閑話・黄万姫
都のこう黄一族といえば、初代皇帝の御世から名を知られた名家である。
代々において皇帝の傍近く仕える侍従武官や将軍職を輩出しており、武門の名門として名を馳せていた。
だがそれでも武門の出、常には文官に一歩譲るところがあったが、先代の黄将軍の活躍によって黄家は一気に臣下として第一位に躍り出た。
残念ながら先代は先帝陛下がお隠れになられて後に亡くなっているが、長男が東将軍として跡を継ぎ、並ぶ者のない権勢を手に入れていた。はずだった。
都に帰ってきた当代の黄将軍が、李将軍以下の兵たちに急襲され、捕縛されるまでは。
これまでもそういう動きはなくもなかったが、皇帝の耳に届く前に対処してこれたしまた、仮に耳に入っても問題にされることなかった。注意くらいはされるが、それに従っていれば問題はなかったのだ。
ただ今回は、握りつぶそうにもそういう話が黄家の者たちの耳にすら入ってはこなかった。
黄家に対し奏上したのは、この度貴妃として冊立されることになった薛婕妤の養父だ。ただちに反対派を結集して釈放を、と企む黄家の前には、貴妃になる薛婕妤やその養父に敵対することに二の足を踏む官吏たちが立ちはだかった。
さらに黄德妃自身も謹慎を命じられ、美しく飾られていた彼女の宮も、現在は精彩を欠いていた。
「お兄様の解放は……釈放はまだなの?」
黄德妃の房室に呼ばれ、日に何度も繰り返される質問に首を振る宦官たちの顔色が、悪い。ともすれば、彼女の苛立ちの矛先になることもあるからだ。
榻に腰掛けた黄德妃が眉を顰める。
「中書舎人の奏上くらい止めなさいよ、役立たず!」
「し、しかし……」
中書舎人といっても、来年には貴妃に冊立される娘の養父。しかもその娘は皇帝の子を身ごもっている。
その上司である中書令は宋賢妃の父親であり、黄一族とは折り合いが悪かった。そんなこともあり中書省はもともと黄家とは近しくなかったが、それでも一部の官吏たちは黄家に協力してきてくれたのだが。
今回、その官吏たちは黄家に警告を発することもしなかった。
「陛下のお沙汰をおとなしく待った方がよいと、そう申す者たちもおります」
「駄目よ。陛下はわたくしにも会っては下さらない。黙って待っているだけなんて、あの女の思う壷よ」
一度だけ、なんとか皇帝が後宮にくるタイミングで直接訴えることができた黄德妃だったが、その結果は謹慎を命じられるというものだった。
それで宦官や女官たちを使ってなんとかしようとしているのだが、今のところ上手くいっていない。
「それで。あの女の、薛婕妤の具合はどうなの?」
「……とくにお変わりはないようです」
「……そう」
ちらりと目配せを受けて、宦官と侍女たちが静かに房室を出て行った。
房室に残った二人の侍女が、左右から黄德妃を囲む。
「残してあったものはなくなっていたのでしょう、あの娘はどうしたの?」
「先日またあちらの宮に招かれていたようですが、薛婕妤に変わりはありません」
「隠しているのではなく?」
「はい」
黄德妃は唇を噛んだ。
ということは、娘はこちらの見込んだ動きはしなかったということだ。
「ではまた何か、考えなければならないわね。何かないの?」
花水宮は他の宮とは段違いに警備が、人の出入りへの制限が厳しかった。また女官であっても単独で出てくることはなく、そのせいでこちらから声をかけることもなかなか出来ないという状況だ。
侍女は初めてではない説明を繰り返しながら、黄德妃に思いとどまらせようとしていた。
すでにもう、かなり危険な真似をしでかしている。皇帝にも薛婕妤にも、こちらに害意があることは知れているのだ。
「お前たちも、待て、と言うの? 確かに男児が生まれるとは限らないけれど、男児が生まれたらどうするのよ。ますます警備が厳しくなるに決まっているわ」
「そうかもれませんが、対象が二人になれば綻びもでましょう。薛婕妤は深澄園以外に出歩くこともなく、機会が少なすぎます」
「そしてその深澄園では宦官たちが出入りを見張っていると……そう言うのよね」
「はい」
どう考えても、そんな状況で薛婕妤を狙うことは厳しい。
侍女たちは二人でそう何度も話し合ってはいるのだが、主人はそうは思っていないようだった。
「深澄園といえば……劉葉皇子もよく訪れているとか。最近は元気におなりだそうね」
黄德妃が皮肉げに嘲笑する。
宋賢妃が劉葉皇子の養母として名乗りを上げたが、肝心の皇子が病弱すぎて太子に立てるなど無理だ、というのが皇帝をはじめ宦官や官吏たちの認識だった。宋賢妃はそれを、どうにか変えたいらしい。
「健康になったと陛下に主張したいのでしょうけど、その割に寝込んでおられては本末転倒ね。皇子と婕妤の間には何もないのかしら?」
「そもそも顔を合わせることも遠慮しあっているのか、接触したようにはないそうですが」
「……困ったわね」
宴に招いても、出てこない。そもそも花水宮から出てこないし、出てきたと思えば立ち入りの禁じられている深澄園。
その上に花水宮を訪れることすら皇帝に禁じられているとあっては、黄德妃もさすがになかなか手が出せなかった。
「多少強引でもいいから、何か考えなさい。証拠さえ残らなければどうということはないわ」
「はい……」
「あの女さえ排除してしまえば、中書舎人も力を失う。お兄様への奏上なんて、いつでも吹き飛ばせるのよ」
まるで自分に言い聞かせているようだ。
そう思いながら、侍女たちは黄德妃に頷いてみせた。
予定にはなかったのですが、閑話をはさんでみました。
万姫はワンヂェンと読みます。




