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悪戯な思春期  作者: 片桐
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彼氏に定義に私


  彼氏の定義を述べよ。

 年間行事を過ごす人。

 夏休みは海辺で砂遊びして、冬はクリスマスを寝ずに過ごす。

 原義は友達以上の男子友達。

 では問おう。

 友達を経ずにつき合ったらそれは彼氏と言えるのだろうか。痴漢と紙一重だ。


  翌日の昼私はぼんやりと下らない堂々巡りを繰り返していた。

 (一昨日初めて話したのに…昨日キ…キスしたとか)

 (軽い女だったってことだ)

 (うるさい黙れ椎名蜜柑)

 (蜜柑って…)

 レース越しに春の暖かい日差しが頬を撫でる。何度も通る影は、きっと昨日見た燕だろう。

 (巣作りかぁ…微笑ましいよなぁ)

 リサイクルショップで千円出すと十円返ってきた四つ脚テーブルに頭を預ける。冷たいガラスの感触が気持ち良い。泡が閉じこめられたこのテーブルはお気に入りの一品だ。

 朝日には黄色く泡立ち、弾けるレモンシュカッシュみたいに光る。夏の真昼は青空を反射して、水面の様に揺れる。今は、優しい陽光を静かに反射して白く輝いている。

 知らぬ間に背後に近づく睡魔にうつらうつらした時だった。顔の側に置いていた深紅の携帯が震えた。耳をテーブルに押しつけていた私には地なり位に覚え、首が痛むくらい速く起き上がった。

 音の正体を見抜くと、溜め息を吐いて通話ボタンを押した。

 「もみもみ~」

 この挨拶は一人しかいない。

 「美伊奈…それなんかエロいから止めてって」

 受話器から美伊奈のアイドルボイスが伝わる。

 「あらぁ? そんなこと連想するなんてヤらしいなぁ~。まさか、西ともう?」

 「恥ずかしながらそんなこと言うな! ……なんもなかったよ。軽井沢に行っただけ」

 「なにマジ? デートじゃん」

 直に突っ込まれ、携帯を落としそうになる。耳が熱いのがすぐにわかった。

 「…デートらしいよ?」

 瞬間向こう側から笑いが爆発した。美伊奈は涙目になって文字通り爆笑してるようだ。

 「なに笑ってんの」

 何かムカついて、私は不機嫌な声を上げる。だが、美伊奈はお構いなしに二分間は楽しみ続けた。

 「キャーハハハ…アハ…可愛すぎる。その頃に戻りたぁい」

 明らかに馬鹿にしている口調だ。逆にスッキリして、私はテーブルにまた優雅にもたれかかる。

 「でね…」

 「なになに?」

 「…キス、した」

 ほんの少しの間が空いて、嵐の前の静けさが訪れて、極大の笑いの風が巻き起こった。息が詰まらないか心配になるが、長年の付き合いでもう慣れた。美伊奈の笑いの暴走は待つ以外ないのだ。

 「ふっ…ハハ、ひんっ…それで?」

 (それで?)

 「電車の中だったんだけど…キスされて、ずっと頭を…こう…抱かれて」

 「ハーッ!」

 有名人さながらの引き笑いで答えた美伊奈に私はただ黙る。きっと初々しくて仕方ないのだろう。

 「じゃあねー…一週間以内に貞操を奪われるね」

 (てい…何?)

 戸惑う私を置いて、美伊奈は恋の先輩さながら喋りまくる。

 「西がまさかデート誘ってキス奪うとはねー。あぁ目は付けてたんだけど、雰囲気ダークだから夜とか豹変しそうじゃない? あたしか弱い乙女なんだし、やっぱり草食系男子で十分なんだよね。まさか椎名が初の相手が学年一のルックスとは…捕まえときなさいよ♪ 今度あたしの彼氏六人連れてダブルデートしよっか」

 「美伊奈…それダブルデートって言わない」

 「なぁに? 浮かない声ばっか。何があったか美伊奈に話してご覧」

 (ばれてしまう…アホなテンションだったくせに、鋭い)


  私は彼氏の定義について話した。日曜日の午前中を丸々使ったそれは、それはもう濃厚で三十分も説明に費やした。

 「うん、うんもうわかった」

 耐えきれなくなった美伊奈が制止する。三十分も良く耐えたと思う。

 「初めてだとそう思ったりするよねー。しかも相手は瑠衣スマイルの持ち主…かなり一筋縄じゃいかない」

 「本当にね」

 (昨日は何度そのスマイルに翻弄されたことか…)

 美伊奈が考えるように黙ったあと、重要な質問をしてきた。

 「好きなの?」

 言葉に詰まる。

 「一番はそこだよ。椎名が西雅樹をすきなのかどうか」

 (瑠衣なら即答なんだけど)

 「キッチリしないとさ、本当に子供出来てからじゃ手遅れだよ」

 私はテーブルに頭を打ちつけた。

 「こどっ…子供?」

 美伊奈は電話越しの私の慌てぶりを理解した上で、淡々と注意する。

 「どうせ椎名のことなんだから、夜の知識とか零でしょ? あたしだってビッチじゃないんだから、そのへんは慎重だし、椎名も気をつけてほしいから」

 「…美伊奈ああああぁ」

 周りで誰かが聞いているんじゃないかと心配になってくる話の流れだ。

 だが、こちらの不安など知ったことじゃないかのように美伊奈は言う。

 「あたしだってそこまでは無いと思うけど、いきなりキスしてくるような奴は絶対危険! 黄色信号越して赤信号! わかる? 女の子にとって一番大切なものの危機なんだよ」

 「別に明日泊まりに行くとか言うわけでもないし」

 私は耳を真っ赤にさせながらも、話についていこうと声を絞り出した。

 「だから、ダメってそんな安楽的な考えじゃあ」

 「安楽的って何よ」

 向こう側であからさまに吐かれる溜め息。私は苛々しながらも、返事を待つ。

 「西は告白の時なんて言ったのよ」

 それだけ言うと、美伊奈は一方的に電話を切った。

 無機質な電子音が耳を汚し、眉をひそめて携帯を閉じる。 (西が…?)

 刹那、西と対峙した昼休みが蘇る。

 『椎名が欲しい』

 そして、今までの美伊奈の言葉。

 (西が…私を肉体的にも欲してるってこと…?)


  考えてもわからないことは考えない。私は昔からの主義に従って、外にでた

 美伊奈の話は真剣に聞いた。

 しかし、一歩前に踏み出そうとしても正直西どころか、男子という生き物が何を考えてるのかもわからないのだ。

 無駄無駄と自分に言い聞かせて、あてもなく歩いた。

 そうしてぶらりと、近所で有名な小さなケーキ店にやってきた。ラトルという名前で、森の中から切り抜いてきたような可愛い外観だった。

 ガラス戸を押し、甘い香りの中に包まれる。バニラ。チョコレート。カシス。

 空気に波を作るのも罪な気がして、入り口で見回していると、カウンターの中に見覚えある影があるのに気づいた。

 (あ…え? まさか)

 蒼のチェックのバンダナを巻き、黒いエプロンをつけた長身。店長らしき男性が指示すると、爽やかな返事をして素早く店内を行き来する。

 客の注文に応じて、ガラスケースから慎重にケーキを取り出してゆく。

 綺麗に梱包を終えると、星模様の袋を女性に渡す。

 「お待たせ致しました。ご注文の三品でございます」

 瑠衣スマイル。

 「……天草?」

 私はそばを幸せそうに過ぎていく女性を一瞥し、軽く手を振った。


  ラトルの脇に添えられたテラスで座っていると、私服に着替えた西がやってきた。

 「…お疲れ様」

 予想がけない出会いに未だ驚きながら、私は笑った。

 「丁度交代でね」

 店を振り返って、西は親指で示す。

 「親戚が経営してて、週末だけ入ってるんだ。似合わない、だろ」

 まだ甘い香りを漂わせながら、西は照れ笑いをした。

 「作ってるの?」

 昨日の料理の腕を目の当たりにした私は、率直に訊いた。

 「全然。まだ教えてもらえない。まぁ、料理は好きだから洋菓子も作っちゃいるけど」 大したことないさ、西は小さく笑った。そして、私の前に置かれたコーヒーを見てさらに口の端を上げる。

 「またブラックか。ケーキと合わせると苦くないのか?」

 「むしろ良い! 甘さと苦さがパァッと…苦いのが好きだからさ」

 「ふぅん」

 西は何を連想したのか、舐め回すような視線を向けてきた。期待を裏切らない私の顔は沸騰状態だ。

 西は思い出したように向かい側に座った。洒落た丸テーブルは二人掛け用らしく、小さな円を挟んで西の顔が近くにある。

 私はティラミスを食べ終えたところだった。名前の響きに惚れてお気に入りにしているが、ピリリとくるブランデーの強さが好きだった。

 「ティラミスは作らないの?」

 突拍子もなく尋ねたものだから、西はついていた頬杖を外して呆気にとられた。

 だが、すぐに瑠衣スマイルを浮かべると、言い聞かせるように語り出す。

 「ティラミスってチーズが命なんだ」

 「ブランデーとかココアじゃなくて?」

 「あぁ…基盤はマスカルポーネチーズでね。これが市販になかなか良いのがないんだ。店の使う訳にもいかないだろ? だからティラミスは作ったことがない」

 ケーキを作るのが心から好きなのだろう。西は出会って以来一番饒舌だった。

 「天草は?」

 「料理? ティラミス? まぁ…インスタントキッドみたいのでは作ったけど、あまり美味しくなかった。私、粉末を混ぜるの下手で…ダマが残ってたんだ」

 裏技やテクニックを教えてくれる人はとっくに他界してしまった。

 それを実感して、私はフッと笑う。

 (まともにチョコも作ってないし)

 瑠衣に贈ってきたのは大抵焼き菓子だ。ケーキなど重い上、成功率が格段に低い。

 「食べさせてよ」

 そう結論づけたはずなのに、舌なめずりする西に言われてしまっては、ただこくんと頷くしかなかった。

 「味の保証は…」

 「いらないいらない」

 頭をくしゃくしゃ撫でられながら私は帰る支度をした。


  一緒に歩く西はなんだか嬉しそうだった。昨日の軽井沢の林の中での険しい顔とは大違いだ。

 商店街のカラフルな煉瓦を踏みしめ、私たちは何処ともなく歩いていた。

 週末ということで、人の混み具合は尋常ではなかった。過ぎ行く人の中で、女性は西を二度見していった。

 (イケメン…とか呟いているんだろうなぁ、彼女たちは)

 春の鮮やかな花を満開にさせた花屋では、中の店員が剪定中のスイートピーを握りしめたまま西を目で追っていた。

 「もうすぐ模試だな」

 女性たちの思いなど気にも留めずに西は肩に手を置いた。

 身長差のおかげで、歩きにくくなることはない。だが、心臓の拍動は速まるばかりだ。

 「準備出来てるか?」

 校内一の秀才は余裕な笑みを浮かべた。

 (嫌みな…)

 私の反応を楽しむように、西は軽やかに歩き続ける。

 「あの、西…」

 (期待通りに言ってあげるよ)

 西が振り向くと、その瞳に呑まれる前に私は次の言葉を紡ぎ出した。

 「良かったらその、勉強教えてくれない?…かな」

 俯いてしまう私を、焦らして彼は肩を抱き寄せた。もたれかかる姿勢となり、嫌でも周囲の視線が突き刺さる。

 「天草の家でなら」

 ニヤリと笑うと、西は軽く額に口づけをした。

 「ふ…ふた…二人きり、で?」

 両親の不在を知っているかわからないが、私はおずおず聞いた。

 それに応えず、西は私の髪を撫でた。ラトルのテラスの時とは違い、優しく。


  こんな時にすら瑠衣を思い浮かべてしまう私は悪い彼女だ。

 (まだ彼女って認めてないくせに)

 (うるさい)

 瑠衣はライブの最中、バンドのメンバーの頭を必ず撫でる。

 ギターの二人は後ろから腕を絡めながら。ドラムの男は髪を引っ張るように強く。

 妖艶なダンサーにはキスをしながら甘く。ピアノ担当は鍵盤を押して、大音響の中軽く前髪をなぞる。

 その度ファンから盛大な嫉妬の歓声が上がるのだが、瑠衣は不適に笑い叫ぶのだ。

 『まだ声は出るだろ!』

 (出ますとも)

 彼の細い手に髪をすかれるのを夢見て、私たちファンはファンであり続ける。

 東京ドームライブは一段と興奮した。

 ファーストシングルの゛KILL゛に熱狂するファンの間を駆け抜けたのだ。ステージの上からとはいえ警備員の隙間から投げキッスを送る彼は、王そのものだった。

 『僕に殺されたいのは誰?』

 ドームの中心で妖艶に囁くと、首都を揺るがす程の五万人の叫びが轟いた。

 『殺してあげる』

 それを合図にマントを脱ぎ捨て、上半身をさらした冬のライブは記憶に焼き付いて離れない。

 鍛え抜かれた肉体はスクリーン越しでも感じさせる。

 彼の隣に行くためなら、人を殺せるファンは確かに存在するだろう。

  ポンと頭を叩かれて、回想が消える。

 「目が止まってたぞ」

 いつの間にか商店街を抜けた路地にいた。西は戸惑う私をからかう。

 「何言っても『うん』としか言わないから、色々誓わせちまった」

 「はぁ? え、何を?」

 焦る私を置いて、彼は駅へと踏み出す。

 「勉強のときはメイド口調になること」

 「嘘だ!」

 「それから、一日一回電話すること」

 「束縛彼氏か!」

 身に覚えのないことばかり言われ、私は必死で打ち消そうとする。

 「それから…」

 西は足を止めた。

 意味ありげな笑みに背中が冷たくなる。

 「お互い名前で呼び合うこと。椎名」

 私は腰が落ちそうになった。

 (瑠衣様の声で…卑怯なんだから)

 「わかった? 椎名」

 何度も名前で呼ばれ、くすぐったくなる。思えば、家族のいない自分にとってそう呼ぶ人は西が初めてだった。

 (…泣きそう)

 「椎名?」

 目が潤んでいる私を心配そうに見る西。

 私は深く息を吸いこんで、彼の眼を真っすぐに見つめた。

 「はい、雅樹」

  ワープは存在するかもしれない。

 雅樹と話していると、それはそれは早く駅にたどり着いたのだ。

 改札口で別れる前に、私は彼の胸に甘えた。今朝までの悩みが下らなく思える。

 (雅樹は私の彼氏だ)

 「嬉しいけど…誘われると自制利かなくなるよ、椎名」

 私の肩を押して遠ざけながら、雅樹は警告する。その瞳は獲物を狙う鷹のごとく、人混みの中で光る。

 (それって…そういう意味だよね)

 雅樹が強引に私に改札口を通らせる。

 だが、すぐに引き返し切符を無駄遣いした私を見て、呆れたように吹き出した。

 「なにやってんの?」

 「さあ?」

 火照りながら私は笑う。

 時刻は五時。まだまだ夜は長い。

 雅樹も腕時計をチラリと見て、私の腕を掴んだ。それだけで背中が反応してしまう。

 「切符買い直す」

 「え?」

 意味が汲み取れずに瞬きしていると、こう付け加えた。

 「二つだ」



  電車に揺られながら、私たちは長年寄り添った夫婦のように会話に華を咲かせていた。

 「雅樹が卓球?」

 「相手の顔にばっかり当ててたから、大会に出させて貰えなかった」

 「なんで?」

 「こう、訳わからない怒りが漲ってきて…スマッシュ撃ちまくって」

 「…よく退部させられなかったね」

 「不思議だよ。なんか監督…男なんだけど、多分俺に好意あって…色々眼つぶっててくれたっていうか」

 「なにそれ、気持ち悪い」

 「だよな?」

 会話は尽きることを知らなかった。外見は瑠衣ほど密接になったが、中身はこれから知っていかなくてはならないのだ。

 「椎名は?」

 「中学の部活? 水泳部」

 「へぇ、泳げんだ。残念だな…教えてやりたかったのに」

 「なんて?」

 後半が聞こえなかったが、雅樹は笑って誤魔化した。

 「関東大会までは行ったけど、やっぱり田舎の県内一でも東京の屈強選手には適わないんだよね…だから、大会後は瑠衣が通うレストランに毎回行ってた」

 「瑠衣が?」

 「うん。万が一でも逢いたかったからさ…でも、一回も会えなかったなぁ」

 雅樹が黙ったので、沈黙が流れた。

 (私って奴はなに堂々と瑠衣の話なんか…)

 失言に気づいたものの、どうすればいいのかわからない。

 (やっぱヤだよね。瑠衣の話されんの)

 「それ、カタルーニャだろ」

 電車が大きくカーブしたとき、その勢いに乗るように雅樹が言った。

 「なんで、知って…」

 予想外の返答に混乱する私。

 「いや、俺も瑠衣に憧れてるから何度か待ち伏せたんだよ。そこ有名だろ?」

 「そうなの? で、会えた?」

 「まさか」

 肩をすくめて雅樹は答える。

 「…だよね」

 「でも握手はした」

 「ええ?」

 「九年前に、まだ瑠衣がブレイクしてないとき、ライブハウスでさ。二十八の瑠衣だぜ? 格好良かった」

 思い出して嬉しそうに語る雅樹を私は瞬きしながら見つめるしかなかった。


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