乞巧節の宴・後
宴の最中、宦官たちが木で出来た小さな橋のようなものを露台の入り口へ運んできて置いた。
「あれは何かしら?」
「喜鵲の羽で橋を作るのですわ。出来上がったものを烏鵲橋と呼ぶのです」
話しかけたわけではなかったけれど、楊婕妤が教えてくれる。わたしの右隣の方はさらに右隣の方とお話されているようで、わたしはもっぱら楊婕妤としか会話していない。
「あれが烏鵲橋ですか。天の川に渡す橋というわけですわね」
「ええ、私たちの場合は陛下との間に渡す橋として祈願に使う方もいますわね」
陛下と──。
「それほどに、陛下のご寵愛というものは得がたいものなのですわ。貴女は幸運でいらっしゃる」
楊婕妤を振り向く。
その表情に、わたしへの害意は感じ取られなかった。しいて言うならば……哀惜のようなものを感じる。
婕妤ということは、この方も、かつて陛下にご寵愛された方なのだろう。今頃そんなことに思い至ったなんて、わたしは頭が悪い。
「陛下の寵愛は得がたく、そして失いやすいもの。大切になさいませ」
「はい」
「素直でいらっしゃるのね。あちらのお方ではなく、貴女がご近所になってくだされば良かったわ」
ちらりと向けた視線の先には凛婕妤。
なるほど、なんだか色々と納得する。
「……張婕妤のこと、庇えなくてごめんなさいね。まさかあんな意地悪をするとは思わなかったのよ」
「え。いえ」
そうだ。婕妤さまなのだから、当然黄德妃にご挨拶したときにあの場所に居合わせていたわけで。
「失った寵愛を取り戻そうと頑張るのなら分かるのですけれどね。寵愛を得ている者を苛めても、陛下に疎まれるだけでどうにもなりませんのに」
「は、はい……」
「それに、怪我をさせてしまうなんてね。野蛮だわ。さすがに武官の娘でいらっしゃるだけあるわ」
ちくりと嫌味。ど、同意しにくい。
でも、楊婕妤がわたしを苛めるというか嫌がらせをしてこようという気のない方であるのなら、わたしにとっては嬉しい。
「あら、ごめんなさい口が滑ったわ。では、そろそろ私たちも羽を飾りにいきましょう」
「はい。ご一緒します」
楊婕妤に誘われて立ち上がり、侍女から喜鵲の羽を受け取ってだいぶ羽に覆われてきた木の橋に羽を貼り付けた。
同じように貼り付けた楊婕妤に続いて席に戻る。そうすると、次は九嬪の方々が羽を手に立ち上がって行かれた。楊婕妤が仰るには、最後に妃さま方が貼り付けて完成され、それを陛下に送られ、陛下が楼台に飾るのだそうだ。
「さあ、もう後は天の川を眺めて舞を見てお食事とお酒を楽しんで終わりよ」
「わたしは宴というものは初めてなのですが、だいたいこのようなものなのでしょうか?」
「そうねえ……。陛下が主催になられると、劇団の方たちを招いたり客人を招いたりもなさるのだけど、後宮の者である私たちだとそうはいかないからだいたいこのような感じね」
「そうなのですか」
なるほど。
正直に言いましょう。お食事はさすが、美味しいのですがあまり楽しくないです。
楊婕妤が話しかけてくださるからまだ良いけれど、これで誰にも話しかけてもらえなかったら退屈しかしなかったに違いない。そしてわたしは、陛下に話しかけるには席が遠すぎる。
これが、今のわたしの後宮での位置なのでしょうけど……。
「退屈そうね。でも、今年はまだ良いのよ。陛下が参加してくださっているのですもの」
「今年は、ですか?」
ぼうっとしていたので、楊婕妤の言葉に目を瞬いた。
「一昨年は大変なことがあって中止になってしまったし、去年は陛下がほとんど後宮に足を向けてくださらなかったのよ。宴にもいらっしゃらなかったわ。それでも、德妃賢妃のお二人は色々と手を尽くして宴を開いていらしたけれど……正直に言うと、まるで葬儀のようだったわ」
「それは……」
「どんなに練習しても、着飾っても、見て頂きたい方が来られないのですもの。分かるでしょう?」
「そうですね」
頷きながら、手元にあった酒盃を傾けて少し口に含んだ。
かっと口の中が熱くなったので、いつものお酒よりきついことに気づいてすぐに飲むのをやめた。
水果の盛られた皿の中から山竹を選んで口に運ぶ。
「だから、陛下の足がまた後宮に向かわれるようになって本当に良かったと……あら? 薛婕妤?」
楊婕妤の声を聞きながら、くらりと崩れそうになった体勢を慌てて両手で支える。
「婕妤さま、婕妤さま? 大丈夫ですか?」
「……え、ええ……」
秀英の声が遠い。
なんだかすごく気分が悪い。口元を抑えると、焦ったような秀英が急いでわたしの体を支えてくれた。
どこかで大きな音が聞こえた気がしたけれど、そちらに顔を向けることも出来ない。
「──婕妤さま、花琳さま、歩けますか? 退出の許可がでたようです、帰りましょう」
ぼうっとしていると秀英が立たせてくれ、反対側からも侍女が支えてくれて、なんとか歩いて露台を出る。しばらく進むと、慌てたようにこちらに来た輿に乗せられる。
宦官たちの焦ったような声も、それに答える秀英や見知らぬ侍女の声も聞こえているのに、何を話しているのかも分からない。わたしに声をかけられているようにも感じたけれど、口を開く元気がなかった。
輿が持ち上げられる気配がする。
ふっと意識が遠くなるのに、今度は逆らわなかった。




