バリトー領 潜入
20話目にして、初の戦闘シーンがあります。
残酷かもしれませんので、ご注意を。
■システィーナの視点
小高い丘の上にいる私たちの眼前には、起伏にとんだ草原が広がっている。所々に針葉樹とブナの森々が茂り、単調な草原を絵画のような風景へと変える。はるかかなたには雪山の聖霊王が住む、峻険で複雑な造形を描く白きリートシュタイン山系。世界の屋根、と称される巨大な山脈群が遠くに望める。
天が高い。季節は秋口に向かっているものね、薄いうろこ雲がリートシュタイン山系まで続いている。
コックリと旅が目的でこの景色を眺められたならば心が躍ることは間違いないのだけれど、今の私の心はどんよりと重い。
数キロ先、一際大きい森の中に、ツル草によって緑色に彩られた古城がひっそりと佇む。
フクロウの眼を通して見たあの城だ。
鮮血の貴婦人、バリトー・エリザベール城。
コックリと私、アリアさんとヴェネリアの傭兵のみなさん十数名は、馬を駆り、昼過ぎにバリトー領へと到着した。しかし今この風景画のように美しい領には、バリトー家も、領民も、誰も住む者がいないという。当然だろう。治める領主が鮮血の貴婦人という呪われた二つ名で呼ばれ、そして百名を超える娘たちが無残に殺されたこの地に、誰が住みたいと思うだろうか……。
私たちは馬に乗ったまま平原を進むと、森の中へと突入する。元々そこは平原だったためか、起伏は緩やかで、大きなブナの樹と針葉樹が天に向かって真っすぐに、美しく生えている。小鳥のさえずる優しい声が聞こえ、遠くではウサギの親子が見慣れない来訪者を珍しげに見つめている。
しばらく進むと、町を守るために囲われた砦が行く手を遮っていた。
しかし砦はいたるところが崩れ、がれきの山を形成している。馬を下りればそこから城下町に入ることもできるだろうけれど、一団はその砦に沿って馬を進めると、やがて物見の塔が二つ並んだ城下町の入り口が見えてきた。
コックリが馬から降りると、皆も降りる。
「皆さん。それではこれから私とパートナーのシスティーナでバリトー城へと向かいます。」
「二人で? 神殿騎士殿、それは危険では?」
「危険ではありますが、神殿騎士の力を信用ください。皆さんは、我々がこの地で怪異解決に専念できるよう、この場所を守り出現した魔物の討伐をお願いします。また我々が万が一帰らなかった時、法王庁へ連絡する任もお願いします。」
コックリ、最後のは縁起が悪いよ。でもコックリの言葉に皆が頷いた……あの、皆さんちょっと……。私も腰に備えていたムチを確認し、肩にかけていたショートボウを左手に持ちなおした。すると隣にいたアリアさんが不安そうな顔で話しかけてきた。
「シ……システィーナさん……私たちといた方が……。貴女は神殿騎士じゃないもの…………ね?」
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫よ。これでも私、魔法戦士なの……。」
エルフの里では、男も女も関係なく戦士として必要とされ戦闘の修行をしている。絶対的な人数が足りないから当然よね。長い年月を生きているから誰もが優秀な魔法戦士だし、女とて例外ではないわ。コックリの戦闘能力を見ると、とても及ぶものではないけれど、私も結構やれるわよ。
「シスは弓の名手なので俺の弱みである遠距離攻撃が強化できるし、精霊魔法も強力なのでね。大丈夫、俺が彼女を護る。」
やはっ俺が彼女を護る……ああ〜嬉しくて顔がニヤニヤしちゃう。
「あまり無茶しないでね?」
大丈夫よ、心配してくれてありがとう。
コックリが先に城下町へ入っていく。ああ、石畳だ。城下町とはいえ、すぐに家々があるわけではなく樹木が生い茂っている。あ、樹木の合間に一つ目の家を発見! 壁はツル草にまみれ屋根が一部落ちている。コックリは歩みを止めてその家に意識を集中している。
「中に敵意を向けているモノはないな。」
コックリは神殿騎士として霊によって五感を強化しているとのことで、敵意や害意を持つモノを察知できるらしい。私にもできるのかな? 今度教わろう。さらに進んでいくと少しずつ上り坂になっていき、やがて道の両側にせせり建つような石造りの建屋地帯が見えてきた。
「城下町だ。…………嫌な予感がする。二階、三階部分にも気を付けてな。」
「分かったわ。」
コックリは何かを感じたみたい…………私は周囲の状況を確認した。道幅は五メートルくらいあるから、何とか鞭は使えそうね。建屋群はゴシック調で一階部分が店舗で二~三階以上が住居になっているけれど、廃墟だからどこにでも身を隠すにはもってこいだ。
「何系が潜んでいるの?」私は小声で聞く。人・動物・魔獣・妖魔……。
「複数の人型の何か。」彼は前を見ながら小声で返す。
コックリと私は、なおも坂道を登って行く。坂道は緩やかにカーブして建物が視線を邪魔しているから、行く先に何があるか見通せない。これは城塞都市の典型的な構築方法らしい。攻めてきた敵に、先に何が待ち構えているか分からないようにしているのだとか……先が見えないからかなり不安になる。コックリはある家屋の石造りの納屋の前までくると、納屋を背に立ち止まった。
「出てこいっ!」
コックリのよく通る声が廃墟に響く。すると坂の上、左手側からガタッと音がした! 私がそちらを見るとヒュッという風切り音が聞こえた! 右側からっ! し、しまった!
パキンッ!
という音がして、折れた矢が石畳に落ちる。私が右を見る前に、コックリが目にも留まらぬ速さで剣を引き抜き、右側から飛んできた矢を打ち落としていた。ああ、ありがとうコックリ、助かったわ。
「グブブッ……ヨク……ワカッタナ。」
鼻声みたいな変な声が聞こえると、周囲の廃墟から人型のモノが姿を現した。でも、人じゃない。首から上が醜いブタの顔だったからだ。あれは、オーク!
【オーク】
体は人間で、頭部がブタの妖魔。残虐性の強い性格で、快楽のために他者を襲うことがある。人間と種が近いため、人との間に仔を作ることができる。
一階の廃墟からゾロゾロと出てきて私たちの行く手と退路を断つように取り囲む。全部で十体、身長は私くらいでそれぞれが棍棒や錆びた剣を持っていて……ボロボロの衣服を着ていたり、見たくないけれど上半身裸だったり……うええ、上半身裸のオークは、浅黒い肌に胸も腹も二の腕も剛毛が生えていて……おええ、ハエがぶんぶん飛んでいて、臭そう、というか臭っ! 臭ってくる!
ああ、二階の廃墟から、三体のオークが弓を構えてこちらに狙いをつけている。
「シス……納屋に下がって援護……。」小声でいうコックリ。
「分かったわ。」私も小声で返答する。
なるほど、だから納屋のあるここで立ち止まったのか……。何もない道だったら、四方から攻撃されるけれど、間口の狭い納屋のところなら、前方だけでいいものね。
「グブブッ ヒサビサノ エモノ 」
他のオークよりも一回り大きいオークが話す。革の鎧を着て武器も磨かれている。こいつがボスね。……と、気が付くと……集まっているオーク……皆が……私を見ている……。細まった目で、私の頭の先からつま先まで、舐め回すように…………粘着するような……不快な視線が……あああ、気持ち悪いっ! 気持ち悪いっ! 背筋がゾワゾワするっ!
ボスが剣を振り上げた!
「オトコハ コロセッ! オンナハッ ンギャアアアアアアアッ!?」
何っ!? 掛け声の後、悲鳴をあげた!? ボスを見ると右目に何か刺さっている! ああ! コックリが持っているスローイングナイフだっ! 突然のボスの絶叫に、襲いかかろうとしていたオークたちが驚いて固まっている! と思ったら!
スパパンッ!
という音がして、コックリに近かった二頭のオークの首がなくなっていた!
「遠いからと言って、油断しすぎだ。あと、絶叫したら仲間がそっちを見るだろ。」
頭部をなくしたオークから、噴水のように赤いものが噴き出す。その凄まじい光景に、再び固まるオークたち。ああ、今だ! 私は弓を引くと二階にいたオークを続けざまに射る! 一頭は鼻から頭に矢が突き抜け、一頭は胸に当たる! 残り一頭は隠れた!
「「ブギギギイイイイイイイイッ!」」
我に返ったオークたちが一斉に襲いかかってきた! でもコックリは落ち着いて、首のないオークを次々に蹴り、後ろにいたオークたちに激突させる。ああ、激突したオークの顔面に、赤いものが浴びせ掛かる。
「「ウブババババッ!」」
これでさらに二体が足止めされた、よし! コックリの左側にいた四頭のうち、二頭は死亡、二頭は顔面に赤いものを浴びてフリーズ。次はコックリの正面から二頭、右側から三頭突撃してくる! 私は一番右の一頭に矢を射かけた!
「プギャアアアアアッ!」
私の射た弓矢が胸に突き刺さり、一頭が立ち止まる! でも四頭が同時にコックリにっ! 距離は三メートル!
「コッ――!」
ここから先は、スローモーションのように見えた。
迫りくる四頭のうち左から二番目の一呼吸早いオークに対し、コックリは右足を大きく踏み出すと、大きな体と大きな一歩、長い腕と長い剣で、遠間からその喉に剣を突き立てた。コックリの剣は、切っ先から三十センチほどが両刃になっているシュヴァイツァーソードという剣だが、その剣を横に寝かして突き刺している。次の瞬間、腕に力を込め左に振りぬくと、すぐ横にいたオークの顔面、物を見る器官を剣が切り裂く。あれだけ重い剣を振り抜く筋力と振りぬいたら遠心力でバランスが崩れそうなものだけれど、一切体勢を崩すことがないすごい身体能力。次に左から三番目のオークがコックリのがら空きの背に錆びた剣を振り下ろして来た。コックリは大きく一歩を踏み出しているし背を向けている体勢なので避けきれない! と思ったら、コックリは相手も見ずに剣を背後に振るうと、錆びた剣を持っていたオークの手が吹き飛んだ。そして背後に振るった剣の遠心力を利用してコマのように数回転すると、回転の勢いを利用して視覚を失ったオークの首を切り落とし、腕をなくしたオークの首を落とす。最後に一番右から来たオークは、首をなくしたオークが邪魔でコックリを襲えず立ち止まったところを、コックリが長い腕と長い剣で突き刺す。
「――ク……リ。」
この間、数秒! 私は唖然としてしまった。
「ふむ、聖魔法を使わなくても大丈夫だな……というか、俺の聖魔法はうるさいから、城の中に聞こえる可能性あるし使えないか…………。」
と、こともなげに言うコックリは、視線とは別の方向に突然剣を振り下ろす。パキンッという音がして、また弓矢が叩き落とされた。ああ、残っていた二階のオークだ! 私は弓をつがえると、そのオークの眉間を射た。
「ブギイィィイイイイイイイイッ!!」
右目を失ったボスオークが、怒りのままにコックリに突進する。その勢いのまま、両手で巨大な剣を振り上げコックリの頭に振り下ろした! と思った瞬間、コックリが横に避け、避け様に剣を跳ね上げると、ボスオークの両手首が宙を舞った。
「ブギャアアアアアァァァアアアッ!?」
ボスオークは信じられないものを見るかのように、なくなった両手首を見る。次の瞬間、コックリは跳ね上げた剣を振り下ろし、ボスオークの首が石畳に転がった。
「去りたければ、去れっ!」
コックリが残りのオークたちに剣を突きつける。
するとオークたちは一目散に逃げ出した。
「討伐完了。」
コックリは、剣を鞘に納めた。はあ、相変わらずの戦闘能力だ……。この上コックリには聖魔法と、聖魔法と剣技を融合した『聖剣技』があるのだから…………。神殿騎士が一人で旅をする理由の一端がかいま見える。
「さあ行こう。」
分かったわ。私はいやらしい目で見られた不快感がまだ残っていて、思わずコックリのそばに駆け寄った。
警戒を怠らないよう雑草の生える石畳を上っていく。相変わらず建屋が先を見通せないように佇む。
しかし突然、目の前が開けた。
「着いた……。」
目の前には、深い崖のような堀と堅牢な城壁。跳ね橋の先にはツル草に覆われた城が見える。洋館のような、フクロウの眼を通して見た通りの城だ。到着した!
「ここがエリザベールの居城か……。行こう、シス。」
「ええ。」




