閑話:夜明け(コックリ)
短いので二話同時に本編も更新します。
■コックリの視点
うす暗がりの中、衣擦れの音を聞いて俺は目を覚ました。たぶんシスティーナが起きた音だ。彼女はいつも夜明けの三十分ほど前に起きる。おそらく、四百年という永きにわたり森で暮らしていた時の習慣なのだろう。
俺はいつも通り、目を閉じたまま彼女に背を向け寝たふりをしている。彼女は俺を起こさないようになのか音もなく歩き、わざわざ俺の前にやってくる。
いつも通りだ。
彼女に気づかれぬよう片目だけほんのわずかな薄目で見ると、彼女はいつも通り俺の寝顔を覗き込んで微笑む。切れ長の大きな目を細めて、相好を崩す。俺の寝顔……そんなにいいのかな?
彼女が前かがみになるとその美しい髪から森林の良い香りが漂ってきて、いつも俺は本能に抗えず胸いっぱいにその香りを吸い込んでしまう。
癒される。本当に癒される香りだ……
神殿騎士という聖職者でありながら不純な動機でするその深い呼吸を、彼女は俺の眠りの深さだと勘違いしてか、安心して俺の髪に触る。俺の髪を一房つまんではねじり一房つまんではねじり……楽しいのか? 毎朝彼女は俺の髪を触るので、夜は必ず頭を洗うようになった。やはり……彼女には不潔に思われたくない……
彼女が立ち上がるため一瞬深く前屈みになる。すると襟の中にある大きな、本当に大きな胸の谷間が見えて、俺の心臓は止まりそうになる。
…………っ!!
毎朝のことなのだが、一向に免疫がつかない。見ないように心がけても、男の性のためかどうしても見てしまい、俺の心を喩えようもなくかき混ぜる。……シス、勘弁してくれ。神殿騎士とはいえ二十歳の男なんだ、いつか襲ってしまいそうだ。
いつかはシスを抱きたいのだけれど……俺には度胸が……意気地がない……
誤解のない様にいうが、女性を抱いたことがないからではない。別の理由から、シスを……シスを抱く度胸が……ない………
彼女が不幸になるのではないか……という恐怖からだ。だから一歩を踏み出せない。度胸がない……
海の妖精マーメイドの話がある。
マーメイドの姫がある国の王子と恋に落ち、そして二人は結ばれた。しかし種族の異なる二人は周囲から反対され、別れることとなる。マーメイド姫も王子も別々の相手を与えられることとなるが、マーメイド姫は初めて結ばれた王子のことを忘れられず、王国から逃げ出し生涯王子のことを想って、思い出の中の王子を想ってひっそりと生きていく、という悲しい逸話がある。
妖精は純粋なのだ。
もし俺がシスと結ばれても……俺は彼女よりも圧倒的に早く死ぬ……。俺が死んだ後……たぶん……彼女は俺を忘れず一人で生きていくようにな気がする……。数百年生きる彼女が一人で………
それは……不幸だろう……?
彼女は、同じエルフと結ばれる方がいいんじゃないか……?
シスは俺の頭を優しくなでると、音もなく窓際へと移動する。そして椅子に座ると膝を立ててその上に頭を乗せる。いつも通り、夜明けを待っているんだな。ホットパンツと薄手のシャツから伸びる、まっ白でなよやかな肢体は、うす暗闇の中で美しく発光する。完璧なまでのその美しさゆえに俺の心を切なくさせる。
この女性を不幸にしたくない……
うす暗闇を切り裂く剣のような朝の陽光が、窓から射し込み彼女に触れる。朝陽に輝く美しい金髪と美しい白肌……
芸術作品のようだ……
「おはよう」俺は横たわったまま、今日も先に挨拶する。
「おはよう」膝に頭を乗せたまま、彼女が微笑みながら挨拶を返す。
幸せにしたい。
「なあ、シス……」
俺の声色からか、あるいは表情からか……何かを察したように、彼女は姿勢を正す。艶やかで形の良い足を下ろして膝に手を置き、背筋を伸ばしてじっと俺を見る。
何かを期待するかのような……、でも少し怖がっているような……少し複雑な表情を俺に向ける彼女。
……やはりやめておこう。俺が幸せにするということは、彼女にとっては不幸の始まりかもしれない……
「いや、なんでもない……」
「もう……」
彼女は頬を膨らませる。かわいらしいしぐさだ。でもその表情は、残念なようなホッとしたような複雑な表情だ。そして、意を決した表情で俺を見る。
「いつか……聞かせてね……?」
まっすぐな瞳で俺を見つめる彼女。
ああ、いつか……
エルフと人の間にある様々な問題……それはまた後日考えよう。
その時、朝を告げる鐘楼の鐘がヴェネリアに鳴り響く。
「さあ、今日はたくさん動くよ。いいかな?」
「もちろん」




