乞巧節に向けて
本格的に暑い夏がやって来た。
後宮では、近々行われる乞巧節に向けて準備に忙しい。
わたしの宮でも、小さな楼を建ててそれにさまざまな飾りつけを行い、彩楼を作った。これらは全て男性──後宮では宦官か皇帝陛下しかいないけれど──の手を借りず、わたしと侍女と女官たちだけで行うものだ。
そして当日のために女性は全員が新しい衣装を用意し、お供えするための刺繍もしなければならない。
乞巧節というのは、織女にあやかって裁縫の腕が上がることを願うお祭りなのだ。
そういうわけで、わたしも房室に籠もって最近はずっと裁縫三昧。
今日も秀英と桂英と一緒に、椅子に座って刺繍をする。
「去年もこの時期はお裁縫ばっかりしていたわね。後宮に来ても変わらないわ」
「そうですねー、花琳さま。去年も良縁を祈られる必要はなかったですし、裁縫上達のお願いだけですから、去年と何も変わりませんね」
「そうねえ」
裁縫の腕は妻として必須技能とされているので、市中の未婚の女性はみな、裁縫の腕の向上と共にそれによって良縁に恵まれることを祈祷するのだった。わたしの場合は、昔から結婚相手を決められていたのでその必要がなかっただけで。
今年はもう後宮に入っているし、宮女である私にとっては良縁の方は相変わらず関係ないけれど。
「秀英は、そういうお願いはしないの?」
桂英は元々わたしの家に売られて来た娘で、父が買い取ってわたしの話し相手、遊び相手の家人となった。当時は父の財産であり、今はわたしについて後宮に来たのでわたしの財産……と言っていいかもしれない。
でも秀英は違う。
「わたくしは伯母上のように侍女としてお勤めを続けようと思っておりますので、結婚などは望んでおりません」
「そうなの?」
「はい。幸いにも妹や弟もたくさんおりますので、両親のことも心配ないですし了承してもらっています。出来ればずっと、花琳さまにお仕えしたいです」
「それはありがたいわ」
「それに元々、あまり結婚したいとは思っておりませんでしたから」
それもそうか。
侍女である彼女たちはわたしよりは身分が低いとはいえ、それでも自由な結婚が出来るわけではないのだろう。侍女として身を立てることが出来るのなら、その方がよいのかもしれない。
「桂英はよいの?」
秀英が桂英に問いかけた。桂英はちらっとわたしを確認して頷く。
「あたしは両親の棺のお金を出すために、売られたんです。主人に認められないことは出来ませんし、する気もないんです」
「そう」
「気にしないでくださいね、秀英さま」
いらぬことを聞いた、とばかりに秀英が落ち込んだ顔をするが、桂英は明るく笑い飛ばす。
実際、そういう子供は多かった。今はそんなことはないようだけれど、昔は、売られてしまった子供の話は、けして珍しいものではなかった。
人は死んだ時に棺に入れないと、死後も亡者として彷徨い苦しみ続けることになる、と言われている。だから貧しい親は死期が近づくと、子供を売ってでも棺を用意するものらしい。
桂英が売られてきた年は、都に死病が流行って死人で溢れ、そういう風に売られた子供がたくさんいた年だった。桂英の両親も病に侵され、死期を悟って桂英を売って棺を買ったのだという。
買ってもらえて良かった、ここではお腹一杯食べられる、最後に親孝行が出来て良かったのだと、いつか桂英がわたしに語ってくれたことがある。
「あたしなんかぜーんぜん楽な方なんですから。旦那さまも花琳さまもお優しいですし、頭が良いからって花琳さまと一緒に勉強もさせてもらえました。それで雑用はしなくて良くなって、花琳さまに書物を読んでさしあげるのが役目になったりして。本当に楽をしてるんです」
「……でも桂英。今はもう家をでてわたしに付いて来てくれたのだから、もしも何かしたいこととかが見つかったら言ってほしいのよ」
わたしにとって桂英は、一番身近な親友のようなものだから。
「ありませんよ。あたし……わたくしもずっと、花琳さまにお仕えする気満々なんですから」
「それでも気が変わるかもしれないでしょう? そうしたら、言ってね」
「はい」
一応納得してくれたみたいだ。本当に何かしたいことや、もしも結婚でもしたいっていうならぜひとも応援したい。幼い頃からずっと一緒だから、いざ離れるとなるときっとすごく寂しいと思うけれど。
「では桂英も一緒に、これからも頑張りましょう!」
「はい!」
仲良くなったなあ、この二人。
元々仲が悪かったわけじゃないのだけれど、侍女の格としては完全に秀英が上で。でもわたしの侍女として長く仕えてくれているのは桂英で。
大丈夫かなと思わないでもなかったけれど、秀英が桂英を立ててくれるのと桂英も素直に秀英の助言を受け入れるので、上手くいっているようで良かった。
「二人とも、手を進めましょう。わたしの分も手伝ってもらっていて申し訳ないのだけど」
婕妤として相応しいものを、と言われたので大きめの刺繍にしてしまって大変なことに。
わたし、実はあまり刺繍が得意ではないんですよね。なのに、刺繍のことを陛下に知られてしまって実は苦手だなんて言えないまま、贈り物をねだられてしまった、という……。陛下には同心結を初め衣装や飾り物を頂きましたので、断ることなどできるわけもなく。
それでも一応、小さめな香袋に留めたのだけど。
「いえとんでもない」
「やりましょう、花琳さま」
「本当にごめんなさい。来年はもっと、自分の力量を考えることにするわ」
「いえいえ。来年はもっと刺繍も上手くなっておられますよ」
秀英がわたしの手元を覗き込んで、手直しが必要な箇所を教えてくれる。
「花琳さまはあまり刺繍をされていなかったらしいですけれども、これからは機会が増えますからね」
「うっ……」
「陛下、きっと喜ばれますわ」
刺繍より、書物を喜ぶ子供でしたからね。父も、従兄弟と結婚させるつもりだったので正直かなり甘やかされた気がします。ですからわたし、あんまり刺繍してこなかったんですよねえ……。
でも頑張ります。ええ。陛下にみっともないものはお渡しできませんので!




