閑話:コックリの心境
時刻は夕刻となり、背の高いゴシック調の建物が密集しているヴェネリアでは暗闇が多くを支配する。だが建物のいたるところに蝋燭やランプの灯りがともされ、はかない光に映し出される荘厳な建設物は、どこまでも幻想的で、別の世界へいざなわれてしまったかのような錯覚をさせる
おとぎの国のような世界で、家路に急ぐ人々、淡い光に包まれたバールで食事をする人々……芸術の粋を極めた美しい街並みには、様々な人々がめぐり合い様々な想いが交錯する
■コックリの視点
まいった……はぁ、まいった……
俺は、システィーナと共に歩きながら、彼女に聞こえないよう小さなため息をついた。まいったな……俺自身が落ち着くためにシスティーナと別行動しようとしたのに……
彼女がヴェネリアに着いてから体調がおかしくなったことには早々に気が付いていた。だが市井の様子を確認したかったため、少しくらいならと考えて歩き回ってしまった。結果、彼女はかなり体力を消耗したようだ。
俺は見誤っていた……
この地の精霊力の異常によってもたらされる心身への影響……それを見誤っていた。まだ彼女は人間の世界に来てから半年足らず……まだ異常なところに慣れていないのだ。
俺のせいで彼女は体調を悪くしたのだが、宿に入った時それを隠して「大丈夫」と、青白い笑顔を見せた時、自分に怒りを覚えた。思わず彼女に向かって、大丈夫じゃないだろ……と強い口調で言ってしまったが、あれは自分に向けた怒りで強い口調になったんだ。
聖魔法により体を治してやろうと考えたものの、この状況で聖魔法を使っていたらどんどん体が弱くなると考え、異常な霊の流れを正す施術をしたけれど……ここでも俺は見誤ってしまった。
マッサージで彼女の体が震えているのは、霊の流れが正しくなったためだと思っていたのだが、彼女は俺の霊に……その……女性として、感じてしまっていたのだ。ノースリーブの前をはだけさせて、手で下腹部を押さえていたのは、女性の部分が反応してしまったのだろう。
霊には相性があるというが、彼女にとって俺の霊はどうやら相性が良すぎたようだ。いや、霊は心……俺が言うのもなんだが、彼女は俺に気があるのだから彼女の霊(心)が俺の霊(心)に強く影響を受けるのは当然か……
そう、俺は彼女の気持ちは分かっている。
四百年という永きにわたり暮らしていた森の生活を捨て、俺について行きたいとお願いされれば誰だって分かる……一度は断ったのだけれど、俺のコートをつかんでついてくる彼女を見たら……泣くのを必死に我慢して、目に涙をいっぱいに溜めてついてくる彼女を見たら、守ってあげたくて……
俺も、シスが好きだ……
彼女が椅子から落ち、俺の腕の中で甘い息遣いをしているとき……俺は……一瞬自分の男としてのタガが外れそうになってしまった……。あんなに色っぽく、艶っぽいシスを……豊かな胸元に、汗ばんだ白い肌に金色の髪が張り付いて……俺にしがみついてくる彼女を……そのままベッドに押し倒したい衝動に駆られて……
でも寸でで、衝動を抑え込んだ。
いつか彼女とそういう関係を持ちたいとは思うが、それはたぶん今回じゃない。想いを伝えてもいないのに、突然の衝動で肉体への欲望を先行させて関係を持つことはしたくない。
でもあのままいたら欲望に負けそうだったから、彼女と距離を置こうとして……一人で外に出ようと、もっともらしい言い訳でサン・マルゴーに行こうとしたのだが……彼女はついてきて……
俺自身が落ち着きたかったのに、彼女は知ってか知らずか俺に安息の暇さえ与えてくれずについてきた。いや、彼女が意図してやるはずないから、純粋に俺と離れたくなかったんだろう。
そう、彼女は純粋だから……俺の不純な衝動で傷つけたくないんだ。
「はあっ」
あっ、しまった! 意識して抑えていたはずのため息が大きく出た瞬間、システィーナがビクッとした。
「コ……コックリ……あ、呆れて……る?」
フードの下からオズオズとシスティーナが質問する。
「よ、四百年も生きている妖精なのに、こ……子供っぽくて……」
? ああ、そういえば彼女は意外なことに年齢を気にしている。四百歳も生きてきて成熟した女性になっていないと思われることが恥ずかしいようだ。俺に言わせれば、いつまでも若く、幼くさえ見える妖精が子供っぽくて何が悪いのだろうか……。彼女はよく俺に、子供っぽい、と言ってくるが、おそらく自らの子供っぽさを隠したい気持ちがそうさせるのだろう。
「それとも…………まだ怒ってる?」
またフードの下から質問する。
彼女は知らないが、神殿騎士は霊の力により五感を限界まで強化しているため、夜でも暗闇でも色々な物が普通に見える。彼女はフードを目深にかぶった影で顔が見えないと思っているようだが、実際には彼女が泣きそうな顔でこちらを見ていることが分かる。俺のコートを握る手に力が入っているのもわかる。
そんな顔で、そんな仕草で見ないでくれ……欲望に負けて、今度こそ抱いてしまいそうだ。
「シスには怒ってないよ。……というか、俺が自分に対して怒ってたんだ。ゴメン勘違いさせて」
シスは、なんで自分に対して怒っているの? という表情だった。まあいいから……
「「はぁ…」」
その時、二人同時にため息が出て……俺とシスティーナは顔を見合わせ笑ってしまった。
うん、やはり彼女は笑っている顔が一番いいな。真顔の時は綺麗で美しく、怒ったり笑ったり表情があると可愛らしいが…………やはり笑顔が一番だ。
「シス、先に夕飯を食べようか」
「え、聖殿はいいの?」
「ああ、まずは腹ごしらえをしてから……かな。夜になってもこんなに人々が出歩いていて……怪異で逼迫した状態ではなさそうだし……。でも本当はシスの手料理が食べたいけどな……」
「本当? うれしいっ!」
そう、彼女の作る料理は尋常でなく美味しい。四百年生きているのだから、その料理歴は並ぶものはないだろう。胃袋をつかまれる……とはよく言ったもので、俺にとっては彼女の料理は世界一だ。
俺とシスは、暖かくやわらかなランプの光がともる一軒のバールを見つけた。
「よし、あそこで食べよう。情報収集もできるかもしれないしね」
「うん!」