凛婕妤からの申し出
「花琳さまを起こしてしまうから、着替えを持てと仰られて」
「そのままお着替えになって朝議に向かわれましたから、大丈夫ですよ」
臥房に現われた桂英と秀英は、陛下の夜着を手に動けないわたしに明るく話しかけてきた。
二人とも昨日のことなど何もなかったようにいつも通りの顔をしている。
「そう……。あの、ごめんなさいね、桂英も秀英も。わたし昨夜……」
「謝らないでください、花琳さま。花琳さまが悪いわけじゃないですから」
「わたくしどもに謝って頂くようなことは、何一つございませんよ」
「でも、ごめんね……」
立場の弱い三人に、当たるような真似をしてしまった。きっとあの後もわたしを心配していただろうし、朝は朝で早い陛下に合わせて辛かったはずだ。
「今日は交代で休んでいて。わたし、房室で大人しくしているわ」
「はい。ありがとうございます」
「お気になさらないでくださいませ」
その後、姿を見せた詩玲にも謝った。
「いえいえ、昨夜は楽しゅうございました。ふふふ、凛婕妤の宮の者は誠に無礼ですね。陛下の元へ行くのになかなか通してくれず、思わず派手に騒いでしまいましたよ」
……何をしたんだろう。
詩玲が楽しそうに笑っているけれど、表情が怖い。
「しかし良かったですね、薛婕妤さま。これで元通りですよ」
「そうかしら……」
陛下がお怒りになられた以上、凛婕妤はこれまでのようなことは出来ないだろう、とは思う。でもあの方は、また仕掛けてきそうな気がする。
不安がなくならないのだ。
それと関係があるのかどうかは分からないけれど、その日のお昼を過ぎた頃、なぜか凛婕妤から面会の申し出が入った。わたしは凛婕妤の使いと顔を合わすこともなく、秀英が対応してくれている。陛下のご下命があるので、許可のない方と会うわけにはいかないのだ。
「わたしを招きたいと? 何故?」
「お互い不安な時期であるのに陛下を独占して申し訳ないと、凛婕妤がお詫び申し上げたい、そう仰っているそうですが。しかしそもそも、花琳さまはどなたにお会いするにしても陛下のお許しが必要ですのにね。ですからそれを理由に、何度もお断りしたのですが」
なんともしつこいのだと言う。
たしかに昨夜、陛下のご不興をこうむったことでわたしに取り成して欲しいという可能性が高いとは思いますが。
「なんと言われても、お断りして。陛下のお許しもないし、そもそもお詫びしたいと言っておきながら同格のわたしを自分の宮に招くのは失礼ではないかしら」
「はい、その通りです。はっきりきっぱりと、お断りしてまいりますね」
まあ、わたしの花水宮には許可された人以外は入れないので、凛婕妤は来たくてもこれないということくらい分かっていますが。そんなことは無視です無視。
このくらいの意地悪は許してほしいと思う。わたし、あの方のためにそこまでする気にはなれない。
夜、陛下は普通に花水宮にお出でになられた。
「ようこそいらっしゃいました、陛下」
「早く立て。機嫌は直ったか?」
入り口で出迎えていたわたしをすぐに立たせ、陛下は頬をゆるめてわたしを見下ろす。
「直りました」
つい素っ気無く答えてしまい、後悔する。気まずいついでに、
「凛婕妤は……よろしかったのですか?」
聞いてしまった。お気を悪くされるかと思ったのに、陛下は変わらず顔をほころばせたままわたしを抱き寄せた。
「夜着をここに置いていってしまったからな」
「……」
「私はあまり黄色は好かん。皇帝としてはあるまじきことだろうが。其方の黒い夜着は落ち着くから良いな」
「機嫌をとろうとして仰ってますか?」
「いや、本心だ」
陛下に禁色以外の夜着なんて、ちょっと心配しましたが。詩玲の意見は本当に正しかったみたいだ。良かった。
「凛婕妤といえば、今宵も相変わらず何か言ってきたようだが、余では何も出来ぬからな。後宮の侍医を遣わしてやると言ったら帰ったようだ。最初からそうしておれば良かった」
「今日も、ですか……? わたしにお詫び申し上げたいとか、言っていたそうなのに」
今日もこりずに仮病をしたのか。呆れてしまう。
陛下に促されるまま、ふきぬけの榻に隣あって腰を降ろした。
「お詫びとはなんのことだ?」
「それが、よく分からないのです。今日の昼間に、凛婕妤から使いの者が来たのですけれど。そうよね、秀英」
「はい。恐れながら凛婕妤さまにおかれましては、此度のことで薛婕妤さまにお詫びを申し上げたいということで、自分の宮に来てほしいとのご招待でした。お断りしたのですが、大変しつこくて困りました」
秀英が言わなくていいようなことまで言った気がする。ああ、うん、凛婕妤に腹を立てているって言っていたものね……。
「訳の分からぬことをするな……」
「わたしにはお詫びしたいと仰っているのに、今夜も陛下を呼ばれようとされていたのでしたら、なにかおかしいですよね」
「まあ、良い。言わずとも分かっているだろうが、呼ばれても行くな、来ても入れるな。あの女、何を考えているのやら」
「はい」
「かしこまりました」
ご命令があれば、断りやすい。また来られるのかどうかも分かりませんが……なんとなく、しつこかったという秀英の印象から、明日も来そうだなっていう気がする。
「そんなことより、しばらく顔も出せず悪いことをしたからな。──持ってこい」
陛下が声を掛けられて、そういえばいつもはすぐに姿を消す宦官がその場にまだ残っていたことに気づいた。その宦官がすぐに外に出て行って、やがて大きな荷物を抱えた宦官たちと戻ってきた。
「これは侘びの品だ」
宦官が別の榻の上に包みを置く。桂英と秀英がその後を引き取って、包みを開いた。
出てきたのは十三の弦が張られた、木でできた本体を象牙の装飾が彩る楽器だった。
「筝……ですね」
「そうだ。聞いたぞ、其方、家では筝を弾いていたそうだな」
「はい。でも、あの、あまり上手くはございません」
大きい荷物なので、後宮に持ってくるのは遠慮したもの。桂英が揃いの白い義爪を見つけて持ってくる。陛下が受け取って、ぽんとわたしに手渡された。
「そのうち、聞かせてくれ」
「陛下にお聞かせできるようなものになるまで、どれだけかかりますか。でも、ありがとうございます」
筝は、好きなのです。ただ、好きと上手いが同一ではないのが問題です。




