魂と霊
■システィーナの視点
陽が大きく西に傾き、雲がわずかに残る空を赤黒く染め上げる頃、コックリはそれを指差した。
「あそこに宿があるね、あそこにしよう」
体調を悪くした私に気を使ったコックリは、運河に面した宿を見つけてくれた。他の町にもあったゴシック調の落ち着いた感じの宿だ。建築されてから百数十年は経つだろうか、長年の風雨にさらされ外壁や柱はわずかに削られてはいるが、その風化でさえも美しい建造物の装飾になり、街に見事に調和している。
中に入ると調度品やソファーが置いてあるロビーがあって、奥のカウンターには黒のベストを着た初老の男性がようこそいらっしゃいました、と言ってくれた。
「休んでいてな」
コックリはそういうと、私を優しくソファーに沈めてから受付をしてくれて……ありがとう、いつも気を使ってくれて感謝しています。ゴメンね、足手まといになって……
ふぅ。体をソファーに預けると、体に重みがのし掛かってくる……。目を閉じてみると、ふと思い出す。
なぜ、この街に恐怖を感じたのかしら。
人が多くいるから……?
人工的で自然が見当たらなかったから……?
どこかで怪異が起こっているから……?
違う……違う…………。
どれもしっくりこない。
なぜなのだろう……そう思っていたら、コックリがチェックを済ませたようで、カギを持ってきてくれた。三階の部屋らしい。コックリが肩を貸してくれて何とか登りきって部屋に入ると、華美ではないものの精緻な細工の施された調度品が備えられていて、落ち着いた雰囲気が素敵だった。ドワーフが作ったのかしら。
外套を外して椅子に座ると、思わずため息がこぼれた。肩や首筋、背中が張って気持ちが悪い。四百年生きてきてこれほど肩や首筋が凝ることは初めてだ。
「辛いよな……」
コックリが心配そうな表情で覗き込んでくる。心配かけてごめんなさい、でも大丈夫だから……心配されるとうれしいから笑顔になる。
「うん大丈夫よ、ありが……」
「大丈夫じゃないだろ!」
私はびっくりしてコックリを見上げた。え、コ……コックリ怒ってる……普段から穏やかで優しいコックリが……た、確かに大丈夫じゃないよね、肩を借りて階段を上っておいて……ごめんなさい!
厳しい表情のコックリにじっと見つめられて……悲しくて……体調の悪さも相まって……目の周りが熱くなって涙が出そうだけど泣き顔なんて見せたくないからグッとこらえていたら、コックリが立ち上がった。
「やっぱり、霊が乱れてる」
コックリはそういうと、私の後ろに回った。え、何?
「魂と霊は知っているよね」
「う、うん」
人や妖精、生きとし生けるものには『魂』と『霊』が存在する。魂は生命根源の力で意思を司るものを指し、霊は魔法根源の力で心を司り、魂を守るように存在する。
まとめるとこうだ。
魂:生命根源の力、意思(自我)を司る
霊:魔法根源の力、心(感情)を司る
ひとまとめで霊魂ともいう、切っても切れない関係だ。
聖霊や魔霊、精霊などは魔法根源の力の塊であり善良か邪悪かの心の集合体でもある。聖職者やエルフなどは自分の霊の力を用いて聖霊や精霊などから奇跡の力を得て、超越的な力を『魔法』として発動させる。
「霊は魂を守るように肉体の内 全てに満ちて、血液のように流れているわけだ。でも今のシスの内にある霊は、精霊力のバランスの悪さにつられるように異常がみられる。薄い部分があったり、濃い部分があったり、流れが滞っていたり、うねっていたり……。これだけおかしいと、肉体にも影響が出ないはずがない。魂と霊と肉体は三位一体だしね。シスは人よりも精霊に近い妖精だから、精霊力のバランスに影響を受けやすいんだろうね。ちょっと失礼するよ」
そういうと、コックリは私の肩や首筋、背中をマッサージし始めた。
「えっ? あっ!」
「楽にしていてな……。俺の霊でシスのおかしくなった霊を誘導するけど、その前に体の方を慣らしておこう」
そういうと大きな指の腹で、優しい力加減で押してくれる。はあ……マッサージ………気持ちいい。四百年生きてきて、マッサージをしてもらうことはたまにあったけど……異性に体を触れさせたことはなかった……異性に体を触らせることが嫌か……というと……
コックリなら……嫌じゃない……
「やっぱり全体的に硬いね」
そうなんだ……自分でもそう思っていたけれど。二~三分くらいかな、優しく揉みほぐしてくれた後コックリが私の頭を大きな手で覆い隠した。
指が長くて本当に大きな手……ゴツゴツした大きな手。手首から指の先までで私の顔と同じくらいあるかも……戦いでちょっとガサガサしているけれど、安心できる大きな温かい手……
「霊を込めるよ」
うん。私は目をつぶって待っていると、コックリの手のひら全体から力強くて温かい力の塊が発せられ始めた。
「はぅっ!」
私は思わずのけぞってしまった。
だって……すごく気持ちいいんだもの。力強くて逞しい力の塊。温かくて穏やかで大きな力の塊。
これが……コックリの霊……!
「は……ぁ……ぁ……!」
体がフルフルと震える。ズキンズキンと痛んでいた頭痛が嘘のように引き、頭の重さがなくなったかのように、軽やかな心持ちになる。
「首筋に下がるよ」
「ぁ……は……ぁ……」
コックリの大きな手が、静かに私の耳の付け根から首筋に移動すると……首筋がゾクゾクとして……目頭が熱くなり始めて……耳の付け根から先まで熱で赤くなるのが分かる。
「……はぁ……ぁ……」
首筋が、後頭部が、軽くなる。本当に、本当に、力強くて温かい力の塊……穏やかでゆるやかで……優しいコックリの霊の力に、私の霊が引き寄せられていくのが分かる。
「首筋から肩、二の腕に行くよ」
「ふぅ……ぅ……」
私の肩にそっと置かれた大きな手……私の小さな肩では余ってしまい……指が……指が鎖骨にかかると……私の体に得も言われぬ快感が押し寄せてくる。
「ぅ……うぅ……」
体がゾクゾクして……体の芯が熱くなる……
ノースリーブを着た私の二の腕に、コックリが優しく触れる……。ああ……ああ……コックリの手が直に私の肌に触れて……ゾクゾクする感覚が加速する。心臓が途端に高鳴り……コックリに聞こえちゃう……恥ずかしい……!
「肩の力を抜いて……」
初めて二の腕に触れられて、緊張して肩に力が入っていたみたい……。ふぅー……ゆっくり、ゆっくり……肩の力を抜いていく……。ああ……体が……熱くて……じっとりと汗が出てくる……コックリ……ゴメンなさい……
「次は背中に行くよ」
「はぁっ…………!」
コックリの大きな手が私の背中に当てられると、コックリの力強い大きな力の塊が直接私の体の中に入ってくるようで、体の芯からゾクゾク感が溢れてくる。背中から胸へと大きな力がかかるようで……うう……胸……胸が……ムズムズしだして……胸がきつい……。胸……大きな方だけど、無理やり服におしこめているから……きつくて苦しい……
「はぁ………はぁ………はぁ………はぁ………」
恥ずかしいけれど……小さな吐息が出てきて……もう……胸がきついから……上の方のボタンだけ……外させて……
「さあ、最後に腰だよ」
コックリの優しい手が背中から腰へと下りてくる。いやらしい感じではなく、本当に私を気遣った温かな手……なんでそんなに優しいの? 皆になの……? 神殿騎士だから、誰にでも優しいの……? ………それとも……?
「ぅぅ……」
下腹部が……うずいて……熱い……。どうしたんだろう……下腹部が……熱を帯びて……どうしようもなくうずく……。足が……太ももが……もじもじ動いちゃう……
下腹部が……熱い……下腹部が……うう……
「シス、だいじょ……っ ……!」
え? だいじょ……だいじょって……なに……?
私は……トロンとした目でコックリを見た。
ああ……コックリの霊に包まれて……とろみのある温かな湯の中に入っているみたいで……夢見心地……
もっと……もっと……このままでいたい……
コックリが……腰から手を……離そうとしたから……私は……離してほしくなくて……コックリに手を伸ばしたら……足にも腰にも踏ん張りがきかなくて……
「シス!」
椅子から落ちて床に激突する寸前、コックリの大きくて逞しい腕が、私の体を受け止めてくれた。はあ……結果的にコックリに触ってもらって……うれしい。
ああ……幸せ……このまま……
もう少し……このまま……
「す……すまん……すまん、シス……」
ええ? なんで謝るの……?
コックリは私を椅子に座らせようとしたけれど、私がそれを拒んだ。もう少し、コックリの腕の中にいたいの……
しばらくコックリの腕の中にいたら、何だか胸がギュウギュウ苦しくなってきた。
あれ……? なんでかな……?
ふと胸元を見ると、コックリが私のノースリーブの開いた胸元を閉めようと悪戦苦闘していたのだ。
「やっ! きゃあぁっ!」
「わぶっ!」
私は思わずコックリを突き飛ばして、急いで胸元を隠した。ああぁ、そういえばマッサージしてもらっている時に苦しくなって開けていたんだっ! しかも矯正下着も少し外していたっ! ああ、コックリがすまんと言っていたのは、思わず胸元を開けてしまうくらい上手にしてくれたから……? ああ、「だいじょ」って言った時、私の胸元を見て固まってしまったんだ! わあ、恥ずかしいっ!
私……実は胸が大きい。『果樹』属性のエルフだからだ。樹木にも色々な種があるように、エルフにもそれに沿うように『属性』がある。私は果樹、果物の樹の属性があるため、実がたわわに実るように胸が大きく実っている。あまりにも大きすぎて恥ずかしいから、いつもは服の中に着た矯正器具でギュウギュウに押し込めているんだけれど、……さっき外していた!
胸の谷間が見えていただけのはずだけど……うう~、はしたなくて恥ずかしい!
コックリを見ると……しりもちをついたまま、あらぬ方向を見て頭を掻いていた。何だか顔が赤い……照れているみたい。うん、怒ってはなさそう。
は、恥ずかしい……気まずい……けど……。けど……いつか……いつかコックリと……結ばれたい……。エルフの里を出てコックリに付いてきたのは、コックリのことが好きだからだし……
もしかして……
今……なのかな……?
私はコックリを見つめた。
コ……コックリ……
「シス……」
は、はいっ!
「俺、サン・マルゴー聖殿に行ってくるから……ここで待っていてくれるかい?」
「はぁっ!?」
私は思わず頓狂な声を上げてしまった。
「な、なんでっ!?」
「いや……、聖殿に神殿騎士が参着した旨を伝えないとな……」
「じゃ、じゃあ私も行くっ!」
「え? いや、聖殿には聖職者しか入れないところもあるし……」
「だったら途中で待ってるからっ! 一緒に行くっ!」
「ええ~? 折角体調が治ったばかりだし、同じ待つならここに……」
「絶対嫌っ! 一緒に行くっ!」
言った瞬間、私は自分の言葉がとても子供っぽくて、恥ずかしくなった。慌てて外套を羽織るとフードで顔を隠す。穴が……穴があったら入りたい! 四百年生きている者がする言動ではないと自分でも思ったからだ。ああ、コックリに呆れられたかも……!
「もう、しょうがないな……じゃあ、入れるところまでだよ?」
しょうがない、と言われ再び羞恥心がこみあげ体が熱くなってきたが、私はコックリの傍に駆け寄ると、彼のコートの裾をしっかりと握りしめた。
今は……離れたくないの!