夜のヴェネリア
■システィーナの視点
コックリとバールで夕飯を食べた。
私は奥の方の席で、フードをかぶりながら食べたから他のお客さんに怪訝な目で見られたのだけれど、コックリは情報収集をかねてカウンター奥の店主に話しかけたり、立ち飲みの人々に話しかけたりしていた。
やはり水の都だから魚料理が多いのね、食べると私にはレシピが手に取るように分かるので、私が作るときはさらにアレンジしてコックリ好みにして出してあげよう。ふふ、コックリの味覚はだいたい分かってきたし……
辺りはすっかり暗くなって……水の都だからかしら、ちょっと肌寒い。波のチャプチャプとした音がまた冷たさを感じさせるのかな。
家々の窓からは、オレンジ色のランプの灯りが瞬いて、暖かい印象を与えてくれる。
狭い路地には、ガラス細工のお店がまだ開いていて、ショーウィンドウの中でランプの光でキラキラと煌めいて……綺麗。グラスや食器だけでなく、動物の形を模したガラス細工や大きな魚のガラス細工がある……こんなガラス細工もあるのね。感心してみていたらコックリが、ヴェネリアンガラスはグラスだけじゃなく様々な形に加工されて人間の世界でも有数のブランド価値があるんだよ、と教えてくれた。
あ、あっちにはレースのお店。これも凄い細工……エルフの里ではこんな見事なレースは見たことがない。このレースのケープを纏ったらコックリでさえも魅了できるかしら……
コックリが、ほしいの? と言うけど、金額のゼロの数が凄い! 半年で人間の世界の貨幣は分かってきたから首を横に振ると彼は笑いながら、この街を出る前に思い出に何か買おうよ、とプレゼントするよ、と言ってくれた! うぅ~、うれしくて表情が緩むし顔が赤くなるし……フードをかぶっていてよかった、影になって分からないだろうし。
しばらく歩くと、突然広々とした広場に出た。そこは三方を高い建物で囲まれ、正面にはその見事な創造物があった。
「ここがサン・マルゴー聖堂とサン・マルゴー広場だよ」
コックリの言葉に私は感嘆のため息で返事を返した。
薄い暗闇の中に淡くまたたくランプのともし火……その揺れ動くはかない光で輝く荘厳なゴシック調の大聖堂と周りを囲む建物……幻想的な、それでいて厳かな光景が、私の心を打った。
「綺麗……」
私はどれくらい見とれていたのだろうか、コックリの優しい眼差しを感じて我に返った。ああよかった、海に見とれていた時と違ってフードをかぶっているから無防備な顔を見られないですんだ。
周りを見渡すと、サン・マルゴー広場を囲んでいる建物の一階は、ガラス細工やレースの店のほかバールになっていて、広場を明るく照らし出している。広間の路面が濡れているのは、雨でも降ったのかしら……ランプのオレンジ色の光を反射して、広場全体をキラキラと輝かせている。コックリが、満ち潮で路面まで海水が上がってきたのかもね、と教えてくれた。満ち潮と引き潮という現象があるのね。
夜になったというのに観光客が多く、それぞれが今この時を、この瞬間の美しさを共有し、この情景の一部となっている。コックリと私も一部になれていると思うと、とてもうれしい。
コックリと私は広場を通って聖堂の前に行ったけど、大きな扉は締まっていたので、その脇にある小さな扉の方に行った。扉をたたいてしばらくすると通用門の目出し窓が開き、何か御用でしょうか、と来訪の要件を聞かれた。
「法王庁神殿騎士コークリットと他一名参着しました」
「し、神殿騎士!?」
扉の向こうで慌てふためく様子がすると、すぐに扉が開いた。神殿騎士は現在世界に七名しかおらず、過去の神殿騎士たちの伝説的な逸話は戯曲になるなど英雄的な存在となっているみたい。私は四百年間森の中の集落で暮らしていたため神殿騎士と呼ばれる騎士たちの存在を知らなかったけれど、人の世界では大変な存在なのだ。
普段の穏やかでのんびりとしたコックリを見知っているからいつも信じられないのだけれど、彼は実は人々の間で伝説として謳われる英雄たちと同等の任務をこなす特別な人間であり、多くの人々が神殿騎士コークリットの顔は知らずとも名前は知っていることに驚いてしまう。
コックリ本人は、俺が凄いんじゃなく今までの神殿騎士が凄いだけで俺程度だと正直神殿騎士を名乗りたくない、と話していた。彼にはあこがれの神殿騎士がいてそれが二百年前くらいに存在した、『歴史上最強の神殿騎士』と言われるアヴァン=ヘルシングという人らしい。
扉を開けてくれた人は、聖堂の侍祭のよう。侍祭は司教や司祭の身の回りの世話や聖堂としての数々の仕事や雑務をこなす人なのだという。侍祭がいるから聖堂が回るとコックリがよく感謝していたっけ。
さあ、中に入ろう。