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深見草 ~花琳の後宮物語~  作者: 菜摘
第一章 入宮編
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皇帝陛下と・その二

「今日はまた、なかなか愛らしい格好だな」


 機嫌の良さそうな陛下の第一声を聞いて、倒れそうになった。

 び、微妙な反応を期待したんですけど……!


「顔を上げろ。其方には、そのような色合いの方が似合っているようだ」

「あ、ありがとうございます……」


 思わず固い声が出てしまった。陛下が目を瞬いてわたしを見つめる。

 今日もまた、前回と同じ陛下の書房らしい房室に案内されていた。

 違っていたのはほとんど待たされることなく案内されたことと、訪れた書房で陛下が夜着には着替えておられたけれど書机を前に筆を持っておられたこと。

 どうやらまだお仕事の最中だったらしい。


 叩頭から顔は上げたけれど両膝をついたままでいたら、


「そちらに座って待て」


 さらさらと何か書き物を再開されながら仰られた。

 ちらと周りを見回したけれど、どうもうまく転べそうな場所には適当な書状の束などない。大人しく底の高い布の靴を脱いで、(ながいす)の敷物の上に正座する。

 黄色の敷物はこれまで座ったどの敷物よりも、ふんわりと体を受けとめてくれた。

 しばらく、陛下が書き物をする筆の音だけが房室に流れていた。





「少し調べさせた」

「……はい?」


 何を、でしょうか。

 陛下は書き物をやめることなく、言葉を続ける。


「其方。哀帝(あいてい)の妃が一人、薛淑妃(せつしゅくひ)の子孫だそうだな」


 それは……。


「間違いなさそうだな」


 陛下はわたしを見て、納得したように頷いたあと筆を置かれた。


「ここまで来て帰る女は、そうはいないからな」

「……他にもいると、仰いました」

「いや。あれほどあっさり、しかも実家に帰りたいと言ったのは其方がはじめてだ」

「…………」


 えーー……。

 どうしよう。どうしましょう!?



「薛淑妃の話は多少、知られている。後宮においてのみだが。当時の太子と皇子、そして妃一人が毒殺されているのだ、当時はかなりの騒動だったはずだ」


 陛下にとっても祖父の代の話のはずですが、今でも知られている話なのでしょうか。

 あれ? 妃一人?


「あの、陛下。わたしは母方の縁者から太子と皇子が亡くなって、薛淑妃が疑われて寺院へ移され、やがて心労ゆえに亡くなったと聞いておりますが……」


 毒殺された妃というのは、誰のことだろう。


「いや。薛淑妃もまた、後宮の外で毒殺されたのだ」

「……」


 いわれのない罪をきせられて、皇帝の寵愛を失って、失意のうちに亡くなられたはずでは? 殺されたというのですか。


「知らなかったか。薛一族は優秀な官吏だったが、その事件後地方官吏として赴任して以来、中央には帰参していない。ゆえに後の顛末までは知らずにいたか」

「さすがに当時のことは分かりません……」

「そうよな。醜聞であったからには、極秘にされた可能性も高いか」


 ため息を吐いて、陛下は腕を組む。


「あの……大伯母のことを疑っているわけではありませんが。毒殺ではなく毒を用いた自殺、という疑いはなかったのですか?」

「それはないな。薛淑妃が去った後も続けられた調査の結果はむしろ、淑妃は無実であるというものだった。元々彼女が産んだ皇子も死んでいるのだからむしろ、疑われてというより騒ぎに配慮して寺院へ移されたのではないか。哀帝は証拠もなく薛淑妃を追い込んだ者たちを罰し、彼女を再び後宮に迎えようとされていたようだ。死ぬ理由はあるまい」

「そ、そうだったんですか」


 当時の皇帝陛下、哀帝から、寵愛を失っていたわけではなかったと。

 それは随分、わたしが聞かされてきた話とは違う。

 ただ、だからこそ、死ぬ理由はなかったけれど殺される理由はあったということだろう。再び寵妃に返り咲かれては困る人が、きっといたのだ。



「薛淑妃亡き後、去った薛一族を中央に戻そうと哀帝は尽くされたそうだが。罪のない寵妃を寺院送りにした挙句毒殺されたということになってしまい、強引なことは出来なかったようだ」

「……」


 結局、哀帝は一族のことも心配されておられた、ということですか。

 本当に聞かされていた話と違うのだけれど、一体どうなっているのだろう。


「その事件についても、結局、怪しい者はいたが証拠も証人も既に亡く。犯人を捕まえることは叶わなかったと聞く。哀帝もさぞ、無念であっただろう」

「そう、ですね」


 太子、そして薛淑妃の生んだ皇子の息子二人を失い。寵妃であった淑妃も失い。哀帝の側から見ても、充分すぎるほど悲劇だ。


「後宮は魔窟よ。それまでもそれからも、何度も改革が断行された。だが今も大して変わらずそのまま存在する。其方が好まないのも無理はない」

「そ、それは。そんなことは……」


 ばれてる。

 後宮好きじゃないって、ばれてしまってる。

 それはそうか。帰りたいって言ってしまったものね。わたしの馬鹿!


「ああ心配するな。私も嫌いだ」


 蒼くなったわたしを見て、陛下ははじめて朗らかに笑われた。

 不覚にも、一瞬その顔に見惚れてしまった。冷たそうな方だと思っていたのに、楽しそうに笑われるものだから。


「後宮など嫌いだ。が、必要でもある。困ったものだ」

「……」


 言いません。言いませんよ何も。後宮の悪口なんて。


「せめて多少なりと、好意を持てる女がいれば良かったのだがな」


 その言われようでは、今現在、陛下はどの宮女もお好きではないように聞こえますが……!

 やめてー。

 ものすごく聞いてはいけない内容な気がする。



「わ、わたしと同時に四十人以上が入ったのですから、お一人くらいいらっしゃるのでは……ないでしょうか」

「そうよな。またぞろ人数を増やしたのだったか」


 そ、そんな苦々しそうに言わないでいただきたい。

 彼女たちはきっと、陛下にあこがれて寵愛されるのを心待ちにしているんですよ。たぶん。


「はい。きっと、きっとお一人くらい、陛下のお心に沿う方がおられるのではないかと、愚考いたします」

「……期待しよう。其方にも」


 やーめーてー。

 無理です。嫌です。怖いです。大伯母さまの話は分かりましたが、それとこれとは別だと思います。そもそも毒殺されていたとか、もっと怖い話です!

 陛下が呆れたように首を振られる。


「目は口ほどに物を言うとはいうが、少しは隠せ。……嫌なことでも、どうにもならぬこともある」

「も、申し訳ありません」


 慌てて頭を下げる。

 でも顔を上げた時、もう陛下は別のことを考えておられるような表情で遠くを見つめていた。



 陛下もまた、そのような経験をされたことがあったのかもしれない。

 意外に思って。少しだけ、興味を持った。


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