいんじゃないっすか?音尾さんもいい人っすし、俺もフォローするから多少ミスしたって大丈夫っすよ。」
そんな片岡の話しを聞いて、わたしがお仕事、なんて呟きならが目を輝かせている花月を見て、和実は、これはもう行くしかないじゃんと思った。
「本当にお邪魔して大丈夫なの?」
「大丈夫だと思うっすよ。宿とか食事のこともあるし、祐二と耀介にも声かけてから連絡して聞いてみるっすね。」
片岡が爽やかな笑顔でそう言って花月に大丈夫なら一緒に海の家のバイト行こうな、なんて声を掛け、花月が嬉しそうにうんなんて頷いている様子を眺め、和実はこれはもう本当に行くしかないじゃん、社長さんが断ってくれない限り行くしかないじゃんと心の中で叫んで、色々諦めた。
そして迎えた海の家バイト初日。和実は気分が沈んでいた。結局、海にはしゃぐ花月ちゃんの勢いに流されてわたしも水着着ることになっちゃった。水着なんてどんなの着ても洋服と違って体型ごまかせないじゃん。多少はデザインでなんとかなっても、結局ボディーライン出るし、普通の服より露出多いし。パーカー羽織ってはいるけど足は隠せないし、やっぱり恥ずかしい。そんなことを考えてちらりと花月の方を見る。花月ちゃんはスタイル良いよな。あんなによく食べるのになんでこんなに細いんだろ。いや、動いてる量がわたしとじゃ比べものにならないからアレだけど、でも本当羨ましい。締まるとこ締まってるのにちゃんと出るとこ出ててさ。花月ちゃん、こんなに胸あったんだ。これ、きっとわたしよりあるよね。花月ちゃん着痩せするタイプだったんだな。お腹周りとか二の腕とか太ももとか、そういう所はわたしの方が断然肉ついてるのに、肝心の所が負けてるってどうなんだろ。そんなことを考えて悲しくなってくる。
「管理人さん、どうかしたっすか?気分悪いなら仕事入る前に休んでてもいいっすよ。」
そう心配そうに片岡に話し掛けられ、和実は、いや大丈夫と答えた。
「水着着るのなんて云年ぶりだからちょっと恥ずかしくて。花月ちゃんぐらいスタイル良ければ堂々としていられるんだろうけど、わたしけっこうぷよぷよだし。これも片岡君のせいだからね。片岡君のご飯が美味しいからつい食べ過ぎちゃって太っちゃったんだから。全部片岡君が悪いんだから。」
恥ずかしくてそんな訳のわからない八つ当たりをしてみる。
「え?なんすかその言いがかり。それを言うなら真田の方が甘いもん作りまくってるし。管理人さん、あんまり食べ過ぎると太るから今日は・・・とか言っとっきながら、結局、真田君の作るお菓子美味しいんだよねって言っていつも食ってるじゃないっすか。絶対、管理人さんが太ったの俺のせいじゃないっす。ってか、管理人さん別に太ってないじゃないっすか。今が太ったなら元が痩せすぎだったんすよ。気にすることないっす。」
「この太い足を見てそんなことを言うのか。けっこう二の腕とかお腹周りもぷよぷよしてるんだよ?世の中の女子的にはこれは太ってるんです。恥ずかしいんです。」
「女の子はそういうのちょっと気にしすぎっすよ。男的にはあんまり細すぎるのよりちょと肉ついてた方が魅力的って言うかなんていうか。俺個人的には今の管理人さんぐらいが・・・って、何言わせるっすか。」
そんなことを言って片岡がそっぽを向いてパーカー前閉めて下さいと言ってきて、和実は疑問符を浮かべた。
「まったく、管理人さんは。普段からちょっと抜けてるとこあるっすけど、その格好だと普段よりよけい無防備に見えるというか。その、普段以上に気をつけて欲しいっす。意識してないかもしれないけど、俺も一応男っすからね。男相手に体型のこととかあんま話すもんじゃないっすよ。マジで。」
そっぽを向いたまま片岡がそんなことをぶつぶつ言って、話しを逸らすように、お前等もパーカー着とくっすよ、調理中油とかはねて危ないっすからと、花月と藤堂耀介に上着を渡しに行った。そんな片岡の後ろ姿を眺めながら和実は、今のってもしかして目のやり場に困るからってこと?なんて考えて、いやまさかと思った。露出度の高い水着を着た花月相手に普段通りに接している片岡を見て、だってアレに普段通りなのにわたしを意識するとかないでしょ。目のやり場に困るとしたら絶対、花月ちゃんの方にだって。元々美人だし、普段は言動の幼さに釣られてついつい小さい子供な気がしちゃうけど、それが脱ぐとアレだよ。背も低いし細いし感覚的には本当に小さい子供な気がしてたのに、身体付きは完全に大人。というか、そんじょそこらには絶対いないような抜群のプロポーションの美人だよ。女のわたしでさえつい目がいっちゃうのに、男の子がアレに目が奪われないなんてありえないと思うんだ。ましてあっちを意識しないで自分なんて絶対ない。普通に並んでたらみんな花月ちゃんに目が奪われてわたしなんか見えなくなると思うし。そんなことを考えて和実は、片岡君も藤堂君も花月ちゃんのあの格好に別に特にドギマギしてるような様子ないよなと不思議な気分がした。もしかして男の子達よりわたしの方が花月ちゃん意識してる?わたしが過剰に意識してるだけで花月ちゃんってそんなでもない?いやいや、そんなことないって。ここに浩太君がいたら絶対大変なことになってたと思うし。花月ちゃんの水着姿に興奮しておかしなテンションになってる浩太君を遙君が冷めた目で見ながら浩太には刺激が強すぎるからこれ着といてよとか言って、花月ちゃんに上着渡してる様子が目に映るように想像できる。
「管理人さん、行くっすよ。また変な顔して、今度はどうしたっすか?」
「いや、片岡君も藤堂君も花月ちゃんのあの姿見てなんとも思わないのかなって。つい目がいっちゃうのわたしだけ?」
「海に来る奴なんてみんなあんな格好してるだろ。」
「そうっすよ。管理人さんが気にしすぎっす。ほら、管理人さんよりあからさまに太ってる人だって花月と似たような水着着てるんすから、そんなに花月のこと意識しなくてもいいんじゃないっすか?」
男二人にさらっとそう返されて、和実はそういうもんなの?と思った。というか、片岡君、それはちょっと違う。わたし別に花月ちゃんと自分の体型見比べて意識してるんじゃなくてさ。というか、さっきのは何だったの。他の人も似たような水着着てるから大差ないって、じゃあさっきのは?それなら別にわたしがどんな格好してたってそれも変わらないよね。なのにわたしにはパーカー前閉めろって何?あ、もしかして、わたしが気にしてるから気になるなら前閉めて隠しとけば良いじゃんってこと?で、その後は、遠回しに女のくせに恥じらいがないがないって怒られただけだった?そんなことを考えて、和実は妙に納得した。そうだよね、片岡君相手だとつい軽い調子で色々言っちゃうけどあまり度が過ぎるのはよくないよね。片岡君だって年上のわたし相手に遙君達相手みたいには怒れないだろうし、対応困ってたのかも。そうだよ、わたし年長者なんだからちゃんとしないと。そんなことを考えて、和実は自分が恥ずかしくなって今度から気をつけようと思った。
「じゃあ、行くっすか。音尾さんが海の家やってるのはあっちの方っすよ。」
片岡のその言葉で皆で歩き出す。
「祐二、来れなくて残念だったね。」
「そうっすね。祐二もずっと根詰めて受験勉強に専念してるから、たまにはこういうとこ出掛ければ気分転換になるかと思ったっすけど、予定が合わなかったんじゃしょうがないっす。」
「風間君、志望大学のオープンキャンパスと入試説明会がここに来る予定週と被っちゃったんだっけ?」
「そうなんすよ。でもまぁ、根詰めてるって言っても切羽詰まった感じじゃないし、本人凄く生き生きして勉強に励んでるから心配はいらないと思うっすけど。オープンキャンパスも説明会も凄く楽しみにしてたし。祐二、頭良いんすよね。成績もあの下村学園高校で学年上位三位以内を落としたことないらしいし、香坂さんも祐二なら一般入試でも東外国語大学充分狙えるレベルだって言ってたくらいっすから。祐二にはこのまま頑張って大学受かって欲しいっす。」
そう言って目を細める片岡を見て和実もそうだねと同意した。
「藤堂君も来年は三生だよね。進路はどうするか考えてるの?」
「俺は、別に。特別やりてーこともないし。頭良くないっすから進学って言うのもぴんとこないっす。ただ、このままじゃ何にもなんねーから、なんか専門学校とかそういうとこ行って、手に職付けてとは考えてます。」
「何かやってみたい職業とか、気になる職業とかあるの?」
「興味があるものが全くないわけじゃないが。夢に向かって頑張ってる風間さん見てると、自分のはそこまで何が何でもやりたいってもんじゃねーなと思うっす。」
「まぁ、誰しもが祐二みたいに夢を持ってる訳じゃないっすから。興味がある程度でも、やってみたい職業があるならそれ目指してみてもいいんじゃないっすか?俺なんか、将来の夢どころかやってみたい職業すらないっすから。大学卒業したらどっかにちゃんと就職して、普通に生活できればいいなみたいな。こんなこと遙に聞かれたら小馬鹿にされそうっすよ。」
「わたしは、将来の夢。皆みたいに学校に行ってみたい。」
そう花月が会話に入って来て、片岡が高認試験受かれば大学ならいけなくもないっすよと言って、いや花月は無理っすねと申し訳なさそうな顔をして訂正した。
「なんか花月がいる日常が当たり前になってて忘れてたっすけど、花月は身元がハッキリしてないっすから。今のままじゃ学校行くどころか、まともに就職することも、バイトすらできないっすよ。」
「じゃあ、わたし今日働けないの?」
「色々問題があるから大きな声じゃ言えないっすけど、元々ここの手伝いはそんなちゃんとしたのじゃないっすから大丈夫っすよ。だからもしお小遣いもらっても人には内緒にしとくっすよ。」
そう言って片岡がいたずらっぽく笑って、花月は嬉しそうにうんと返事した。
「花月も成人してるから、身元がハッキリさえすればバイトでも何でもしてこのまま本当に五号室の住人になれるんすけどね。自分の家がどこか思い出せないっすか?家さえわかれば一回帰って身分証だけでもとってくれば色々な問題が解決するんすけどね。」
そんな片岡のぼやきを聞いて、花月が身分証があれば本当に五号室の住人になれると呟いて少し表情を曇らせた。
「ほらついたっすよ。」
そう言って、片岡が立ち並ぶ海の家の一つに入っていき、他の面々も後に続いた。
「おう、湊人。やっと来たか。」
「今年もお世話になるっす。そうそう音尾さん、この人達が電話で話した今回手伝ってくれる人達っすよ。」
そう片岡に紹介され、和実は自己紹介をしてよろしくお願いしますと頭を下げた。それに習って花月も挨拶し、続いて藤堂も挨拶する。
「今年は女の子二人も連れてきやがって。で?どっちがお前の彼女だ?」
「違うっすよ。二人ともそんなんじゃないっす。」
「何だ違うのか。珍しくお前が女の子なんか連れてくるから、ようやくお前にもそういう相手ができたのかと思ったのに。たまには浮いた話しの一つ持って来いよ、若いんだから。」
「はいはい、どうせ俺は彼女いない歴=年齢の寂しい男っすよ。そのおかげでイベント事の度に音尾さんとこにバイト入れるんすからね。毎年イベントの度に人呼び出してこき使うくせに、こんな時にヒマもてあましてるとか寂しい奴だなとかなんとか、毎回そのネタでいじってくるのやめて欲しいっす。」
「ところで嬢ちゃん達、もし付き合ってる奴がいなかったらこいつとかどうだ?」
「って、音尾さん。管理人さん達巻き込むのやめて下さい。」
「いやいや、せっかくこんなとこまでついてきてくれるような女の子と縁ができたんだから、推しとかないと。」
「シェアハウスで同居してる中で夏休み中出掛ける予定のなかった面々で遊びがてら押しかけただけっすから。管理人さんは花月の付き添いで来てくれた感じすっし、変なことばっか言って迷惑かけるのやめてください。ほら、仕事に入るっすよ。」
そんなことを言いながら音尾を押して調理場に向かう片岡を見て、和実は普段の片岡君とは雰囲気がちょっと違って新鮮だなと思った。
簡単に作業の説明を受けて、店を開き、皆で仕事に取り掛かる。忙しいのはお昼時くらいなものなのかと思っていたらそんなことはなく時間に限らず客足は絶えず、一息ついたかなと思えばすぐ次の波が来て、和実は目が回るかと思った。
「管理人さん、大丈夫っすか?ちょっと奥で座って休んで下さい。」
「いや、皆働いてるのにわたしだけ休んでられないよ。」
「交代で休憩っすよ。花月も要領掴んだみたいで複数の注文ちゃんととって回せるようになったし、あいつは体力お化けでまだ全然平気っすから。それに働くのが楽しくなってきたところに水さすのも可哀相っしょ。耀介や俺等は後でいいっすから、まずは管理人さんから。ね。」
片岡にそう優しい笑顔を向けられて、和実はじゃあと言って休憩に入った。奥に入ると、おつかれさまと音尾にジュースを差し出されて、ありがとうございますと受け取る。
「疲れただろ?いつもはもう少し楽なんだが、今年は若い女の子が二人もいるおかげか例年より客が多いからな。ここは採算とるためにやってる店じゃないから、最悪客なんか待たしとけばいいしあんま無理すんなよ。」
そう言って音尾はさっさと調理に戻る。
「湊人の奴、今まで夏休みにバイトしたいけど良いとこが見つかんなかったって奴を連れてくることはあったが、夏休みヒマもてあましてる連中を遊びがてら行かないか誘って連れてくるなんて初めてでな。あいつ昔っからバイト三昧で、世の中がイベント事で浮かれてる時も稼ぎ時だってバイト入って、友だち付き合いとかそういうことまともにしてなかったみたいで。普段あんなヘラヘラしてるくせに話し聞けば重い話しばっかでちょっと心配だったんだ。でも最近は、サクラハイムだっけ?あんたらといるときの話しを楽しそうによく話すようになって。そんでもってここにまで連れてきて、あんたらといるあいつを見てちょっと安心した。ありがとな。」
調理をしながら独白するようにそう言う音尾の言葉を聞いて、和実はなんだか気恥ずかしい気持ちがして、わたしは別になにもと呟いた。
「ここは本当に俺の趣味で、本当は別にあいつに手伝ってもらわなくても大丈夫なんだ。一人なら一人なりにできる範囲でやれば良いだけだからな。でも、毎年イベント時期になるとあいつを呼んでんのは、バイトにかこつけてあいつを遊ばせてやろうと思ってな。友達誘えって言ってるのもたまには普通に友達と遊べって事だったんだが、なかなかな。遊んでこいって言っても、俺一人じゃ大変だろなんて連れてきた奴らだけ遊びに行かせて自分は残ってな。親心ってもんを全く理解しねーんだよあいつは。」
そんなことをぼやく音尾の背中を眺め、和実は片岡君の言ってた通りこの人はいい人なんだなと思った。
「音尾さん。何か話してたみたいっすけど管理人さんになんか変な話し吹き込んでないっすよね?」
備蓄置き場から追加の食材を持って戻ってきた片岡が音尾に胡乱げな視線を向けてそう言って、音尾がさあなと言ってにやっと笑う。
「ちょ、本当、何話したっすか?」
「何か話されて困ることでもあるのか?」
そう聞き返されて、片岡はそれは・・・と言葉をつまらせた。
「パッとは思いつかないっすけど。音尾さんとは長い付き合いっすから、俺が忘れてるような恥ずかしい話しとかあるかもしれないし・・・。」
「片岡君の恥ずかしい話し。それはちょっと気になるかも。」
「ちょ、管理人さん。それは掘り下げたらダメっすよ。」
「湊人の恥ずかしい話しか。あー、そういえば・・・。」
「あー。ダメっす。何話そうとしてるのか解んないけど、絶対にダメっすから。」
焦ったようにそう割って入って片岡が本当に止めて下さいとムッとした表情で音尾を睨み付けた。そんな普段見られない表情に、なんかちょっとかわいいななんて思って和実は笑ってしまい、笑わないで下さいと片岡が困ったような声を出して、和実はごめんごめんと軽い調子で謝った。
「俺がいないところでその話し音尾さんから聞き出したら、管理人さんの恥ずかしい話しも教えてもらうっすからね。」
「え?わたしはもう既に花月ちゃんに高校時代描いた絵本掘り出されて充分恥ずかしい思いしてるんだけど。」
「そんなの全然恥ずかしい話しじゃないじゃないっすか。賞とって出版された事があるとかむしろ自慢できる話しっしょ。俺のは絶対ただの恥ずかしい話しっすから。それに匹敵する恥ずかしい話しじゃないとダメっす。」
「えーそんな。わたしは普段からけっこう恥ずかしい思いばっかしてる気がするんだけど。だから、普段しっかりしてる片岡君の恥ずかしい話しを聞いてホッとしたいというか。音尾さんといるときの片岡君いつもと雰囲気ちがうし、普段見れない片岡君の一面を知りたいななんて思ってさ。」
そう言うと片岡が何か葛藤し考え込むように黙り込んで、和実は疑問符を浮かべた。
「そんなこと言われても自分だけ恥ずかしい話し暴露されるのは嫌だよな?湊人の恥ずかしい話し聞きたかったら、代わりに嬢ちゃんのスリーサイズでも教えてやったらどうだ?」
「ちょ、音尾さん。何言ってるんすか。セクハラっすよ、それ。」
「しょうがないな、片岡君だけに恥ずかしい思いはさせられないもんね。わたしのスリーサイズは・・・・。」
「なっ、管理人さん。ダメっす。それはマジでダメだから。」
本気で焦った様子でそう制止してくる片岡を見て、和実もちょっと焦って冗談だよと返した。
「冗談だから。そんな恥ずかしいもの本当に教えたりしないから。」
「まったく、何言い出すのかと思って本気で焦ったじゃないっすか。そういう悪ノリ本当やめて下さい。」
本気でぐったりした様子の片岡にそう言われて、和実は小さくなって、すみません今度から気をつけますと謝った。
「ちょっといいですか?」
そう花月の声が聞こえて、彼女が調理場に入ってくる。
「どうかしたっすか?」
「えっと、なんか一緒に遊ぼうってお客さんに言われて。断ったんだけど、なんか仕事ちょっと抜けられないかとかなんか色々言われて。どうしたらいいか解らなかったから、おとーさんに聞こうと思って。」
そう言って花月が音尾を見上げて、おとーさんお仕事抜けて遊びに行ってもいいですか?と訊いて、音尾が固まった。
「花月。おとーさんじゃなくて、音尾さんっすよ。おとーさんじゃ、花月の父親みたいになっちゃうじゃないっすか。まぁ、音だけ聞くとあんま大差ないっすけど。」
そんな片岡の訂正を訊いて、花月が首を傾げる。
「おとーさんじゃダメで、おとー、あ、これじゃ一緒だ。えっと、おと・・・」
「いや、おとーさんで良いよ。花月ちゃん。」
そう音尾が言って、じゃあそのお客さんと話をしてこようかねと花月を連れ立って調理場を後にする。ちょっと気になって外を覗いてみると、音尾が威圧感のある満面の笑顔を男性客に向けて、うちの娘に何か用事ですかねと声を掛けて、男性客があからさまに焦ってなんでもないですとお金を置いて去って行く様子が見えて、和実はうわーと思った。
「なんかこの場面だけ見ると美人局みたいっすね。」
「わたしもそれ思ったけど口に出さないようにしてたのに。」
「なんというか、耀介はただ黙々と仕事してるだけなのにあいつも強面なせいでこっから見るとここ、もうなんかヤバい店にしか見えなくないっすか?」
「確かに・・・。」
そんな会話をしていると、注文をとった藤堂が内容を伝えてきて、二人は慌てて調理に入った。
「あと、さっき注文された焼きそばがまだ出てない。なんか時間がないみたいで客が苛つき始めてるから、早くしてもらってもいいっすか?」
そう言われて、ごめんなんて言いながら、メモを確認して急いで作り出す。
そして慌ただしく動いている間にあっという間に時間が過ぎて、少し客足が途絶えたところで各々好きな物を作ってお昼を食べた。
「あっちのステージで出し物が始まったから暫くは客足も少なくなるだろ。お前等もちょっと遊んでこい。」
そう音尾が皆に声を掛ける。
「そういう時でも波が来たりするっすから、俺は残りますよ。色々催し物やってて泳がなくてもけっこう遊べるっすから、皆で楽しんできて下さい。」
いつもの柔和な笑みを浮かべてそう片岡が言って、それを聞いた音尾の顔が少し曇る。それを見て、和実は、じゃあ交代で行こうよと言った。
「わたしはさっき休憩もらったし、わたしも片岡君と残るよ。先に花月ちゃんと藤堂君に行ってもらって、二人が戻ってきたら一緒に行こう。」
そう提案すると、片岡が何か言おうとしてその言葉を飲み込んで、そうっすねと言って笑顔を見せた。
「花月一人じゃ心配っすけど、耀介が一緒なら変なのも絡んでこないだろうし。逆に耀介がなんか絡まれても花月が一緒なら中和できそうっすしね。交代で。俺も皆と同じように楽しませてもらうっす。」
そう言う片岡の目が凄く暖かで和実はなんだか嬉しくなった。前だったら、いやいいっすよ、そういうの気にしないで管理人さんは皆と楽しんできて下さいとか言う感じだったのに、片岡君も変わったなと思う。
「お客さんに訊かれたときに答えられるようにチラシやパンフレットの情報は頭にいれてるんすけど。実は毎年来てるのに俺、ここの催し実際に参加したことないんすよね。だから実際の所どうなのか全然知らなくて・・・。」
恥ずかしそうにそう言う片岡に和実は笑いかけた。
「じゃあ、初めて同士新鮮な気持ちで楽しめるね。せっかくだから滞在期間中色々回って楽しもう。」
「そうっすね。一緒に・・・。」
そう呟いて嬉しそうに微笑む片岡に見つめられて和実はなんだか恥ずかしくなって、花月と藤堂に向き直って、そういうことだから先にいってらっしゃいと二人を送り出した。二人の背中を見送りながら、和実は心の中で深呼吸する。あー、ドキドキしてるどうしよう。片岡君があんな顔して人のこと見てくるからさ、お姉さん勘違いしちゃったらどうしてくれるのさ。片岡君に他意はない。他意はないよ。落ち着け、わたし。片岡君はただ皆と同じように初めてイベント参加するのが楽しみなだけであって、わたしと会話しててわたしが目の前にいたからなだけで、別にわたしを見てたわけじゃないぞ、多分。頭の中でそんなことを自分に言い聞かせて、和実は心を落ち着けた。
海の家でのバイトをしながら海水浴場で催されているイベントを満喫し、花月が強運を発揮し参加したイベントで数々の景品を当てて、それらを見た音尾がスイカ割りやるか、バーベキューやるかななんて色々提案して海の家を早々に閉店して皆で遊んだりして、滞在期間はあっという間に終わりを迎えた。
「みんな、ご苦労様。給料だ受け取れ。」
そう言って、音尾が一人一人に封筒を渡していく。初めてのお給料に目を輝かせて封筒を眺める花月の横で、和実はほとんど遊んでただけなあげく宿泊場所も食事も提供してもらっちゃったのにこれ受け取っていいのかなと複雑な気持ちがした。
「あんたらのおかげで今年は賑やかで、俺も気分良く楽しく過ごせた。給料と言うよりこれは俺からの感謝の気持ちだ。快く受け取ってくれ。まぁたいした額じゃないけどな。」
そう言う音尾が片岡に視線を少し向けてから和実に強い眼差しを向けて笑いかけて、和実はありがとうございますと微笑んで封筒を受け取った。
「良かったら来年もまた遊びに来いよ。」
そう言う音尾に見送られて、和実達はサクラハイムへの帰路についた。
「花月ちゃんは、そのお給料何に使うの?」
ふと気になって訊いてみると、花月が笑顔でお姉ちゃんにあげると封筒を渡してきて、和実は慌てて自分のことに使いなよと言った。
「サクラハイムに来たばっかの時は解らなかったけど、今ならお姉ちゃんが今月はもうピンチだから来月のお給料が入るまで待っててねとか言ってた意味が解るよ。生活するにはお金が必要で、わたしがお金ないからお姉ちゃんが払ってくれてるって、わたし解る。だから、少しでも返せたらなって。全然足りないだろうけど、これはお姉ちゃんにあげるって最初から決めてたの。」
そう言う花月に真っ直ぐ見つめられて、和実はありがとうと言って封筒を受け取り微笑んだ。
「じゃあ、これは花月ちゃんに必要なことに使わせてもらうね。」
そう伝えると、うんと花月が笑顔で頷いて、和実は複雑な気持ちがした。そうか、花月ちゃんが解るようになったのは何も勉強だけじゃないんだな。今まで知らなかったことを知って、色々現実が解るようになって、花月ちゃんは花月ちゃんなりに色々考えてるんだ、そう思う。
「わたしね、勉強頑張って色々できるようになれば、わたしも皆みたいにアルバイトができるようになって、お金稼げるようになって、それでちゃんと自分で生活できるようになると思ってたの。今はまだ無理でも、頑張って自分で働いて、それでお姉ちゃんや皆にお返ししてって思ってたの。でも、わたし身元がハッキリしてないから学校も行けないし働けないんだって。身分証があればって湊人が言ってたけど、わたし、自分のそれ見たことない。どこにあるかも何も解らない。前いた所に戻ればちゃんとできるようになるのかなって思うけど、帰り方も解らないし、あそこに戻ったらわたしもう二度とサクラハイムに戻って来れない気がして、あそこには絶対帰りたくない。ずっとここにいたい。わたし、皆と一緒にいたい。」
そう言って俯き表情を曇らす花月を見て、和実は彼女の頭を優しく撫でた。
「大丈夫。片岡君も言ってたでしょ?花月ちゃんはもう大人だから、自分で自分の居る場所を決めていいんだよ。花月ちゃんのお家が見つかるか、誰かがお迎えに来たら、一回家に帰って必要な物だけ持ってサクラハイムに来ちゃえばいいんだよ。不安ならわたしも一緒について行ってあげるから、それなら怖くないでしょ?」
そう声を掛けると花月が顔を上げて、お姉ちゃんありがとうと微笑んで、和実も微笑み返した。
「それに、今のお金のことは気にしなくて良いよ。花月ちゃんは働き者で、毎日あの広いサクラハイムをぴかぴかに掃除してくれるし、買い出しに行って荷物持ちしてくれるし、色々率先してお手伝いしてくれるし、本当はわたしがやらなきゃいけない仕事もいっぱいしてくれてるから。だから、わたしが花月ちゃんのために使うお金は、わたしから花月ちゃんへのお給料ってことで。ね。」
そう言うと、花月がぱっと満面の笑顔を浮かべて、お姉ちゃんありがとうと抱きついてきて、和実は彼女をそっと抱きしめた。
○ ○
「海行ってきたの?いいな、俺も行きたかった。俺なんか遙ちゃんにがっつり監視されて全然遊べないまま、従兄弟達にからかわれるわ、弟や妹には全然遊んでくれないって文句言われて過ごしてたからね。」
「ちゃんと遊ぶ時間は時間で作ったでしょ?いつもが遊びすぎなんだよ。そんな四六時中人がくっついて全く遊ぶヒマ与えなかったみたいなこと言わないでくれる。そもそも俺がついてたおかげでちゃんと夏休みの宿題終わったんだから感謝して欲しいくらいなんだけど。」
「うー。それは、そうだけど。」
「何?宿題終わらないで、花月と遊びに行けない方が良かったの?」
「そんなことは。すみません。ごめんなさい。遙ちゃんがついてきてくれて助かりました。ありがとうございました。」
「はいはい、解れば良いよ、解れば。」
「浩太、夏休みの宿題終わったの?わたしまだ全部終わってないんだ。浩太の方が早かったね。凄い。」
「花月はちゃんと計画的に毎日こつこつやるからいいんだよ。浩太はこつこつできないから。遊び始めたらもう宿題なんて忘れて遊びっぱなしになっちゃうから、絶対に帰ってくる前に全部終わらさせようと思ってたの。これくらいならとか残しといたら絶対に残したまま最終日迎えることになるからね、こいつ。」
「やっぱり浩太君達が帰ってくると賑やかだね。」
「真田が帰ってきたぐらいじゃ、そんなに変わらなかったっすもんね。」
「ん?俺がどうかしたか?」
「いや、あいつらいるとうるさいなって。いないといないで静かすぎて変な感じっすけど。」
「まぁ、賑やかでいいんじゃないか?明るくなるしな。話しは変わるが、水饅頭を作って冷やしてあるんだが食べるか?」
「じゃあ、部屋で勉強してる祐二にも声かけてくるっすね。持ってってやっても良いけど、少しは下来て皆と過ごした方がいいっしょ。」
そんなやりとりをして、皆が食堂に集まりワイワイしている様を見て、サクラハイムの日常が戻ってきたなと和実は思った。まだ市ヶ谷学園大学の二人が合宿から帰ってきてないけど、それでもこの賑やかさがここの日常な気がする。
残りの夏休みはどう過ごすかなんて話しをしながら、この街の夏祭りは皆で行こうなんて盛り上がる。それまでには今いない二人も帰ってくると良いねなんて話をしながら、でも八月の終わりに花火大会があるからお祭りに間に合わなくてもそれは行けるんじゃないなんて話をして、あっという間に時間が過ぎていく。
そして皆でワイワイと賑やかに残りの夏休みを過ごし、あっという間に八月は終わりを迎え、各々が新学期を迎える支度を始めた。
「一臣。何してるの?」
一人、談話室のソファーで写真のデータを整理していると花月にそう声を掛けられて、真田は顔を上げた。
「ちょっとな。夏休み中撮りためた物を整理しておこうかと思って。お前も見るか?」
そう言って真田はカメラの画面を花月に見せ、撮りためた写真を切り替えていった。
「こうやって見るとお前、本当にいい顔してるな。」
そう言って真田は、夏樹が見たら喜ぶんだろうなと呟いた。それを聞いて疑問符を浮かべ見上げてくる花月に、あいつはお前にこういう顔させたかったんだろと告げる。花月と仲直りしてから少しだけ、自分があいつの代わりにこいつに色んな世界を見せたやりたいと思っていた。こいつがまだ体験したことない色々な経験をさせて、色んな世界を見せて、そして・・・。そう思っていたが、俺がそれをしなくても花月は自分から色んな人と繋がって、自分の世界を広げていって、そしてこんなにも表情豊かに楽しそうにその世界を満喫している。俺が手を出さなくても、花月の世界はキラキラしてる。そう思うと、少しだけ胸が締め付けられ苦しくなる自分がいて、真田は何だろうなと思った。ここは普通に良かったなって思うところなのに、なんでそれの前に苦しくなるんだろう。そんなことを考えて、真田は花月に声を掛けた。
「三月になったら。夏樹の命日に一緒にあいつの墓参りいかないか?あいつに今のお前を見せてやりたいんだ。それまでにもっと色々やって、沢山写真撮って、二人であいつに報告しにいこう。俺たちが今をちゃんと楽しんでるってさ。」
そう言うと花月が笑顔でうんと答え、真田は小さく笑った。




