CASE3 萌える野花は凜と咲き(後)
ぬいぐるみ屋〝タカサゴ〟を出たウチらは、街の広い道をひたすら歩き続けた。ここから次に向かう場所までは、ゆっくり歩けば十分ちょっとは掛かる。
……まぁ、急ぎの要件でもないしな。わざわざ走る必要もないやろ。
そもそも、凜に荷物を持たせたまま走らせる訳にはいかん。凜自身も可哀想やけど、何よりウチの大事なサンちゃんが心配や。
「……あっ!」
「ん、どないしたん?
急に大声出してからに」
すると急に、あのいつでも冷静な凜が焦りの色を見せよった。流石に只事じゃなさそうやから、ウチも少し心配になる。
顔面蒼白の凜は、小さな箱を鞄と一緒に脇で抱えると、空いた右手でウチの左手を掴んできた。
「ゴメン……ちょっと走るよ」
「ちょ、それどういう――ふぎゃっ!?」
唐突な走る宣言、そしてあっちゅー間に引っ張られるウチの右手が悲鳴を上げた。少しでも痛みを減らすために、ウチも全力で凜に追い付こうと走る。
自慢やないけども、ウチは頭こそアレなものの、体力にはちょっとばかし自信がある。なんとか体勢を立て直すと、すぐにありったけ出せるスピードを出して走った。
「はぁ、はぁ……流石だね、萌。
ボクのスピードについてこれるなんて」
「なんや、意外と大したコト、ないんやなぁ。
ちゅーか……なんで急に走るん?」
「それはっ、あとでっ、話すよっ……」
走りながら話すんは、流石の凜でもキツいんやろな……途切れ途切れの言葉が返ってきたモンだで、ウチは仕方なく走り続けた。
周囲から変な目で見られながらも無言で走り、やっとのことで目的地……ふりーげるに辿り着いた。
広い通りの一角にあるこの店は、平日の昼間ながらも若い客でごった返しとる。こんなに客おって、席空いとるんやろか?
軽く店の中を見渡してみると、ところどころに空席は見えた。これなら一応パフェは食べられそうやな……。
疲れた様子を隠しきれとらん凜とウチは、近くにあった席に腰掛けた。
蒸し暑い季節やけど、ここの冷房はめっちゃえぇ風を送ってくれとる。ありがたや~。
「……ちゅーか、何でわざわざ走ったん?
そろそろ理由を聞かせてくれへんか?」
一息ついたところで、やけにソワソワしとる凜に尋ねる。けれど返事をする気配はなく、店員を見つけた途端に立ち上がり、すぐに呼び寄せた。
こっちに来たんは、ウチらよりも少し年上――大学生くらいやろか?――っぽい女性やった。真面目そうな顔立ちに長めの黒髪、ウチと同じくらいの女子としては平均的(やと思う)な身長。
胸に輝く名札には、〝零夜〟の二文字。本名なんかなぁ……外見と合わん名前や。
「あのー……〝Flug von zwei personen〟ってまだありますか?」
「えーと、午後十二時から午後三時までの限定メニューですね……まだ大丈夫ですよっ!」
「よかったぁ……じゃあ、それ一つ下さいっ」
「かしこまりました~」
注文を受けた零夜さんは、顔に似合わずのほほんとした声で返答しよると、そそくさとカウンターの奥へと引っ込んだ。
それを横目に見送りつつ、ウチは溜め息混じりに凜へと再度尋ねる。
「はぁ……要は限定メニューが食べたくて、わざわざ走ったんやな?
せやけど、一体何を注文したん? 言葉が全然分からへんからなぁ……」
「えーとね……発音は〝フゥルク フォン ツヴァイ ペルゾーナン〟で、〝二人の飛翔〟って意味があるんだ。
ベルギー産のチョコレートをふんだんに使ったパフェだから、ちょっと苦めで萌好みだと思うよ?」
苦い……その単語だけで、ウチの期待度はぐんぐんと上昇した。
甘いモンがそないな好きやないだけに、えぇこと聞いたわぁ。
その点を配慮してくれたんなら、凜にも感謝せんとアカンな……。
「ほっ、ホンマか?
そりゃあ楽しみやなぁ~……その、〝古本辛いぺーぞーなん?〟ってパフェ」
「あはは……やっぱり萌にドイツ語は難しかったかな。
ちなみにこの店の名前〝フリューゲル〟っていうのは、〝翼〟を意味するドイツ語なんだ」
「ふぅん……ドイツ語はよぅ分からんけど、飛びたい気持ちだけは伝わる名前やなぁ。
他のメニューも、そんな感じなん?」
「うーん……言われてみればそうかも。
ここにメニュー表あるけど、全部読んでみる?」
笑顔で言いながら冊子を取り出す凜に、ウチは全力で首を横に振ったった。
ドイツ語読めんっちゅーとるのに……嫌がらせなんか?
わざと大げさにムスッとしてみると、凜はバツの悪そうな顔をしながら頭を掻いとった。
「ごめんごめん……悪かったよ。
だからそんなに怒らなくても……」
「……相変わらず素直なやっちゃなぁ、凜は。
ウチはそんなくらいで怒るほど、ヤワな女やないで?」
そう、凜は昔っからウチの不機嫌顔にはめっぽう弱いんや。
それを知っててわざと不機嫌になるウチも、我ながらヒドイ女や……自重せんとな。
凜を安心させるために、ウチは最大級の笑顔を凜に見せる。すると、あっちゅー間に凜の表情も明るくなっていった。
……素直ちゃうくて、単純なのかもなぁ。
「〝Flug von zwei personen〟一つ、お持ちしました~」
そんなことを考えとるうちに、注文したパフェが運ばれてきた。声の主は先ほどの店員、零夜さんやな……さっきからよぅこの席に来るなぁ。
二人がけの小さな机の上にそびえるのは、そりゃあおっきなパフェやった。
凜の顔がすっぽり隠れるくらい大きなグラスに、ぎっしりと濃い茶色のチョコレートアイスと、純白のバニラアイスがらせん状に詰まっていた。そしてグラスより上にそびえるのは、巨大な渦を巻いたチョコレートのアイス、そして色とりどりのフルーツ。グラスの淵から大きくはみ出した二つのメロンが、今にも羽ばたきそうな翼に見える。
……こりゃあ、確かに飛べそうや。食い応えも抜群やろなぁ~。
「……ちゅーか、コレ食べきれるんか?」
「それを鑑みて、一つしか注文しなかったんだ。
この量だと、二人でもちょっと心配だけどね……あはは」
「ふぅん……しっかり考えとるなぁ。
そんじゃ気ぃ取り直して――いただきます~!」
「うん、いただきますっ!」
二人しておてて合わして言ぅと、早速食べ始める――ハズやった。
「……なぁ、何しとるん?
じっと見られとると、気ぃ散って食えへんわぁ」
ウチが横目で見ながら言うと、この飛びそうなパフェを持ってきた人――零夜さんは表情を崩さぬまま、相変わらずのほほんとした声で返す。
「あ、私のことはお気になさらず。
どうぞお二人で存分にいちゃいちゃして下さい」
それだけ告げると、直立不動のままじーっとパフェ……いや、ウチらを見続けた。
この表情、携帯の顔文字とかで見たことあるなぁ。(・ω・)みたいな感じや。
そもそも、いちゃいちゃするつもりはないし、こう見られてたらいちゃいちゃ出来へんやろ!
……まぁ、相手が凜ならしてやらんこともないけど。
「いちゃいちゃはともかく、まぁゆっくりさせてもらうわ。
ささ、凜もはよ食べやぁ」
「う、うん……」
戸惑いながらも、やっとのことで凜は翼の片方――つまりメロンに手をつける。ウチも負けじと、やたら長いスプーンで高くそびえる茶色い山を切り崩しに掛かった。
「あむっ……ん~、美味いっ!
甘すぎないチョコ加減が絶妙やなぁ~」
「うん、美味しいね。
この季節だと、メロンも旬だからすっごく甘いや」
「……いちいち言ぅことが知的やなぁ。
今度から〝先生〟って呼んでもえぇか? 凜せーんせっ♪」
「あはは……こそばゆいからパス。
それならまだ〝凜ちゃん〟の方がマシかなぁ」
うーん……こうしてゆっくり話せるんも、全部龍馬のおかげやな。こんなに気楽に凜と笑い合って話したの、会長になる前以来かもなぁ。最近は忙しかったから、こないして親友と一緒になんか食べるっちゅーこともなかったし。
「ほな、これから凜ちゃんって呼ぶで?」
(ほら、あーんってしなさいよ~)
「いやぁ……それはそれで困るなぁ」
(もうっ、そっちの男ももっと攻めるっ!)
「この嘘つきぃ~……って、さっきからなんやねん!
こっちにもモロ聞こえやわぁ!」
思わず立ち上がりながら叫ぶと、零夜さんは素知らぬ顔で口笛を吹いていた。わざとらしいやっちゃなぁ……。
やっと落ち着いて食える思ぅたのに、急に気になりだしたわ……何かやらんと、あの人も満足せんやろな。
仕方ないなぁ、ここは一芝居うったろか。
「なぁ~、凜?
ちょ~っと口開けてくれへん?」
「ちょ、萌……それって――」
「はい、あーんっ♪」
ウチは大量にすくったアイスを、凜の口の中へ押し込んだった。
これでこの姉ちゃんも満足してくれるんやろか……彼女の目も輝いとることやし、なんとかなったんちゃうかな?
凜は顔を赤らめながらも、スプーンいっぱいのアイスを食べ終えたらしい。スプーンを引っこ抜くと、咽たように咳き込んだ。
「だ、大丈夫かっ?
ちょいと押し込みすぎたか……」
「へ、へーきだよ」
苦笑しながらこちらを見る凜に、ウチはほっと胸を撫で下ろした。本気で喉に詰まっとったら、シャレにならんからなぁ。
それからというものの、隣で突っ立っとる零夜さんの熱い視線を浴びつつ、出来るだけ仲よさげに巨大なパフェを食べ進めていった。ちゅーても、基本はウチが凜に食べさせてばっかやから、パフェの大半を凜が食うことになったわけやけど。
「あっ、口にチョコ付いとるで?
拭いたるから動くなや~……」
「じ、自分で拭けるから……んっ」
凜の言葉は出来るだけ無視して、ウチはティッシュで口周りをゴシゴシ拭いたった。
……こーして世話焼くんも、案外楽しいなぁ。これからも少しくらいならやったろか。
やっとのことで巨大パフェを食べ終えると、すぐに零夜さんが器を片付けに掛かる。
(……素晴らしいいちゃつきっぷり、ご馳走様でした♪)
(じぶんがそうさせたんやろが! もうえぇからはよ行きぃ!)
凜には聞こえんくらいの小声で言われたモンやから、ウチも負けじと小声で言い返したる。すると満足気な表情のまま、カウンターへと軽い足取りで引っ込んでいった。
何やろなぁ……こんなん見て何が楽しいんかね?
呆れて小さく溜め息をつくと、凜も本日何度目かわからん苦笑を浮かべた。
「あの店員さん、随分楽しそうだったね。
まぁ、ボクも楽しかったからいいんだけどさ」
「そか? ウチは気になって味も分からんかったわぁ。
……けどまぁ、凜が楽しかったんならよしとするか!」
そうして静かに微笑み合うと、ふと壁に掛かっていた時計を見上げる。短い針は既に四の位置を刺しとった。
うわぁ……アレからもう一時間も経っとったんか。確かに巨大なパフェやったけど……そないに時間掛けたつもりはないんやけどなぁ。
「ほな、そろそろ行こか」
「そうだね……なんかいろいろと疲れちゃった」
目配せをすると、どちらからともなく立ち上がった。周囲は下校時やからか、学生の姿が随分と増えとる。ま、これ以上長居する気はないから関係あらへんけど。
料金を精算するためにカウンターへ向かうが、もう零夜さんの姿は見当たらなかった。茶髪で今ドキなファッションの店員が現れると、〝4,000円になります〟という普通の接客。
んー……あぁいう接客をするのは、きっとあの人だけなんやろな。
せやけど、あんな風に踏み込んでくれたおかげで、ウチも恥ずかしながら楽しい時間を過ごせた。その点はしっかり感謝せんとアカンなぁ。
そんなことを考えつつ、ウチはバカ高いパフェの料金を払おうとピンク色の長財布を――開けなかった。
「いいんだ、萌。
今回はボクが行きたいって言ったんだから、全額ボクが持つよ?」
「せ、せやけど……出費バカにならんで?
それにウチも食ぅたんやから、多少は払わせて――」
「はい、4,000円ね」
ウチが緑がかった札を出す間もなく、凜はすぐに会計を終えた。店員さんは少し戸惑った表情を見せながらも、札を受け取って〝ありがとうございました〟と会釈。
そのまま凜に手を引かれたウチは、スイーツ専門店〝フリューゲル〟を後にした。
「なぁ、凜。なんでウチに払わせてくれんかったん?
全部じぶんだけで払うなんて、ちょっとズルイんちゃうか?」
「……いろいろと、嬉しかったから」
日も暮れ始めた夕方の街を、ウチと凜はゆっくりと歩いていた。店を出た状態から自然と手は繋がったままやけど、ウチはもう気にならなくなっとった。
けど、妙に憂い顔の凜がどーしても気になる。パフェを食べ終わってからは終始この顔……疲れとは違うんや。
なんかこう……何かを隠しとるみたいな、そんな不自然さが垣間見える。
それを追求しようとも思ったけど、ウチの心がそれを躊躇わせる。聞いてしまったら、もう後戻りは出来ないような悪い予感。
昔神社におった頃から亡き両親やその他の親戚に言われとった、〝神通力が強い〟っちゅー言葉。あながち、外れとらんかもしらんな。
「せや、今からどこへ向かうん?
行きたいところがあれば、付き合うけど」
しばらく無言で歩いてとったけど、流石に気まずくなりそうやったからふと尋ねる。
すると、相変わらず憂い顔の凜は目を細めながら答えた。
「そうだね……じゃあ、萌の家に行ってもいい?
そこでちょっと、大事な話があるんだ」
「別に構へんけど……きっとビックリするで?」
ウチの家である赤とピンクの縞々を思い出しつつ、おどけた表情で返す。
〝大事な話〟、その単語を出来るだけ意識せんように、努めて笑顔を作った。
そんなウチの心中を察してか、凜もぎこちない笑顔を浮かべる。
「うん、構わないよ……」
「そか……ならえぇ」
そして再び無言。太陽はウチらの心中などお構いなしに、街を淡い茜に染め始める。
……知りたい。凜が今、何を思っているのか。
締め付けられるように苦しい心のまま、ウチと凜は歩き続けた。
初夏の遅い日暮れは、ウチの家を濃い橙に染めていた。
あれから小一時間、ずっと無言で歩き続けたウチら。手はしっかりと繋がっているはずなのに、心は全然繋がっていなかった。
けど、今なら聞ける。というより、凜が自分から話してくれるハズや。
ウチの期待を裏切らず、玄関前の階段に腰掛けた凜は、疲れ切った表情のまま口を開いた。
「……大事な話、だよね。
萌ってば、さっきからずっと気にしてたでしょ」
流石に凜にもバレてたか。外見とは裏腹に、ウチと同じくらい鋭いからなぁ……。
凜の言う〝大事な話〟って、なんなのやろか。
とりあえず、親友の本音を聞くのに仮面なんて被るのは失礼やからな……少しの間、関西弁とはおさらばや。
「……そうだね。
私も凜に気付かれるなんて、まだまだ甘いみたい」
「っ!
……そっか、真剣に聞いてくれるんだね。こんなボクの話を」
「〝こんな〟は余計だよ。
凜の話だからこそ、私はありのままの自分で聞けるんだから」
久しぶりにこの口調になったけど……不自然なところはないだろうか。
中学に入ってから六年間、昔のある出来事から口調を変えて今の自分になった訳だけど、この口調もいい加減忘れてしまいそうで怖い。
このまま続けたら、いつか関西弁で笑顔を振りまいている私が〝本物〟になってしまうのだろうか。
……いや、自分のことをどうこう考えるのはいつでも出来る。
今は凜の話に集中しないと。
「ふふっ、相変わらず萌は優しいね。
口調が変わってもその点は変わらないから、みんな萌を好きになるわけだ」
「……ありがと。
そういうところまで知ってるの、凜だけなんだよ?」
「……まだ、本当の自分のこと誰にも言ってないの?」
「そう、なるね。
一人だけ、私の仮面に気付きつつある人はいるけど」
天宮聖子……彼女だけは、私の裏の姿――今じゃもう、こちらの方が裏なんだ――に迫っている。
幻界で私がリュウを庇ってデスピルに侵食され、悲しみの中で叫んだ言葉。あれを聞かれてしまっては、私も弁解のし様がない。
いっそのこと自分をさらけ出せたら、どれほど楽になれるのだろうか……分からない。
「ふぅん……そっか。
ちなみにその人って、男性? それとも女性?」
「女性、しかも一つ年下だよ。
その子も結構鋭くて……いつかはバレちゃうかも」
「女性か……それなら、この言葉を伝えても大丈夫なのかな
ボクがずっと伝えたくて、でも心の中で押し殺してきた言葉」
「…………」
急に真面目な顔になった凜に、私は今後の展開を一瞬で悟った。一応ドラマやアニメも少しは見ているから、この空気になった時点で察していたけど……本気なの?
戸惑いながらも、それを表に出さないよう平静を装った。けれど、無言になってしまった時点で、私の戸惑いは凜に伝わってしまっているかもしれない。
心拍数が上がる中、凜は立ち上がると私の目を見据え、そして口を開いた。
「……ボクは、萌が好きだ。
一人の女の子として、昔からずっと好きだった!」
ある意味予想通りの言葉に、私は無言のままぼーっと凜の目を見つめていた。顔が熱を帯びてきて、妙に頭もクラっとする。
よかった……夕焼けが私の顔を照らしていてくれて。
「そう、なんだ。
でも……どうして今なの? こんな受験とかで忙しい時期なのに」
短く返した後、私はふと思ったことを口にした。自分で言いながら、それは急に疑問として深まっていく。
最初は親衛隊の影響もあるのかと考えたけど、私と凜はかなり長い付き合いだ。高校に入る前に言えば、当時の私に思いは伝わっていた……ハズ。
ならば、何故このタイミングだったのだろう。
その答えは、遠い目をした凜からゆっくりと語られる。
「……これが、最初で最後だから。
ボクは今月いっぱいで、遠くに引っ越すことになったんだ」
「嘘……そんなの聞いてないよ!
なんでもっと早く言ってくれなかったの?」
「言いたかったけど、言えなかった。
もし言って引き止められたら、ボクの決心が揺らいじゃうから。
……知ってるでしょ、ボクが昔から医者になりたかったってこと」
凜の切なげな言葉に、私は思わず涙をこぼしそうになった。
凜がいなくなる……その事実が、私の心を悲しみで満たしていく。遠くへ行くだけだから、もう会えなくなるわけじゃない。そんなことくらいは分かっている。
けれど、いつでも近くにいて心の支えになってくれた大事な人が、離れていってしまう。
その現実に、私は耐えられるのだろうか。
『シュガー……あたしはここにいるよ』
「っ!?」
突然聞こえてきた、馴染みのある少女の声。
この台詞……そうだ、私がデスピルに侵食された時、セインが言った言葉だ。
そう、私はもう……一人じゃない。
凜のおかげで私の周囲には人が増えた。しかし、それは私にとって寂しさを癒す存在にはなれない。なぜなら、私の本当の姿を知らないから。
けれど、あの夜龍馬に助けられて、翌日リュウと世界を救って、幻界での時を過ごして……私は何を得た?
答えはとっても簡単――〝仲間〟だ。もしかしたら、私の全てをさらけ出しても受け入れてくれるかもしれない、大切な存在。
その事実に気が付いた途端、悲しみが徐々に引いていくのを感じた。確かに凜は私から離れていくけど、それでもなんとかやっていけそうな気がする。
だってもう、一人じゃないから。
「……そうだね。
凜がそう言うのなら、私は反対しないよ。
決めたことを最後までやり通して、夢を掴んで……幸せになってね」
私の言葉に、凜は大きく目を見開いていた。
しかし、すぐに落ち着いた様子で微笑を浮かべる。
「萌……意外だなぁ。
てっきり、泣き喚きながら止めるかと思ってたけど……ボクの思い過ごしみたいだったね」
「そうだよ。
だって、私はもう一人じゃないから」
自分に言い聞かせるように口にすると、凜は微笑から今までどおりの笑顔に戻った。
「強くなったね、萌。
その言葉が聞ければ、もうボクがいなくても大丈夫そうだ」
「うん……だから、心配しなくていいよ」
「分かった。
それで、その……告白の返事は?」
急にモジモジしだした凜を見て、私もまた顔に熱が帯びるのを感じた。
そういえば、最初に告白されていたんだっけ……すっかり忘れてた。
確かに私も凜のことは好き。男としても魅力的だし、身長が高いことを覗けば理想的な男性だ。
けれど……ここで凜と恋仲になってしまえば、また凜に甘えてしまうかもしれない。先に進むチャンスを、みすみす逃してしまうかもしれないのだ。
しばらく悩んだ結果、私が返した言葉はとっても簡潔だった。
「……ゴメン。
私、凜のこと好きだけど、付き合えない」
この言葉は、もしかしたら凜を傷つけたかもしれない。私自身もそのことを考えると、胸がチクチクと痛む。
でも、これで良かったんだ。私は自分の過去に立ち向かうため、前に進まなきゃいけない。
きっと凜なら、分かってくれるはず。
「そっか。ならいいんだ。
萌の方こそ、頑張って幸せ掴むんだよ?」
「うん……ありがとね」
凜は少し悲しげに、けれど少し嬉しそうに言ってくれた。私のことを分かっていてくれるからこそ、そんな表情が出来るんだと思う。
本当に……本当に、ありがとう。
「……それじゃ、ボクもう行くね。
今日の出来事全てが、とっても大切な思い出になったよ。
これだけあれば、あっちに行っても当分は寂しくないかな」
「そんなこと言って……寂しくなったら、いつでも連絡しなよ?
私はもう凜に頼らないように、自分から連絡はしないから……そのつもりで。
最後に……私も楽しかったよ。ありがとっ!」
最大級の笑顔を放つと、凜も同じように最大級の笑顔で返した。
けれど、その瞳はやはり悲しみを隠しきれていない。
仕方ないなぁ……遠くへ飛び立つ凜に、私が元気でいられるよう祝福をしてあげなきゃ。
「それじゃ……さよなら、萌」
「ちょっと待って!」
背を向け歩き出そうとする凜を静止すると、私はすぐに近寄り――。
大胆にも、頭一つ分高い凜の唇にキスをした。
しばらく続く接吻に、凜も私も固まったままだった。
永遠に続くと思われた時間は、意外とすぐに終わる。
背伸びした状態から足を地面につけると、驚いた表情の凜と目が合ってしまった。
「……これで今までの真面目なウチは終わり。
ささ、はよ行きぃ!」
照れ隠しの意味も含めて、ウチはいつもの関西弁に戻してまくし立てる。
すると凜の目からは悲しみも消え、今度こそ本当に最大級の笑顔を見せた。
「ありがと、萌。……大好きだよ!」
大声で叫ぶ凜に、不意打ちを喰らったウチは今までにないほど顔が熱くなった。
あんのアホ……ご近所さんに聞こえたらどうする気や!
けれど、強く言い返すんも野暮やったから、静かに手を振るだけに留めた。
最後くらいは、凜のえぇ様に別れさせてやらんとな。
ウチは凜の姿が見えなくなるまで、ずっと少し頼りない背中を見送った。
ずっと、ずっと……。
数日後、本当に凜は引っ越してもぅた。
無論冗談だとは端から思っとらんかったけど、やっぱりクラスから一人の人間が減るのは寂しいモンがある。それはウチ以外の人間も、多分一緒やと思う。
この事実は全体の女子に広まって、その日だけクラス中で泣きじゃくる声がずっと止まなかったのは、3-3でも後に語り継がれることになった。
「……どうだ、やはり寂しいのか?」
そんな中、背後から声を掛けてくる高身長の凛々しい黒髪女子。
言ぅまでもなく、ウチと同じ生徒会に所属する副会長、鈴木林檎や。
「なんや、林檎か。
別に寂しいコトあらへんで?」
「ふーん……そうなのか。
ま、萌ほどの人間ともなればこれくらいは些事か」
「いや、そーゆー訳でもないけどなぁ……」
うぅむ……昨日の出来事はあんまし言えへんからな。かといって、寂しいと言ぅたら確実に問い詰められる。
適当に答えておくんが吉やろな、うん。
林檎は何かを思案している様子やったけど、すぐに小さく首を振ると一言。
「さて、そろそろ授業が終わるな。
ちなみに、今日は生徒会の仕事で居残りだから、早く帰れると思うなよ?」
「うっ、嘘やろぉぉぉぉぉ……」
なんちゅーこっちゃ。今日は授業がはよ終わるから、帰ってサンちゃん愛でよう思ぅとったのに……。
……まぁ、帰る時間がいつもと同じになるだけや。我慢せんとな。
渋々席を立ち上がると、ウチはいつも通り生徒会室へと向かった。
ねぇ、凜。私、凜がいなくても元気にやってるよ?
授業は大変だし、生徒会も大変、進路も大変……大変なことづくしだよ。
けど、夢の為に飛び立った凜を見習って、私も頑張ることにしたんだ。
相変わらず仮面は被ったままだし、例の女子にも全てさらけ出した訳じゃない。
でも、いつか〝本当の私〟でいられる時が来るように、頑張るから。
だから……遠くから応援してね?
それじゃあ、また会う日まで――。
……これだけ真面目な恋愛もの、正直書くと思わなかったorz
とりあえず、この時点では分からないことも多いはず。なので、本編を読んでいただければ少しは話も分かるかと思います。だから是非読むべき。読んで。←
と、冗談はさておき……今回の番外編に出てくださった皆様(前編:咲野 凜さん、高砂イサミさん、サンドルフィンさん、後編:咲野 凜さん、零夜さん)、本当にありがとうございましたっ!
また機会があれば、本編でも出ちゃうかもしれません……その時はまた、許可を取りに行くと思いますので、よろしくお願いしますっ<(_ _)>