秋の風
心地よい風がサァと入ってきた。庭の木々が揺れ、色づいた葉が舞い降りる。
座敷から見える庭で、幼い子が手毬をついて遊んでいる。
コトはその様子に目を細めた。たいそう絵になる景色だと思ったのだ。
なお、ここはコトの屋敷ではない。甥の屋敷だ。
コトの姉は、早くに亡くなってしまった。
だからコトは、姉の子どもたちの様子を、母がわりのつもりで時折見に来る。
甥が春過ぎについに迎えた、嫁の入れてくれた茶を飲み、菓子をつまみながら、秋を愛でる。
コトは懐かしい昔を思い出した。色づく秋と庭で遊ぶ子の姿のせいだろう。
「雅俊さん。あんたのお母さんな、生前、不思議な事を言うてはったんよ」
「はぁ。どんな話でしょ」
***
黄金色の稲穂が黄金色の日の光に照らされて輝いていたんや。
まぁ見事な、えぇ景色やった。
やけどまぁ、おかしなことに道に迷っていたんやわ。
ずーっと田んぼでな、見回しても稲穂ばかりや。
どうしたもんかなぁ、思たんやけど、あんまり美しい景色やし、見惚れてたわ。
***
ある日。
赤子を抱いて、コトの姉は笑った。
***
秋の、気持ちいい風がサァて吹いてきて、稲穂がザァアて波になって揺れていくねん。
眼福やなぁ、思てたらな、まるで風鈴みたいな綺麗な音が聞こえるの。
なんやろなぁて思うやろ。
近くに風鈴でもつけたままの家があるんかいな、えらいのんびりした家やなぁ思うけど、なんか、ええ音でなぁ。
耳を澄ませてたん。
***
「リーン、リーン」
コトの姉は、楽しげに、鈴のような美しい声を赤子に聞かせた。
***
そしたらな、何が見えたと思う? おコトちゃん。
風がバァて吹くやろう。稲穂がバァて揺れるわな。
その稲穂の上をな、手に稲穂1本ずつ持った童らが、風みたいに走っててん。びっくりやろ。
ほんまに、ほんま。
私もびっくりして、凝視したわ。
そのうち風鈴の音より、童らの声が大きいなってなぁ。
キャァキャァ、楽しそうに、稲穂の上をみんなで駆け回ってるんよ。
稲穂の上やで。上。普通はないわなぁ。
あの童らが、風みたいなもんやったわ。
まぁでも、楽しそうで、嬉しそうでなぁ。
えぇなぁ、可愛いなぁ思たんや。
そしたら、童らの中の1人と目ぇ合ってな。
あら、目が合ってしもうたわ、と思てるうちに、こっちに向けてその子が走ってくんねん。
びっくりしたわ。
あっという間の速さでな。あっという間に迫ってるねん。
目も鼻も口も頭の形も、よぅよぅ見えた。よぅ覚えてる。
ぶつかる! 思たらな、ポンて入ってきてん。口の中や。
びっくりした次の時には、もう飲み込んでたんかお腹の中に入ったんがわかったわ。
体の中がポカポカしてなぁ。
いや、風の子やのに、こんなところが、気に入ったかぁ、思て、お腹おさえたんよ。
***
「なぁ。雅俊。よぅよぅ、覚えてるで。あんたは生まれてくる前、風の童やったんやなぁ」
そう言って、コトの姉は笑った。
***
「おコト叔母さん。あの、その場所、どこにありますのん?」
甥の嫁が、目を輝かせて、コトに尋ねた。
コトは瞬いた。
「さぁ・・・。場所とかよぅ分からんよ」
「そうどすか・・・」
甥の嫁は、肩を落とした。
甥は気落ちした嫁を気遣った様子で、心配そうな顔をした。
***
甥の嫁が席を外した。
コトは甥に聞いてみた。
「おチョウちゃん、あの話、本気にしたんやろか」
「まぁ、ははは」
「雅俊さん、何を呑気に笑ってはりますの。えぇか。嫁が素直な質なんは良えことなんやけどな。なんや心配やわ。ちょっとまだ子どもなんやろか。えぇか、雅俊さんがその分ちゃんとしっかりしな!」
「はぁ、へへへ」
「まー頼りないな、私は雅俊さんの事を思って言うてますのやで!」
「はい、心得ております、叔母上」
「分かれば良いんです、分かれば」
「えぇ話が聞けて良かったです」
「そうか。まぁ、なんか私も懐かしいなったわ」
「はい」
***
その日の晩。
「なぁなぁ、旦那様は、覚えてはるん?」
「そんなわけないやろ。赤子やで」
「そうか、覚えてはらへんのか」
「ははは。すまんなぁ」
「よしよし。そんなに羨ましいんなら、風鈴を出したらいいんちゃうか」
「え。風鈴?」
「童の声の前に聞こえたんは風鈴やった言う話やろう?」
「ほんまや。ほんまやねぇ」
「秋やけど、風鈴出しても、えぇんやろか。変な家や思われへんやろか」
「えぇやろ。冬になったら寒いやろけど、まだ気持ちの良い秋や。それに庭の方の部屋につけたら外には聞こえへんのちゃうか」
「そうやね、そうします」
「うん。明日、すぐに出すと良いよ。音が一番きれいなん、覚えてるか?」
「鉄器のやろか」
「うん、そうや。緑色になってる、お寺型のつけたら、ええ音なるやろ。リーンリーンて」
「リーンリーン」
「ははは。リーンリーン、やな」
***
翌日。
涼やかな音が秋の庭に染みていく。
「おチョウちゃん、秋やのになんでまた風鈴出してきたん?」
「ふふ。これ、おまじないやのー」
「ふぅーん。よぅ分からんけど、秋でも良い音やねぇ」
「そうやねぇ。寒ぅなるまで、ちょっと飾っとこう思て」
「綺麗やねぇ。リーンリーン」
嫁と姪が仲良く並んで座って楽しんでいる。
リーン、リーン・・・
おわり