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深見草 ~花琳の後宮物語~  作者: 菜摘
第一章 入宮編
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皇帝陛下と・その一

 皇帝陛下の元までどうやって行くのかと思っていたら、あの宦官が輿を伴って現われた。

 華奢な紅い木で出来た輿に乗せられ、前と後ろを屈強な宦官二人が支えてくれている。

 桂英の見送りを受けて、皇帝の元へ出立した。



 輿は木で出来ているといっても安定感があって怖くはないが、覆うものもないので周りからは乗せられているわたしが丸見えだしわたしからも周りが見える。

 好奇の視線を向けられて正直うつむいてしまいたいけれど、前を向く。

 進むうちに、好奇ではなく睨むような視線を向けてくる女性たちに出くわした。身なりからしてもわたしより身分の高い宮女たちだけど、気にした様子もない宦官に先導されてその宮も通りすぎる。

 そこからは暗くなってきた回廊を渡ったり、庭園の側を通ったりして、道は分からなかったけれどかなり長い距離を運ばれたことは分かった。





 暗い落ち着いた紫檀で作られた大きな建物の、回廊の端に降ろされる。ここが、皇帝陛下の寝宮(しんぐう)である清和殿(せいわでん)だろう。


「こちらに休息出来る房室を用意してあります。何かありましたら控える侍女に申し付けてください。それでは、陛下のご用事が終わりましたら迎えにまいりますので、こちらでお待ちください」


 例の右頬に傷跡がある宦官に言われて足を進めると、帳の向こうに食べ物がのった卓と椅子、(ながいす)のある小房室がある。

 躊躇いがちに椅子に座ると、年嵩の侍女が現れてお茶を淹れてくれた。

 声をかけようとしたけれど、会話を拒むような素振りだったので諦めた。

 なんというか、こう、空気が冷たい気がするのだ。わたしが歓迎されていないだけかもしれない。

 何も言わず直立不動の侍女と二人、まんじりとも出来ず半刻ほども待っていると、ようやく房室の外から声がかかった。



「陛下がお待ちです」

「は、はい」



 休んでいた房室から出て回廊を歩き、煌々と明かりのもれる房室の入り口に立った。

 宦官が中へ入るよう促した。

 ごくっと息を呑む。

 震える足が転ばないよう注意しながら、ゆっくり歩いて房室に入り、すぐに両膝をついて叩頭した。


「お、お呼びにより参上いたしました。薛采女(せつさいじょ)にございます」


 どもった上に声が裏返ってしまった!

 さすがに恥ずかしすぎて顔が熱くなってくる。




 ──あら?



 人の気配がしない。

 ちらと横目でわたしを案内してくれた宦官の方を見ようと思ったら、もういなかった。気づかなかった。



 声もかからず、衣擦れの音もせず、何より人がいる様子もないのを不思議に思いながら伏せた姿勢を保っていたけれど、さすがに辛い。

 そろそろとゆっくり顔を上げて、その房室が臥房(しんしつ)の類ではなく書房なのだと知った。

 黄色の敷物が敷かれた膝までの高さの大きな台が中央奥にあり、、左右に建物と同じ色の紫檀で作られた榻がそれぞれ1つずつ。台の端には書机があり、その上にたくさんの書状が載っているのが見えた。

 房室の四方に飾られた花瓶も柱の装飾も黄色を基調とした派手で豪華なものだ。帳も黄色で龍が紅い刺繍で描かれている。

 黄色は、皇帝陛下の色でありそれ以外の者にとっては禁色。龍もまた皇帝を現すものだ。だからここが皇帝陛下の房室であることはおそらく間違いない。誰もいないけれど……。



 困った……。

 体を起こしてきょろきょろ周りを見回したけれど、咎める声もない。

 帰ってしまっては、駄目かな。さすがに駄目か。怒られて実家に帰されるくらいなら望むところ、だけど家族まで責任を問われては困る。

 立ち上がることはせずに膝をついたまま途方に暮れていると、


「何者か」


 低く重い男性の声が聞こえた。

 慌てて体を伏せる。


「何者かと聞いている」


 足音と、こちらへ歩いてくるのだろう衣擦れの音がする。


「せ、薛采女にございます」

「宮女か」

「はい」


 少し離れたところで足音は止まった。

 こちらを見下ろされているのだろう、視線を感じる。怖い。

 ああ、どうして誰もいないからって無作法な真似をしてしまったんだろう。死にたい。


「顔を上げろ」

「は、はい」


 伏したままの上体をゆっくり戻す。

 皇帝陛下はすでに白い夜着を纏っておられて、髪も下ろされていた。陛下の顔を直視するのは失礼なことなので目線は下に。何度も言いつけられた通りにする。

 陛下は何も言わず、しばらくわたしを見ておられた。やがてゆっくりと、小さく首を振る。



「そうか、今日は宮女を呼ぶ日だったな。つい忘れていた。其方には悪いことをしたか」

「いえ。いえ、その、大変無作法な真似をいたしまして、誠に申し訳ありません」

「そうか」

「…………」



 沈黙が痛い。

 陛下の声音から重いものは消えたけれどその分、冷たい印象を受ける。


「こうしていても仕方ないな」


 軽くため息を吐かれた。


「余には皇子が必要なのだ。だが、選ばせてやる。こちらに来るか、そのまま帰るか選べ」

「えっ」

「選べ。別に帰ったところで咎めはせん」

「それは……」


 ど、どうしたら!?

 帰ってもお咎めがないなら帰りたい。

 でも陛下の言うことをそのまま信じてもいいの? 無礼だと罰されたり……。


「早くしろ。余は暇ではない。その気もない者を相手にする気がないだけだ」

「お、お咎めなしというのは本当でしょうか?」

「女はたくさんいるし帰った者もすでにいる」

「で、では……」


 ごくりと唾を飲み込んで、わたしは少しだけ目線を上げて陛下の顔を見つめた。


「実家に帰っても構わないということでしょうか?」

「……入ったばかりのものをすぐに帰すわけにはいかんな」


 そ、それはそうかな。


「其方。好いた者でもいたのか」

「いえ、まったく、そういうことではないのですが……あ」


 咄嗟に否定してしまって、口を噤んだ。


「ならば構わんだろう。だが分かった、今日はもう帰れ」

「は、はい?」


 皇帝陛下が踵を返した。わたしは急いで頭を下げる。



 あれ? 今日は?

 ……聞き間違いかな?


 聞き返すことなど出来るはずもなく、そうしている間に陛下の気配は完全に遠ざかっていった。

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