顔落ち
まゆちゃんに顔落ちの症状が出たのは、つい一か月程前のこと。
「ママぁ! おかおがかゆいの。こっちのおめめのよこなの。でね、でね、かいたらね、ほら、おもちみたいにふくらんじゃったの。なんでだろうね。でね、でね、プニュっとおしてみたの。そしたらね、ひっこんだんだけど、ほら、また、おもちみたいにゆっくりとプニュっとふくらんできちゃうの。でね、でね、まだかゆいの。ねぇ、ママぁ、これまえにもどるかなぁ」
ママにかゆみを訴えた数日後にまゆちゃんの顔は落ちた。
ママは用意してあった仮の顔をまゆちゃんに付け、優しくこう言った。
「明日、デパートにお顔を買いに行きましょうね」
突発性顔面表皮剥離症というのが正式な病名だ。
国内で最初の症例が報告されたのは、今から三十年程前のこと。
とある田舎町で高校の教師をしていた男性にそれは起こった。
その男性は、コンビニの駐車場で、両手の平で顔を抑えたまま跪いてこう叫んでいた。
「顔が落ちるぅぅぅ! 顔が落ちるぅぅぅ!」
悲痛な、というよりも、驚愕のための叫びのようだった。
不審に思ったコンビニのアルバイト店員が、警察に連絡。
一人の警官が現場に到着するころには、十人程の野次馬がその男性を取り囲んでいた。
「顔が落ちるぅぅぅ! 顔が落ちるぅぅぅ!」
男性の叫び声は止まらない。
「顔が痛むんですか?」
男に付かず離れずしている野次馬の一人が訊ねた。
「痛くはない、痛くはない、ちっとも痛くはないんだよ」
予想通り、痛みはないらしい。
警官が、野次馬の輪を割って男に近づいた時だった。
「ぱかぁん」
聞こえるか聞こえないかの破裂音とともに、警官と十人程の野次馬の前で、男の顔が落ちた。
原因は不明のままだ。
世界中の科学者、医者、哲学者、知識人、神学者までがカンカンガクガクと議論を尽くしたのだが、何も判らないままだ。
一番信憑性の高い説としては、コミュニケーションの欠如というものがあった。
表情というのは、コミュニケーションの手法としてはもっとも重要な要素の一つであった。
ところが今や、パソコンや通信機器の発達、SNS等の普及により、表情を不要とするコミュニケーションが成立するようになった。
もはや表情は人間の生活にとって無用の長物となってしまった、というものだ。
だが、この説にも矛盾はある。
現在、顔落ちはさまざまな国、人種、年代にまで広がっている。
そこにはパソコン普及率の低い国もあれば、まだパソコンを自在に操ることの出来ない年代……例えば新生児の顔落ち……なんて現象も発生しているのだ。
今や人類全体の9割が顔落ちを経験しているし、一種の通過儀礼と化しているとも言えるのだ。
今も世界のどこかで「ぱかぁん」というかすかな破裂音とともに、顔が落ち続けているのだ。
「だめよ、まゆちゃん、人間のお顔にしなさい」
「ええ! そんなのつまらないよぅ。このぞうさんのお顔がいい!」
デパートの顔売り場には、色々か顔が並んでいる。
象、熊、猫、犬といった動物から、今はやりのアイドル歌手、アナウンサー、女優、アニメの主人公、中には大仏様や宇宙人、ペイズリー柄の顔まで揃っている。
「ぞうさんがだめなら、このきりぎりすさんのがいい!」
仮の顔を付けたまゆちゃんは、「おかあさん:スタンダード」の顔を付けたママに文句を言う。
でも、聞き入れられることはない。
まゆちゃんはププーっとホッペタを膨らませてみせたが、仮の顔からはどんな表情も読み込めない。
だからママにはそのププーっは伝わらない。
しかたなくまゆちゃんは、「賢そうにみえる幼稚園児(期間限定)」を選ぶ。
「おかあさん:スタンダード」の顔を付けたママは「あら、いいじゃない、それにしましょう」と言ってまゆちゃんにニッコリと笑いかける。
勿論、そのニッコリはまゆちゃんに伝わることはない。