CASE2 哀しき北風小僧(前)
幻界 世界暦4055年 第十一の月 九日 夜
「ザック……起きてる?」
「……あぁ」
隣から微かな声がする。俺と同じ部屋にいるもう一人の人物、ラナだ。
「……眠れないの?」
「……そうかもな」
「……そう」
「……あぁ」
一言ずつ交わす言葉、それらの全てに力は宿っていなかった。
力無い言葉に、同じく力無く返すいたちごっこ。
しかしそんなやり取りも、今の俺にとって苦ではなかった。
「……まだ、自分のことを責めてる?」
「……あぁ」
「……赦す気は、ない?」
「……さぁ」
少しずつ内容の見え始める言葉。しかし俺は力無く適当に返す。
相手がラナじゃなかったら、そろそろ苛立ちを覚える頃だろう。
「……リリカはもう、赦してくれるよ」
「……そんなの関係ねぇだろ」
突然出された名前に、思わず強めに返してしまう。
リリカ、孤児院で共に育ち、俺が殺めてしまった少女。
そして、俺の背負うべき罪を体現する存在。
「……ごめんね。少し寒かったから」
「……悪ぃ」
ラナの意図的な話題提起に、少しばかり本気になってしまった自分が恥ずかしい。
寝ている間なら大丈夫なのだろうが、意識があるとどうしてもダメだ。
俺が悲しむことは、周りの全てに迷惑を掛ける。
雑種であるという、呪われた運命さえ与えられなければ、あるいは……。
「……また、少し寒くなった」
「…………」
俺の意思でどうにか出来ることではあったが、今の気分は沈みに沈んでいる。
このまま考えていても仕方がないので、俺は自分の毛布をラナに向けて投げた。
「……これは?」
「……俺が寝るまで、それで我慢してくれ」
「……分かった」
別に俺は寒さなど感じない。毛布なんてあっても無くても変わらない。
ラナが毛布に包まるのを見届けると、俺も早く寝ようと目を閉じる。
――ザックハ、イキテ……イキナキャ、ダメ。
「っ!」
まだ目を閉じて数秒なのに、悪夢にうなされるがの如く跳ね起きる。
幼い、しかしはっきりと自分の意思を持っている少女の声。
「……また、リリカの声?」
「……あぁ」
あの時の光景が、未だに脳に焼き付いて離れない。
血だらけの俺、必死に想創を試みるラナ、そして……氷漬けになったリリカのか細い声。
それは俺が初めて、己の存在に対する罪悪感を抱いた瞬間――
幻界 世界暦4050年 第八の月 二十八日 朝
時はかれこれ五年前に遡る。
当時は孤児院も余裕があり、子供は俺とラナ、リリカを含めて八人だった。
その中でも、最年長だったのはリリカ。
当時十三歳の花妖精で、孤児たちのお姉さんみたいな存在だ。
次いで十歳の俺、九歳のラナ、他は三歳以上七歳未満だったはず。
とはいえ、俺は八歳の頃にこの孤児院を訪れたので、大半は俺より孤児歴が長い。
しかも俺は己に関する記憶を、名前以外すっかり失くしていたらしいのだ。
幸い、孤児たちの母親であるマーニャさんが懐の広い人だったおかげで、こうして何の不自由もなく暮らせている。
彼女は純粋な人間にも関わらず、種族を超えて〝子供〟を愛していた。
故に、この名もなき孤児院には種族など関係ない。
全員が全員、マーニャさんの〝子供〟だったのだ。
俺が孤児院に入って二年になる頃、やっと幸せというものを覚え始めたときに、その事件は起きた。
「さぁチビ共、ご飯の時間だぞ~?」
リリカの弾んだ声に、俺とラナ以外の子供たちは我先にと食卓に着いた。
俺とラナがじっとしていると、その様子を気にしたリリカが視線を送ってくる。
「おやおや? お二人さんはどーして席に着かないのかなぁ?」
おどけた様子で尋ねてくるので、隣にいるラナが俺の意見を代弁する。
「……私たち、チビじゃないもん」
真面目な顔をして反論するラナに、リリカはプッと吹き出し、そして高笑いする。
「あははははっ! べっ、別にそういうつもりじゃないのに……ぷははは!」
「な、何が可笑しいんだよ!」
思わず怒鳴ってしまうと、目尻に涙を浮かべたまま〝ゴメンゴメン〟と手を振る。
そういえば、リリカは何故かいつでも笑っている人だったな……。
ポニーテールに纏めた金髪、十三歳とは思えない高身長、そして整った顔つき。
見た目は大人みたいなのに、とても子供っぽいのだ。この人は。
そんな様子を見ていたマーニャさんは、呆れ顔でリリカの後ろから鍋を持って現れる。
「まーたリリカは……二人も、早く席に着きなさいな。今日はパンとホワイトシチューよ」
メニューを聞いた子供たちは歓喜の声を上げ、俺は少しだけげんなりする。
ホワイトシチューは確かに美味しい。美味しいけれど、猫舌の俺には中々厳しい食べ物なのだ。
机の上にある鍋からは湯気がもうもうと立っていて、とても俺が食べられる温度ではなさそうだ。
心の中でそんな心配をしていると、マーニャさんはもう一つ小さな鍋を用意する。
その中には、薄く湯気の立つホワイトシチューが入っていた。
「心配しなくても、ザックの分は人肌くらいにしか温めてないわ」
「ほっ、ホントか?」
マーニャさんの配慮があまりに嬉しくて、俺は急いで食卓に着いた。
後ろでラナが薄笑いを浮かべていたが、それはいつものことなので気にしない。
全員が食卓に着くと、マーニャさんと合わせて食前の祈りを捧げる。
「我らの想像力の糧として、恵みを授かることに感謝を捧げん」
しばらくの静寂の後、マーニャさんの柏手を合図に、皆一斉に食べ始める。
ホワイトシチューは熱すぎず、かといって冷たすぎることもなく、俺にとって丁度良い温度だった。
ゴロゴロと入った野菜に、今日は珍しく肉も入っている。リリカの狩った獲物かもなぁ……。
みんなが思い思いの言葉を発しながら、賑やかな食事の時間は過ぎてゆく。
シチューもパンも少なくなってきたとき、ふとリリカが俺とラナに話しかけてきた。
「そだっ! そろそろ食材も少なくなってきたし、今日は食料調達に行かない?
ザックとラナが来てくれると、効率良いし助かるんだけどなぁ~……」
両手を顔の前で合わせて、そんなお願いをしてくる。
いつも食料調達に行くのは、マーニャさんとリリカの仕事だった。
この周辺の森は比較的安全で、特別に強い獣や怪物が出るわけではない。
しかしマーニャさんは心配性で、十二歳になるまでは頑として食料調達を手伝わせる気はないらしい。
リリカの言葉を聞いたマーニャさんは、見て分かるくらい眉間にしわを寄せている。
「……いけません。最近は戦争も激化してきて、何が起こるか分からないの。
確かに二人とも立派に育ったけど、そう簡単に同行させることは出来ないわ」
年上の重々しい言葉に、食事中の子供たちも自然に黙る。すごく空気の読める子供たちだ。
けれど、それくらいで引き下がるほど、リリカは気の弱い人ではない。
「戦争の激化、それくらいは分かってる。
それの所為で商人がろくに食材を持ってこないことも、私は理解しているつもりだよ」
「っ! ……それは」
このように、リリカは何かとマーニャさんより口が立つのだ。
更にいつでも強気な性格が、最終的にマーニャさんの反論をへし折ることも、子供たちにとっては周知の事実。
結果、今回の口論も勝者はリリカだった。
「決まりねっ! でも留守番がいないと心配だから、マーニャさんはここに残ってくれる?」
完全に話の主導権はリリカが握り、マーニャさんも溜め息混じりに小さく頷くしかなかった。
「……仕方がないわね。ザック、ラナ、しっかりリリカの言うことを聞くんだよ?
もし大きな獣に遭遇したら、戦わずにすぐ逃げること……いい?」
俺たちの目を見据えながら、ものすごく真剣な表情で告げる。正直、目力が怖い。
そもそも、別に一緒に行くとは言ってないんだけどなぁ……。
しかし、ふと心に浮かんだ言葉を口にしようものならば、リリカから散々言葉攻めに遭うことだろう。
「分かったよ。とりあえず、リリカが無茶しないように見張っておく」
「……私も同感。リリカは何するか分からないから」
「なっ、何よぉ~! 私は安全第一を心がけますよーだ!」
俺とラナの言葉に、リリカは思い切り頬を膨らませて反論する。
そして俺にだけゴチン、と拳骨が振るわれた。くっそー……男女差別だ。
いつしか食卓にも温かい空気が戻り、子供たちも俺の様子を見て笑っていた。
まぁ、笑ってくれるんならたまには拳骨もいいか……な?
そうしているうちに、全員が朝食を食べ終えた。
ここからの時間は、子供たちが食器を片付けたり洗濯物を洗ったりする。
まだ五、六歳ほどの子供だというのに、何とも逞しいものだ。
「さぁて……私たちも準備しよっか?」
リリカはいつもの明るい表情で言い、外にある倉庫へと向かった。
俺とラナも後を追い、初めて倉庫の中へと入る。
そこには、大小様々な大きさの竹篭や鎌、そして護身用の武器が揃っていた。
一応リリカには剣の手ほどきを受けているが、今まで金属製の剣を使ったことはない。
それらが目の前に並んでいると、本能的にこれからの道中が危険であることを悟る。
「さっ、アンタたちも籠と鎌を持って!
……大丈夫だとは思うけど、万が一獣が出たときの為に、武器も持ったほうが良いかもね」
少し心配そうな表情をするが、すぐに笑顔に戻ると、いつものように小刀を腰に装備した。
一度鞘から小刀を抜き、刃こぼれがないかを確認。
「……ハァッ!」
そして逆手に持つと、気迫の込もった一撃を空に放つ。
ビュンッ、と鋭く風を切る音がし、ビリビリと伝う空気に思わず首をすくめてしまった。
やっぱり、リリカは強い。
俺は手ほどきを受けながらも時々リリカに挑むのだが、勝った一度もない。
それは単純に剣が強いのではなく、きっと意思が強いのだろう。
敵に回すと恐ろしいけど、身内であるとこれ以上心強いものは、きっとないはず。
「うん、今日も絶好調! それじゃ、張り切って行こー!」
自分も竹篭と鎌を装備すると、腕を高く掲げて元気良く言い放った。
この元気の源は分からないけど、ただ一つ言えることがある。
リリカの元気が、俺たちの元気の源だってこと。
孤児院を出て少し歩くと、目的の森に辿り着いた。
欝蒼と茂る木々の中に、色とりどりのキノコや山菜が見え隠れしている。
……まぁ、どれが食用なのかは、俺には判断のし様がないけど。
「よっしゃ、それじゃあ各自で採集開始! とりあえず集めて、毒入りとかはあとで分別するから」
言うが早いか、リリカはさっさと森の奥へと行ってしまった。
ぽつんと残された俺とラナは、しばらく立ち尽くすしかなかった。
「安全第一って言ったのは、何処の誰だよ」
「……見失う前に追いかけなきゃ」
それぞれ心中の感想を口にすると、リリカの走り去った後を追うように走り出す。
ラナは風妖精なので一応飛べるのだが、今回は走ることを選択したらしい。
数分走ると、鼻歌交じりに山菜を摘んでいるリリカに遭遇した。
息も切れ切れに、俺は独断専行したリリカに抗議する。
「はぁ、はぁ……置いて、行くな、よっ」
それだけ言うと、リリカはようやく振り返り、そしてバツの悪そうな顔を作った。
「あっ……ゴメンね。私ってばつい、二人なら大丈夫かなって思っちゃって。
そりゃそうだよね、二人ともまだか弱い子供だもんね……」
急に涙を浮かべたと思った瞬間、いきなり俺とラナを抱きしめてきた。
視界を一気に塞がれ、しかも妙に温かい胸の辺りが顔面に押し付けられ、息が出来ない。
「むぐっ、ギブギブ! とりあえず放してくれぇ」
酸素を供給出来ない所為で、意識が段々遠のいていく。
もう死ぬのかな、と思った矢先に、リリカはやっと解放してくれた。
新鮮な空気を思い切り吸い込んでいると、同じようにしているラナが目に入る。
……同情するぜ、同志よ。
「ごめーん! ……それじゃ、気を取り直して一緒に採集しよっか!」
すぐに元気を取り戻したあたり、何だか演技にも見える。
よく考えてみれば、泣き落としからの抱擁は前にもあったような……。
「……ザック、早く行こう」
ラナの声で我に返ると、今までの思考を全て消してリリカについていく。
これ以上考えたところで、どうせリリカには敵いっこないのだから。
重い足取りで後を追うと、またしても鼻歌交じりにキノコを採集していた。
「ふんふふ~ん……さぁさ、アンタたちもいっぱい採りなよ~?
今日の結果が、チビ共の食事に関わってくるんだから」
「……そうだな」
細かいことは抜きにして、今大事なのは〝食料を調達〟することなのだ。
俺もリリカの傍でしゃがみ込むと、鎌を使って山菜を採集する。
マーニャさんとリリカは、俺たちの為にこうして採集してくれていたんだ。
そう思うと、今まで当然のように食事を食べていたのが、少しだけ心苦しくなった。
「……リリカ、いつもありがとう」
気付けば、小さな声で感謝の気持ちを告げていた。
本人に直接言ったつもりはなかったけど、耳聡いリリカはそれを聞き逃さない。
「ザック……アンタってば、たまに可愛いんだからっ!」
「わっ、よせぇ!」
例のごとく、さっきよりも強く抱きしめられてしまう。
この少女、三歳しか年の違わない男の子を抱くことに、抵抗とかないのだろうか?
それもお互い種族は違うというのに……よく分からん。
またしても窒息死させられる寸前に解放され、俺は大きく息を吸い込む。
……空気って、こんなにも美味いんだな。
「ふぅ……ここいらの食材はあらかたゲットしたかな?
それじゃ、篭にまだ余裕があるし、もう少し向こうへ行こうか!」
リリカが指差した先は、ここより更に木々が生い茂っている場所だった。
太陽はまだ高いし、迷うことはないだろう。しかし、少しだけ嫌な予感がする。
「れっつ、ごー!」
だが、静止する間もなくリリカは歩き出した。
とことんマイペースであるが故、一度動き出したらもう止まらない。
結局、俺とラナは黙ってついていくしかないのだ。
更に数分歩き続けると、びっしりとキノコが生えている薄暗い空間に出た。
さっきの場所よりも涼しく、近くに水の存在を感じさせる湿度だ。
リスなどの小動物もいて、ここは比較的恵みの多い地域だと思われる。
「……可愛いっ」
振り返ると、ラナがしゃがみ込んでリスと戯れている。
いつもは感情表現が少ないのに、こういうときは顕著に現れるのだ。
しばらくそっとしておこう、俺はそう思いラナから離れる。
リリカはというと、少し離れたところで木の実を採っていた。
もちろん、出来るだけ地面に落ちている、そこそこ新鮮なものを。
むやみに木から直接もぎ取ってしまうと、木の生命力である想像力が著しく減り、死滅してしまうかもしれないからだ。
とはいえ、採りすぎなければ多少は問題ない。地面に落ちているものをあらかた拾うと、次は木に登って木の実を採集し始めた。
「よいしょ、っと。あとは二十個も採れば、私の篭はいっぱいかな?」
そんなことを言いながら、地面に置いてある篭に目をやる。
正直なところ、既に山盛りの篭にあと二十個も入れようとしているリリカの神経が分からん。いつキノコなどが溢れても、おかしくはないだろう。
俺は半ば呆れながら、自分の篭の軽さがどうしても気に掛かり、リリカの篭から少しだけ採集したものを移した。
……これで、リリカも帰りは楽だろう。
「あっ、ザック! 私の集めた木の実だぞ~っ!」
「いやいや、こんなにたくさん持てないだろ?」
上からプンスカ頬を膨らましているリリカを気にせず、俺は作業を続ける。
すると、リリカは木の実を採集する手を休めずに、急に優しい声で語りかけてきた。
「……やっぱり、アンタは良い子だよ。やんちゃだけど、他人のことをしっかり思いやれるんだから」
「そ、そんなことねぇよっ!」
こんなにストレートに、リリカに褒められたのは初めてだった。
少し気恥ずかしくなって乱暴に答えたけど、内心ではものすごく嬉しい。
俺は、他人のことを思いやれるのか……そうか。
「まぁ、剣の腕はイマイチだけどね~」
……前言撤回。今の一言で、嬉しさの半分は彼方に吹き飛んでしまった。
「うるせっ! 今度こそは、絶対に勝ってやるからなぁ!」
「ははっ、そりゃ楽しみだ。何年後になるのかねぇ……」
「くっそー……明日にでも勝ってやる」
そんなやりとりをしながら、俺は明日の模擬戦で勝つ方法を考えていた。
けれど、この時の俺は知らなかった。
リリカと戦える明日なんて、永遠に来ないってことを。