35話
「――んく、」
というわけで、カクテルを一口。紅茶ほどじゃないとは思ったが、程よいアルコールが感覚を痺れさせてくれた。あぁ、これもいいな。
というわけで、一気に煽ってみた目算量700mlぐらい。
「いッ!?」
「あら?」
愛華ちゃんとあるまさんのビックリしたような声が聞こえたが、きっと気のせいだろう。そしてぼくは空になったグラスをテーブルの上にトン、と置いた。
「ウはァ」
「うわ、酔っちゃいましたかご主人さま?」
「いやハァそんな駆けつけ一杯でヘェ酔ったりしませんよホォ?」
「びみょーに酔っておられますね、御主人様?」
「意識はしっかりしてますよホォ?」
少しふわふわしてる感じだが、まぁ、大丈夫だとは思う、が?
「それでぇ、あるまちゃんはぁ、なんでメイドさんにぃ?」
「うわ、酔っ払いの絡みキタコレ」
「そうですね、わたしがメイドになったのは、傷ついた純粋な心を持った御主人様を、少しでも癒して差し上げたいと思ったからに他なりません」
「それって、なんかきっかけとかあったんですかぁ?」
「昔出会ったんですよ、心優しき御主人様に」
ぴくん、と心が反応。
――まさかと思うが、男の影なのだろうか?
「へ、へ~……そ、それそれそそそそれははははハハハ」
「ご主人さま、動揺しまくりでみっともない通り越して面白いですね」
「愛華ちゃんは楽しそうだね」
「いやーそんなことはー……なくもなかったりしますが、てへぺろっ」
愛華ちゃんS、ド決定だった、ちなみにドSではありませんあしからず。しっかしほろ酔いモード一瞬で吹っ飛んじゃったな、やっぱりオレには漫画みたいな酔い潰れてからの勢いでハプニング的なモノからのイチャイチャ展開はムリポなのか以下略。
「そ、それで心優しきご主人様に……ど、どうしたんですか?」
「はい、わたしが中央通り付近でゆったりと散策など楽しんでいた時でございます」
「巡回の間違いじゃないの?」「というかあるまちゃんもやっぱりそっち趣味?」
愛華ちゃん、ぼくによる波状攻撃にもあるまさんはその鉄壁の笑顔を崩すことなく、
「え、と。なんのことでしょうかぁ?」
どっちかわからないから、とらえず口チャックで右手を流して先を促すリアクションを。それにあるまさんは一呼吸置き、
「それで、ですね。いつものようにゲームやアニメのデモムービーでウィンドウショッピングを――」
「そ、そそそそれってウィンドウショッピングなのあるまちゃん!?」「うわすげぇヲタレベルたけぇあるまさんパねぇっす!?」
「…………」
黙ってしまった、さすがのあるまさんも二度も口を挟まれてご立腹だろうか? 笑顔変わんないからわかんないけど、というよりむしろ怖いし。
「あるまちゃん……?」
「…………」
「……あ、あの?」
「…………」
『その……ど、どうぞ』
「よろしいでしょうか?」
二人してぶんぶん頭を上下に振る、ていうかなんだこの茶番はと思った。ふと思って、後ろを見る。11時40分とか面白い時間になっていた。このあとに片付けとか考えるとかなり押しそうだし、若くお美しい女性二人にこれ以上付き合わせてもいいものか?
「御主人様?」
「あ、はい。すいません、よそ見して――」
「お時間、よろしかったでしょうか?」
渡りに船かと、思った。
「あ、はい。オレは大丈夫なんですけど……メイドさんのお二人は、大丈夫かなーって」
「あー確かに結構いい時間ですよね」
「でしたらお話の続きは、またの機会ということで」
「それがいいかもしれませんね、遅いと危ないですし」
それで話は、まとまった。ぼくはそのあと一応ここまで気を遣ってもらったお礼にと後片付けの手伝いを申し出たが、しかしそれはやんわりと断られてしまった。御主人様に、お手を煩わせるわけにはいかないと。それだと愛華たちの存在意義が無くなっちゃいますよー、と。
その理屈は至極まっとうなものだから、ぼくも素直に実を引いた。そして身支度を整えた。と言ってもバッグを肩に担ぐだけだけど。
だけどでも。
ぼくはその時、愛華ちゃんの言い回しに引っ掛かるものを感じていた。
「…………」
「お忘れ物などは、なかったでしょうか?」
「……大丈夫、です」
「では出口までお見送りいたします」
そしていつものようにあるまさんは、出口まで先導して、扉を押し開けてくれる。そして傍らにしずしずと佇み、伏し目がちに、両手を前で重ねる。
ふとこういう仕草に、在り方に触れる時に、錯覚してしまう。
まるでメイドとして、生まれてきたような人だなと。
本当にここは、中世ヨーロッパじゃないのかと。
「…………」
たぶん2秒ぐらいその姿を見つめて、そしてぼくは開けられた扉から外に出た。愛華ちゃんは、既に厨房の片付けに入っているらしい。あれだけの人間が入れ替わり立ち替わり様々なメニューを注文していたのだから洗い物から始めなくてはいけないだろうから、その苦労を想うと胸が痛くなる思いだった。時間も、時間だし。
そのまま数歩すすんで、ぼくは振り返った。片手はバッグにかけたまま。
あるまさんは深々と、その頭を下げていた。
「お気をつけて、いってらっしゃいませ」
ぼくは意図せず、言葉を発していた。
「今日は、すいませんでした」
あるまさんは頭を下げたまま、ただ黙ってぼくの言葉を聞いているようだった。だからぼくはその在り方に甘えて、思いの丈を綴っていった。
「オレの……ぼくのせいでせっかくみんなで作り上げた空間を荒らしてしまって、本当に、申し訳なかったです」
「だいじょうぶですよ」
あるまさんはゆっくりと――たぶんやっぱり4秒くらい経ってから頭を上げ、にっこりとほほ笑んだ。
その笑顔を見ると、ぼくは反射的に視線を逸らしてしまいそうになった。一対一で、しかもこんなに高スペックの女性相手に平気で意見交換できるほどこんな短期間で成長できるわけもない。
ぼくは3秒考え、
「あの……また、会えますよね?」
なぜかあるまさんもまた、3秒くらいなにも答えなかった。ぼくは疑問が浮かびそうになったり、だけどどこかこういう展開をぼくは予想していたような気はしていた。
「――くろにゃんさま」
聞きたくない、とふとぼくは思ってしまった。なにを言うのか、内容はわからなかったが、その意図は、読めてしまったから。
だって彼女は、ぼくの名を不意に呼んだから。
「な、なんです――」
「わたしたちは、いつも貴方様のお傍におります」
そんな言い方、聞きたくなかった。
「ど、どういう意味……?」
「今まで楽しくお世話させていただき、本当にありがとうございました。ではまたお目に掛からせていただける時まで、どうかお元気で」
もはや決定的ともいえるその言葉にも、
「……あるまさん、」
「はい」
「……また、会えますよね?」
「はい、きっと」
それ以上は、もう、なにも言えなかった。
ぼくはあるまさんの笑顔に見送られて、Hexenhausをあとにした。何度も振り返ろうと考えたが、結局そのまま中央通りまで出た。そして今さら振り返ったが、もちろんそこは闇しか見えなかった。ピザ男すら、そこにはいなかった。
酷く、寒気がするような心地になったのが、本当だった。
だけどその時のぼくに、他にどうしようがあったというのだろうか?
結局ぼくは、そのまま駅に向かい、終電に乗って家に戻ることになった。ギュウギュウ詰めに押し込まれ、ひとというよりは荷物扱いされて、ぼくは目的地まで搬送されていった。せっかくの想いは、まるで撹拌されるようにその味は薄く、わからなくなっていく。
ぼくはだから、その最中瞳を閉じていた。現実に焦点を合わせる意味が、わからなくなりつつあった。今はとにかく、今日あったことを反芻したかった。思い出と、自分がしでかしてしまったことと、そして彼女たちから貰ったピースともいえる言葉たちの意味を考えていた。これまでのことと、これからのことを想っていた。
そんな風にその日は、終わっていった。