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深見草 ~花琳の後宮物語~  作者: 菜摘
第一章 入宮編
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お呼びです

 その知らせを受けたとき、表面上だけでも落ち着いていられたのは紅花と話したおかげだろう。

 でなければ動揺して醜態を晒したかもしれない。




「今宵、皇帝陛下がお召しになります。刻限になりましたら、陛下の元にご案内いたします。湯浴みなどの準備は昼過ぎから始められますように」



 朝の食事を終えた頃、わたしの房室に現れたのは歳若い宦官で、わりと整った顔立ちをしていた。右の頬の傷が少し気になる。


「……分かりました。時刻は分かりますか?」

「伺っておりませんので、早めに到着して陛下のお声がかかるまで待っていただくことになります。これは今回だけでなく常のことです」


 つまりいつ呼ばれるか分からないから早く行って待ってなさいと。それもいつものことだから文句を言わないようにと。そういうことですね。

 わたしの身分は采女(さいじょ)。宮女としては最下位で自分の房室はあるけれど宮を与えられているわけではない。皇帝陛下は、自分の元に呼ばれる場合と妃嬪の宮に足を運ばれる場合があるらしいけれど、身分低い者たちの場合共同でひとつの宮に住んでいるので、必ず陛下の元に呼ばれることになる。

 わたしはもちろん、宮の中の一房室を与えられているだけの宮女だ。



「謹んで、お受けいたします」


 返事を返したら、宦官はそそくさと出て行った。


「お嬢さま、花琳さま、おめでとうございます!」


 宦官がいなくなった途端、そばに控えてくれていた桂英がはずんだ声を上げる。

 本当に嬉しそう。

 なにもおめでたいことはないと思うけど……。


「もう、すぐに湯浴みに向かわれますか? この日のためにあたし、今流行りのお化粧法を侍女仲間に教えてもらったんですよ! よろしければそちらを試してみませんか?」

「桂英。悪いけど」

「はい」

「ちょっと一人にしてもらえるかしら?」


 あ。しょぼんとしてしまった。


「ごめんなさい。ちょっと緊張して……一人にして欲しいの」

「かしこまりました。すみません、一人ではしゃいでしまって花琳さまのお気持ちを考えず……。下がって準備しておきますから、何かありましたらすぐお声をかけてくださいませね」

「うん……。落ち着いたら呼ぶわね」

「はい。失礼いたします」


 こちらを窺うようなそぶりを見せながら、桂英も房室を出て行く。



 ごめんね、ほんとにそんなつもりじゃなかったんだけど……。桂英は家の事情も何も知らないのだから仕方ないのに、いらいらしてしまった。後でまた謝っておかないと。

 それにしても。


「皇帝陛下……か……」


 まさか本当にお会いすることになるとは。

 ちょっと怖い。わたしの人生を、簡単に捻じ曲げてしまえる人だ。

 わたしだけでなく、後宮の多くの女性たちの命運を握っている人。わたしもまた、その後宮の女の一人になってしまっていたのだと思うと体が竦む。

 本当は、逃げ出したくてたまらない。そんなことをしたらわたしどころかお父様、一族まで首が飛びかねないので絶対に、しないけれど。




 しばらくぼうっとした後、桂英を呼んだ。

 こうなってしまった以上、出来る限りのことをしておかなくては。


「さっきはごめんね、桂英。でも流行のお化粧とかはしないわ。いつも通りで。紅も薄くね。衣装は……そうね、翠のでいいわ」

「でも花琳さま」

「落ち着いた印象のほうがいいと思うわ」

「いえ地味すぎだと思いますが。それに翠は正直、花琳さまにはあまりお似合いに思えません」


 だってそれを狙っているもの。

 多くの女たちの中に埋没してしまえばいい。

 どうせわたしの容姿はここではありふれたもの。陛下のために集められた絶世の美女美少女たちには、逆立ちしても敵わないんだから。


「お化粧はともかく、せめてお衣装は桃色にしませんか? 花琳さまには明るい色がよくお似合いです」

「黄德妃も宋賢妃もとても派手な衣装だったわ。回廊で見かけたほかの方たちも。あえて地味なほうが目立つと思わない?」

「ですが。そういう……ものですかねぇ」

「そういうものだと思うわよ」


 首を傾げながらも、わたしの言ったことだからか桂英は否定せずになんとか納得したように翠の衣装を出してくれた。 


「あ、そういえば先ほど麗艶さまたちが表におられたのですが、忙しいだろうから声をかけなくてよいと仰せでした」

「そうね。わたしのところに宦官がいらしたから知っているのね」

「はい。もうばっちり噂になってます」


 そうなんだ。

 うーん、申し訳ないけど紅花たちと話をする余裕はないかな。精神的にも……。





 好奇の視線を向けてくるほかの宮女たちをかわしながら湯浴みをしに行って、戻ってきていよいよお化粧にとりかかる。

 後宮の女性たちは胸元の露出の多い服装を好む。というか、それ以外の服装の人を見かけなかったので仕方なくそれに倣う。上着である薄い翠の直領衫(ちょくりょうさん)を着てからそれよりも深い翠の裙裳(くんも)を胸元まで引き上げ、紅い帯で締める。帯飾りは……とくにいいかな。

 髪は前と横の髪だけをいつものように後ろに上げて、桂英が用意してくれていた生花を飾った。


「どうかしら?」

「お綺麗ですけど……やはり、翠はおやめになっては? 髪型ももう少し華やかな方がよろしいかと思います」

「いいのよ、これで」


 だって目立ちたくないんだもの。


「……あたしの見る目と化粧の腕を疑われそうですわ……」


 正直ごめん。侍女仲間からの桂英に対する評価までは気にしていなかったわ。気にしていたとしても、変えなかったでしょうけれど。

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