18話「きてくれて、ぐーてんたーく!」
「!?」
予想外なくらいの強烈なフラッシュに、一瞬目が眩んだ。目を瞑ってないか心配になるくらいだった。
「はい、ではお席でお待ちくださーい」
――待つ?
なにを待つんだと思っているうちに、ぼくはカウンター席に戻され、愛華ちゃんはまたも、今度はカウンターの向こうに移動してしまった。そして屈み込み、なにかを取り出してテーブルの上で作業っぽいことを始めていた。
給仕中に、作業?
「どうかなさいましたか、御主人様?」
とぼんやり眺めていると、いつの間にか目の前にあるまさんだった。なんというか、こういう構図がやたらと絵になる人だなんて思ったりして。
「いや、愛華ちゃんがなにしてるのかなー、と思いまして」
「いま、御主人様とのチェキに、落書きをさせていただいております」
「へー、らくがき、を……落書き、ですか?」
「はい、落書きでございます」
伏し目がちで丁寧に言っているが、それってどういうことなんだろうか? あれか? いわゆるプリクラでいうハートを描いたり、色々文字を入れたりの、アレか?
「はい、完成しましたよご主人さま?」
「あ、はい、どう、も?」
渡されたそれを見てみると、なるほどチェキというやつは上4分の3くらいのスペースに窓のような写真があって、そして余ってる下4分の1に色々と書き込めるようになっていた。
そこに、
『きてくれて、ぐーてんたーく! へきはお~☆ 2013/7/17 愛華♡』
と、書かれていた。……ぐーてんたーくって、確かドイツ語で『こんにちわ』じゃなかったか?
そして写真部分。
はい予想通りぼくは目を閉じてて、ちゃんとそこに吹き出しで『ご主人さま目閉じてるおギャハーw』みたいに書かれてたはい本当にありがとうございましたついで『初チェキ♪』みたいにも書かれていたけどインパクトはもはや、薄かった。
愛華ちゃんは普通に満面の笑みで、覗き込んでくる。
「どうですかー?」
「……いや……ホント、最高です」
「泣いてません?」
「いやさすがにそこまでは」
軽く額を押さえはしたが、まぁそこまでは漫画じゃあるまいし。ある意味ぼくらしい一枚とも思えたし、それになかなかの記念というか、いや素直にすごいよかったぼくが目を閉じてたことがじゃないけど。
「へぇ、なるほど。これがチェキなんですね」
「そうです。可愛いでしょ、これ?」
見ると、愛華ちゃんは今しがた撮ったその、カメラ――チェキを、掲げていた。
思ったよりもすげぇでかかった。ただフォルムは丸っこくて、女の子受けしそうでぬいぐるみみたいだと思えばアレだなとか思ったりして。
「そうですね」
「では御主人様、わたしはこれで失礼いたします」
と深々とお辞儀して、あるまさんは再度奥へと引っ込んでいった。ぼくはそれを見送り、愛華ちゃんともう少しお喋りしたあと、店をあとにした。愛華ちゃんも最後は丁寧に頭を下げてから、姿が見えなくなるまで手を振ってくれたりした。
何度も何度も、財布にナプキンを巻いて油性ペンがつかないように工夫して入れておいたチェキを、見直した。
あの時間が幻でなかったことを、それは教えてくれているようだった。
家に着いた。バッグを床に放り、電気をつけて、テレビを点けて、床にごろりと横になった。テレビではいつもやっているバラエティ番組で、いつも出ている芸能人が、いつもの掛け合いをしていた。
日常だった。この上なく。ぼくの、いつも通りだった。
なにが不満だというわけじゃない。隣を見れば机の上にノートパソコン。ネット環境もあって、反対側には4つの本棚にびっしり詰め込まれた漫画千冊超、後方には押し入れに無数のゲームやアニメDVD。
なにが不満というわけじゃない。
なにが不足というわけじゃない。
だけどそれでもなお。
どこか、物足りなさというか、ある種の寂しさを抱えていることは否定し、きれなかった。
「…………」
この、空間。閉ざされた、ある種ぼくの城。絶対領域違った脱線したというか間違った聖域じみた、6畳一間のこの部屋。
ぼくが望んでぼくが作り上げたこの場所。
居場所。
だけど帰るというにはきっと、なにかが足りなかった。
ひとの、温もりが。
「――――」
否定していたわけじゃなかったけど、認めてたわけでもなかった。ぼくはどこか、やはり寂しさを抱えていた。知恵熱のように、どうしようもなく。ひととの触れ合いを、鬱陶しいもの面倒なものいらない子と邪険にしながらも、結局は。
弱さと笑われるべきなのだろうか?
当然と同情されるべきなのだろうか?
「…………」
考えていて、ぼくが望んでいるのが両方違うということに、気づいた。
ただただありのままに、ぼくを認めて欲しかったんだ。
極端なものはなにもいらなかい。ただ挨拶して、なにげない近況報告なんてして、さりげないことに笑い、話して、そして――ぼくが望んでいたのは、そんなさりげない、何気ない日常だったのだと。
って、
「……少し、大げさか?」
ていうか多分に大げさだった。自分で自分に笑ってしまう。ただ一人暮らししてて、田舎から上京してきて友達が出来なくて、初めてのアルバイト体験。ぼくはこれまでに味わったことが無いような過酷なコミュニケーション地獄に放り込まれて、それでまぁずいぶんと弱気になっていたようだった。
日々は、というか現実はまぁ想像以上に、厳しいものだった。誰もぼくになんて気を遣ってはくれない――どころか、逆に気を遣わなくてはただ生きていくことすら、難しかった。ぼくはいかに自分という個性を消すか、ということに苦心する羽目になった。
ぼくは、苦しかった。
弱音を、吐き出したかった。
だけど親に頼るのも正直みっともなかったし、電話を引いてなくて携帯しかなかったから携帯代ももったいなかった。それに東京くんだりまで来て甘えるというのも恥ずかしいという想いも実際あった。
だけど結局、というかだから結局、ぼくは心を開く機会を完全に――失われた。
その頃のぼくは大学を終えてから、キャンパス内をあてもなくうろついて繋がりを求めたりしていた。いま考えると実に意味のなくて、そして不気味な行動だったと思う。メガネで髪ボサボサでリュックでスニーカーのオタファッションが俯き加減で同じような場所を往復していたのだから。
サークルに入ることを、少しは考えないこともなかった。実際サークル室の前まで一度は行ったのだけれど、その閉鎖的な立地条件と、煤けた扉と、場違いなイラストと、中から聞こえるくぐもった笑い声に、4分ほどとどまったあと、結局は離れた。部活なんて生まれてこの方入ったことなくて、それで新天地でいきなり踏み出せるほど、ぼくは――
そのあとぼくは、今度は一転して引きこもりになった。バイト先で店長に怒られた日々がきっかけになったともいえるかもしれないし、あまりに人間関係がうまくいかない大学の日々が引き金になったのかもしれない。それで学校帰りに古本屋に寄って、大量に漫画、ラノベを購入してそれを家でひたすら消費するというのが日課になった。家から持ってきたゲームもみるみるクリアしていった。それだけでも、それなりに満たされてはいた。というか満たされ過ぎて、大学に行く足が一時遠のいたほどだった。二次元最高。もうどハマりして、むしろ人間関係に気を回したくなくてひたすら廃人化できるこの環境をありがたくすら思ったほどだった。
それが一年近く続いて。
次に、ぼくは学校以外の場所を徘徊するようになった。別に二次元の世界に愛想が尽きたとか飽きたとか、そういうわけじゃない。ただ――
閉塞感。
言ってしまえば、その一言で事足りるだろう。確かに二次元の世界は素晴らしい。美しさと同時に、醜さ、争い、血、裏切りなどの負の部分も含めて、本当に完成されているというか、超越されていて、ぼくの感性のすべてを刺激してくれる。
出来過ぎている。
だから溺れてしまう。だからこそ――怖くなる。
現実との、ギャップ。自分との、ギャップ。環境との、ギャップ。今生きている世界との、ギャップが。
いつまでもどこまでも浸かっていたくなる甘い甘いはちみつは、強い強い意思がなければ、決して自力では抜け出せないことを知って――
そこまでわかっていたわけじゃたぶんない。ただ、いま、思い返してみて、そうだと後付けの理屈を挙げてみただけだ。
ぼくはただ、怖かった。だから外に出た。東京23区のうち三分の一くらいは見て回っただろうか? いやきっとそんなには回っていないだろう。どこでもいいわけじゃない。それに知らない土地にドンドン足を伸ばせるほど、ぼくは強くもない。
色々見てはみた。
でも結局、ぼくは秋葉原に落ち着いた。居着いた、とまではいえないところがぼくらしいといえなくもなかったが。そして夜、家に引きこもる。学校とバイト以外は、そうして過ごした。そうして――無為に、過ごしてきた。
なにもなかった。外に出ればなんとかなるほど甘くはないというのが、現実だった。逆にいえば現実の厳しさを知るためにわざわざ電車代と労力をはたいてアキバに向かっていたのかもしれなかった。
バカか俺は。
そんなの友達できない大学と厳しくされるバイト先でお腹いっぱいだって言うのに。
そしてぼくは、喫茶Hexenhausに、行き着いた。
「…………」
天井の蛍光灯を見つめて、考える。甘い考えだっていうことは、百も承知だった。
ただ、それでも。
ただの甘えだとしても。
あの場所は、良かったと思えた。
それがメイド喫茶だというんだから、自分で自分に失笑してしまう。だけど思っていたのとは違っていたというのも事実で、テレビでは萌え萌えきゅん的なものばかり特集されているし、漫画とかアニメでも出てくるのはツンデレな感じのばかりだし、てっきりそういうものだとばかり思い込んでいた。
今度は色んな店にも回ってみようかなーなんてしょうもないことを考えながら、ぼくはいつの間にか眠りについていたようだった。起きてから考えたのは、メイド喫茶でしっかり食べておいてよかったなということだった。ひとりだと誰も健康なんて気遣ってくれないから、一食二食抜くなんて普通にあったから。