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深見草 ~花琳の後宮物語~  作者: 菜摘
第一章 入宮編
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宦官・詩玲との出会い

 ところがわたしにとってはまったく意外なことに。陛下は面倒だ、と放置されたわけではなかったらしい。


 張婕妤(ちょうしょうよ)の侍女が後宮から追放された上、寛林(かんりん)が清花宮の専任をはずされ、厠の掃除という閑職にまわされた。昨夜のうちにそう決定され、今朝夜も明けないうちに侍女は後宮から追放され、寛林も新しい部署に移動させられたのだと。

 朝食をとっていた真っ最中に初対面の宦官がやって来て、それを教えてくれた。そしてその宦官は椅子に座っていたわたしをそのままにさせて目の前で跪き、


「本日よりこちらの専任を命じられました、詩玲(しれい)と申します。寛林が薛才人さまに失礼な態度をとったことをお詫びし、誠心誠意お仕えすることを誓います」


 と言って頭を下げた。

 どこか生真面目な見た目の詩玲という宦官は、どうも性格も真面目らしい。


「こちらこそ、よろしくお願いしますね。詩玲殿」


 控えめに笑ってみた。失敗した。

 傷が痛んでしまい、ちょっと強張ってしまった。


「なんとお労しい……」


 詩玲が袖で顔を覆い、落涙している。

 あの涙、本物かしら……。

 嘘にしても瞬時にそこまで出来るとは、この宦官、只者ではなさそう。玉葱を袖に常備しているのかもしれない。


「薛才人さまにはどうかご安心を。陛下が望まれている宮女の方に傷を負わせた愚かな侍女は、二度とお目にかかることはないでしょう」

「そ、そう……」


 それは、後宮から追放されればまあ会うことはないでしょうね……。

 どうしよう。傷が痛んだわけでもないのに顔が引きつってしまう。


「また陛下から、傷が気にならなくなったら来るように、とのお言葉を賜っております。その際には自分が報告に参ります。本日、代わりの宮女をお召しになることもなさそうですので、どうぞお心安らかにお過ごしください」

「そ、そうなの……」


 それ、後ろのほう、わたしが聞く必要あったのかな。

 困るわたしをよそに、卓の両脇に立っている桂英と秀英が嬉しそうな声をあげた。


「花琳さま、良かったです」

「陛下が回復を待っておられるなんて、良かったですわ」

「やはり花琳さまは、陛下のお気に入りなのですわ!」

「そんなことは。いえ、そうかしらね……」


 否定の言葉もむなしいわ。

 無言で喜ぶ二人を見つめていたら、詩玲の視線を頬に感じた。


「……何か?」

「いえ。あまり嬉しそうではおられないようにお見受けしまして、何かご不満があったのではないかと憂慮しておりました」

「とんでもない、嬉しいですわ。ただ、陛下にはたくさんの妃嬪がいらっしゃるのですもの。わたしが少し具合が悪くても、他の方が立派にお役目を果たされると思いますわ」


 ええ、きっと。

 果たしてもらわないと困る。


「な、なるほど。分かりました、その旨しかと陛下にお伝えします。──それにしても」

「はい?」

「薛才人さまは陛下のことを一番に考えてくださっておられるのですね」

「誤解よ!」


 何を言っているのよ、この宦官。

 陛下のことは考えてないわ。わたしのことを考えているのよ!


「どうぞご謙遜なさらず。陛下はきっと、お喜びになるでしょう」

「えと、ですから」

「これからは自分が毎日、ご機嫌伺いに参ります。陛下にお伝えしたいことなどありましたら、どうぞ自分に仰ってください。きっと陛下もお聞き届けくださいます」


 え、いや、だから……。

 なんでそうなるの。


「よ、よろしくお願いします……」


 困り果て、わたしはそう返すしかなかった。


「お任せくださいませ」


 輝くような笑顔を浮かべて再び頭を下げ、詩玲が踵を返す。所作もまるで寛林とは違って、洗練されて優雅だった。同じ宦官でも随分違うものだ。




 でも、なんだろう。この、何かものすごく負けた感じ。

 あの人毎日来るの? 何のために? 

 ああ、わたしの顔の傷が治ったら陛下に伝えるんだったわね……。いえ気にならなくなったら、だったかしら。永遠に気にしていたいわ。

 それに、


「きっとまた、嫌がらせされるわね」


 これだけ目だってしまったら、覚悟しないと。陛下はあれかな、わたしを酷い目に遭わせたいのかな。

 朝食を続ける気も失せてしまったので、茶器を手に取る。後宮のお茶はおいしいわ。



「おそらくあれほどあからさまなことは、されなくなるとは思いますが」


 頬に右手をあてながら、秀英が首を傾げた。


「これほどはっきりと陛下の意思を示されたのですから、とくに寵愛も受けておられない方々は花琳さまのことを遠巻きにされるのではないかと。陛下のご不興をこうむっては意味がありませんから」


 触るな危険、という感じだろうか。

 わたしに手を出したからって陛下がたいして怒るとも思えないのだけど。とくに当事者のわたしには今回の陛下の行動は疑問符ばかり。そんなにしてもらえるほど、仲良くなった覚えがないのですが。


「あの婕妤さまは面目を失くされましたね。陛下の怒りを買って侍女が追放なんて醜聞ですわ」

「その分、恨みを買ったことでしょう」


 桂英のようにただ喜ぶ気にはなれないわ。

 張婕妤も、閑職にまわされた寛林だってそう。無駄に敵を増やした気がするのだけど。


「もう少し、喜ばれても良いように思います。今回は、陛下のご下命があった後の嫌がらせでしたからわたくしもすぐに陛下のお耳にいれようといたしましたが、全てをそうするわけにはまいりません。それでも、今回のことで少しは良くなるかと思うのです。不幸中の幸いですね」

「そう?」


 そっか。たまたま陛下に呼ばれていたからわたしに怪我をさせた侍女が罪に問われたけれど、とくに何もない日だったら問題なかったのか。そういえば詩玲も言っていた。陛下が望まれている宮女を、と。

 最初は知っていてわざと、と思っていたけれど。きっと張婕妤はわたしに陛下の呼び出しがあることを知らなかったのでしょう。運がなかったのね。わたしも、張婕妤も。



「桂英には前に話したことがあるけれど、わたし、本当は後宮が好きではないわ」


 むしろ、嫌いなの。


 秀英と桂英が顔を見合わせた。困ったような表情でわたしを見てくる。


「ごめんなさい、二人を困らせたいわけではないのだけど……」


 本当に嫌いなの。


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