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深見草 ~花琳の後宮物語~  作者: 菜摘
第一章 入宮編
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皇帝陛下と・その五

 清花宮の入口まで寄せられた輿に乗って運ばれていく途中、気がつけばこれまでずっと陛下にお会いしていた書房の辺りを通り過ぎていた。

 何処へ行くのだろうかと首を傾げていると、


「本日は深澄園(しんちょうえん)にお連れするようにと申し付かっております。陛下の寝宮(しんぐう)の手前にございますからすぐですよ」


 先導する詩玲が気づいたように教えてくれた。


「深澄園……庭園、ですか」


 詩玲の言葉通り、回廊から白い石畳へ降り、さらに水路の上の橋を通って東屋へと着いた。

 東屋の中で、陛下はすでに卓についておられた。

 わたしを見てすぐに立ち上がり、輿から降りるのを手伝って椅子に座らせて下さる。


「申し訳ありません、ありがとうございます」

「よい。普通に歩けないようだと聞いてはいたが、きつそうだな」


 険しい目がわたしの足に注がれる。

 その間に、頭を下げた詩玲と運んで来てくれた宦官たちが輿を持ち上げて道を戻って行った。周りを見れば侍女や宦官の姿が離れた場所に見えるけれど、こちらの話が聞こえるほど近くでもない。

 卓の上には酒と酒の肴、お茶と点心などが並べられていてほのかな灯りが周りを照らしている。


「その足では明後日は参加出来ぬだろう。ゆえに、今宵見せてやる」


 陛下が手で指し示した先。水路の周りの樹や花々に、小さな灯りがたくさん見えた。ふわふわと風に揺れるように漂っている。


「あれは……光虫ですか?」

「そうだ」


 話には聞いたことがある。でも、光虫は山の奥など人のいない所に生息しているということで、都に住むわたしには馴染みのない光景だ。

 橋の奥の茂みの方から、音楽も流れてきた。

 茂みから飛び出してきた光虫が点滅を繰り返しながら、水辺の上を彷徨っている。やがて数を増やして、、どういう仕掛けなのか同時に明滅しだした。そんな光景に、しばし目を奪われる。



「すごいですね」

「気に入ったか」

「はい」

「ならば、良かった」


 優しく笑う陛下。今宵は椅子を並べて座っているせいで、いつもよりも距離が近いことが急に気になった。


「陛下。本当にありがとうございます、このような光景を見せてくださって」

「よい。明後日の宴ではこの光虫を見ながら、夜更けまで騒ぐのだ。さあ、こちらの酒もどうだ。合歓花(ねむのはな)を漬けたもので女人に人気があるのだと、献上されたのだが」

「わたしはお酒はあまり飲んだことがないのですが……では、少しだけ」


 宴にでることもあるので、宮で時おり食卓に並べられることはある。あまりたくさんは飲めないようだから控えめに、と秀英から言われているので本当に少しだけ。

 顔を近づけると花の匂いがする。これが合歓花の匂い。


「飲みやすいですね。美味しいです」

「ならばそれは其方に下賜しよう。薛家(せつけ)刺史(しし)を務める威州(いしゅう)からの献上品だ、喜ぶだろう」


 はたと手が止まった。

 薛家──。


「其方の母方の縁者よな」

「そうです……」


 中央には稀にやって来て、しばらく逗留していくことがある。当主はわたしにとっては祖父にあたり、何度も顔を合わせたことがあって可愛がってもらっていた。



「一族の娘が後宮に入ったと知って、遠まわしに嫌味を言ってきおった」

「あ、あの、なんと……」


 豪放磊落な祖父を思い出して蒼くなったが、陛下は面白そうにしておられてほっとした。


「其方が気にすることはない、同じ轍を踏む気はないと返答しておいた。心配なら戻ってこいとも。返事はまだ来んな」

「そうですか……」


 長く縁のなかった後宮に、わたしは縁付いてしまった。母方の一族は本当に後宮を嫌っているから、さぞかし心配しているだろう。


「少しずつ、やっていくしかない。……以前は後宮の女どもの政治介入が腹立たしくしかなかったが、今なら多少は必要なことかと分からないでもないな」

「はあ……」


 政治介入と言われてもなんのことだか分からない。

 でもどうやら自分の知らない間に、またも着々と流れが出来上がっている。それに気がついてしまって、もやっとしたものが胸に広がった。



「──陛下。伺ってもよろしいですか? 少々、無作法なのですけれど」

「構わぬ。申せ」

「陛下はそのようにわたしを望んでいらっしゃるようにお見受けしますが、凛小玉(りん しょうぎょく)さまも才人に取り立てられましたね」


 本来、(ねや)と言わず皇帝に対し他の女のことを匂わすなど禁じられていることだ。嫉妬心を露にするのは醜いこと、皇帝陛下の寵愛を削ぐものだと教えられた。

 だからか、陛下の意表をつくことが出来たようだ。


「そうか。それは耳に入るな」

「はい」


 後宮の女たちの情報網を舐めてはいけない。

 陛下はわたしを見下ろして、真顔になられた。


「今のところ、懐妊の兆しを見せるものがおらぬ。皇子が必要なゆえ、多産だと言う家系の娘を勧められたので取り立てた。それだけで、他意はない」

「はい。……申し訳ありません、本当は分かっているのですが。陛下には、皇子を産む宮女が必要です」

「其方が産んでくれるのが一番なのだがな」


 苦笑いを浮かべる陛下に顔が熱くなる。


「それは、その……」


 突然腕を引かれて、気がつけば陛下の胸に抱きしめられていた。

 早い動悸の音が聞こえる。これはきっと、わたしの音だ。


「お、お願いがございます」

「言ってみろ」


 耳元で聞こえる低い声に飛び上がりそうになりながら、なんとか言葉を継いだ。


「陛下を独占出来ないのなら、お心だけでも独占させてください。わたしを気にかけてくださるように、他の方を気にかけたりなさらないでください。…………わたし、酷いことを言っています」


 ぐっと引き寄せられる力が強くなった。

 詩玲、わたしは欲がなくなんかない。本当は、ものすごく欲深い。醜い。


「それで、もしもわたしに飽きられたり嫌になられたら、家に、帰してください」

「そのようなことは」

「もしも、です。そう約束してくださるなら、わたしは、少し安心出来ます」


 誰かに寵愛を注ぐ陛下など、見たくない。

 ややあって、頭の上からくつくつ笑う声がする。


「陛下?」

「……ああ、良い。約束してやる。万が一その時は、其方を自由にする。寺院にも送ったりしないと勅書を書いてやるから安心しろ。そのようなもの不要だと思うが、それで其方が安心出来るというなら安いものだ」


 陛下の腕の力が緩んだのでそっと顔を上げた。

 ものすごく優しげな顔をしている陛下を見て、慌てて胸元に顔を伏せる。

 恥ずかしすぎる! 逃げたい!


「首に腕を回せ」

「は、はい」


 わたしが腕を伸ばすのと同時に、陛下が椅子から立ち上がった。


「えっ」


 恐れおおくも陛下の両手に支えられているので、落ちることはないけれど。


「其方、歩けぬであろう。このまま連れて行く」


 陛下がそのまま歩き出し、慌ててこちらに近づいてこようとする宦官たちに手を振って止めた。

 本当にそのまま庭園を横切り、回廊を渡って連れて行かれた先は。黄色の布で覆われた、陛下の寝台だった。

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