表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/8

CASE2 哀しき北風小僧(後)

 やっとのことで木の上にある木の実を採り終えた俺たちは、今更ながら一人足りないことに気が付いた。


「……そういえば、ラナはどこ行ったの?」

「んー……ラナならさっき、リスと遊んでたけど」


 あれから三十分は経っているだろうか……少し不安を覚える。

 それはリリカも同じらしく、急に顔を険しくしたかと思うと、腰の小刀に手を伸ばした。


「少し嫌な予感がする。ラナを探しに行くよっ!」


 リリカは、昔から悪い予感がすると、いつも腰に手を伸ばしていた。

 あの時は行動の意味が分からなかったけど、今のやりとりで納得した。

 彼女は常に戦えるように、いつでも小刀を抜けるように、こうして柄に手をかける仕草をしていたのだ。


「あ、あぁ」


 そんなことを考えつつも、抜刀して走り出したリリカを追いかける。

 周囲に生き物の気配は無かったが、警戒をしすぎて困ることは無い。

 俺も小刀に手を掛けつつ走り、すぐにリリカに追いついた。

 最近は俺も体力がついてきたので、走るだけならリリカにも並ぶことができる。

 ……もちろん、想創抜きでの話だが。


「ラナのことだから、何かあれば逃げるはず。大丈夫、うん」

「リリカ……」


 言い聞かせるように呟くリリカに、俺は何も声を掛けてやれない。

 そんな気の利いたことを出来る男じゃなかったし、俺ごときの言葉では気休めにもならないから。

 数分後、俺たちは孤児院の前に出てきてしまった。

 道中は注意深く見渡したけど、ラナの姿は見つからないままだ。


「マーニャさんっ!」


 リリカは扉を開け放つとともに叫んだ。

 中にいる子供たちはビクッと体を震わせ、マーニャさんも驚きを隠せないでいる。


「なんだいリリカ、今日はやけに騒々しい――」

「ラナがいなくなっちゃったの! あたしが目を放している隙に!」

「……何ですって?」


 急にマーニャさんの目つきが鋭くなり、その場の空気が一気に張り詰めた。

 子供たちが恐々としている中、マーニャさんはエプロンを外すとすぐに倉庫へ向かう。

 そして、その中にある一丁の猟銃を取り出すと、俺たちへと駆け寄ってきた。


「……過ぎたことはしょうがないから、あんまり自分を責めるんじゃないよ、リリカ?

 とりあえず、ただの迷子であることを願って探しましょう。

 ザック、あんたはここで子供たちを見てておくれ」

「う、うん……」


 やっぱり、俺に出る幕は無いってことか。

 分かってはいたけど、俺は俺に出来ることをやるしかない。

 俺に出来ること……ここでじっと〝三人〟の帰りを待つこと。


「よしよし、やっぱりあんたはいい子だよ、ザック。

 ……リリカ、行くよ!」

「はいっ!」


 俺を一撫でしたマーニャさんは、リリカと頷き合った後、森の奥へと駆けていった。

 純粋な人間で、しかもかなりの高齢。

 なのにあそこまで動けるのは、マーニャさんは孤児院に来る以前、一人の軍人だったからだ。

 過去数回行われているニュートピア戦役でも、優秀な狙撃手として幾つも勲章をもらっている。

 その名残なのか、今でもものすごい戦闘技術と体力を兼ね備えている。

 実際、リリカにあれだけの剣術を教えたのも、マーニャさんなのだ。


「……大丈夫、何とかなるさ」


 不安を払拭するために呟くと、孤児院で未だに怯えている子供たちに一言。


「ラナが少し迷子なんだけど、別に気にすんな!

 今日はキノコとかいっぱい採ってきたから、今晩はご馳走だぞ?

 ま、みんなが帰ってくるまで大人しく待ってろ!」


 最初は戸惑っていた様子の子供たちも、ご飯の話になればイチコロだ。

 あっという間にいつもの喧騒を取り戻した子供たちに、俺はほっと胸を撫で下ろす。

 ……言えるじゃないか、気の利いた言葉。

 己に対して苦笑すると、子供たちをつれて家へと入った。




 ――そして、事件は起こる。




 三人の帰りを待つこと数十分、今日収穫した食材を倉庫に片付けていたときのことだ。

 突如、遠くで地鳴りのような鈍い音が響いた。


「何だっ!?」


 驚きのあまり、思わず声を上げてしまった。

 そして同時に、マーニャさんが昔言っていた言葉を思い出す。


『いいかい? もし何処かで重く鈍い音がしたら、それは戦争の合図かも知れないんだ。

 だから、聞こえたらすぐに隠れなさい。

 倉庫の地下にあるシェルターに隠れれば、助かる可能性は高いわ』


「……せん、そう?」


 一瞬頭が混乱したけど、何とか今やるべきことを思い出せた。

 子供たちを、避難させないと。


「みんな、こっちに来てくれっ!」


 俺の声に反応した子供たちが、ぞろぞろと孤児院から出てくる。

 一、二、三……うん、全員いるな。


「ちょっと外が騒がしいんだ……何かあるとマズイから、倉庫の地下に隠れてくれないか?」


 俺の言葉に動揺を隠せない子供たちは、不安そうにお互いを見合う。

 出来るだけ言葉は選んだつもりだったけど、この張り詰めた空気は誤魔化しきれないみたいだ。

 しかし素直な子供たちは、きちんと地下シェルターへと避難してくれた。

 全員入ったことを見届けると、俺は入り口の蓋を閉める前に一言だけ告げる。


「俺は三人の様子を見てくる。

 一時間もすれば戻ると思うから、それまで中にあるおもちゃとかで遊んでてくれ。

 ……みんな、大人しく待てるよな?」


 やはり不安そうな表情を浮かべる子供たちだが、皆一様に大きく頷いてくれた。

 本当に、強い子揃いだな……マーニャさんの育て方がいいんだろうな。

 子供たちに微笑みかけた俺は、ゆっくりと木製の蓋を閉める。

 そして、倉庫にある鉄製の小刀を手に取ると、音のした方へ走り出した。




 音の発生源は、意外とすぐに見つけることが出来た。

 何故なら、音のした方向の上空には土煙がモクモクと上がっていたからだ。


「あそこかっ……」


 ありったけの全速力で森を駆け抜け、草木を掻き分けながらひたすら進む。

 時折生い茂った枝が俺の体を切り裂くが、そんなことは構っていられない。

 道なき道を進み続け、俺はついに音の正体を目撃した。


「……何だよ、あれ」


 目の前に広がる光景は、俺の予想を遥かに上回るものだった。

 その場にいたのは、全長五メートルはありそうな、巨大な機械だった。

 二本の巨大な脚に、楕円形のタマゴみたいな胴体、そして横から生えている細い腕。

 その胴体の中には、純粋な人間らしき姿があった。


「あれって……まさか」


 しばらく考え込んだ結果、俺は数日前の記憶を思い出した。

 以前、商人が持ってきた新聞の一面に、〝機械人(マシンノイド)、数年後には実戦投入か〟と書かれていた気がする。

 ふりがなが振ってあったから読めたものの、あの時は意味が分からなかった。

 その正体が、今目の前に立っている機械だというのか?

 あまりの威圧感に、思わず腰が抜けてしまいそうになる。

 ここまで恐怖を感じたのは、この十年間の人生の中で初めてかもしれない。

 そして、今まで見上げ続けていた視点を徐々に下ろしていく。


「っ! マーニャさん! リリカ!」


 何かに穿たれてボコボコの地面には、二人がぐったりと倒れていた。

 俺はすぐさま駆け寄り、マーニャさんの体を揺さぶる。

 体も暖かいし、何より消滅反応が出ていない……生きている。

 リリカも確認したが、幸い命に別状は無いようだ。


『……目標ヲ補足。直チニ駆逐スル』


 ほっと一息つく暇も無く、機械的で耳障りな声が耳に入る。

 言葉が難しくてよく分からなかったけど、狙われているということは直感的に理解した。

 俺は素早くマーニャさんを引きずって、近くの木の裏に体を隠す。


 バリバリバリッ!


「くぁっ!」


 雷のような音と共に、機械人の腕にある筒から何かが発射された。

 それは俺の脇腹を掠め、同時に周囲の木々や地面を傷つけていく。

 銃弾。マーニャさんの猟銃で見たことはあるけど、こんなにも速くて痛いのか。

 俺には掠めたものの、何とかマーニャさんには当たらずに済んだみたいだ。

 問題はリリカの方だ。あの銃弾の嵐の中、リリカを助けに行ける自信が無い。

 もしも上手く潜り抜けられたとしても、下手をすれば標的がリリカに変わる可能性もある。


「くそっ……どうすれば……」


 俺の装備は小刀一本、想創を使ったとしても、勝てるかどうかは分からない。

 せめて、ラナが二人を回復させてくれたら……。


「……想創。〝シルフィード・カノン〟」


 気を失っているマーニャさんを起こそうと体を揺さぶっているとき、微かにその声は聞こえた。

 自慢ではないが、俺は人より少しだけ耳がいい。

 方向からして……あの機械人の後ろかっ?

 次の瞬間、轟音と共にあの巨体が大きく揺れた。

 ラナの本気の想創が、背中に直撃したみたいだ。


『……何者カニヨル魔術攻撃ヲ確認。直チニ迎撃体制ニ入ル』


 前のめりから起き上がった機械人は、すぐに方向転換すると目標――すなわちラナを探し始める。

 今なら、あいつの意識はラナに向いている。

 リリカを助け出す機会は今しかないっ!


「マーニャさん、ここで待ってて」


 それだけ言い残すと、俺はすぐにリリカの下へと走った。

 極力足音を立てずに走った甲斐もあり、まだ機械人には気づかれていない。


「リリカ! おい、起きろよリリカっ!」


 最小限に絞った声で、しかし荒々しく叫ぶ。

 これでもかと体を揺さぶると、少し唸って細く目を開く。


「……ザッ、ク? どうして、ここに?」

「心配だからに決まってんだろ! ……何があったんだよ?」

「……あの機械人、ラナを……襲ってたんだよ。

 見た感じ、実験途中に暴走したんだろうね……中の人も、呼びかけに応えないんだ。

 だから、助けようとした……」

「……ちくしょうっ! なんでよりにもよって、ラナを狙うんだよ!」


 言い得ぬ怒りに苛立ちを覚えて、思わず叫んでしまう。

 それが災いしてしまったのだろう……機械人が動きを止めた。


『……明ラカナ敵意ト脅威ヲ確認。目標ヲ変更スル』


 あの機械人……敵意まで察知するのか。

 どんな仕組みかは分からないが、これでもう俺は逃げも隠れも出来ない。

 ……本気で戦わないと、殺される。

 初めて立たされる窮地に、俺は途轍もない恐怖と緊張を覚えた。

 リリカを守りつつ、あいつの動きを止める……容易なことではない。

 だったら、振り向く前に先制攻撃を仕掛ける!


「想創! 〝氷雨(ひさめ)〟!」


 俺の叫びと共に、上空に白い靄のような光――想創光が満ちていく。

 そして、機械人が振り向くのと同時に光が消え、幾つもの氷柱が宙に現れた。


「喰らいやがれぇ!」


 声に反応した氷柱は、勢いよく機械人の巨体へと発射される。

 しかし、鋼鉄製の体に氷が通用するはずも無く、氷の雨はあっけなく弾かれてしまった。

 数本は脆弱そうな関節部分に刺さるものの、ダメージを与えられたとは思えない。

 少しよろめいた機械人は、すぐに左腕の機関銃を俺に向ける。

 くそっ……あんなのが直撃したらひとたまりもねぇ!

 せめてリリカだけでも守ろうと、彼女の前に立ちふさがった。


「……想創。〝護光(プロテクト・ライツ)〟」


 死をも覚悟した瞬間、不意に後ろから聞き覚えのある声。

 同時に、俺とリリカの周りが眩い光に包まれる。


 バリバリバリッ!


 耳をつんさぐような音と共に、銃弾が俺たち目掛けて飛んできた。

 防げないと分かりながらも、顔の前で腕を組み防御姿勢をとる。

 でも、弾が当たらないだろうということも、薄々予感はしていた。


「……さっすがリリカ。すげぇや」


 うっすら目を開けながら、思わずニヤリと笑ってしまう。

 目の前に広がるのは、うっすらと黄金色に輝く光の壁。

 言う間でもなく、リリカの想創だ。


「ザック……いつまで持つか分かんない。

 マーニャさんを連れて、早く逃げて……」


 マーニャさんを連れて逃げる。それはよく分かっている。

 けど、今の言葉だと、まるでリリカ一人は逃げないような言い草だ。

 そんなの、俺は絶対に認められない。

 リリカ一人を見殺しになんて、出来るわけが無いだろ!


「リリカはどうするんだよ!

 一緒に逃げないのかよ!」


 俺の叫びに、リリカは力無く微笑んだ。


「私なら、大丈夫。昔っから、逃げ足だけは早いんだから……」

「バカ言ってんじゃねぇよ! そんなボロボロの格好で、逃げられんのかよ?

 ただでさえ俺より足遅いくせに!」

「……うっさい。年上の言うことは聞きなさい」


 ものすごく弱々しい声。この様子だと、リリカはかなりの想像力を消費しているだろう。

 想像力は体力とも直結しているため、こんなに強力な想創を行えば、もちろん体力の消費量も膨大なものになる。

 このまま放っておけば、彼女を待ち受ける運命は――死。


「……ふざけんなよ。

 絶対に、リリカを殺させやしないからな!」

「ま、待ちなさいザック!」


 弾幕が光の壁を叩く中、リリカの制止を無視して俺は左方へ全力疾走する。

 それを追随するかのように、機械人も照準を右方へとずらしていった。

 もう、俺を守る壁は存在しない。少しのミスで、俺自身も死ぬかもしれないのだ。

 けど、構わない。リリカが生きててくれれば、それだけでいいんだ。


「……戦闘の心得、相手の懐に潜り込め。

 攻撃こそ最大の――防御なり!」


 リリカに教わったことを呟きながら、俺はひたすら弾を避け続ける。

 直進すれば確実に弾の餌食、ならばあいつの周囲を回りながら、徐々に間合いを詰める!

 ゆるい角度をつけながら、渦を描く様に機械人へと迫る。

 弾幕も次第に遠ざかり、機械人は俺の動きに合わせて回っているため、足元がおぼついていない。

 これなら……いけるか?


「想創! 〝氷界(ひょうかい)〟っ!」


 磨り減る想像力に歯を食いしばりながらも想創、機械人の足元に想創光が集まる。

 光が満ち溢れ、そして掻き消える瞬間を狙い、俺は逆手に持った小刀を機械人の胴体に叩きつけた。

 ガキンッ! という鈍い音がして、俺の小刀はあっさりと砕け落ちてしまう。

 しかし、不安定な巨体を倒すには十分な威力だった。

 大きくバランスを崩した機械人は、足元に出来ている氷で足を滑らせ、そのまま派手に倒れこむ。


『……機体ニ損傷、ダメージ15%』


 巻き上がる砂埃と共に、機械人の無機質な声が聞こえてきた。

 15%……この前マーニャさんに教わったばかりの数字だ。

 確か100%が最大のはずだから、それに引くこと15……まだ85%も動けるのか?

 絶望的な数値に、俺の足が自然に震えていた。

 このまま戦っても勝てないなら……リリカを逃がさないと!

 震える足を無理矢理動かし、なんとかリリカの下へと辿り着いた。


「おいリリカっ、早く逃げるぞ!」


 俺は体を揺さぶりながら叫ぶが、反応は無い。

 さっきの想創で想像力と体力を消耗しているのだろう……俺が運ぶしかないか。


「頼むから、立ち上がるなよ……」


 リリカの肩を組んで立ち上がりつつ、俺は祈るように呟く。

 しかしそんな願いは虚しく、機械人はいとも簡単に立ち上がった。

 バランスの悪そうな体つきのわりに、運動能力は高いようだ。


『……標的ヲ再確認、コレヨリ殲滅作業ニ入ル』


 せん、めつ……難しくてよく分からないが、分からないなりにもこれだけは言える。

 アイツ、俺を殺す気だ。


「くそっ!

 頼むから起きてくれ、リリカぁ!」


 せめてリリカさえ逃がせれば……しかし、反応が帰ってくる気配は無い。

 マーニャさんも相変わらず目を覚まさないし、一体どうすれば……。


「想創。〝トリート・オブ・ウィンド〟」


 突然聞こえてきたラナの声とともに、俺とリリカの周囲が想創光に包まれる。

 これは確か……ラナがつい最近覚えたばかりの、広範囲に届く治癒想創だ。

 さっきから姿を現さないのは、サポートに徹して生きる確率を上げるため。

 だとしたら、リリカが回復するまで俺が粘らないと。

 光が徐々に消え、心地よい風が吹き始めたのを確認すると、俺はリリカの腰から小刀を抜き取る。

 回復まで数分は掛かるだろうけど……耐え抜いてみせる!


「うおぉぉぉぉぉっ!」


 闘志を奮い立たせるため、雄叫びを上げながら全力で走り出す。

 俺を確認したであろう機械人は、細い左腕の先にある三つの爪を俺に向けて振り下ろした。


「ごがっ!?」


 一瞬世界が揺れたと思ったら、体全体が軋むような痛覚に襲われた。

 どうやら、俺はあの巨大な腕による一撃をもろに喰らったらしい。

 大きく吹き飛ばされた俺は、地面に思い切り体を打ちつける。

 次第に無くなっていく感覚……よく見れば、左腕がありえない方向に曲がっている。

 出血もしているみたいで、辺りの地面が所々に紅い。


『マダ生存シテイル模様。確実ニ息ノ根ヲ止メヨ』


 迫りくる機械人を認識しつつも、体が思うように動かない。

 リリカを、マーニャさんを守らなきゃならないのに。

 死ぬのか……俺は?

 死に対する恐怖で頭が混乱し始め、体がガクガクと震え始めた。


 ミンナヲ、マモラナキャ。

 デモ……シニタクナイ!


 ドクン、と聞こえる大きな鼓動。

 同時に、周囲から異常なまでの冷気が吹き抜けた。

 想創光は発していないのに……どういうことだ?

 疑問は解けぬまま冷気はさらに勢いを強め、次第に吹雪へと発展する。

 白く覆い尽くされた世界の向こうで、例の無機質な声が途切れ途切れに聞こえてきた。


『――機関の温度急低――動不能。非常事――つきスリープ――』


 その声を最後に、機械人の巨体が力無く項垂れた。

 俺を殺しにくるはずだった脅威は、この突然の吹雪で消え去ったようだ

 一向に止む気配の無い吹雪は、徐々に機械人の体を氷で覆っていく。

 そこまで確認すると、傷の深さが災いしたのか、俺はくてっと意識を失った。




 これで……みんな無事なんだ――。



 いや、まてよ?



 あの巨体があんなに氷付けになっているのに、なんで俺は氷付けにならない?



 ――リリカはっ!?





 最悪のシナリオを想像した俺はハッと目を覚まし、すぐさま首だけをリリカのいた場所へと向ける。

 そこで目にしたものは、首より下が完全に氷と化した、リリカの氷像だった。

 あまりの凄惨さに、俺は開いた口が塞がらない。


「リ……リカ」


 すぐに立ち上がろうとして、俺は自身の体が動かないことに気付く。

 大量に血を流したからか、筋肉に力が入らないみたいだ。

 せめて近づこうと、俺は折れた左腕を垂らしたまま、無事な右腕で小刀を握る。

 それを地面に刺しては軸にして体を引きずり、ゆっくりとリリカに近づいていった。

 積もった雪が進路を邪魔する中、やっとのことでリリカの下へと辿り着く。


「リリカ……ッ。起きてくれよぉ」


 氷と化した体に寄り添いながら、俺は祈るように小さく呟く。

 しかし、雪で白くなった瞼が開くことは無い。

 なんで……なんでこんなことに。


「ザック! リリカっ!」

「……ラナ、なのか?」


 強張った表情のラナが、走りながらこちらへと向かってくる。

 そして、変わり果てたリリカの姿を見た途端、今まで見たことのないくらいに目を見開いた。

 最初はガタガタと震えていたものの、すぐに冷静さを取り戻したラナは、目を閉じて呟く。


「想創。〝トリート・オブ・ウィンド〟」


 震える声が発生させた想創光は、白く覆われた世界にじわじわと広がる。

 吹きつける雪と想創光が見分けられるのは、前者は単に白いだけだが、後者は微妙に色彩を伴っているからだ。

 それがパッと掻き消えると、先ほどのようにそよ風が吹く――はずだった。


「……嘘っ」


 ラナの想創は、吹雪の前では無に等しかった。

 癒しの風が俺たちを包むことはなく、勢いの衰えない吹雪が容赦なく襲い掛かる。

 このままじゃ、ラナまで巻き添えに……。


「……ザ、ック」

「っ!? リリカ、リリカぁっ!」


 奇跡としか思えなかった。

 首元まで氷に覆われていたリリカの口が、僅かながら動いたのだから。

 俺は地面に這い蹲りながらも、動く右腕を精一杯伸ばしリリカの頬に手を当てる。


「リリカ……急に、吹雪が……。

 どうすれば……どうすればっ!」


 ぽろぽろと涙をこぼしながら、すがる様にリリカへと問いかける。

 例え彼女が生きていたとしても、この吹雪を止めない限り、全員が助かる可能性はものすごく低い。

 リリカは青白い顔を必死に動かしながら、途切れ途切れに言葉を発した。


「いい……よく、聞いて……ザック。

 大事、なのは……アンタが、落ち着く、こと……」

「そ、それってどういうことだよ?

 こんな状況で、どうやって落ち着けって――」

「いいからっ!」

「っ!?」


 こんなに声を荒げるリリカを、俺は初めて見た。

 それだけ、この状況が大変だということなのだろう。


「……私のことは、いいから……落ち着きなさい。

 そう、しなきゃ……みんな、死ぬんだよ?」


 みんな、死ぬ……それだけは嫌だ!

 俺は言われたとおりに落ち着こうと、深呼吸を数回してみる。

 冷気が胸を満たして不快だったけど、先ほどよりは冷静になることが出来た。

 すると、不思議なことに吹雪の勢いが弱まった気がした。


「……そう、それでいいの。

 これで、ラナも、マーニャさんも、アンタも助かる」

「……待てよ。

 じゃあ、リリカはどうなるんだよ?」


 今の発言だと、まるでリリカは助からない、俺にはそう聞こえた。

 嘘であって欲しい……しかし、彼女は首より上を小さく横に振った。

 それの意味するところは、つまり――。


「……私は、もう助からない。

 だから、最期に、アンタに言わなきゃ、いけないことが、あるんだ……」


 もう助からない、その言葉と共にリリカの体が淡い想創光に包まれる。

 これは……消滅反応っ!?


「アンタはね……すごくいい子。

 だけど、その能力の所為で、孤児院に……引き取られたの。

 感情が、引き起こす冷気……エモーショナル、チル」

「エモーショナル……チル?」

「うん……アンタの、望まなかったその能力が……この状況、なの。

 だから……これからの、アンタは、きちんと、落ち着く、こと

 そう、すれば……もう二度と、誰も、傷つけないから」


 俺の感情が、引き起こした冷気。

 道理で、俺だけ寒さを感じないわけだな……。

 でも、それの所為で目の前の大事な人が、死んでしまうのか?

 消滅反応はどんどん進み、遂に表情もうっすらとしか見えなくなった。

 氷に包まれた足元は、もう消滅反応の最終段階――つまり、輪郭にヒビが入り始めている。

 この段階にまで及んでしまうと、蘇生できる可能性はゼロに等しい。


「リリカ、俺……もう死にたい。

 この力がなければ、リリカをこんな目に合わせずに済んだのに」


 無気力にふと発したのは、自殺願望のようなものだった。

 今更死んでも遅い、そんなことくらいは当時の俺でも分かっている。

 けれど、もう俺が生きて悲しむことで、他に犠牲者を出したくなかった。

 俺が生きていることは、周囲に迷惑を掛ける――。


「……ダメ、だよ。そんなこと、言っちゃ」

「リリカ……」


 表情はもう見えないけれど、それでもきっと悲しげな顔をしているのだろうということは、声音だけでハッキリと分かった。

 最期までリリカを悲しませるなんて……俺は最低な人間だ。


「ザックは、生きて……生きなきゃ、ダメ」


 ふと聞こえたのは、リリカの切実なる願い。

 それが、最期の言葉だった。

 まだ頭の中に言葉が響いている中、遂にヒビは彼女の頭部まで走った。

 次の瞬間――。



 ピキピキ……パリィン!


 まるでガラスが割れたような、澄んだ甲高い音。

 同時にリリカの体は、完全に想創光となって四散してしまった。

 この音……なんだろ。

 昔孤児院の花瓶をふざけて割って、リリカに拳骨を喰らってたっけ。

 あの時の音に、すごく似てるなぁ。

 でも、もう花瓶を割ったところで、あの拳骨を喰らうことは叶わない。


「……うぅぅぅぅっ」


 走馬灯のように駆け巡った記憶が、心の奥底から悲しみを呼び起こそうとする。

 しかし、先ほどのリリカの言葉をかろうじて思い出した俺は、必死に低く唸ることで悲しみに抗った。

 これ以上悲しもうものならば、ラナやマーニャさんも巻き込んでしまうから。

 俺が右手に持つ小刀で胸を突けば、この吹雪も収まり、二人は確実に助かるだろう。

 けれど、その行動はリリカの最期の言葉が躊躇わせる。

 ここで死んでしまえば、俺は死後の世界でリリカに本気で怒られるだろうな……。


「……俺は、生きなきゃダメなんだ。

 悲しんでも、ダメなんだ……」


 そう自分に言い聞かせると、周囲の吹雪は目に見えて威力を弱めていく。

 数分後、森は一面銀世界になってしまったものの、それを加速させる吹雪は完全に止んだ。

 右腕だけで何とか立ち上がり、改めて辺りを見渡すと、遠くにはもう氷の塊となってしまった機械人が見えた。

 そして後ろには、雪に半身を埋めたラナがぶるぶると震えている。

 ……この様子なら、何とか生きているだろう。


「……ラナ、起きてくれ。

 もう、全部終わったんだ」


 何が終わったのかは、口にしたらまた悲しみに襲われそうだったので止めた。

 右手の小刀を俺の鞘に収めると、その手でラナの華奢な体を引き上げる。

 顔面蒼白の彼女もまた、意識を失っているみたいだ。

 ……これで、良かったのかもしれないな。

 ラナにだけは、リリカの最期を見て欲しくなかったから。

 俺はリリカの亡くなった場所に背を向けると、涙を堪えながら孤児院へと歩き出した。


 俺、誓うよ。

 俺の所為で死んだリリカのためにも、もう人前で悲しまない。

 だから――。




 幻界ファンタリオン 世界暦4055年 第十一の月 十日 深夜


 ふと時計に目をやると、既に日付が変わっていることに気が付いた。

 今日、次に目を覚ました時には、俺は誰かを殺していることだろう。

 こんなこと、きっとリリカは望んでいない。

 けれど、マーニャさんと子供たちの為には、仕方のないことなんだ。

 こんな組織に入ることは気に食わないが、今はひたすら耐え忍ぶのみ。

 孤児院の為、無理を言ってついてきたラナの為、そして俺自身の為。


「……ラナ、もう寝たか?」


 ボソリと問いかけてみるが、彼女の寝ている場所からは何も返ってこなかった。

 そういや、昔から寝入るのだけは異様に早かったっけ。

 てか、明日は結構早いんだ……俺も寝なきゃ。


「おやすみ、ラナ……リリカ」


 ふと口をついて出たのは、もう一人の少女の名前。

 さっきまでリリカのことを考えていたからかな……。


 おやすみ、ザック。


「っ!?」


 突然の出来事に、俺は思わず跳ね起きてしまった。

 今、確かにリリカの声が聞こえた……当時と変わらぬ、幼くもハッキリとした声。

 辺りを見回すものの、当然のようにあの輝く金髪の少女は見当たらない。


「……幻聴、だよな。ははっ」


 自嘲気味に笑うと、急激に眠気が襲ってきた。

 思えば、俺は小一時間程度の時を回想に費やしていたんだ。

 そりゃあ眠くもなるさ。

 俺は目を閉じると、深いまどろみの中に意識を投じた。




 ……おやすみ、リリカ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ