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陛下と

 わたしから陛下にお会いしたいと、お願いするのは珍しいことだ。詩玲はちょっと心配そうにしていたけれど、ちゃんと取り次いでくれた。

 さすがに当日のうちには無理だったけれど、翌日には陛下は花水宮に来てくださった。出迎えたわたしを見て、


「婕妤、早く立て。……怒っているのか?」


 少し焦ったような顔をされた。


「怒っております」


 にっこりして陛下を中へ促がす。わたしを気にするようにして先を歩く陛下に、こっそり小さく笑った。おろおろしてわたしたちのやり取りを見ていた侍女の二人も、それで安心したようだった。

 吹き抜けの房室の卓には酒席の用意がしてある。陛下は椅子に座ってすぐに、わたしにも腰を下ろさせた。



「今日は来てくださって、ありがとうございます。陛下」

「其方が呼んでいるのに、来ない訳がないだろう」


 先に話しかけて機先を制す。陛下が困ったように眉を寄せてわたしを見下ろされた。


「昨日は、伯父上から初耳のお話ばかり聞かされて、すごく驚きました」

「そうか」

「あ、伯父上たちに官位を頂きまして、ありがとうございます」

「いや。それで……」


 わたしを見て、周りを見回された陛下は控えていた侍女たちにさがるよう指示された。戸惑ったようにする秀英たちに頷いてみせる。あまり陛下とのやり取りを見せたいとも思いませんし。



「……わたし、昨日のお話は、陛下から伺いたかったです」

「それで怒っているのか?」

「そうです。わたしのことなのに、まるでわたしだけ除け者にされているみたいです。父にもわたしから申し上げたかった。それに、伯父上たちに怒れないじゃないですか。伯父上だって、わたしを養女にすることを諸手を挙げて喜んでおられるわけではないのでしょうに」


 いや、もしかしたら、喜んでおられるかもしれないんですけれどね。長年女児を望んでこられたのに、結局お生まれにならなかったから。

 でもわたしや父の前で喜んでみせるような不用意なところはないから、そこは知らないことにしておく。


「私とて望んでそうするわけではない」

「でも、陛下はわたしの旦那さまでしょう?」


 夫婦の証である同心結をわたしに下さったのは、陛下だ。皇帝と宮女としての関係だけを望まれている訳ではないのだと、それが証明してくれているとずっと思ってきた。


「わたしに説明したり、説得したり、納得いかないって怒られたりするのは陛下の……旦那さまの役目なのではないのですか? とくにわたしの家族に関することは」


 途端に陛下が笑いだされた。

 わたしもほっとした。こんなことを口にしていても、いつ、無礼だと言われるかもしれないと思っていた。


「ははは。よいな、旦那さまか」

「そうですわ」

「そうだな。私たちは夫婦だ……ならば、悪かった。謝ろう」

「はい。…………怒っておりますけれどね」


 顔を伏せるようにして笑い声を漏らした陛下に強く引き寄せられて、陛下の膝に乗り上げるような態勢になる。そのまま抱き締められたので、困ってしまって視線を彷徨わせた。


「あの」

「私を許してくれ。それが最善なのだ……花琳」


 目を瞬いた。初めて、名を呼ばれた。

 陛下がわたしの顔を覗き込む。


「花琳、許してくれないか?」

「……わたしではなく、父ですわ。父が心配なのです」

「ああ、そうか。分かった。夫婦ならば、其方の父は私の岳父(がくふ)だからな。改めて手紙をしたためよう。それでいいか、花琳」


 名前を呼ばれて、どきっとしてしまった。悔しいからそっぽを向く。

 陛下がまた、楽しそうに一笑された。


「私に機嫌をとらせる者など、其方くらいだ」


 それは陛下は皇帝陛下なのですから。いつだって、機嫌をとられる側でしょうとも。


「たまにはいいのじゃありませんか?」

「そうだな、新鮮だ」

「陛下」

「花琳。そうではなく、旦那さまと呼べ。妃になるまでは外ではまずいが、ここでならば構うまい」

「妃になれば、外でそうお呼びしても構わないのですか」

「そうだな。妃は正式な、私の妻だ。史書にもそう記録されるし、私が死んだ時も同じ墳墓に埋葬されることになる」


 そういうものなのか。

 うん、私は未だに後宮についてよく分かっていないみたいだ。どうしてお二人の德妃、賢妃がああも強い態度でおられるのか不思議だったけれど、つまり、妃というのはそれだけの立場なのだろう。



「旦那さまと一緒に埋葬されるのは嬉しいですけれど……遠慮したい方がお二人もいらっしゃるのは、問題ですね」

「……それが問題だな」

「わたしが旦那さまとお呼びしたら、あのお二人も真似されるのでは」

「勘弁してくれ」


 本当に参ったような表情で陛下が首を振る。

 それでも、あの二人はお妃なのだ。今のわたしとは違って、正式な陛下の妻。

 いったい何がどうして、そういうことになったのだろうか気になる。陛下にお伺いするのは、やめた方が良さそうですれどね。



「陛下、じゃなくて、旦那さま」

「なんだ。陛下と呼ぶなよ返事をしないぞ」

「大人げないですわ」


 くすくす笑っていると、陛下がわたしの頬を優しく撫でる。その手の上からわたしの手を乗せた。陛下の手は大きくて、わたしの手とは比べ物にならない。


「怒らないでくださいね、以前の話ですから。……わたし、すぐに家に帰るって言って後宮に入ったんです」


 陛下の視線が先を促がす。


「あの頃は、本当にそう出来ると思っていて。戻るから待っていてねって父に言ってしまったんです」

「……其方と会わせることは、少なくとも、今は無理だぞ」

「ええ」


 伯父上から聞かれたのでしょうか。


「そうではなくて、父はわたしが帰ってくるものと思っていたのですから。……なるべく優しいお手紙にしてあげて下さいませ。父にはもう、わたししかいないのです」

「妻を亡くして、花琳、其方ただ一人を育て上げたのだと聞いている」

「そうです。わたしにはとても優しい父なのです。何事もなければ……」


 そこから先は口にしなかった。

 何事もなければ、父方の従兄弟と結婚して跡を継いでもらい、お父様を看取っただろう。


「分かっている。否、分かった。私は本当に抜けていたな……其方を育て上げた岳父に、不義理をするところだった。改めて、お願いしよう」

「ありがとうございます」


 陛下に申し出られれば、父には断ることなど出来ない。でも、それで陛下の人柄が父に伝わるのではないかと。それで少しでも、安心してくれればいいのにと思う。


「今は無理だが、そのうち必ず対面の機会を設けてやる。其方の父にも、約束する」

「ありがとうございます。……でも、無理はなさらないで下さいね。色々と我が侭を申してしまいますけれど、無理なことは無理だとちゃんと、分かっているのです」

「ああ」

「本当ですよ?」


 陛下は笑って、わたしを強く抱き締められた。



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