#01 天使、母親、暗殺者、放火魔
世界を切り離して雪の積もる景色だけを観れたなら、それはどれだけ素晴らしいことだろうか。
冷たい空気を体内に取り込みながら、武藤銀次はぼんやりとそんなことを思った。すなわち迷走、もとい瞑想。冬が温かくなるのなら、夏はもう少し涼しくなってもいい。そもそもこの街は両方に極端過ぎるのだ。冬限定で地球温暖化でもしてくれないだろうか、とも思う。ここ針川という街は彼にとって非常に住みづらい街だった。寝起きはどうも余計なことを考えがちだ。
彼は眠気を抑え、その身体を起こした。いや、正しくは起こそうとした。ずしん、と何かが腹の上に置かれていた。少し重い。重心を上手く抑えられて身動きが取れない。
仕方ないので、彼は少しだけ頭を横にずらした。さして柔らかくもないまくらからごろんと転げ、その次の瞬間には、何やら怪しく銀色の物体が、その中心点にグサリと突き刺さった。スコン、という乾いた音は、それがベッドを貫いて床にまで届いた音なのだろう。
鋭い鋒、峰、柄、刃ーーーーどうもその銀色の物体は、日本刀のようなカタチをしていた。
さて、穏やかじゃないな。
きっと幻覚に違いない。
「ふむ、もう一眠りだな」
「その眠りを生涯最後の睡眠にしたいなら構わないよ」
「…………うん?」
ずしん、と腹に座る物体から、音が漏れた。もそりもそりと布団が蠢いている。男子なら仕方がない朝の生理現象ーーーなんてことはもちろんない。ではペットが急にしゃべり出したとか。おお、それならあり得るかもしれない、と銀次は現実から逃避し、そういえばペット飼ってなかったという現実にずるずると引きずられて戻ってきた。
「ペット飼っておけばよかった」
「………動物が話す方が現実的ってどんな家なの?」
「なに、君の美しさが一番非現実的さ」
「やん、兄ちゃんたら」
昨日朝は窓の外から狙撃された。しかし口径は12ミリ程度。日本刀の刃はコツさえつかめば折ることも出来る。どちらも攻撃性、殺傷力ともに今ひとつだ。彼女の攻撃は単体では意味を成さない。
銀次はやれやれとばかりに布団を剥ぐ。それに合わせて中のものがーーーーいや、ここまで来れば流石に人だとわかるだろうがーーーが、上体を起こした。
紅い、朱色が眩しい程に目に刺さる。はらりとかかった、長い髪。
「おはよう、兄ちゃん」
「おはよう、我が妹さん」
互いにあいさつを交わす。今朝の模擬暗殺終了の合図だった。
「俺の勝ちでいい?」
「ううん、あたしの勝ち」
「なんで?」
「兄ちゃんが可愛いって言った。これはあたしの色気に溺れた結果に違いない」
「さいで」
随分と深い水溜りにはまったものであった。底なし沼という可能性もある。彼女の目が据わった。
「……敗者は勝者の言うことを聞かないといけないんだよね?」
歯がいたいのでなおしてくださいとかじゃだめなんですかね。銀次は思うだけにしておいた。この街の気温より冷たいジョークがこんな簡単に生み出せるなんて自分は天才なんじゃなかろうか。
「聞ける範囲なら良いぞ。ただし子作りってのはなしな」
「大丈夫だよ兄ちゃん。子どもをつくるってのは結果であって目的じゃないから。大切なのは行為の方だから」
「今大丈夫な要素あった?」
「あったよ、大丈夫な要素しかないよ。行為によって子どもが出来て婚姻届に判をおさなくてはいけない状況になることもあるだろうけど、大丈夫だよ」
「そっか、なら安心だね」
「そうだよ、安心だよ」
アル○ック並の安心感。なんか字面にすると危ないなこれ。
銀次はため息をつくと、せいやとその人物を自分の上から落とした。
あう、とその人物の頭から布団が剥がれ、その容姿が露わになる。
おぅ、と似たような呻きを返す。
布団の下から現れたのは、麻理鐘。武藤、麻里鐘。
紅い髪が特徴の、銀次の妹。
柔らかそうな肢体に、一目で美しいとわかる程の美貌。発育はさほど良い方ではないが、纏う空気は強い女の香りを漂わせていた。小悪魔的な、という表現がぴったりだった。
家族のくせに、やたらと異性を感じさせるこの女子が、銀次は少し苦手だった。兄に既成事実を迫る妹はこいつだけだった。
「でも麻理鐘ちゃん、15才じゃ結婚は出来ないよ?」
「大丈夫だよ兄ちゃん。大切なのは当人の意思なんだから」
「………今世紀最大の矛盾発見やわ」
再びため息。
さて俺は結婚するなんて言ったことあったかな? 眠気がさえて逆にストレスによる痛みを発し始めたこめかみを抑える。二度寝も何もあったもんじゃない、むしろ永眠したい。
「………出来れば刀を使うのはやめて欲しいんだけどな」
ぼそりと言う。否定的な肯定具合。
「じゃあ兄ちゃんの剣で貫いて?」
「修学旅行でかった木刀でいいかな?」
「やぁん。そんないきなりハードモード♡」
………早く帰ってくれないかな。
今日はあまり体調がよくなかった。
何度目かわからないため息をつく。着替えるからあっち行ってろ、と銀次は麻里鐘に反対側を見せた。
傷付いた身体はあまり見せたいものではなかった。麻理鐘は好いてさえいたが、銀次が見せたがらないのを知っていたため、おとなしく明後日の方向を見ていた。
「見ちゃだめ?」
「だーめ」
本気なのか冗談なのか、彼女の意図は掴みづらい。遊ばれているようでさえあった。
近過ぎず離れ過ぎず。物理的な距離はおいといて、彼女との関係は過ごしやすい。居心地が良過ぎて、つい油断してしまう。
銀次は自分の抱く感情の種類が良くわからなかった。彼にとってヨクワカラナイ人間は他人。自分さえ、よくわからないのなら、その自分は他人ということになる。
銀次は思った。この妹に聞いてみたい。わかりきったようなこの女に、俺は誰で、どうやって産まれて、どうやって育って、誰に愛されて、そして誰を愛しているのか。
わからない
ならば、俺は誰なんだ?
本は不親切だ。何万回読んだところでわかるのは書いた人間の考え方だけだった。
見計らったように、彼女が口を開いた。
「ああ、そうそう兄ちゃん」
返事は出来なかった。
かわりに、騙すような笑みを直視した。
「ーーーー夜の曲がり角には、注意するんだよ?」
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針川の街は今日も雪だった。太陽が顔を出さないというのはそれなりに好都合ではあるが、銀次にとっては寒さの方が耐えづらいものだった。
普段、武藤銀次の朝は、妹である麻里鐘の襲撃を回避するところから始まる。彼女は銀次の妹であるが、向ける感情は家族のそれではない。少なくとも好意的だと銀次は感じている。ゆえに彼女の悪癖は一種の甘えやおふざけのようなものだと思っていた。
同時に目覚めの合図でもある。上手く回避すると、着替えて顔を洗い朝食をとる。今日もその例外ではなく、居間には麻里鐘と銀次を含んで、5人の人間がいた。銀次が朝の挨拶をすれば、
「あらおはよう。今日な爆発音もしないでよかったわ」
「お、おはよっ」
「…………おはよう、銀兄」
と、3人分の返答が返ってくる。
麻里鐘は先ほどしてあるので黙ってテレビを見ていた。
一人目のやたらと丁寧な口調で話すのは、名を武藤楓という、銀次の母だ。
良家の育ちで、上品で高貴な雰囲気を漂わす女性だ。座右の銘は大和撫子。麻里鐘と違って外見と中身が釣り合う人である。
特に腰まで伸びた髪は綺麗で、武藤家で銀次以外だと唯一の黒髪である。麻里鐘の方も長さは同程度より少し短いくらいだが、彼女の髪は天然ものの深紅だった。
二人目は銀次の右側に座っていた、茶色の入ったポニーテールが特徴の浅間香月だ。
苗字の通り、武藤家の人間では無いのだが、両親を亡くしてこの家にきて以来、銀次以上にこの家に馴染んでいた(無論その前から交流があったための選択である)。
もはや姉貴のような存在ーーーとなるはずだったのだが、正直銀次はそうは思っていない。流石に日本人離れしたスタイルを見ていては同族の気がしない、というのもそうだが、女の基準が麻里鐘である銀次にとってきちんとオンナノコしているのが珍しいという方が主であった。ちなみに彼女は生粋のツンデレっ子である。
(俺ってけっこう幸せ者かもしれんなぁ)
そんな思考も麻里鐘によって寸断される。
武藤家の魔王は彼女である。
そして最後が、銀次がすわった途端、ぽすんとひざの上に舞い降りた天使、武藤家末女、蒼音である。
年は14になるが、まだ幼く、名の通り青のかかった瞳には純真さが残っている。
その愛くるしさたるや、彼女を見て保護欲に駆られない人間は人間では無いと銀次に言わせる程のものである。
美人ぞろいの武藤家(1人は外見のみ)の中では、唯一ベクトルの違う娘である。
ちなみに家族をイラつかせる原因が、銀次が蒼音を優遇し過ぎている事なのだが、虐められては蒼音に慰めてもらいに行く負のスパイラルのせいで彼が気付くことは無かった。
「今日も蒼音は可愛いなーこらー。お兄ちゃんなでなでしちゃうぞー」
「うきゅー………………」
ベキベキベキベキ!!
銀次が蒼音を愛でた瞬間に、銀次のご飯が握り潰された。
「ああっ!朝食がっ!」
「………大丈夫。わたしの分を分けてあげる………」
「うう、ありがとう蒼音」
めそめそと泣きながら蒼音を抱きしめる銀次。
だが彼は知らない。
彼女はこの家で一番の地雷踏みだということに。
「……………口移しで」
ベキメシャグバリン!!
ボウン!
「ああっ!ちゃぶ台が灰に!?」
そしてこの家の地雷は心的外傷では無く、現実に火が付くのである。
結局銀次は朝食を食べることは出来ず、図らずもその涙で火を消化する事になった。
それってどうなの?
強いていうなら、いつも通りである。
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