後宮に入ったことの意味
そうして始まった宮女の生活というのは、思ったより退屈なものだった。
わたしが最下級の身分の宮女でしかないせいかもしれないけれど、とくに位が上の妃嬪から呼ばれるようなこともなく。仲良くなった三人と一緒に楽器を演奏してみたりお茶をしたり、房室で大人しく持ち込んだ書物を読んだりして過ごす。
これだと、父がいないだけで実家の生活とたいして変わらないかもしれない。
わたしは元々房室に閉じこもっていても苦にならないからその程度ですんでいるけれど、そうでない人は庭園に出かけたりして嫌味を言われたり軽い嫌がらせなどを受けてしまっているようだ。
だからますます外に出る気が失せてしまって。
多少不便だけれど、それでも、想像していたよりは普通の生活を送れている。
まあわたしの想像していたものが、母方の縁戚からの偏ったものだったというのは分かった。言われていた通りのような方たちもいるけれど、普通に暮らしている女性たちもいる。
陛下からもとくになにもなく……はないかな。一緒に入宮した女性たちが三、四日に一人ずつ陛下に呼ばれている、らしい。
一番に呼ばれたのは黄德妃の血縁だという黄家の女性だ。そのことをたいそう自慢していたらしいのだけれど、その後に別の女性が呼ばれてしまって、面目を潰したと麗艶が嬉しそうに話していた。後宮こわい。
まあ、陛下がそうして新しい宮女たちを一人ずつ呼んでおられるというのは、わたしにとって良い知らせではないのだけど。そのうち呼ばれたらどうしよう……。
愛蘭、麗艶、紅花の三人とは仲良く出来ていると思う。
今日は書物の読み書きという共通の趣味がある紅花が書物を見に来たのだけど、書物に興味のない麗艶はともかく、一緒に来ると言っていた愛蘭がいなかったので首を傾げた。
察したらしい紅花が笑う。
「昨日とうとう愛蘭の隣の房室の方が召しだされたの。それで愛蘭が次は自分じゃないかって麗艶と一緒に騒がしくしていたから置いてきちゃった」
「あら、そうなの」
「愛蘭ったら早く家に帰りたいって言っていたのにそわそわしてたわ。美容にいい美顔水を麗艶と試すんですって」
桂英が淹れてくれた茶器を片手に、少し不思議そうな顔をする紅花。
でもまあ、愛蘭の気持ちは分からないでもない気もする。
「いざ陛下にお目にかかると思ったら、緊張しているのかも」
「……そうね。それはあるかもしれないわね」
半分くらい納得、といったところかな。家に帰りたい興味ないと言っていても、年頃の女性だもの。やっぱり陛下にお会いするとなったら話は違うのかも。
わたしもお顔を拝見するくらいは出来たらいいなと思わないでもないのだけど……。正直、陛下に呼ばれてもそれからどうしたらいいのかまったく分からない。後宮でのことを教えてくれた古参の侍女は、陛下の思し召し通りになさってください、としか言わなかったし……。
愛蘭も不安になるわね、それは。
「わたしたちにもお声がかかるのね」
「麗艶に言わせれば、そのために私たちは集められたのでしょってところね」
「そうだけど……皇帝陛下って雲の上の方すぎて想像も出来ないわ」
ふと、紅花が茶器を卓に戻してわたしを見た。
「今も、想像出来ないの? 後宮にいるのに」
「そうね……あんまり出来ないかもしれないわ」
「私のことではないから口を出していいものか分からないけれど。花琳もちゃんと覚悟しておいたほうがいいと思う」
「覚悟って?」
「私たちは皇帝陛下にお仕えするためにここにいるのだということ。早く家に帰りたいって花琳も愛蘭も言っていたけれど、何も覚悟なくここに来たわけではないのでしょう?」
言葉に詰まった。
わたしは、後宮に入りたくなどなくて。入るとしても実家に帰される場合もあることはちゃんとお父さまに聞いていて。
正直何もないまま家に帰るのだろうと思っていて。
「すべてにおいて優先されるのは皇帝陛下の意思だわ。花琳や愛蘭の希望ではないの。家に帰りたいっていうのは軽く言っていたものだと思っていたけれど、愛蘭を見ていたら本当に降ってわいたことのように騒いでいたから気になったの」
そうね。
確かにそうだわ。
わたしの希望を潰すようなことを言っているのに、紅花の目は落ち着いて澄んだままだ。
「紅花は、どうなの? 覚悟しているの?」
「私は後宮にあがることになった時に、覚悟したの。すべてを。私の人生は私の自由になるものじゃない。もし機会があるなら、陛下に誠心誠意お仕えしようって」
「そっか……」
自身の栄達を望む麗艶とは違う。けれど紅花もまた、後宮で生きることを受け入れているんだ。そう、気づいた。
もしかしたら、愛蘭もそうなのだろう。
そして、わたしは後宮で生きていく気などないのだ。ないのだ、けれど……。
「もっとも、私がお仕えしたいと申し上げても、陛下に望まれなければそれまででしょうし。一度は呼ばれると思うけれど、それ以降音沙汰ない人も普通にいると思うわ。何しろ人数が多いから。だからそこまでの心配は、必要ないかもしれないわね」
黙りこんだわたしを気遣ったのか、紅花が苦笑する。
「……うん。本当に人数多いわね」
意識して口角を上げる。ちゃんと笑えているだろうか?
わたし、しばらく我慢していたら家に帰れるだろうと思っていたの。もしかしたら叶わなくなる可能性なんて、ちっとも気づかなかった。
だってわたしは絶世の美女じゃない。そして出世を望んでいない。きっととくに問題もなく、陛下の目に留まるようなこともなく後宮を去ることになるだろうと……。
紅花の言っていることは分かるけれど、きっとそれにはわたしは当てはまらない。そう、思っていたのだけれど。