58話
「……あ、あの?」
「はい、くろにゃんさま」
「その……すいませんでした」
頭を下げようとした。
けどその前に、声が掛けられた。
「いえ」
――家?
「あの、どういう意味ですか? 家、って……」
「いえ、だいじょうぶですよ、という意味ですよ?」
「だいじょうぶ……じゃ、なかったですよね? オレのせいで、大騒ぎになって、移転するハメになって……」
「よくあることですよ」
それに答えたのは、後ろからの声だった。
つまりは、ツンデレメイドに見せかけた世話焼きメイド現在非番、だった。
ぼくは振り返り、
「……どゆことです?」
「ああいうことが、です」
「……今まで、何回くらい?」
移転を? という意味で訊いてみた。
それに愛華ちゃんは、右手の親指だけ曲げた掌を突き出して答えてくれた。
ぼくは四秒だけ考えて、
「――なんで、」
言葉を続けようとしたが、結局色んな意味を込めてそれで質問文を止めた。
あるまさん――と愛華ちゃん、それに後ろのレインちゃんも各々みんな違ってみんなイイ笑顔をしてあるまさんが代表で、
「それは――」
「ご主人様の、笑顔の為とか、ですか?」
ちょっと先回りして、答えを出してみたりした自分で訊いておいて。
それにあるまさんはほんの少し意外そうな顔をして、
「……わたしがメイドになりたいと志したきっかけ、まだお話させて頂いておりませんでしたよね?」
ふと、そんなことを言われて思い出した。そういえば、そうだった。あの時は時間の関係で失礼して、そしてウヤムヤになっていたんだった。なぜそれを彼女の方から切り出してきたのか気になるところではあるが、ぼくは無言で頷きそれに答えた。
あるまさんは伏し目がちに居住まいを正して、
「……以前わたしが、ある心優しき御主人様にお会いして、という話まではさせていただきましたよね?」
「……そう、ですね」
すっげー心臓がバックンバックンした、なんとか平静を装ったが。そう、男の影だとか冗談めかされて終わったのだった。
その、続き。
そういえばぼくがあるまさんが好きだとか愛華ちゃんのからかいのおかげでややこしい感情まで渦巻いていたんだっけか。自然に、周りを見た。ひーぼんさんはもちろん素知らぬ顔だ、しかし聞き耳を立てたりしてるのだろうか? レインちゃんは、そういえばいつの間にかいなくなっていた、厨房の作業とかなのか、それとも休憩の時間とか? 愛華ちゃんだけが、唯一ソファーから頬杖ついてしたり顔だった、つまりは四面楚歌か。
四面楚歌か。
そうか、四面楚歌か大事なことだから3回も言いました。
ここまで思考時間1,7秒、だいたいこれくらいがぼくにとってのワンクールさてとりあえず四面楚歌だという事までわかったところでなんの役にも立たないわけで、さて頑張ろうか。
なにをだ。
「それで、その御主人様と言うのが――」
あー、たまんねー、逃げてー、という欲求を、歯を食いしばり拳を握りしめることで懸命に抑える、うわーいやだー聞きたくねーあの、学校でいえば2クラスくらい人数がいる国民的アイドルグループが恋愛禁止するわけだよちくしょー、どうしてこうなった? リアルバージョンを半強制的に体験中だけどぼくがんばるなんのこっちゃ。
あるまさんの唇が、動く、柔らかそー現実逃避中。
もう、遅い。
「他ならぬ、くろにゃんさまだったのです」
「ンなバカなギャルゲーじゃあるまいし」
「はい、実は少し違うのですが」
まさかの外しテクニックさすがです、肩の力抜けて聞く体制万全なのでどうぞ冷酷な現実を突きつけちゃってください。