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CASE3+ 萌える野花は凛と咲き After story (BUMP OF CHICKEN 車輪の唄より)

まさかの後日談です。時系列的にはかなり先になるので、ちょっと分からないところもあるかもですが、不明な点は感想などで寄せてくだされば涙を流しながら返答します。マジで。←

ちなみに、このお話はBUMP OF CHICKEN様の曲である「車輪の唄」をイメージして進みますので、原曲のイメージを崩したくない方は読まないことをオススメします。自分ごときの表現力では、ファンの皆様には理解されないかもしれないのでorz

「……まさか、萌の方からこっちに来てくれるなんて思わなかったよ。

 あらかじめ連絡してくれれば、ボクが迎えに行ったのに」

「ちょっと、な。色々報告せなアカンことが出来たんや。

 急に押しかけて悪いんやけど、会えてよかったわ」


 夏の終わり、ボクもこの街に慣れ始めていた頃、急に彼女はやってきた。

 彼女の住む地域からボクの家までは、新幹線で三時間、後に私鉄で数時間揺られてやっと辿り着く場所にある。

 大変なご足労だっただろうけど、本当に何の前触れも無く押しかけてきたのはびっくりした。流石は萌というべきか……計画性がないなぁ。

 しかも、萌がこちらに着いたのは夜の十時。昼頃に出発したとして……何故この時間につくことを決めたのだろう? 後で聞いておかなくちゃ。

 何はともあれ、ここは再会を喜ぶ場面だ。暗い話は抜きにして、まずは部屋に上がってもらおう。

 とりあえず手招きで萌を呼び、ボクは玄関へと彼女を上げる。少しくらいは警戒されるかと思ったけど、すんなり家へ入ったことにまずは驚く。

 仮にも男の家なのに、一切の躊躇いが無かった。それだけ、信用されているのかな……いや、自意識過剰か。


「……おじゃまするで」

「うん、ようこそ。

 良いか悪いか分からないんだけど報告……今、家族いないんだ」

「そっかぁ、ウチは構へんで?

 それに、この話は凜と二人っきりでしたいからなぁ」


 やけにドライな反応の萌に、ボクは何らかの変化を感じ取った。

 そもそも、何かを報告するだけならば電話やメール、もしくは手紙でも出来るはず。

 こうして遠路はるばる会いに来たということは、よほど重要な案件だと予測できる。

 もしくは、ボクを頼らないように自分からは連絡をしないという約束を、律儀に守った結果が今回の行動なのか。

 どちらにせよ、萌がこうして会いに来てくれたことが本当に嬉しい。

 築二十年の一軒家、ギシギシという床の音を聞きながら、ボクは自室へと彼女を案内する。

 一応整理整頓は心がけているけど、汚いと思われないだろうか。

 まぁ、萌の部屋がぬいぐるみ天国であることを考えれば、彼女にとって逆に居心地の悪い部屋になるかもしれないけれど。


「ほぅ、これが新しい家かぁ……やけに綺麗やなぁ。

 流石は凜、きっちりしとるわ」

「それほどでも……そうだ、お茶菓子でも出すよ。

 萌の舌に会うほど苦いお茶は置いてないけど、茶菓子はストックあるから」

「適当でえぇよ? ウチ、別に苦くなきゃ飲めんわけやないし」


 萌の反応を聞きながら、ボクはキッチンで手早く茶葉と急須、そして茶菓子の饅頭を用意する。

 そしてポットのお湯で急須を温め、お湯を捨てると今度は茶葉をいれ再度湯を入れる。

 お茶にうるさい萌のことだから、少しでも手を抜けば一発で見抜かれてしまう。まぁ、相手が萌じゃなくてもコレくらいは普通にやるのだが。

 そのような流れでお茶を淹れると、すぐに萌の待つ自室へと向かう。

 部屋でも漁っていたら面白かったけれど、萌は用意した座布団に正座したまま、微動だにせず待っていた。

 何だろう……ものすごく緊張する。萌の発するプレッシャーみたいなものが、否応無くこの部屋を緊迫感で包み込む。


「お待たせ。ささ、粗末な物だけど……」

「……ありがとな」


 お茶を湯飲みに注いで、ボクは机をはさんで萌の対面に座る。

 しばらく静かにお茶をすする萌だったけど、表情を一切変えぬままいきなり口を開いた。


「ほな、いきなりで悪いんやけど……報告。

 ……私ね、好きな人が出来たの」


 唐突な宣言に、ボクはその場で固まるしかなかった。

 萌がこちらに会いに来た時点で、ボクは愚かにも淡い期待を抱いてしまっていた。

 孤独の辛さを乗り越え、一人で歩けるようになって、その報告と共に好きだと言ってくれる、そんな甘酸っぱい展開。

 けれど、萌の言葉はボクの予想を遥か斜め上を行っていた。言葉が標準に治っているということは、彼女は相当真剣なのだろう。

 出来るだけ表情に動揺を見せぬよう、黙って萌の言葉に耳を傾ける。


「あの日凜と別れて、寂しかった。けど、一人で歩けるように頑張った。

 そしたらね、一度本当に辛い思いをしたの。それこそ、自分が壊れてしまうかもしれないくらいに」

「…………」


 淡々と話す萌の目は虚ろで、一体どのような経験をしたのかなど聞けなかった。

 それを口にしてしまったら、きっと萌は泣く。ボクの目を気にすることもなく、ひたすら滂沱するだろう。

 だから、ボクに出来ることはただ一つ。黙って、真剣に萌の言葉を受け止めること。


「そんな時、私の心の支えになってくれる人が出来たの。

 苦しくて、寂しくて、押し潰されてしまいそうになっている私を、彼は何も言わず抱きしめてくれたんだ

 ……そうしたら、それはいつしか恋に変わってた。一目見たときから好きだったんだけど、それはあくまで友達として。

 その出来事がきっかけで、私は彼を心から愛したいと思った。愛されたいと思った」

「そう、なんだ……。

 よかったじゃない、やっと一緒に歩んでくれるパートナーに出逢えて」


 もう、動揺を隠しきれていないだろう。自分でも分かるくらい、声が震えている。

 それを萌も察したのだろうか、うっすらと涙の浮かぶ目でボクの顔を見上げていた。

 ボクの心を取り巻く感情は二つ。萌が幸せになれるかもしれないという喜びと、萌がボクから離れていってしまうかもしれない寂しさ。

 あれだけ萌の幸せを願っていても、結局ボクは萌に愛する人が出来るのが怖かったのかもしれない。

 ボクは……最低だ。何を期待していたんだろう。僕の期待していたことは、遠まわしに萌の不幸だったのかもしれない。

 萌が不幸になれば、いずれボクの元へ戻ってくる。そんな独占欲にも似た、薄汚い感情。

 そんなボクが、こうして萌の前で話を聞いていてもいいのだろうか。この場に存在していてもいいのだろうか。


「……凜は何も悪くない!

 自分が自分の幸せを求めるのは当然なんだから、凜は……悪くない」

「っ!」


 遂に涙をぽろぽろと溢し始めた萌に、ボクはもう俯くことしか出来なかった。

 もし彼女の目を見つめてしまったら、堪えきれずもらい泣きしてしまいそうだったから。


「私、以前はいつでも心の片隅に凜がいたの。

 けど、彼を愛しく思うようになってから、段々と凜の存在が薄れていった。それが怖かった。

 だから……こうして、凜を思い出すために来たの。私の大切な人を、忘れないために」


 震える声でゆっくりと話す萌に、ボクの涙腺も崩壊してしまった。

 まだ、こんなボクのことを〝大切な人〟だと言ってくれる。その心の温かさが、そのまま目からこぼれてしまったみたいだ。

 情けないな……これでも高三の男子なのに、女子の前で泣いてしまうなんて。


「萌の気持ち、よく分かった。

 ……ありがとう。ボクのこと、忘れないでいてくれて」

「ありがとうは、こっちの台詞だよ。

 初めて出会ったときから、私の心の支えになってくれて……今でもこうして、私の為に涙を流してくれて、本当にありがとう。

 だからこそ、どうしたらいいか分からない。私、このまま好きになっていいのかな?」


 萌の疑問に、ボクは黙って頷いた。

 涙声の情けない言葉より、そっちの方が彼女に伝わりそうだったから。

 ボクは一瞬でも自分の幸せを求めた……けれど、萌の幸せを願っていたのもまた事実。

 こうして涙を流しながらも報告してくれたことで、ボクの中の迷いは消えた。

 ボク自身が幸せにならなくてもいい。いや、萌が幸せになることこそ、ボクの幸せなんだ。

 崩壊した涙腺も徐々に落ち着きを取り戻し、いつしか笑みを浮かべられるまでに平静を取り戻した。

 対する萌はまだ涙を流していて、下手なフォローをすれば傷が入ってしまいそうな、脆く儚げな状態だった。

 こんな時、ボクに出来ることは――。


「……萌、ゴメン」


 その場から立ち上がり、正座のまま涙を流し続けている萌の背後に回ると、ゆっくりと彼女の首に腕を回した。


「っ……凜」

「嫌だったら、嫌って言って。すぐに離すから」


 今のボクに出来ることなんて、これくらいしかない。

 背後から回れば、萌はボクの顔を見ずに温もりを感じることが出来る。

 そしてボクも、こうして悲しげな表情をしていることに気づかれずに済むから。

 耳元で聞こえる萌の嗚咽、胸の辺りで感じる鼓動……時間が経つにつれ、どちらも落ち着きを取り戻していった。

 しばらく同じ姿勢で固まっていたが、萌は小さな左手をボクの右手に添えると軽く握ってきた。


「もう、いいよ。ありがとう。

 やっぱり凜は優しいね……そういうところ、大好きだったよ」


 大好きだった、過去形で発せられる言葉がチクチクと胸を突き刺すが、それでも構わない。

 萌は過去の思い出を閉じ込めて、飛び立とうとしているのだ。誰がその飛翔を邪魔できようか。

 ボクは包んでいた両腕を解放すると、改めて萌の対面に座る。


「報告は、それだけ。きちんと聞いてくれて、理解してくれてありがとう。

 ……ほな、暗い話はこれでおしまい! せっかく会えたんやし、色々話さんか?」

「……そうだね。暗い話はここまで。

 萌の一学期末テストの結果、しっかり聞かせてもらうからね――」




 その後、ボクと萌はここ数ヶ月で起きた出来事を洗いざらい話した。

 とにかく盛り上がり、気づけば時刻は午前一時。どちらも眠気を隠せないようで、いつ眠ってしまってもおかしくはない。


「そうだ、萌はどこで寝るの?

 ボクが予想するに、無計画な萌は野宿するかボクの家に泊まるか、どちらかを考えているんだろうけど」

「ふわぁ……流石やな。

 ウチは端っから凜の家に泊まる気やったで?」

「そう……じゃあ、母さんの部屋にあるベッドで――」

「却下。人ん家の親のベッドなんて寂しくてよぅ寝れんわ。

 ぬいぐるみもサンちゃんしかおらんし、ウチは凜と一緒に寝るんや」


 突然の爆弾投下に、ボクは文字通り飛び上がってしまった。

 あれだけの報告をしておきながら、ボクと一緒に寝るなんて……萌の心は繊細なんだか鈍いんだか。

 今更動揺を隠すのも無理なので、努めて冷静に言葉を発した。


「エヘン……それじゃあ、萌はボクのベッドで寝る。ボクは床で寝る。

 それなら文句ないよね?」

「……ヤダ。一緒に寝ないと寂しくて死んでまう。ウチはウサギやねん」

「ウサギって……」


 一瞬バニーガールの格好をした萌を想像してしまい、そんな煩悩を振り払うべく頭をぶんぶんと振ると、少し震える声で尋ねる。


「え、えっと……一緒にって、同じベッドに?

 一応言っておくけど、これはシングルベッド。一人用。分かる?」

「うん、分かるで。

 それとも何か、凜はウチと寝るのが嫌なんか?」

「うっ……そんなことはないけど」


 思わず本音を漏らしてしまい、自らの手で口を塞いだときにはすでに遅く、小悪魔的な笑みを浮かべた萌がしたり顔で笑っていた。

 はぁ……さっきの涙はどこへ行ったんだ。コレじゃまるで恋人同士を超えて夫婦みたいじゃないか。


「ほな、寝よか。

 ……うん、えぇベッドや。ふかふか~」


 いきなりベッドに飛び込んだ萌は、いつの間にか手にしていたサンちゃんを抱きしめながら、ボクが寝るスペースを作り手招きする。

 もう色々と諦めたボクは、電気を消すともぞもぞとベッドへ潜り込んだ。

 何とも落ち着かない寝床に、変な汗をかきながらも出来るだけ萌の方を向かないよう、身を縮こまらせながら寝入ろうとする。


「……凜、もう寝たか?」

「ううん……この状況じゃ、そう簡単には寝れなさそうだ」

「そか……せや、一つだけ言っとかなアカンかった。

 明日は早めに出ないとアカンで、五時くらいに起こしてぇな?」

「はぁ、あくまで自分から起きるつもりはないんだね?

 分かったよ。アラームをセットしておく」


 そんな大事なことを今言うのか……やっぱり萌は萌だな。

 苦笑しながら、ボクは枕元にある携帯のアラームを五時にセット、閉じてまた枕元に置く。

 睡眠時間は三時間半、ってところか。ボクの睡眠周期には当てはまるから、さして目覚めは悪くならなさそうだ。


「……なぁ、凜。ウチとこうして寝てて、なんか疚しいこと考えるか?」

「は、はいっ?」


 とにかく寝ることだけを考えている矢先、萌はまたしても爆弾を投げつけてきた。

 そりゃあボクだって男だから、いろいろと甘い展開は考えるけど……あの話の後でそれを実行するほど、ボクは猛者ではない。

 けれど、どうせ萌に嘘は通じない。思ったことを言えばいいんだ。


「そりゃあ……少しは考える。けど、本当に手を出したらさっき言ったことの説得力がなくなるから。

 ボクは、萌が幸せならそれでいい」

「……そっか。ほんならえぇ。

 今日くらいなら手を出されても何も言わんつもりやったけど、気にする必要もなかったな」

「ははは……そりゃどーも」


 苦笑しながら、もしも萌が何も言わなかったらと考え、やっぱり手を出しているだろう平行世界の自分にげんなりする。

 良かった……萌が忠告してくれて。これなら落ち着いて寝れそうだ。


「ほな、おやすみ~」

「うん、おやすみ」


 お互いに言葉を交わすと、意識を眠りの淵へと落としていった。




 ぴぴぴぴっ、ぴぴぴっ!



「んっ……もう朝か」


 けたたましいアラームの音で目を覚ましたボクは、すぐに隣にいた萌を揺さぶる。

 しばらく唸っていた萌だったけれど、何とか体を起こしてうっすらと目を開いた。


「んぅ……おはよ、凜」

「おはよう、萌。気分はどう?」

「ん~、ぼちぼち」


 寝癖のついた茶髪を見て、本当に気分はぼちぼちなんだろうなと思った。

 相変わらずサンちゃんは胸に抱きしめたままで、その手を離そうとしない。大切に使っているみたいだな……。


「さぁて……はよ行かんと間に合わん。

 ほな、お世話になったな……また、会おうな」


 そう告げ、サンちゃんを持参の肩掛け鞄にしまうと玄関へと向かう萌。

 あまりにもあっさりとした別れに、流石のボクも納得がいかなかった。


「萌っ!」


 気づけば、彼女の名前を大声で叫んでいた。近隣住民の皆さんには悪いけれど、今はそんなことどうでもいい。

 このまま別れさせてたまるか……せめて、見送りくらいはしなければ。


「な、何や? 忘れ物でもしとったか?」

「いや、その……僕が駅まで送るよ。

 こっちに来るまで、道のり大変だったでしょ?」


 何とか賛同させる為に紡ぎだした咄嗟の言葉だったが、今にして思えばまさにその通り。

 ここは結構田舎町なので、僕が学校へ通うのにも片道一時間は掛かる。それは駅が田舎なのではなく、単純にボクの家が田舎だから。

 何せ最寄の駅まで自転車で三十分も掛かるのだ。歩いたら一時間は掛かるだろう場所を、萌は歩いてきてくれた。なんだか悪いことしたな……。

 萌は戸惑いながらも、遠慮がちに頷いた。


「ま、まぁ長い旅路やったわ。

 せやけど、どうやって送るん? まだ免許は持っとらんやろ?」

「どうやってって……自転車しかないけどさ」


 言いながら、ボクは少しだけ不安になる。

 ボク自身は大丈夫として、萌は二人乗りの経験があるのだろうか?


「それって、つまり二人乗りやろ?

 うーん……それならそれでえぇよ?」

「ほっ……それじゃ、ボクもすぐに準備するよ」


 良かった……断られていたら、道のりはかなり大変なものになっていた。

 すぐに寝巻きから着替えたボクは、玄関で待つ萌の下へと向かい、倉庫からところどころがさび付いた青い自転車を取り出す。

 そういえば、手入れを怠っていたな……二人乗りしたら、きっとギシギシと音を立てるに違いない。

 萌の鞄を自転車の籠に入れると、ボクは自転車にまたがり、後部座席を萌に勧める。

 少しだけ躊躇っている様子だったが、ボクの肩に捕まると横向きに座席へと腰掛けた。


「それじゃ、行くよ。

 駅は○○駅でいいよね?」

「うん、そこでえぇ」


 確認を取ってから、ボクはいつもより重いペダルをゆっくりと踏み込む。

 予想通りチェーンや車輪からギシギシと音が立ち、何とも不快な不協和音を生み出す。

 全く……空気の読めない自転車だ。もう少し軽やかに回ってくれないか。

 進みだした自転車のバランスを崩さぬよう、ボクはいつもの道のりを走り出した。

 流石に早朝ということもあり、人気は少なく朝靄が太陽の光を妙に遮っている。


「…………」


 背後には無言のままがっちりと腰に手を回しホールドしてくる萌。その様子はまるで昨日のボクみたいで、妙に切ない温もりがボクの腹部を包み込む。

 何だろう……いつもと違って新鮮なのに、その感覚を楽しめない。これから向かう場所に辿り着けば、萌とはお別れ。

 ……ダメだ、変なことを考えるな。今は走ることだけに集中しないと。

 寂寥感を胸中に押しとどめながら、ボクは駅に向かってひた走る。

 何分の時間が経ったか分からないが、しばらくこぎ続けていると線路が見えた。

 後はこの線路沿いを走り、ゆるい坂を上れば駅につく。

 いつもはこの坂が妙にきつくて、ゆっくり走るんだけどな……萌を乗せている以上、スピードを上げざるを得ない。


「この道、ウチも通ったな。

 もうちょっと、あと少しで……ウチは凜とお別れなんやな!」


 空元気なのだろうか、萌の声は妙に弾んでいる。彼女の心の内は、ボクには生涯分からないだろう。

 力が加わることにより更に音を増したギシギシという音、それ以外は何も聞こえない静かな世界。

 何かを話してしまえば、ボクはきっとまた泣いてしまう。だから、静かで良いんだ。

 ずっと無言のまま作業的にペダルをこいでいると、背後の萌から溜息のように言葉がこぼれる。


「何やろな……まるで、この世界にウチと凜、二人だけみたいや。

 そんな世界があったら、ウチは――」


 妙に切なそうな声、しかしその先を聞くことは叶わなかった。

 ボクはいつも以上のペースでペダルをこいでいたのだろう、予想よりも早くゆるい坂を上り終えた。

 その瞬間、正面広がったのはさんさんと輝く朝焼け、そしてそれに照らされる駅だった。

 思わず言葉を失ってしまうほど、今日だけはその景色が綺麗に見えた。

 それは萌も同じらしく、言葉を中断した途端に腹部の拘束がゆるくなった。


「……これが、凜の住む世界なんやな。

 すっごく綺麗で……なんやろ、何て言ったらえぇのか分からんわ」


 ふと、萌はくすくすと笑い出した。きっと、自分の不器用さをごまかしたいんだろうな。

 対して、ボクは笑うどころか、遂にこらえていた涙が一筋だけ流れていった。

 着いてしまった、駅に。ここで、お別れなんだな……。


「……どうしたん? さっきから黙って」

「ううん……何でもない!」


 涙を振り払うように空元気を発揮し、年甲斐もなく大声で叫ぶ。幸い、明け方の駅は人が少ないから誰も咎めはしない。

 駐輪場へ滑り込むように入ると、萌を下ろして自転車のロックを掛ける。

 鞄を萌に渡すと、駅の構内へと向かって歩き出した。目の前には、誰もいない券売機。


「おっ、誰もおらんな……えーっと、これこれ」


 財布を取り出しながら、萌はこの駅で一番高い金額の切符を購入する。

 流石は田舎だな……ボクの通う学校と三駅しか違わないのに、金額にかなりの差がある。

 そんなことを思いながら、ボクも隣の券売機で駅の入場券を買う。


「って、定期があるじゃないか……」


 単純なミスに気がつくも時既に遅し、ビーッという音と共に入場券とおつりが出てくる。

 この際、使わずにとっておこうか。ボクは入場券を財布にしまおうとする。


「ん、何でしまうん?」

「いや……定期で入れるのをすっかり忘れてて。

 この際だから、記念にとっておこうかな~と」

「むぅ……どうせやから使えばえぇやん。

 物が残っとったら、下手に思い出すかもしらんやん」


 一瞬切なそうな表情を浮かべた萌を見て、ボクはすぐに入場券を取り出す。

 そうだ、未練と思い出は違うんだ……これはきっと未練になる。なら、萌の言うとおり使ってしまおう。

 手早く定期をしまうと、まずは萌が改札を通ろうとする。


「んっ……外れん」


 しかし、エナメル製の大きな肩掛け鞄は改札機につっかえ、なかなか外れない。

 無言でこちらを見つめてくる萌を見て、ボクは黙って頷くと鞄を外してやる。

 やっとのことで、萌は改札を通ることが出来た。それにならって、ボクも入場券を改札機に通す。

 すぐに萌に追いつき、街へ向かう電車のホームへと歩みを揃えて向かった。

 すると、タイミングよく街の方面へ走る準急列車が到着した。

 もう少し話す時間があると思っていたのに……ボクにとっては最悪のタイミングだ。

 ピーッ、という音と共に、列車は完全に停止。すぐに両開きのドアが開く。

 この列車とホーム、止まっている間の距離はものすごく近いのに、走り出してしまえばそれは一気に離れていってしまう。

 そんな場所へと、萌は軽い足取りで飛び乗った。そして振り返ると、あの夕焼けの中で見せた満面の笑みをもう一度見せる。


「……約束や。絶対、いつかまた会おうな?

 今度会うときは……彼氏も、一緒に連れて来たるわ」


 萌の言葉に、俺は歯を食いしばったまま俯いてしまう。それがミスだったのかもしれない。

 うん、また会おう。そんな言葉さえ口にする間もなく、無情にも列車のドアは閉まった。

 もう言葉が届かないのなら、想いを伝えられないのなら……せめて、手を振ろう。別れのときだもの。

 列車を目で追うこともなく、ボクはずっと手を振り続けていた。


「……こんなんで、いいのか?」


 手を振りながら、ボクは無意識に呟いていた。

 最後の萌の言葉には、昨日の萌と同じ雰囲気を感じ取った。

 微かに震えた、脆く儚く弱々しい声。


 このまま別れてしまって、本当によかったのか?


 右手を振りながら、左手に握られているのは穴の開いた入場券。

 このままじっとしていても、もう萌に想いを届けられないのなら、ボクは――っ!

 気がつけば、勝手に脚が動いていた。左手の入場券を改札に通して消滅させ、ボクは全力で駐輪場へと向かう。

 萌の乗った列車は幸い下り坂の方面……急げば、まだ間に合う!

 ロックを外し、相変わらずギシギシと音を立てる自転車に跨ると全力でこぎ出した。


 間に合え、間に合えっ!


 心の中で叫びながら、小さくなりつつあった電車をひたすら追いかける。

 限界まで回転する車輪はギシギシと悲鳴をあげ不協和音を生み出すが、そんなことに構っていられない。

 下り坂という地の利を生かした結果、遂に電車へと並ぶことが出来た。しかし、萌はまだ気づいていないみたいだ。

 頼む、気づいてくれ……意を決したボクは、祈るように大きく息を吸い、ありったけの声量で叫ぶ。


「もえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」


 叫んだ反動で車体のバランスが崩れかけ、体勢を立て直す為に慌ててスピードを落とす。

 そしてすぐに加速するが、電車のスピードは増す一方。

 このままでは追いつけない……焦りを覚えるボクの目が捉えたもの、それは――窓からこちらを見る萌。

 良かった、気づいてもらえた。ボクは泣き出しそうな表情のまま、離れ行く電車に向けて右腕を大きく振った。

 彼氏連れでも構わない、もう一度、いつか必ずまた会おう。

 あっという間に離れて行った電車に向けて、ボクはいつまでも手を振り続けた。




 こぎ疲れた脚を休めているうちに、小さな田舎町は次第に活気を取り戻していた。

 けれど、萌が去ってしまった今、ボクに残されたのは一緒に乗ったこの青い自転車のみ。他の有象無象は眼中に入らない。

 それはまるで――。


「――この世界から萌がいなくなっちゃったら、ボク一人だけみたいじゃないか」


 感慨深く呟いたボクは、ふと眠気を感じすぐに帰ろうと思い至る。

 思わず坂を下りすぎたからなぁ……少し戻らなきゃ。

 人は減ったのに先ほどより重いペダルをこぎ、ボクはゆるい坂をギシギシと音を立てながら上る。

 かなり高くなった太陽は、坂の中腹にいる僕でさえも明るく照らし出す。あぁ、ぽかぽかしていて気持ちいいな。



 これは残り少なくなった夏休みに起きた、温かくて切ない、そしてボク達しか知らない恋の物語。

……とまぁ、こんな感じです。読者の皆様の心に、何かが残ってもらえれば幸いです。

そして、前作から引き続き咲野凜さん、そして企画する機会を与えてくださったぐうたらパーカーさん、本当にありがとうございました!

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