1話「なんて厨二病」
身体が、鉛のように重かった。出来れば誰もいない世界に行ってしまいたかった。そんなこと出来はしないことも、望んでもいないこともわかってはいたけれど。
気づけば、アキバだった。
「ハァ……」
気が向く、向かないの話じゃない。習慣――をも越えている習性、といっても差し支えないレベルだと思う。心に刻まれた、刻印のようなものだろうか?
なんて。まったくもってどうしようもないくらいの、厨ニ病だった。
目の前には、無数の人間が行き交っていた。その体型は極端な痩せ形か、でっぷりしたもの――というような世間一般で言われているわかりやすいタイプばかりではなく、パンピーと大差ない見た目のひとも最近では増えている。
だけどそのうちの七割くらいの背中にはリュック、手には紙袋が標準装備されていた。視線も俯き加減で、やっぱりどこか閉ざしている雰囲気は否めない。それが2,3割くらいのパンピーとのギャップで、光と影みたいに浮き彫りになっていた。
きっとぼくも、ああ見えているのだろう。いやきっと、それ以上に閉ざして見えているのだろうな。と自嘲してしまい、慌てて表情をなくした。
気づいた時には、オタクだった。
小学生の時は、漫画やゲームが好きなだけだった。周りのみんなもやっていたし、それが普通だと思っていた。中学生になって、読む漫画雑誌が増えた。ゲームも格ゲー以外もやるようになった。だけどテレビも観てたから、みんなとの違いなんてわからなかった。ただ今考えると、少しづつ友達と遊ぶ機会は減っていった。
そして高校になって、"それ"は決定的なものになった。
話が、まったく合わない。結果としてグループからあぶれ、そしてぼくは選択肢なく、ひとりの殻に篭もることになった。
だからどうということもない。というのも嘘か。いや問題はオタクがどうとかじゃない気がする。問題はそういう趣味がじゃなくて、いやそもそもオタクっていうのが趣味うんぬんを指していうものじゃなくて、そもオタクというものは雰囲気でなんでもかんでも――
「っと」
そこでぼくは誰かに、ぶつかっていた。スーツ姿の、ビジネスバッグを持った、メガネの男。笑っている、愛想良く。だけどその瞳の奥は、澱んで見えた。
偏見。最悪の部類の。同族嫌悪。自分で自分が、死ぬほど嫌になる。
「す、すいません……」
ぼくはただ、俯くことしか出来ない。それに男は、にこりと笑ってすれ違って行った。ああ、澱んでいるのはぼくの方じゃないか。
オタクが嫌いで。
自分が嫌いだなんて。
なんて厨ニ病なんだろう。
「ハァ……」
軽く、ため息。自分がどこに向かっているのか、わからなくなる。実際足は大通りを行くが、目的地があるわけではない。それこそ習性という名の、刻印通りに。もういっそこのノリでいければいいのだが、そういうわけにもいかないのが自分の中途半端でどうしようもないところだった。
オタクならオタクらしく、2次元に埋没していればいいと思う。だけど、それだけじゃ無理だった。みながみなというつもりもないが、事実オタクのすべてが二次元のみで完結できるのなら、連日秋葉原がこんな多くの人で賑わっていることもないのだろうと思う。なんだかんだで、交流を求めている人は多いんじゃないだろうか? だけどそれは、果たして交流なのか? 未だに萌えがこれだけ取りざたされているのは、みながみな癒しを求めているという証拠に他ならないんじゃないのか? それは結局みなが心に、大きな空洞を抱えているという事実に他ならないのでは?
人類補完計画とかあったなー、とか感慨深くなったり。
気づけば、とらのあなだった。同人誌を、ほぼ自動でぼくの両手が検索を始める。作家、サークル、ジャンルを鑑みて、総合的に脳内で採点していく。それがK点を越えたものだけ、カゴに放り込んでいく。
だけど。
最近どうも、食指が伸びなかった。
「……ハァ」
結局44分間回って、一冊も手にしなかった。最近のキラーコンテンツがどうのとか、置いてあるサークルさんがなんとかとか色々あるのだが、まぁ、純粋に、その……という感じだった。
さらに二号店、三号店、メロンブックス、トレーダー、と回ってそこで、力尽きた。
RPGじゃあるまいし。単純に、体力が尽きた。要は、疲れた。
どこかで休憩したい。そしてゲーマーズ、アニメイトなんかの、一般書籍その他が置いてある店舗へと向かいたい。どちらかというと最近はそっちの方が食指が伸びている。あと、フィギュアも最近は少し興味が出始めているから、そういうの多く置いてあるなんとか館というのがあるらしいから、そっちへも行ってみようかなと。
とにかく今は、疲れた。
どこかで、休みたい。
身体も――出来れば、心も。
「なんて」
誰かが言ってたけど、現実なんてクソゲーだ。思うようになることなんて、一つもない。実際すべてのことがフラグになっているゲームと違って、現実なんてどうでもいい、どうしようもなく心を鬱にさせる出来ごとで満ちていると思う。こっちの気持ちなんてくみ取ってくれないし、ていうかそのくせ一方的に空気読めないとか言うのはどうだろうかと思うああまた愚痴だしかも心の中だけのもう、どうしようもない。
視線を上げた。大通りには、ひとがたくさんいた。みんな一心不乱に、どこかに向けて歩いている。周りに目を向けている人は、少ない。目的意識が高いともいえる。周囲に興味を持っていないともいえる。道の端では、ヲタ芸を打っている一団がいた。真ん中に地下アイドル。確か条例で禁止されていたと思うが、自治区とヲタとの戦いはもはやテーマみたいなものになりつつある。
混ざろうか?
「なんて」
まさかだった。自嘲、再び。嘲る相手が自分だなんて、本当に皮肉なものだった。ぼくは横目で見送り、そして再び、安息の場所を探す。
ないって、そんなもの。
アキバの食事処は、どこも戦争のような状態だった。常に盛況で、みんな一斉に食べてすぐさま出ていく。落ち着くようなスペースじゃない。そも、お腹空いてないし。
ならどこ? 定番といえば、サテンで茶ーしばいて。
メイド喫茶。
「なんて、ね」
まさかだった。思わず苦笑してしまう。
メイド喫茶。一度だけ、数少ない同郷の友達が来た時に一度ネタで行ってみようと行ったことがあった。おかえりなさいませご主人様からケチャップアートまで、おいしくな~れもなかなかのものだったうそごめん見栄張りましたもう正直辛かったですはい。萌え萌えにゃんも一回二回はノリでしのげたけど三回目で心折れました。二十歳キモヲタ毒男のブリっ子なんて誰得だよって話。しかもその店のメイドさん、年齢層高かったし、なんか太ってる人いたし、そのうえチャージ料とられたし微妙に高かったしメイドさんと絡むこともなかったしで、二度と行くことはなかった。
メイドさん。最近読んだ漫画もメイドについて描かれていたな、と思い出した。メイドさんか。なんでメイド喫茶があんなにもてはやされてるのか、そういえば考えたこともなかった。というか二度と行かなかったから、考える余地も必要もなかったのだけど、その漫画の影響で、というより元々ゲームとかラノベでもメイドは取り上げられることが多いし好きなキャラがメイドさんだったこともあったから、再発見と言った方がよかったか。
メイドさんの良いところ。色々ある。けど、あえて、きっとネットで晒せば散々叩かれること承知で言葉足らずも理解の上で一言でいわせてもらえばそれは、きっと――気配りだと、思う。
たとえば、
「あ」
そこまで考えて、思考が停止させられる。妙なものが、視界に入ったせいで。
道端で、猫が死んでた。
「おー……」
といってもそれはリアルな方の意味じゃなくて、猫が暑さにうだって仰向けになっていたということだったが。口をあけっぱなしにして、ある意味レアな光景ではある。
「…………」
三秒考え、ぼくはその猫を抱えていた。日向でこんなんだと、リアルで死ぬかもしれん。まぁそんなことないかもしれないけど、実際時刻は12時半くらいでまだまだ温度は上がるからよろしくはないだろうと、たぶん?
だからそれを荷物のように手近なビルの陰に持って行き、地面の上に置いた。アスファルトの。それで去ろうかと思った。
だけど猫は動かない。なんかひゅーひゅー息吐いてる気がした。気のせいだろうけど。
「…………」
四秒考え――ていうか実際はたいして考えてもいないのだけど背中を向けて一分後、自販機で買ってきたペットボトルの水を屈めて、口元にやった。
最初はただ、水は垂れ流されるだけだった。仕方ないから、人差し指で上唇をめくりあげてみた。噛まれるかとちょびっとビクビクしたけど、大丈夫だったからそのまま歯の間から水を少しづつ、流し込んだ。
こくこく、と喉が動いた。もちろん口の端から水が零れていたが、少しは喉を潤しているのだろう。
心なしか、呼吸も少し落ち着いたように見えたし。
「――さって、」
あまり飲まなくなったので水を与えるのをやめ、立ち上がる。まったくなにしてるんだかとも思う。周りを見たが、ひとの目は無かった。というかこんな何もない路地裏、そもそも人はいなかった。ホッとして、もう一度猫を見る。
なーお。
猫はすっくと、立ちあがっていた。
「なんだよ、ぜんぜん元気みたいだな」
思わず笑みが、ほろりと零れる。動物相手だと、想像以上に警戒心がほどけるみたいだった。新発見、今度ネコ喫茶にでも行ってみようかとも思う。もしくは最近うさぎ喫茶とかいうのも出来たらしいから、そっちでもいいか。ここで動物園という発想が出ないのがいかにもぼくらしいとも思う。
なーお。
もう一声鳴きして、猫はスタスタと歩いていった。さすがは猫、恩も恩とも思わないのは実際漫画とかで描かれるのとはまったく違うよな、と苦笑いした。ぼくに対してではない笑みは、久しぶりのものだった。
じゃあ、と背を向け――
なーお。
みたびの、鳴き声。意外なそれにぼくは思わず振り返り、そして猫もまたこちらを、振り返っていた。
じっ、とこちらを見ている。目を合わせて思うが、猫は意外ともいえるほど鋭い目つきをしていた。それに少し、気後れする。
そして猫は歩き出す。ぼくは最初こそ頭に疑問符を浮かべていたが、しかしまさかという思いが脳裏を巡る。
「ついてこい……だなんて」
思う――ほどぼくは、メルヘンでもなかった。
「まさかね……じゃな、猫」
結局ぼくは振り返る猫に背を向け、中央通りに向けて歩き出した。
なーお。
四度聞こえたその鳴き声がいったい何を意味するのかは、考えないようにした。意味など、きっとないのだから。
そのままぼくは、再度アキバを彷徨い歩いた。途中見かけたドトールとかスタバとかにでも入ろうかとも思ったけれど、既に人でいっぱいで、入るとなるとオープンスペースになりそうだったから、やめておいた。ひと目につくところで飲み食いする気にはなれない。
「ハァ……あっついなあ」
猫にあげた水の残りを口に含んで、一言。
夏の日差しは、普段めったに運動しないオタクには厳しいものだった。頭がくらくらしてくる。実際その辺にでも腰を下ろそうかとも考えたが、さすがに抵抗があった。ゲーセンに一度だけ入ったが、休日の昼間はヘビーゲーマーでいっぱいだった。ワンコインだけプレイして、ぼくは早々に退散した。アキバの格ゲーレベルの高さは異常。
そして自然、ぼくはひたすらに歩くことになった。まったく、魂の解放を求めてアキバに出かけてその結果疲れて苦しむだなんて皮肉だよなと思いながら、ひたすら。
どこか店にでも入ればマシなのだろうが、しかしそういう気にもなれなかった。目に飛び込む色鮮やかな看板やポスターや店頭のゲーム画面を歯牙にもかけず、ただただ歩き続ける。
歩いているうちに、気づけばさっきのことを考えていた。猫か。猫、というか動物に触れあう機会が、ぼくの人生にはあまりなかった。ペットを飼うという行為が、どちらかというとぼくにとっては面倒をみさせられるという感覚に直結していたからだった。つまりは面倒だと。しかしよくよく考えてみて、なにかの面倒をみるという行為は心を豊かにするというのを聞いたことがあった。小学校の時の飼育係然り。ならばぼくは効率的なようでいて、大事なものを見落としていたのかもしれなかった。
なんて。
そういえば猫の前に考えていた、メイド喫茶。メイド――主人の身の回りの世話を請け負う、ヨーロッパ風の使用人、家政婦といってもいいだろうというよりそっちの言い方のほうが元々日本では定着と言いたいところだが現代日本ではメイドはメイドでありメイド以外の何者でもないというのが実際のところだったりする。メイドのメイドたるその所以。それこそが癒しであり、アキバ風にいえば萌えであり、それは――
「おかえりなさいませ、御主人様」
「――――え?」
それは、そう。
家に戻ったぼくを、こんな最高の笑顔で迎えてくれることをきっと言うのだろうから――なんて。