2話「屋敷の中は、異空間」
愕然とした。なにに愕然としたってそりゃあ愕然としたいやもちろん説明になってないのは重々承知だけどその時のぼくの気持ちを素直に忌憚なく言わせていただければ、そうなる。
まず愕然ポイント、その1。
目の前に、メイドさんがいた。
「? ?? ???」
疑問符、大量放出だった。これが現実の出来事なのかどうかすら、混乱するほどだった。
メイド服だった。それもテレビで紹介されてるピンクとかの眼に痛い色だったりせず、ザ・正統派ともいえる真っ白なエプロンドレスに黒のクレリックシャツを着用していた。それに手も、きちんと前で揃え、足も揃えて直立不動だった。
そして愕然ポイント、その2。
その後方に佇む、お屋敷。
「――――?」
だよな? たぶん――洋館、といった方が近い佇まいだろうか。全面木造で、玄関先が突き出ている。ポーチ、とかいったっけ? 路地の奥まったところに、左右に近代的な作りの高い建物に挟まれるように、それはあった。ぽつん、という表現が一番合っているかもしれない。こんな建物、見たことも聞いたこともない。
「おかえりなさいませ、ご主人さま。外でのお仕事は、どうだったでしょうか?」
そして最後の、愕然ポイント。
なぜぼくはこんなところに迷い込み、そしてメイドさんに歓待されているのだろうか?
「あ、いや、その……」
戸惑う、とにかく。なにしろこっちは先天性の対人羞恥症なのだ、なんだそりゃ。特に女の子に対してで、しかもメイドさんに、心の準備もなくおかえりなさませでご主人さま扱いされても困りこそすれ他の感情なんて浮かびようもない。
どうやってこの場を脱するかだけ、考えていた。
「な、なんかの間違い……っていうかその、お、お客じゃ、ぼくは……」
「? 御主人様?」
この下から上にあがるような抑え気味の発音がまた、可愛らしかった。それこそ、困るくらいに。
返事くらい、しなくてはと思わせるくらいに。
「な、なんです……っていうかぼく、ご主人さまじゃ――」
「なんで御主人様、わたしの眼を見てくださらないんですか?」
どくん、と心臓が鳴った音が確かに聞こえた。
そんなこと言われたのは、初めてだったし。
そんなこと気にしてるなんて、思わなかったし。
「い……いや、」
としか――というようなよくわからない声しか吐けないままに、ぼくはそのメイドさんと顔を合わせる羽目になってしまった。
その顔を見て、またドックン心臓が鳴ってしまった。
体中に染み入るような、それはそれは柔らかい笑顔だったから。
「あ……その……」
言葉が無い、っていうか出ない。ぼくはその場に硬直してしまった。黒髪の、肩口にかかるかかからないかのショートで、前髪パッツンの子だったいやそこはいいというかすごく可愛く似合っているんだがそれよりもそれは、ぼくがこれまで出会った笑顔の中で、これだけ真っ直ぐぼくの心に染み込んできた笑顔は、無かったという事だった。
どこを見ても営業スマイルの欠片も、作りもの臭さの一片も、そこから感じ取ることは出来なかった。しかし無邪気なそれとも違う、それこそ思いやりの塊というか――
「御主人様?」
軽く幽体離脱してた。
「あ! い、いえ、その……そ、それでなななんでしょう?」
「あ、はい。おかえり、お待ち申しあげておりました」
どこかつくりものみたく、深々と頭を下げる。ヘッドドレスが、まっすぐこちらから見えた。つくりものみたくというのはわざとらしくという意味ではなく、悪戯っぽくという意味と、まるで物語の中に入ったように錯覚させるようにというのと両方の意味で。
待っていただなんて、接客用語ですら言われることはないっていうのに。
「あ、ど、ども……」
こんなことしか、言えないし。ていうか頭ではこれも接客用語だってわかってるっていうのに。心ン中色んな思いで、ぐちゃぐちゃになる。
メイドさんは2秒くらい頭を下げたあと上げて、やっぱり素敵な笑顔で、
「はい、ではご主人さま。こちらへどうぞ」
結局。
ぼくは案内されるままに、その屋敷に足を踏み入れることになってしまった。
「…………」
なしくずし、というのが一番近いのだろうたぶん。でもまああんな状況で断れる人がいるとしても、間違いなくぼくはその部類じゃないと思う。
とにかくぼくはメイドさんについていって、店内に足を踏み入れた。
そして、目を奪われた。
「――――」
屋敷の中は、異空間だった。今までアキバにいたということが若干信じられなくなり、後ろを振り返ったらやっぱりどこでも目に出来る路地裏で安心して、そして再び店内に目を巡らせた。
店内はすべて、仄かな橙色だった。まるで色あせたセピア色の写真の中に迷い込んだように錯覚する。その原因は路地裏にあるという暗い立地条件と、そんな店内を照らす天井に3つしかない裸電球だった。
そして照らされたそこには、丸テーブルが2つしかなかった。それを取り囲むように無数のインテリアが所狭しと積み上げられているし、壁にも絵が――ダメだ。ひと目ではとても把握出来ない。というかあまりの非日常に、脳のハードディスクがオーバーヒートを起こしかけている。
――メイド喫茶、なのか?
「お疲れでしょう? お席は、カウンターとテーブルの、どちらになさいますか?」
よく見ると視界の奥に、カウンターもあった。テーブルとの距離は、大体2歩分といったところだろうか。だいたいが、そもそもそんなに広い店じゃなさそうだった。
「じゃ、じゃあ……テーブル、で?」
「かしこまりました、御主人様?」
「…………っ」
またもやにっこり、花咲くような笑顔を向けられる。反則的なマイナスイオン放射量だったいやわかりづらいか要はすごい癒しオーラだった。まともに顔だって、見れなくなってしまう。これだと、こんなぼくだってコロっとやられてしまいそうになる。
こうなると、なかなかに切り出しづらかった。一番に聞くべき、重要な項目を。財布の中身を、脳裏に再現。大丈夫だろうか? こんな立派なコンセプトを持った店だと、チャージとか料金体系は。
とりあえずは勧められるまま、テーブル席に着いた。「…………ふぅ」
テーブルも椅子も、しっかりとした木製のもので、その上にふっくらしたクッションが乗っていた。両方とも既製品とかじゃない気がしたし、座り心地も悪くないというかなんかソファーに座ってるみたいにくつろげてしまって、気がすっかり緩んでしまって、まるで家にいるみたいにとろんと――
「御主人様っ」
「!?」
とつぜんの呼びかけに、マジで椅子から転げ落ちそうになる。なんとか重心を前にして、バランスを保って――
「は、はいっ……な、なんでしょうか!?」
「ご注文は、いかがなさいますか?」
メイドさんが、両手でメニューを差し出していた。そうだった、家じゃなかったソファーじゃなかったメイド喫茶のテーブル席だった。頭を切り替え、しずしずと差し出されたメニューをこちらもおずおずと受け取る。その際指が触れそうになったので、決死の想いでギリギリ回避。そしてホッと胸を撫で下ろし、メニューに目を通す。はてさていったいどんな感じなのやら?
内容は、まず定番がズラリ。オムライスやらハンバーグやらなんやら、パスタとかカレーなんかもあったしセットメニューも充実していたように思う。というかあり過ぎて把握できない、とりあえず全体に目を通そうとパラリパラリ。
そして三ページ目。
度肝を抜かれた。
一面、紅茶図鑑だった。
「ディ、ディンブラ?」