8話「ロイヤルメイデンセット」
そんなこんながあって、ぼくは再び喫茶Hexenhausに足を踏み入れることになった。
二度目ということで少しは慣れが出てきたのか、それとも心の準備をしておいた賜物か、ぼくは店内の様子を少しは把握することが出来た。広さは正直7,8人も入れば圧迫感を感じるだろう感じ。だからなのかテーブルは二個しかなくて、席も二つと三つだった。喫茶というより、バーとか個人経営の食堂と言った感じだろうか?
だけどそこに本来あるべき横方向に備え付けられているカウンターが、この店にはなかった。だから縦長が主流になるべきこういうスペースが、横にも充分なスペースを確保できていた。そしてそういうある種せわしく感じさせるだろうというか商売っけあるものが無い分、よりくつろげる空間が実現していた。
しかし気になるのが、端のスペースにうずたかく積まれた小物たちだった。
「…………」
「ご主人さま、本日はカウンター席とテーブル席、どちらになさいますか?」
そちらに気を取られているとお決まりの質問だった。というかむしろカウンター席があるのか訊きたいところだった――が、メイド喫茶初心者の自分には立ちながらの長話や質問攻めというのが高等テクニック過ぎた。
「……テーブル席で、お願いします」
「はい、かしこまりました。では、こちらの席にどうぞぉ?」
前回同様、奥の方のテーブルに通される。ぼくは前回と同じ椅子に座り――安堵した。うは、やっぱこの椅子いーわークッションが違うのかいい椅子はそも作りが違うのか? というか一度座った所となると安心感パないわーもーここに住みたいわーとか1秒くらいで思った。
もちろん前回と同じ轍を踏まないようすぐにトリップ状態から立ち直り、顔をキリっとさせる。
向こうから、あるまさんがメニューをまるで花束でも持つように大事そうに小脇にかかえて、伏し目がちにしずしずとこちらへと歩いてくるところだった。前回はこれを見過ごしていたから不意打ちを喰らってばかりだった。今回はビシっとして、ご主人さまとしての尊厳と権威をしらしめなくては……!
「ご主人さま、大変お待たせいたしました。こちらが当店の、メニューとなります」
「う、うむ。苦しゅう、ない」
「はい、失礼いたします」
どちらかという男爵的な受け答えで、それを――おそるおそる、受け取る。もうなんていうかその魅惑的な細くきめこまやかな指先に触れそうになるから、生きた心地がしなかった。ドキドキしながら、メニューを受け取り気取られないようにこっそり安堵して、それを開く。
改めて見て、気づいた。前回はメイド喫茶目線だったから定番にしか目が言ってなかったけれど、これはなかなかになかなかのラインナップが揃っていた。
丼ものだけで、11種類あった。
スパゲティに至っては、23種類もあった。
その半分以上が、名前も聞いたことがないようなラインナップだった。
「…………」
ヤヴァい、マジで。ご主人さまの尊厳ピンチその2だった。しかも今回は――っていうか今回も、助け船も何もない。だいたいぼくはなにゆえこんなアウェーの敵地にも近い空間へと単身下調べもせずに乗り込んでしまったのか?
改めて、思う。メイド喫茶とは戦場だと。
なにを言っているのか、ぼくは?
「…………」
必死になって、メニューに目を走らせる。タイムリミットが迫っている。とにかくなにがなんでも言わせたく、言われたくなかった。どうした的ななにかを、あまるさんの口から。出会ってからずっともうしょうもない姿しか晒してなかったから、一度くらいはビシっと――
見つけた。
「こ……この、ロイヤルメイデンセットを!」
「はい、ロイヤルメイデンセットですね」
こっちゃ秒単位で必死こいてたというのに、あまるさんはそれこそ今晩の献立でも考えついたノリでまったり答えられておられましたそうですかぼくの独り相撲ですかいいですよそんなノリには慣れておりますはい。
そして立ち上がり、奥へと歩いていくあるまさん。それをひとりで勝手に舞い上がっていたぼくは温度差に急に恥ずかしくなり最初に通されたお冷をちびちび。
「……つうですねぇ」
耳元の声に、心臓ひっくり返った。
「!」
動転してコップ落としそうになりながら振り返ると、あまるさんは既に背を向けて歩いていっていたけれど、その肩が微かに震えていたのは――
果たして。
前回の不意打ちは、ぼくの不手際のみによるものだったのだろうか?
「お待たせいたしました」
すっかり心を掴まれ呆けているうちに、料理が来ていた。それに我に帰り焦点を合わせ――今度は愕然とした。
料理は、キッチンワゴンで運ばれていた。
「ま、マジか……」
「はい、マジですよ」
聞かれていた。慌てて、
「ま、マジですか?」
「はい、マジですっ」
楽しげだった、この上なく、どっちかっていうと愉しげと言った方が正確なのかもしれなかった。あるまさんって実は悪戯心溢れるひとだったりするんじゃないだろうか?
「では、ロイヤルメイデンセット一品目……あるま、いきま~す」
どこに!? というツッコミは胸の中だけに留めておいた。
まず、銀のドーム状のふたが被せられた皿が現れた。
「!?」
現れたってモンスターかよってツッコミなところだろうけど実際それぐらいの衝撃があったのだから仕方ないフランス料理かここメイド喫茶だよなまでコンマ7秒くらいで思ったり。
ていうかいま、一品目って言った?
嘘だよな?
「あ、あの……」
「では、おーぷんっ」
ヤヴァい、なんか変なスイッチ入ってた。こんなノリノリなあるまさんいつものあるまさんじゃないけど悪くない、悪くないぞぉおおオと思った自分を殺したい。
というわけでそれはオープンされた。どっきどきした。それはどんな素晴らしい料理が出てくるのだろうわくわく感よりも、正直こんな大掛かりになったことに対する財布の不安だった気持ち的には値段ぐらい確認しろよオレのバカバカ。
けれどそこから現れた料理にぼくは、
「……スープ?」
思わず顔を、覗かせていた。大仰なお盆と蓋の中から現れたのは、素朴な木の器に入った、一杯のスープ。薄い色のそれは、中身がハッキリと見て取れた。そこにあるのは緑の野菜たちと、黄色い物体。付け合わせにおそらくはガーリックトーストがついていた。
素朴な、それは色も地味なとても素朴なメニューだった。
「……これって?」
「オニオンチーズスープです。付け合わせにガーリックトーストをおつけしました」
淀みない丁寧な言葉は、心に沁み入るようだった。
なんて焦らない、そして静かだからこそ言葉のひとつひとつが大事に耳に入ってくる空間なんだろうと思ったりした。
「……そういえば、」
「なんでしょう?」
「ここって、BGMとかってないんですか?」
3びょうくらい、リアルに空白の時間が訪れた。
初めてあるまさんが、少しだけ困ったような笑みを見せた。
「……忘れておりました、大変失礼をいたしました」