第1話「神という仕事」
僕はその瞬間を覚えてはいない。気が付いたら雲のようなふわふわした地面に立っていて、長い行列の最後尾で順番待ちをしていた。行列の一番前で何をしているのかと背伸びをしたり、ここはどこなのかとキョロキョロしている内に、長かったはずの行列はすいすい進んでいって、僕の順番がやってきた。
「おはようございます」
眼鏡をかけ、スーツを着た女性がそう挨拶した。おはようございます、と言われても僕には時間すらわからない、ということを僕はそのときようやく思い出した。
「では、審査の結果ですが」
僕が挨拶を返すのを待たず、女性がきびきびとした口調で話し始める。あくまでもルーティーンや業務の流れの一環として挨拶したようで、僕が黙っていても一向に構わない、といった振る舞いだった。
「おめでとうございます。あなたは生前の行いが評価され、神として生まれ変わることが認められました」
「は?」
僕がここに来ての第一声がこれだった。生前?神として生まれ変わる?
「こちらの書類をお持ちになって、前方右手の案内に従ってお進み下さい」
「いや、ちょっと待って」
「それでは良い神生を。次の方」
白い封筒を渡された僕が混乱しているのをよそに、いつの間にか僕の後ろに並んでいた人にさっきと同じ調子でおはようございます、と言って、もう僕のことは目に入っていないようだった。後ろの人に迷惑をかけるのも申し訳ないと思って、とりあえず言われた通り案内従ってに進んでみる。「神に転生される方はこちら」と書いた立て札に従って進んでみると、長机にパイプ椅子の簡素なブースに行き着いた。パイプ椅子には、今度は男性が姿勢良く座っている。
「この度は神への転生、おめでとうございます。先程の書類をこちらへお願い致します」
手持ち無沙汰にぶら提げていた封筒を、髪の毛をぴっちりと七三分けにした男性に渡す。男性は中を改めると、にっこりと笑って僕を見据えた。
「失礼ながら、生前のご記憶がない、ということですが」
僕が返事に困っていると、七三分けの男性は、ああ、と言って片手を小さく左右に振った。
「たまにあることなんですよ。もちろん、ご記憶がないからといって生前の行いが帳消しになることはありません。あなたが神になるのは変わりませんよ」
「その、神になる?ってのがよくわからないんですけども。そもそも生前って、僕死んだんですか?」
「はい」
またもにっこりと、七三分けの男性は微笑んだ。僕よりも歳上だろう男性の微笑みは、ベテランの営業マンや飲食店の店長のような、仕事で人に関わることに慣れていることを感じさせる。
「あなたはこの度、事故によりお亡くなりになりました。ここは人間の方が仰るところの天国の門のような所でして、ここで死後の魂がどのような扱いを受けるかの審査結果をお渡ししております」
男性はそう言って、僕が渡した白い封筒を持ち上げた。そこには僕の名前と、「天界受入審査部」という印鑑が捺されている。
「先ほどこの封筒をお渡しした所で、お亡くなりになった方が神になるのか、人間として生まれ変わるのか、または他の生き物として生まれ変わるのかを記載した書類とご本人様の確認を行いまして、その結果で次の受け付けへと進んでいただく、という形で業務をさせていただいております」
はあ、としか言うことができなかった。なんというか、僕が死んでいることがそもそも驚きなのに、神になるとか業務とか、ここが天国の門だとか、理解の追い付かないことばかりで頭が働かない。しかもなんというかこう、天国の門のような所という割に凄くお役所仕事のような、カッチリした「業務」から感じる違和感が凄い。
「ご想像されていた死後の世界とは違いましたか?」
「そ、そうですね。なんかもっとこう、天使がふわふわしてたりひげの生えた神様が裁判をしていたり、そんな感じのを想像してました」
「皆様そう仰います」
男性はますますにこにこと微笑んだ。
「というか、地獄ってないんですか?みんな天国の方に来てこうやって振り分けというか、そういうのを受けるんですか?」
僕の疑問に、男性は一度僕の後ろをちらりと見た。それで僕は後ろの人を待たせてしまったと思って慌てて振り向いたけど、後ろにはまだ誰も来ていなかった。
「次の方がまだいらしていないようですので、もう少しお話できますね。人間の方は死後、意識のない魂の状態で天国と地獄への振り分けをされます。これは生前の行いにより決まりますので、閻魔大王の前で裁判をしたりとか、そういったことは行いません。その後こちらにいらっしゃった方は、大抵の場合あなたと同じように、審査結果を受け取る前くらいで意識を取り戻されます」
「じ、地獄ってやっぱりあるんですか」
「はい、もちろんです」
生前の僕が地獄行きになるような人間でなくて良かった、と心底ほっとしていると、後ろから足音が聞こえてきた。また神になる人が来たのだろうか。
「次の方が参りましたので、この辺りに致しましょう。この札をお持ちになって下さい」
渡されたのは、横書きの名札のような物だった。右上の◯の中に神という字が書かれていて、中央には僕の名前が書かれている。そして左上には4という数字。
「それを左胸に着けていただきまして、あちらの」
男性がそう喋りだしたそのとき、男性の背後10mほどの位置に、音もなくセダンタイプの白い車が現れた。男性は驚きもせず、当たり前のように続ける。
「お車にお乗り下さい」
さすが天国、とかこの車はなんなんだとか、色々なことが頭の中で渦巻いたけど、驚きの余り結局僕は声一つ出ず、ぼんやりと歩きながら名札を着け、車の前に立った。するとドアが開き、僕は誘われるように後部座席に乗り込み、シートベルトを締めた。
「乗りましたか?それじゃ出発しますんで」
運転手は短髪の若い男性だった。日に焼けた肌と大柄な体つき、僕と歳はそう変わらないように見える。身長が高いせいで、大きな車だというのに、男性の逆立った髪の毛の先が車の天井を擦っていた。
「んじゃ、新しい神様のおうちにお連れしますよ。シートベルト締めました?天界は全座席シートベルト着用が義務付けられてますからね、お願いしますよ……あ、もう締めてますか。さすがは神様」
さっきの七三分けの男性がにっこりと微笑む、という表現をするなら、こっちの若い男性はニカッと笑う、と表現するのがふさわしいんだと思う。そんな爽やかな笑顔の彼がハンドルを握り、車が小さく震えてエンジンを始動させた。それにしても、新しい神様の家というのは、僕のこっちでの居住地ということなんだろうか。
「これから行くのは僕の家なんですか?」
「そうですよ、聞いてないんですか?」
「はい、まだあんまり何がなんだか良くわかってなくて」
「ああー……」
男性がしかめっ面をした。これだから受付の連中は人間の役所と大差ないとか言われるんだ、とかなんとかぶつぶつとぼやくと、ゆっくりとアクセルを踏む。ルームミラー越しに、申し訳なさそうな苦笑いを見せて、男性は言った。車は比較的緩やかなスピードで、雲海のような何もない道を走っている。
「んじゃあ、着くまでの間俺にわかることなら何でもお答えしますよ。何が知りたいですか?」
知りたいことは山のようにあるけど、とりあえずすぐに知りたいことは何があるか、頭の中を整理した。僕の新しい家という所に着くまでどれくらいかかるかわからないし、下手をすればさっき突然車が現れたように、突然目的地に到着することもあるかもしれない。
「えっと、神様になるっていうのはどういうことなんですか?」
「それはですね、この天界のことから説明した方がいいですね。そもそも、この天界ってのは神が住む所なんですよ。なんでさっきの役所みたいなとこの連中も、俺も一応みんな神です」
えっ、みんな神様?
「まあ一部の例外はありますけど、とりあえずそこはそんな大事じゃないんで置いときますね。で、神にも種類というか、格付けというか、そういうもんがありまして、神話の主神レベルのメジャーな神から、現代で生前の行いを認められて神になる人まで色々です。格ってのは得ている信仰だとか知名度とか、生前の行いがどんだけ素晴らしかったり人に影響を与えたりしたかってので格付けがされます。その名札に数字書いてません?それが神としての格なんですけど」
改めて僕の名札を見ると、確かに4という数字が書いてある。
「それが1から8まであってですね、数字が小さいほど格が高いってことになります。で、格付けが1なら1等神、2なら2等神って感じの呼び方をするわけです」
ってことは僕は4等神ってことになるんだ。
「で、神は自分の格に応じた仕事を任されます。俺もまさに今やってるこれが仕事ですし、さっきの役所みたいな連中も神としての仕事であれをやってます」
じゃあ、僕もその内何か仕事をするようになるんだ。
「神になるってのはそういう感じですかね。人間の時とそう変わらないことをやってるって奴もいますし、地上や天界の運営に携わるような仕事をしてる神もいますけど、格がむちゃくちゃ高いってことでなけりゃそう大変な仕事はないですよ」
4等神という僕の格が高いのか低いのか、それはそれで気にはなるけども、それよりもここの神様たちがどんな風に暮らしているのか、そして地上に戻ることはできるのかが気になった。生前の記憶がないというのはたまにあることらしいけども、僕の記憶は一向に戻る気配がない。地上に戻って僕の記憶に関わるものを探すことはできないんだろうか。というか、さっきの書類を見せてもらうことはできないんだろうか。あれに僕の生前の行いが書いてあるなら、それを見るだけでも大分記憶を取り戻す助けになると思うのに。
「あの、僕記憶がないんです。それで、さっきの人たちに渡した書類を見ることはできないんですか?生前の記憶にまつわるものを探してみたいんですけども、あの書類を見れないなら、せめて地上に戻って何か手掛かりを探してみたいんですけど」
「地上に行くってのは仕事以外ではなかなかないですねー。でも、データベースに全ての神の基本データは登録されてますから、それを見ればいいと思いますよ。どういう経緯で神になったとか、そういうことは全部記録してあるはずです」
ホントですか、と思わず身を乗り出してしまった。
「ホントですよ、神は嘘つきませんから」
心底ホッとして、力が抜けてしまった。だらしなく背もたれに身を預けて、窓の外の雲海のような景色に目をやると、真っ白な景色に少しずつ色が混ざり始めた。
「もうすぐ到着しますよ。ここからは言うなれば、天界の居住地域ってやつです」
窓の外に目を凝らしてみると、雲の中に大きな島が浮いている。島の中には家屋や畑など、人間が生活しているのと変わらないような景色が広がっていた。