三人の才人
その後、少しだけ哀帝の話しを聞かされたけれど、もう遅いからと下がるように言われた。そうしてまたあの回廊の端の部屋で少し仮眠をとらせてもらった後、輿に乗せられて帰った。
だから何もなかった。
宮女としてはどうかと思うけれど本当に何もなかったのだけれど。なぜか朝になると陛下の勅書を携えた高位の宦官の方が房室に現れて、
「勅命である。薛采女を才人、正五品に封ず」
あれよあれよと言う間に勅書を渡され、ぼうっとしながらお礼を申し上げて──気がつけば、正八品の采女から二つ飛ばして出世していた。
おまけに才人となったからには専用の宮を用意するよう下命がありますお引越しを、と言われ、そのまま桂英と共に清花宮という宮に連れてこられ。房室に残した荷物もたくさん現れた侍女たちよっ
て瞬く間に運びいれられて。
これまでの房室とはまったく違う、贅をこらした内装と香の匂いにくらりときて、わたしはそのまま寝台の住人となった。
救いだったのは、才人の位に引き上げられたのがわたしだけではなかったことだろう。
勅命を受けたあと、現れた侍女たちの噂話からするに、あと二人ほど同日に才人の勅命を受けたらしい。
頑張ってほしい、そのお二人。
わたしは応援する。
「趙麗華と、周雪霞の二人よ」
早速わたしにお祝いを言いにきたはずが、寝台に寝込んでいると聞いて驚きつつも帰ろうとしたいつもの三人を引き止めたところ。麗艶はすでにその方たちの名前を知っていた。
本当に情報が速い。
「悔しいわ。趙麗華……趙才人は踊りが得意で名前もわたくしと似ているのにどうしてわたくしではないのよ」
「そんなことより本当に大丈夫なの? 花琳、私たちならまた明日も来るから」
「そうよ。無理はよくなくないと思う」
「そ、そんなことって」
「麗艶、うるさいわ」
寝台が大きくて臥房を占領しているため、三人は隣の部屋からこちらを覗きこむようにわたしに話しかけてくれている。
心配そうな三人に、病気ではなく精神的なものだと思うとは、言えない。申し訳なさすぎて。
「大丈夫、倒れたって大げさに言われているけど立ちくらみがしただけだから」
麗艶、紅花、愛蘭の顔が隣の房室に引っ込んだ。
「もしかして、懐妊!?」
「いえいくらなんでも症状がでるのが早すぎでしょう」
「あたしもさすがにそれはないと思う」
聞こえてるわ。三人とも。
そしてそれはない。ないのですよ絶対に。
小声で何か話していると思ったら、しばらくしてまた顔を出した。
「ねぇ花琳、体調が悪くないというなら寝不足とか?」
「それはあるかも」
「なるほどー」
愛蘭がにこにこし、麗艶がにやにやし、紅花はくすりと微笑んでいる。
「陛下ときっと、すごく仲良くなったのね」
え?
ええー!?
「下世話な話はやめて! 麗艶、それもまた閨の話でしょ」
「そうね。でも良かった、花琳が幸せそうで」
「帰りたいって言ってたもんね。才人にって命じられて喜んでるのかなって心配してたのよあたし」
「そ、それは……」
「いいのいいの。陛下すごく格好良い方だものね。陛下が陛下でなくても、きっとすごく人気があったと思うの」
それは確かにそうかもしれないけれども。
反論出来なくてぐっと口を噤むと何を察せられたのか、
「大丈夫よ。三人同時に才人になったといっても、陛下が二度呼ばれたのは花琳だけよ」
麗艶が励ますように言う。
何か、ものすごく誤解をされている気がする……!
「あ、そういえばもう私たちとは位が違うのだから呼び捨てはまずいかもしれないわ」
「やめて紅花……」
薛才人とか、わたし、自分を呼ばれているように思えない。
「じゃあ、わたくしたちだけの時はこれまで通り花琳で。人目があるときはちゃんと薛才人って呼ぶ。それでどう?」
「それならいいかも」
そうね。もし人目があるところで位が下のはずの麗艶たちに呼び捨てにされたら、外聞が悪いかもしれない。
わたしもだけど、とくに麗艶たちに被害が及ぶかも。
「あたし間違えそう……」
「愛蘭は……気をつけてね。麗艶も、趙麗華さまをちゃんと趙才人ってお呼びしないと。悔しいのは分かったから」
「わたくしの方が踊りは上手いし顔だって美人なのにー」
なにか珍しいなあ。麗艶がすごく負けず嫌いに見える。
紅花がすすっと顔を近づけてきた。
「いつも踊りの練習で張り合っていたらしいのよ」
なるほど。
好敵手に、一歩先んじられたというところかしらね。
「聞こえているわよ、紅花! 悔しい、あんな人に敬語をつかって頭下げなくてはいけないなんて」
「彼女だって宮をもらえたんだから物理的に距離は出来たわよ?」
「それでも踊りの練習に顔を出しにきそうな気がするの!」
「それはありそう」
ありそうなんだ、愛蘭。どういう方かわたしは存じないけれど、あちらもまた麗艶に張り合っている、ということかな。
そうなると応援しづらいなあ。
……どうせならここにいる三人の誰かが寵妃になったら、よいと思うけれど。それと同時に、心に引っかかるものがある。
後宮で友情を築くのは、きっと難しいことだ。そうなった時、わたしたちは変わらずにいられるだろうか。
陛下の寵愛を巡って、お互いに嫉妬したりしないでいられるだろうか。