第8話
言ってしまった。恥ずかしい。
あの声はピエロには聞こえたのだろうか。もしかしたら、心の中で言ったつもりになっていただけなのかもしれない。
それより、お兄さんは怒ってはいないだろうか。せっかくなのに、こんな風に断るなんて……
結局、また俯いてしまった。
ぽん、ぽん
彼は、最初のように、私の肩を優しく叩く。
顔を上げると、そこには……そこには大きな夕日と気球型の乗り物と、家族の姿があった。
「――!!」
「ユウ!」
「お母さん、お父さん……! ――あ……」
……まずい。今まで忘れていたが、私は迷子だったのだ。
とうとう見付かってしまった。どうしよう。笑われるだろうか、叱られるだろうか。
覚悟は出来ているつもりだったけれど、何を言われるんだろうと思うとやはり怖い。
「気球はどうだった? ふふ、ユウ、あれ好きねぇ。本当に気持ちが良さそうな顔してたわよ」
……あれ……?
「どうした? ユウ。疲れたか? 今日はいっぱい遊んだもんなぁ」
「う、うん……?」
どうしたのかはこっちが訊きたかった。父も母も、迷子になった事についてどうして何も言わないのだろう?
「ふふ、ユウ、気球に乗りすぎて酔ったんじゃないの? もう3回も連続で乗ったものねぇ」
「……?」
これじゃあまるで、私が今さっき気球の乗り物から降りたばかりみたいだ。どうなっているんだろう。
「えーっと、お兄ちゃんは……、あ、来たわ。お兄ちゃんたらまた一人でジェットコースターに乗ってたのね。さぁ、そろそろ帰りましょうか」
「……」
「あら。ユウ、服が……」
訳が分からず突っ立っていると、遊びすぎて乱れた服を母が整えだした。
「あら……? 何かしら、これ……」
「え……?」
母が見付けたのは、一枚の付箋だった。
「ふふ、一体どこで付けて来たのかしらねぇ。えーっと、……『今日は楽しかったね。観覧車は夜に乗ると一番景色がきれいに見えるから、いつか夜に乗ってね』だって。誰かへの伝言かしら?」
「!!」
気が付くと、もうそこにはピエロの姿は無かった。
あまり綺麗とは言えない字が書かれたその付箋には、ファンデーションの白い汚れが付いていた。
付箋を持つ手が、震えた。みるみる内に字がにじんでいく。涙が溜まっているからだろうか?違う、涙が零れたからだ。
私の叫びは、届いてたんだ。彼は今日、見ていたんだ。私の事。
私は今、何をしているんだろう?
「ユウ……? どうしたの、ユウ? やっぱり大丈夫じゃなかったよね、もう、ゴロウ! ゴロウのせいだよ!」
気持ちも伝えないまま、一人きりで哀しんで。
現実を見ようともせずに、気持ちをそらしてばかりで。
だって、怖いじゃない。現実を見るのは。
辛くて苦しくて、気を張っていないと涙が溢れ出そうで。喉が詰まって表情も上手く作れなくて。
「おいおい、俺ばっかり責めんなよ〜。お前らの為に1個後でしか乗らなかったんだぜぇ?」
どうしてそんなに苦しいの?
あの人が、あの子を好きだから。
どうして気持ちが伝えられないの?
あの人が、あの子を好きだから。
……違う。
振られることが、分かっているから。
あの人と観覧車に乗りたい。
あの人が、好き。
だから、勇気を出してピエロの誘いを断ったんじゃない。
「ユウ。大丈夫か?」
ピエロだって、バック転したら凄いって言われてたじゃない。
嘲笑われたって良いじゃない。
それより大事なことがあるから。
動け。
「リョウゴ! 観覧車、行こう!」
「!? ちょ、おい、ユウ……!?」
手を引いて、走る。好きな人と、行かなきゃ。
観覧車から見る夜刻は絶景だった。
コーヒーカップ、メリーゴーラウンド、ジェットコースター。夢のような景色の全てが小さく光りになってゆく。
高い所まで上って来ると、町と海が見えた。
町にはいくつもの灯りがちりばめられて、星のように瞬き輝いている。
海は月明かりと町灯りを反射して輝く波面を描き、とてもロマンチックな調べを奏でている。きっとそうだ。私には聞こえる。
そして彼は、手を伸ばせば届く、ここに居る。
今日、一人きりで観覧車に乗った十数分間、私はピエロとの思い出に逃げるだけで、得るものは何も無かった。
でも、ただ、思い出した。
いつの間にか埃を被って隠れていた、大切な大切な、譲れない気持ち。
私が一番怖かったのは、……振られたとき、嘲笑われること。
でもそんな事より、この気持ちの方がずっと大切だから。
「ユウ、どうしたんだよ? あいつら置いてこんな所まで引っ張って来て……」
届かなくてもいいよ。手に入らなくてもいいよ。
「リョウゴ。……私、ね……」
ねぇ、今、言わないと。
自分が、自分に、嘲笑われちゃうよ。
「リョウゴの事が……」
狭く、長い観覧車
ここで思い切り伝えたら
長く迷ったこの想いは、きっと終わりを迎えるだろう
「足下にお気をつけ下さい」
扉を開けてそう言うと、ひどく気まずそうな顔をした少年と、悲しそうだけれど満足げな少女が降りて来た。今日、最後の乗客だ。
走り去る彼。立ち尽くす彼女。
「……凄いね。でも、君なら出来るって思ってたよ」
声をかけると、いつかの少女は輝いた微笑みを見せ、声を上げて泣き出した。
ゆうえんちで迷子、ここまで読んでくださって本当にありがとうございました!
いかがでしたでしょうか?少しでも何かを感じていただけていたら幸いです……。