10話「ぐっじょぶですあるまたんさん」
「まあ、そんな苦労をなさってここまで帰ってきていただいたんですね、ありがとうございます」
「い、いえ……」
またも深々と頭を下げられ、こちらも申し訳なくてつられてしまう。そしてあるまさんはやっぱり2秒後くらいで頭をあげ、
「それでご主人さまは、どれくらいの苦労をしてHexenhausまでいらしていただけたのですか?」
「まぁ……ざっと、4時間ですかね?」
軽くサバ読んだ自分の小ささにorz。
あるまさんはまあ、と口に手を当て、
「そんなに……長旅、本当にごくろうさまでした」
「いや、いえいえ……」
同じシーンの焼き増しのあとにぼくは思い立って、
「ところであるまさん?」
「あるまたんでよろしいですよくろにゃんさま?」
「いっ、い、や……!」
「嫌でございますか?」
「いやっ、そういうわけじゃ……」
純粋に恥ずかしいという意味では間違いなかったがとりあえずそれはおいておいて、
「と、ところでその……このお店は、なんでこんなにわかりづらい所にあるんですか?」
疑問だった。実際駅から離れてるどころではない立地。幾重にも入り組んだ路地を曲がりに曲がって辿りつくような印象があった。まるで、それこそ――
「隠れてるからでございます」
にっこり笑って、とんでもない答えが返ってきたような気がする。
「…………隠れてる、んですか?」
「もしくはお店のことですから、隠している、と言った方が正しいのかもしれませんね」
「……いずれにせよ隠してるん、ですか?」
「そうですねぇ」
「…………なんで、ですか?」
なにをどう考えてもほんの一ミリっていうか一銭もお店側に得のなさそうなことを、なぜに選択しているのか?
「あまりたくさんのお客様に来ていただいては、少し、困ってしまうからなのです、はい」
「…………あるまさん?」
「はい、なんでしょうか?」
「……いま、お客様って言いませんでしたか?」
「恐れながら聞き間違いかと存じ上げます、くろにゃんさま」
なんだか知らないがなんとなく空気が張り詰めてる気がするので、話を元に戻すことにした。
「たぶんそうですね……それで、なんでたくさんのご主人さまに来てもらうと、困るんですか?」
「わたしたちが、充分な御奉仕をさせていただけないからです」
ピン、とくるものがあった。
確かにこのメイド喫茶――と呼んでいいのか? は、ほとんど付きっきりと言っていい接客というか御奉仕をしていた。ほとんどVIP待遇といっていいだろう。挨拶して、注文を取り、料理の説明をして、雑談まで――これでもし他にひとりでも客――ならぬご主人さまでもいたらと思うと正直ゾッとするところだった、言い過ぎか?
でも、それで――
「……やって、けるんですか?」
「ご主人さまはそのような心配はなさらず、心ゆくまでおくつろぎくださいませ?」
余計なお世話だった、というかメイド喫茶という体系自体きっとそういうものなのだろう。どうも自分はこういうものに慣れていないため、中途半端な立ち位置でメイドさんに迷惑をかけている気がした、反省。そうだな、せめてこういう非日常空間にいる時くらい俗世のことは忘れようと思い直した。
スープを啜ると、気分が落ち着いた。うん、美味いなあこのスープくっちゃべってたから少し冷めちゃったけど。
そういえば、
「メイデンスペシャルランチって、これで終わりなんですか?」
「ロイヤルメイデンセットですね、あとお紅茶とデザートがございます」
あら? と少し思った。気合い入ってたからフルコースでも来るのかと戦々恐々としていたが、意外な展開だった。でもある意味助かったな、と密かに息を吐いていると、
「ご主人さま、今日は少々胃がお疲れのようでしたから」
マジで。
瞳孔が、開くような感覚だった。
「……えぇ?」
「お野菜の味をあじわっていただき、紅茶と甘いものでお体を労わっていただきたく、こういう内容にさせていただきました。……どうだったでしょうか?」
思わず、親指を立てていた。
「ぐっじょぶ」
意図せず、呟いていた。
あまるさんは微笑み、同じように親指を立てて、
「ぐっじょぶ、ですか?」
「はい、ぐっじょぶですあるまさん」
「あるまたんとかで、結構ですよ?」
「はい、ぐっじょぶですあるまたんさん」
もう骨抜きだった。
こりゃ通うな、と他人事のように思っていた。
その日はデザートにふわふわのシフォンケーキと薬味の効果もあるというハニーバニラのフレーバーティーを頂き、帰路に着いた。夢見心地パート2だった。すごい身体が軽くなった感じがした。ああ、食べ物って、紅茶ってあんなに美味しいものなんだなっていう再発見だった。もうなんていうかあるまさん万歳だった、ちがう。
「メイド喫茶、か……」
気になりだして、ぼくは大学の空き時間にカフェテリアでノートパソコンを使って検索してみた。二年生の前期ともなると慣れてるプラス特に追われるものもなく、気楽なものだった。気楽ついでに友達とか繋がりとか欲しいものだったが、大学やバイト先では難しいところだった。
とりあえず今は、メイド喫茶だった。
「っへぇ……いっぱいあるのかどうか、わかんねーな」
ヒットはしたが、なにしろ大手っぽいのが最初の方にだだだだだ、と。続いてナンバーワンとか色々銘打ってるのがガガガガガ、と。そして秋葉原以外のものとか地方のとかむしろ所在不明なのとか。
要は。
混沌とし過ぎてて、どれを指標にしたらいいのかわからなかった。
「……うーん」
その画面をしばし見つめ、ぎしっ、と背もたれに体重をかけた。どうするか? しらみつぶしに見ていくか? けれどダルくないといえば嘘になりそうだった。
こういう時、そういうサークルに入っていれば聞く相手にも苦労しなくて済みそうだったけれど、実際現在幽霊部員状態。いやまあ所属は抹消されていないだろうけど、でも――
「うー……ん?」
しばし腕組み考え、ぼくは放課後と呼んでいいのかとりあえず今日最後である三時限目の講義が終わったら部室に顔を出してみることに、決めた。
部室に顔を出すのは、だいたい2か月ぶりくらいだった。というか自分としてはもう二度と顔を出すつもりはなかったから、運命の不思議的なものを大げさに感じていたりいなかったり。
とりあえず、朝成に電話してみた。出なかった。9回コールしてみてやっぱなと思い、切って、メールをしてみた。一分どころか30秒もかからず返信が来た。電話出ろよと思った。
四時限目の講義があるらしかったが、サボって付き合うと言ってくれたが悪いから終わったあとでいいと打ったら返信なかった。相変わらずだなとぼくは苦笑して、カフェテリアで時間を潰すことにした。
特にやることもなく、自販機で買った紙コップのコーラを飲んでいた。頬杖をついて、周りを眺める。行き交う人々は、みな様々な目的を持っているように見えた。最初は。だけど違うことに気づいた。
みんな、ぼくと似たり寄ったりだったのだ。