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CASE1 あたしの理想

 2月13日 午後5時半過ぎ

 言わずもがな、明日はバレンタインデーである。

 あたし、天宮聖子も数多の女性の例に漏れず、チョコを作らねばならない。

 もしもわざわざ理由を聞く人間がいたら、あたしはフンと鼻を鳴らしてこう答えるつもりだ。

 

『好きな人にあげるため、それだけだよっ』


 ここはとあるマンションの一室、つまりあたしの家だ。

 その部屋の中にあるキッチンに、いくつかの製菓道具と市販の板チョコが置かれ、その前にあたしが立っていた。


「さぁ~て……天宮聖子ちゃんの、お料理教室ぅ~☆彡」


 チョコを混ぜるためのゴムベラ片手に、誰もいないのを見計らうと少しだけはっちゃけてみる。

 父はいつものように仕事で家にはおらず、母は買い物に、弟の昴は部活に行っている。

 もしこれを家族に見られたら、あたしの人生の汚点として一生記憶に残ってしまうであろう。

 自分で言って自分に気まずくなったあたしは、軽く咳払いをすると早速作業に取り掛かることにした。

 それでも一人で作るのは寂しいので、少しくらいは呟いても構わないだろう、うん。


「まず始めに、市販の板チョコを細かく刻みま~す」


 まな板の上に板チョコを置くと、あたしのMY包丁を棚から取り出す。

 手始めに大きく切り、切れ味が落ちていないことを確認するとサクサク刻み始めた。


「ここでワンポイント。バレンタインチョコに関しては、全ての過程で愛情を込めることが大事なのです……」


 少し言っていて恥ずかしいけど、別に間違ってはいないと思う。

 心の中で龍馬君を思い描きながら、あたしはせっせと板チョコを刻み続けた。

 数分後、まな板の上には大量のチョコ片が出来上がっていた。


「次に、刻んだチョコを湯銭にかけて溶かしま~す」


 予め用意してある人肌ほどのお湯に金属のボウルを入れると、その中にチョコ片を投入する。

 初めはまだ硬いものの、時間が経つにつれチョコ片は段々と液体に変わってきた。


「熱すぎてもダメ、冷たすぎてもダメなのです。

 そう、まるで愛のこもった抱擁のように……」


 そこまで言って、あたしが龍馬君を抱きしめてしまったあの時の記憶が蘇ってきた。

 あの時は龍馬君の優しさが嬉しくて、つい告白してしまい、龍馬君も好きと言ってくれた。

 けれど、返事は未だに保留のままだ。


「明日こそは、龍馬君からきちんと返事を貰って……か、彼女にっ」


 その先の言葉は、沸点に達したあたしの脳が強制的にシャットダウンしてしまった。

 頭をブンブン振って我に返ったあたしは、すっかり溶けてしまったチョコ片をゴムベラで少し混ぜる。


「本日作るのはトリュフなので、前もって粉々にしておいたクッキーを混ぜま~す」


 トリュフなら見た目も良いし食べ易い、しかも作るのが簡単と三拍子揃っている。


「……去年のリベンジですから、ちょっとばかし本気ですよ?」


 あたしは一応、去年のバレンタインデーには義理として(本命だけど)チョコを龍馬君にあげたことがある。

 それは大きな型で固めたチョコだったが、あたしは人生で最大級のミスを犯してしまった。

 あの時は気分が上がっていて、チョコに生クリームを入れるという工程をすっぽかしてしまったのだ。

 おかげで分厚く固めたハート型のチョコは、龍馬君の歯に思い切り楯突いた。

 その後『味は美味いから大丈夫だ』と笑っていたけど、あたしは恥ずかしくて死にそうになったものだ。

 あの出来事から、あたしは去年の駄作を『食べる歯粉砕機ティース・クラッシャー』と名づけ、二度と世に出してはならないと心に誓ったのである。

 しかし今回のトリュフは、たとえ食感が多少硬くても問題ない。


「ふふっ、今回は大丈夫なんだからっ」


 呟きつつ、混ぜたチョコに少量の生クリームを入れ、少しだけ柔らかくする。

 そうして出来たチョコレートに、砕いたクッキーをサラサラと投入した。

 クッキーも市販の余り物なのが悔しいけど、流石にクッキーを焼く時間もない。


「こうしてこねると、段々手応えが良くなってきます。……そう!

 それはあたしが告白してから、少し恋を意識するようになった龍馬君のようにっ!」


 嬉しすぎて思わずにやけてしまう。

 あんまり気分を上げすぎると、早速ミスを犯してしまいそうだ。


「コホン……さて、固まったら少量を手に取り丸めます」


 自分のの言葉どおり、ゴムベラでチョコをすくうと左手に乗せ、丁寧に丸めていく。

 ものの五分でボウルは空になり、隣の皿には美味しそうなトリュフが並んでいた。


「……どれどれ」


 我慢しきれなかったあたしは、一つを摘むとポイッと口に放り込む。


「うん! これは上出来だねぇ~」


 程よい硬さのトリュフはとても甘く、あたし好みの味に仕上がっていた。

 噛むほど広がる甘さと香ばしさが堪らない、過去最高の出来だったと胸を張って言えるはずだ。


「後は冷蔵庫で少し固めてから、ラッピングして完成っ!

 ……以上っ! 天宮聖子ちゃんの――」

「賑やかねぇ~……一人でナニはしゃいでるの?」

「きゃあっ!」


 すごく馴染みのある声に、あたしは思い切り飛び上がって後ろを振り向く。


「ねぇねぇ、さっきの聖子すごく可愛かったわよ~? もう一回やってみて!」


 キッチンの入り口には、買い物帰りの母、天宮理恵がにやけながら立っていた。

 ――人生の汚点、たった今生まれたり。


「……お料理教室でしたぁ~☆彡」


 その後食卓で昴にあたしの奇行がバレた上に、父にも報告されてしまったのはかなり屈辱だった。

 ちょっとイラッと来たので、今年のチョコレートはどちらにもあげないつもりだ。




 2月14日 朝

 遂に来た、決戦の日。

 戦うかどうかは思いっ切りさておいて、朝から目覚めはとても良かった。

 このコンディションなら、どんなシチュエーションにも対応出来るはずだ。


「……よしっ! 頑張るぞ~!」


 ラッピングしたトリュフを鞄に入れると、あたしは家を後にした。




 同日 放課後


 今日はとってもタイミング良く、委員会があって図書室のおばちゃんは来ない日だった。

 昼休みでも幻界のことを話しながら食事をしたけど、龍馬君は妙にそわそわしている気がした。

 これは、期待が高まらざるを得ない感じだ。

 あたしは軽い足取りで四階へと駆け上がり、龍馬君のいるであろう図書室の扉を開ける。


「お待たせ~っ! 今日は何、の、日……」

「おぉ~っ、聖子ちゃんも来たんかぁ! 龍馬ならまだおらんで?」


 ……なんと空気の読めない生徒会長様であろうか。

 これじゃあ二人きりのムードが台無しじゃん!


「えーと……三年生はもう自由登校のハズですが?」

「そりゃあウチかてこんな日やもん。例のブツ、作っとるでぇ~?」

「そうですか~、あはは……」


 乾いた笑い声を上げなければ、あたしはきっとショックで倒れていただろう。

 この時間だけは確実に二人きりなのに……流石に許せんぞ、生徒会長改め元・生徒会長め。

 そんな怨念のこもった視線を浴びせていると、背後の扉が開く音が聞こえた。

 そこに立っていたのは、あたしが世界で一番好きな男の子。


「よっ、聖子……と、久しぶりですね、萌先輩」

「あっ……龍馬君」

「ホンマ久しぶりやなぁ~! 元気にしとったか?」


 久しぶり、と言うが自由登校が始まってまだ一週間も経っていないのだ。

 会っていないのは実質四日ほどだろう。


「親戚のおばちゃんですか……まぁ、元気ですけど」


 龍馬君は苦笑いした後に、あたしにちらりと視線を送ってくる。

 明らかに〝この人何でここにいるの?〟という目をしていたが、あたしには返答のし様がない。


「ほんならえぇわ。……今日が何の日か知っとるか?」

「ちょっ、先輩……」


 本来ならあたしが切り出すはずだった話題を、この人はサラリと言ってしまった。

 これであたしの構想したシチュエーションはもう実現し得ない。


「何の日って……バレンタインですよね?」

「せや。ウチも日頃の感謝を込めて、チョコとやらを作ってきたんよ。ホレ」


 シュガーは自分の鞄をゴソゴソと探ると、中から何やら可愛らしい装飾の小箱を取り出した。

 ――負けた。この人、ラッピングが上手過ぎる。


「わっ……何かわざわざすみません。ありがたく貰います」

「例には及ばんわ。ほな、早速開けてみぃ?」

「…………」


 ダメだ、全く付け入る隙が見当たらない。

 この人は、この期に及んでどれだけあたしの邪魔をすれば気が済むのだろうか……。

 萌先輩に急かされた龍馬君は、珍しそうに箱を眺めてから丁寧にリボンと包装紙を剥がす。

 ビリビリと破ったりしないところが、男として出来ていると個人的に思う。


「……これは?」

「ん? 見てのとおり、フツーの生チョコやで?」


 あたしが背中越しにそーっと覗き込むと、中には本当に普通の生チョコが丁寧に並べられていた。

 見た目も美味しそうだし、何よりあたしのトリュフと正反対の属性を持ってきたのだ。

 何処までも嫌味なチョイスをしてくる先輩に、そろそろ堪忍袋の尾が切れそうだ。


「それじゃ、いただきます」


 龍馬君はというと、中に入っていた小さいピックで一つを刺し、すぐに口の中へと運んだ。


「……美味いです。正直先輩のことだから、また苦い味にしてくるものかと思ってました」

「あんまりウチを見くびらんといてぇな。ウチかて、やるときはやる女なんや」


 あまりの実力差に、あたしはもう泣きそうになっていた。

 それに何より、龍馬君の表情がとっても幸せそうで、何故か少し悔しかった。

 ――もう、あたしの負けだ。

 喪失感に苛まれたあたしは、足元に視線を落としてひたすら涙を堪えていた。

 龍馬君の前では、泣きたくないから。


「――んぐっ!?」


 そんな中、急に龍馬君から変な声が聞こえてきた。

 はっとしてすぐに顔を上げると、ものすごく苦しそうな顔をして口元を手で押さえている。


「龍馬君、どうしたのっ?」


 心配になって声を掛けるが、涙目であたしを見てから首を振り、即座に図書室を出て行ってしまった。

 その場に残ったのは、呆然と立ち尽くすあたしと、腕を組んで得意げな顔をしている萌先輩。


「……龍馬君に、何したんですか?」


 もう少しで怒りをぶつけてしまいそうだったけど、何とか堪えてそれだけを聞いた。

 事と次第によっては本気でキレよう、そう思っていたけど、萌先輩は鞄を持ち上げると図書室を後にしようとした。


「ま、待ってください! 話はまだ――」


 終わっていません! という続きの言葉は出てこなかった。

 何故なら萌先輩は去り際に、あたしに背を向けたまま親指を立てたから。

 意味の分からぬまま立ち尽くしていると、制服のポケットからバイブの音が聞こえた。

 慌てて携帯を取り出すと、新着メールが届いたばかりだった。

 何か萌先輩の行動と関連しているに違いない、そう思ったあたしは、すぐにメールの内容を確認する。


『送信者:萌先輩 件名なし 本文:龍馬には悪ぃことしたな。後は上手くやりぃよ?』


「これ、って……」


 さっきまでの強力なアプローチは、もしかしてあたしと龍馬君の雰囲気を良くするための布石だったのだろうか?

 萌先輩は龍馬君のチョコへの期待感を高めて、あえて不味いチョコを食べさせた。

 それはまるで、あたしのチョコレートをより美味しく感じさせるための前振りではないか。

 まさかそのためだけに、わざわざ図書室へ足を運んだというのか?


「……余計なお世話ですよ、先輩」


 気付けば、先ほどまでの嫌な気分はすっかり消え去っていた。

 萌先輩の犠牲(語弊があるけど)、絶対に無駄にはしない。

 数分すると、龍馬君がげっそりとした表情でのろのろと戻ってきた。


「はぁ……あんなどんでん返し、絶対反則だろ。先輩は先輩で忽然と姿を消しているし……」

「そ、そうだね……あの、龍馬君?」

「ん、どした?」


 龍馬君があたしを見てくれている、それだけで嬉しい。

 でも、今度はそれ以上の関係になって、いつでもあたしを見てくれる存在にするんだっ!


「そ、その~……お口直しに、こういうの、どうかな?」


 あたしはいつでも出せるようにしておいた袋を取り出すと、両手で龍馬君に差し出す。

 少し俯いていたけど、龍馬君が頭を掻いている姿は少しだけ見えた。

 あの仕草、多分照れているのだと思う。


「……ありがとう。早速だけど食べてもいいか?」

「もっ、もちろんだよ龍馬君っ!」


 返事を聞いた龍馬君は、先ほどと同じく丁寧にリボンを外すと、一粒取り出してパクリと口に入れた。


「うーん……萌先輩のチョコの千倍は美味いな」


 その表情は間違いなく、さっき先輩に見せた笑顔よりも輝いていた。

 その事実が嬉しくて、今にも胸がはちきれてしまいそうだ。


「あっ、あのさ……」


 トリュフを夢中になって食べている龍馬君に苦笑しつつ、あたしは口を開いた。

 龍馬君は咀嚼しながら首を傾げていたので、あたしはさらに言葉を続ける。


「良い機会だから、もう一度言いたいことがあるんだ」

「ゴクン……そ、それって」


 流石の龍馬君も、あたしの言いたい事を察してくれたらしい。

 昔の鈍感さと比べたら、目を見張るほど成長している。

 あたしは胸の内をさらけ出すように、ずっと心にしまっていた思いを解き放った。


「……あたしと、付き合ってくれますか?」


 誰もいない図書室、少しの間静寂があたしたちを包み込む。


「……はぁ、先に言われちゃったか」


 溜め息混じりに発したのは、何とも残念そうな言葉だった。

 意味を解しかねて首を傾げていると、すたすたと近づいてきた龍馬君は急に――


 真正面から抱きしめた。


「あっ……」


 思わず漏れてしまう声。

 それは決して不快だからではない、むしろすごく嬉しい。

 まだ寒い冬場なだけに、龍馬君の温もりがとても分かりやすい。


「その言葉、このチョコのお返しに言おうと思っていたんだぜ?」


 耳元で囁く息遣いに、あたしの心拍数が急上昇する。


「ご、ゴメンね。……ってことは、つまり――」

「あぁ。喜んで、俺は聖子の彼氏になる。……今まで待たせて、本当にゴメンな」


 謝らなくてもいいよ。

 あたし、その言葉が聞けただけですごく嬉しいんだから。

 嬉しすぎて泣きそうになったが、ぐっと堪えた後に今までにないお願いをした。


「龍馬君……キス、してもいい?」

「っ! ……いいけど、ちょっとだけだぞ?」


 てっきり断られると思っていただけに、あたしの心拍数はもう限界を超えていた。

 龍馬君は優しい抱擁を少しだけ解くと、二人の間に小さなスペースを作る。


「……は、恥ずかしいから、目を閉じてくれっ」

「う、うん……」


 十センチ違いの身長なので、必然的にあたしは龍馬君を見上げることになる。

 その姿は今までのどの瞬間よりも格好よくて、とても愛しかった。

 冬の早い黄昏に照らされた二人は、ゆっくりと唇を近づけて――




「――んっ……はっ!」


 途轍もなく嫌な予感に跳ね起きると、そこはあたしの寝室だった。

 時刻は午前5時過ぎ、起きるには少し早い時間だ。

 日付は――7月3日


「うっ、嘘おぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 現実とは、何とも残酷な仕打ちを平気で与える。

 あれだけ濃密な内容なのに、夢オチってありえないでしょ、普通!

 絶望に打ちひしがれていたあたしに、部屋の外から心底楽しそうな声が聞こえてくる。


「ふふっ、その様子だと相当良い夢を見ていたのねぇ~。……男ね?」

「うあぁぁぁぁぁ……酷いよぉ~」


 やはりあたしの母は何でもお見通しみたいだ。


「さぁさぁ。起きたのなら現実に戻って、現実の彼にアタックしてきなさいっ!」

「……うん。ぐずっ」


 夢の中で堪えていた涙が、今更になって流れてきた。

 確かにあの続きが見れなかったのは寂しいけど、所詮夢は夢。

 いつかは終わってしまうものなのだ。

 だったら、現実でその続きを自分で創り出せば良い。

 そんな当たり前を体現したのが、もしかしたらミカドであり〝幻界〟なのかもしれない。

 そんなことを考えていたら、この恋の炎がまた強く燃え上がってきた。


「……絶対、龍馬君の彼女になるんだっ!」


 壮絶なる決意を胸に、あたしはベッドから跳ね起きた。


 そう、あたしは今日もいつも通り龍馬君に会い、輝ける未来の礎を作るのだ。

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