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深見草 ~花琳の後宮物語~  作者: 菜摘
第一章 入宮編
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閑話・冷宮の女 上

 宝和宮(ほうわぐう)は今、その名称にはなはだ相応しくない様相を呈していた。

 飾ってあった花や花瓶、高価な飾り棚や水差し、豪華な皿から錦の帳にいたるまでおよそ日常生活に必要ないと思われるようなものは全て、皇帝陛下の命令だと宦官と近衛兵たちが持ち出してしまったためだ。

 凛婕妤のものだった礼服の類も飾りの類も持ち去られ、比較的質素な衣装が少しばかり残されたのみ。傷ついた雲児(うんじ)の主、凛小玉(りん しょうぎょく)は錦の布団も剥ぎ取られたむき出しの寝台に引きこもっている。



「これからどうなるの……」


 床に座り込んだ侍女たちの中から啜り泣きが聞こえてくる。

 その数は当初より半減しているけれど、乗り込んできた宦官や兵士たちと共に出て行く姿があったので、なんとなく全員が事情を察していた。そう、ここに残されているのはみな、凛小玉が実家から連れてきた者ばかり。身内の者ばかりが取り残されているのだった。

 後宮に入ってから婕妤につけられた者たちはみな、出て行ってしまった。

 宝和宮では、小玉に元から付いてきた侍女たちと、後宮で新たにつけられた侍女や女官たちの間に大きな溝が出来てしまっていた。主人である凛婕妤はそれを察して、何かと口うるさい後宮の侍女たちを遠ざけて女官たちと同等に扱った。


 たぶん、それも間違いだったのだろう、と思う……。


 雲児はため息をこらえて、周りを見回す。

 もう小玉の身内の侍女しか、残っていない。


「とりあえず、房室を片付けましょう……。婕妤さまのお部屋なのに、これではあんまりだわ」

「雲児……でも」

「そんなこと、している場合?」

「じゃあ、何をするの? どうするの? 外へは出られないわよ、陛下の近衛が見張っているもの……わたくしたち、陛下を謀った大罪人になったのよ」


 悲鳴が上がる。

 それがどこか、滑稽なことのように雲児には思えた。彼女たちは、小玉の言うことを全て良い考えだと受け入れ、時には助言さえしていたというのに。

 雲児は違った、という自負がある。

 止めようとしたが、止まってはもらえなかった。凛婕妤の……凛小玉の身を案じていたけれど、侍女一人の意見など通用しなかった。味方になってくれそうな後宮の侍女たちとは、その頃にはとっくに疎遠になっていた。





 ──雲児の主である凛小玉は、御史大夫という高官の娘であった。兄弟は多かったけれど娘は小玉と妹の二人しかいなかったため、父親はいずれ後宮にあげるつもりで贅沢に育てあげた。

 凛小玉はあまり勉学に熱心ではなかったが、美貌には恵まれていた。また、大夫と正室の夫人の間にたくさんの子供があったことも良かった。宮女募集の際、担当官に大した金を積むことなく入宮させることが出来たからだ。

 それほどに、皇帝陛下に後継者がいない、というのは大問題としてとらえられていた。


 ただ小玉と共に入宮した者たちは数が多く、なかなか順番は回ってこなかった。とある宮女が二度も呼ばれて新人の宮女たちから三人の才人が誕生した時、癇癪を起こす彼女をなだめながら、侍女たちは宦官に賄賂を贈った。

 それが功を奏した。

 皇帝は子宝に恵まれそうな女性、というふれ込みで紹介された小玉を続けて召し出した。


 これならば小玉が懐妊する日も近いと、侍女たちは色めきたった。

 才人たちの中からさらに婕妤となった娘が現われて、彼女たちの期待に一瞬の冷や水を浴びせたものの、小玉もまた才人として位をあげており、次のお召しの後には婕妤となった。

 雲児は、小玉が皇帝陛下の心を掴んだのだと、確信した。でなければこんなに早い出世など、有り得ない。



「陛下が仰ったの。婕妤として新しい宮を授けるが、好きにして良いと。人員も増やさないといけないし、実家から呼ぶ許可も頂いたわ。宦官たちも選んだし……良い宮を用意してくれるといいわねえ」


 小玉が選んだ宦官は、これまで賄賂を贈ってきた二人の者たちだった。確かに馴染みはあるけれど、彼らの地位はそんなに高くない。それゆえにか賄賂にも簡単になびいた。そこは少し、雲児には心配だった。

 やがて新しい宮が選ばれたものの、小玉はそこを嫌がった。くだんの宮女──婕妤となった方の宮よりも大きくはあったけれど、陛下の寝宮から遠かったからだ。もっと近くて大きな宮を! と我が侭を言う小玉の、その我が侭は通ってしまった。

 宝和宮という豪奢な宮が、凛小玉のために用意された。

 かつての寵妃が使用していたとの説明通り、婕妤という格には似つかわしくない宮だったが、小玉も雲児たちもあまり気にしなかった。小玉が懐妊すれば、また位が上がってすぐに釣り合うはずだと思っていた。

 ただ、皇帝陛下の許可があるため口では何も言わなくても、不快に思った者たちはいたのだろう。小玉の臥房に猫の死骸が放置される、という嫌がらせが起こったのは宮を移ったその日のことだった。

 震え上がった小玉が陛下に申し出て、女官や侍女たちをさらに増やすこととなった。小玉の実家から数人の侍女たちを連れてきて、後宮からも新たな侍女や女官たちが手配されてきた。

 ただ、そのことは宝和宮で少し問題になった。


 後宮の者たちは長く後宮にいる自負からか、何かと凛小玉の行動や衣装に文句をつけたのだ。

 みだりに低位の宮女たちを集めて話をしたり、皇帝陛下からの下賜品である装飾品を見せびらかすことに苦言を呈した。


「わたくしはただ、同期の者たちと親しく会話したいだけ。無理に誘った覚えはないわ。陛下から賜ったものも、美しく素晴らしい品だから見せてあげているだけよ。何が悪いの、欲しいなら陛下のご寵愛を得られるよう精進すればよいのよ」


 小玉がつん、と顔を上げて彼女たちの諫言を退けて遠ざけた時。

 雲児は確かに、嫌な予感がした。そこまで強い態度にでてよいものだろうか、と思った。低位の者たちは高位の者の誘いを断れないだけ、本当に喜んで来ている訳ではない、という彼女たちの言葉が胸に刺さった。だが、小玉は気にしなかった。

 それからも陛下からのお召しは変わらずあり、小玉がねだったにせよ、下賜品を賜る機会は多かった。おかげで小玉はずっと、機嫌が良かった。


「婕妤となるには薛婕妤さまに先を越されてしまったけれど、わたくしは待遇が違うのよ」


 そう事あるごとに口にしていた。


「あちらの方は大したことはございません」

「陛下は小玉さまにこそお子を期待されているのですわ」


 かつて薛婕妤との対面に同行した侍女たちも、追従した。彼女たちは、薛婕妤よりも小玉の方が細腰雪膚──細い腰と雪のように白い肌──だと太鼓判を押した。

 黄德妃、宋賢妃という婕妤には太刀打ちできない高位の妃たちとの接点もさほどなく。嫌がらせもほとんどなくなって、宝和宮の者たちが小玉の懐妊をただただ心待ちにしていた時に、その凶報は届いたのだった。


 薛婕妤が、懐妊した。



 後から考えてみても、凶報以外のなにものでもなかった。

 凛小玉と雲児たちの運命は、あれから狂いだしたのだから。

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